第2話 大迷宮シャンバラ
気を失っていたのか、それとも一瞬だったのか、分からない。とにかく気が付いたら、ぼくはまったく別の場所にいた。……真っ暗だ。そして、真っ先に気付いたのだが異様なことが一つある。この場所は、潮の匂いがしない。さっきまで海辺に居たはずなのに。
「懐中電灯……よし、無事か」
灯りをつける。石造りの迷宮の中にぼくはいた。石畳、石壁、天井も石。苔むしていたりはしない。綺麗なものだ。そして、どう見ても人工的に作られた空間だ。いまいる場所は袋小路の突き当りで、天井はそんなに高くない、左右は両手を伸ばしても壁に手が届かないくらいの広さがあり、奥には暗い通路が伸びている。しかし、それよりも重大なことがあった。……すぐそこに人が倒れてる。
「おい、ちょっと! 無事か? 生きてるか?」
声をかけたが応答がない。ライトで正面から照らす。人間のように見える。一糸まとわぬ姿、裸だ。と、反応がある。
「……〇×$▽#◇%」
目を開けた。上体を起こして、何か、喋ったらしい。日本語じゃない。英語でもない。ついでに中国語でもないと思う。スペイン語も違う。そしてぼくの地球言語知識ではそのへんが限界だ。たまに観光客の応対をするんで少し知ってるってだけですし。
「あ、そうだ」
ぼくは懐から衛星携帯電話を取り出した。名前は携帯電話だが機能的にはスマートフォンであり、通訳アプリも使える。のだが。
「圏外、か」
ここはどこかの地下なのだろうか、いずれにせよ内蔵辞書だけではたいした通訳機能は働かない。この手はあきらめるしかない。なので、身振り手振り。何語なら通じるのか、そもそもそっちが日本語を話してはくれないものか、意思疎通を図ってみるのだが。そいつは、突然こう言った。
「……環境言語、インストール完了。地球言語/コードJP」
「よかった。日本語、分かるんだな」
「いま習得した」
「……いろいろ聞きたいこととか、あるんだけど、とにかく。その恰好はまずいだろう。これを着て」
ぼくは自分が羽織っていた日除けの長袖コートを脱ぎ、彼女に手渡した。手渡そうとした。ちなみにこのコートを島では
「別に必要がない。有機インターフェイス・デバイスとして創造されたトコヨにとって人間の姿はかりそめのものに過ぎない」
「トコヨというのは、君の名前か」
「厳密には違うが、そのように理解して構わない」
「そっか。ぼくは、理一郎。海護理一郎。よろしく。で、これ着て」
「不要である」
裸なのに気付いてからは直に照らさないように注意しているが、距離が近いのでさすがに、相手が女性……いや、女の子と言った方がいいかな、ぼくよりは年下に見える……なのは分かった。素っ裸でいられると、こっちが困るのである。
「そこをなんとか、まげてお願いできないかな? この通り」
「……しょうがないな。そうまで言うなら、要請に応じる」
少女はぼくが強引に押し付けた空着をしぶしぶといった風情でまとった。大分ぶかぶかだが、とにかく裸ではないだけましだ。
「君は、どこからここに来た? 外部から島に君のような子が来ているなら、ぼくが知らないはずはないんだけど」
いま島にいる観光客の一覧くらいは常に頭の中に入れてある。そして、海護、という単語をあえてこちらから出さない。
「島とはなんだ? トコヨはこのシャンバラにおいて形作られ、このシャンバラと共に在る。他の場所は知らない」
うーん。なんともはや。
「まあ、それならいまはそういうことにしておこう。それよりぼくもここ……シャンバラっていうの? ここから脱出して、島に戻らないといけない。そのための手段は知っている?」
「知っている」
「良かった。案内してくれる? 出口……とかがあるよね、この感じだと」
「それはできない」
「何故」
「シャンバラに入るものは、自らの力でシャンバラを出なければならない。それがシャンバラの掟の一つだからだ」
「そういう君は?」
「トコヨはシャンバラそのものの構成要素の一つであり、探索者ではない」
「人間にしか見えないんだが」
「ならば証明してやる」
そう言ってトコヨはダンジョンの壁に手を当てた。当てた、と言うか、その手がまるで水面にでも触れたように、壁の中にめり込む。えっ? っと思って、ぼくも同じようにしてみたが、壁は固い。ただの石としか思えない。どうなってるんだ。
かちっ
という音がして、迷宮全体が明るくなった。満月の月明かり程度の明るさ。懐中電灯はさしあたり要りそうもないので、消した。トコヨの手は壁からぬっと出てきた。
「何をしたんだ、今」
「シャンバラの全体光度をコントロールした。これはトコヨのダンジョン・オペレーターとしての権能の一つだ」
ものすごく高度な手品を見せられているという可能性を排除すれば、どうも確かに彼女はただ者ではないらしい。髪の色、青いし。というのは分かったが。そこで彼女はふらり、とよろめいた。座り込む。
「お、おい。どうした。大丈夫か」
「エネルギーの枯渇が発生した」
「よく分からんが、それはこの場でどうにかできること?」
「現在のトコヨの構成体は有機インターフェイスであるので、有機物を摂取することでエネルギーを補うことが可能である」
「つまり腹が減ってるのか。寿司あるけど。食べる?」
「いただこう」
島寿司の入ったパックと、海護コーラのペットボトルを手渡す。寿司は二つあるので、片方はぼくが食べることにする。
「これは、どうやって食べればいいのだ?」
と聞かれる。
「ここには箸がないので、手でつまんでそのまま食べて。この島寿司はネタが唐辛子醤油に漬けてあるから、醤油を使う必要はない」
「了解した」
まあ、箸があっても使えそうにない雰囲気だけど……と思いながら、ぼくも寿司を食べる。これは、この島で手に入る食べ物の中ではごちそうの部類なのである。なおここで余談をひとつ言うと、海護コーラには島産のレモン果汁が使われている。
「これは何だ? この赤いのは」
「それはウミガメ。アオウミガメを醤油に漬けたもの」
「スシというのは、ウミガメから作るのか」
「いや、どっちかというとそういうのは珍しいんだけど。ぼくの島ではそうなの」
「なるほど」
ウミガメの仲間はだいたい絶滅に瀕しているから国際的な漁獲制限があって、漁期に決められた数しか捕れない。まあ、わが海護は独立国家なのだから日本の水産庁とかの言うことに従わなければならない道理は必ずしもないのだが、お前らのせいでウミガメが絶滅したぞどうしてくれるなどとあとで怒られたら大変だから、大人しく言われた通りにしている。わが王国は弱小である。
「こっちは? これも赤いけどウミガメではないな」
「それはマグロ」
「これは?」
「シイラという魚」
「ふむふむ」
などと言いながら、トコヨはむしゃむしゃと寿司を食べ、コーラを飲む。ものを食べている限りにおいては、人間と変わるところはないように見えた。さて、二人して寿司を食べ終える。
「エネルギーの補給を完了した」
「なんであれ君が世事に疎いのは分かったけど、そういうときはごちそうさまと言うんだよ」
「ごちそうさま」
「よろしい」
手持ちの食糧はこれで尽きた。飲み物ももうない。つまりさっさと帰らないと、最悪このまま遭難だが。どうしたものやら。
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