第2話:天に堕ちた者たち

この街では、朝が嫌いだ。

 夜のあいだに積もった嘘が、朝日で白く透けてしまうからだと、誰かが言っていた。

 美砂と出会ってから、俺は空をよく見上げるようになった。

 “天に堕ちる”人間は、昼の空に浮かぶ影となって溶けていく。

 昨日もひとり、今日もまたひとり。

 俺たちはそれをただ見上げることしかできない。


 「ねえ透、知ってる?」

 美砂がコンビニの前で、アイスをかじりながら言った。

 「天に堕ちる人たち、みんな“まほろば”を探してたんだって。」

 「まほろば?」

 その言葉は、どこかで聞いたことがあった。

 古い言葉で、“理想郷”の意味だったはずだ。


 「そう。嘘をつかなくていい世界。

  ……でもさ、たぶん見つけられなかったんだよね。」


 美砂はあっけらかんと笑ったが、その目は少し寂しそうだった。


 俺は少し考えてから、冗談めかして言った。

 「じゃあ俺たちで探すか、まほろば。」

 「うん。探そう。」

 美砂は真顔で即答した。


 その反応に、少しだけ胸がざわついた。

 冗談のつもりが、本気になりそうで怖かった。


 俺たちは街を歩きながら、“まほろば”の手がかりを探した。

 古びた神社の祠、廃墟となった学校、空の映り込む水たまり。

 どこにもそれらしい場所は見つからない。

 だがその過程で、“天に堕ちた者たち”の痕跡に気づくようになった。


 たとえば、橋の下で見つけた古い日記。

 そこには、こんな言葉が書かれていた。

 > 「本当のことを言うと、みんなが離れていく。

 > だから私は“いい子”のふりを続ける。

 > そのうち、本当の私はどこかへ消えてしまった。」


 またあるときは、ビルの屋上で出会った男が、俺に言った。


 「嘘を重ねると、体が軽くなるんだ。

  気づいたら、もう地面を踏めなくなってた。」


 その直後、男はふわりと浮かび、淡い光となって空に溶けていった。

 俺と美砂はただ黙って見送るしかなかった。


 「偽り続けた者は天に堕ちる」

 それは呪いであり、救いでもあるのかもしれない。

 この街で生きる人間の、ひとつの“成れの果て”だ。

 夜、俺と美砂は廃駅に座り込んでいた。

 電車はもう走っていないが、ホームにはまだ風が通り抜ける。

 「透はさ、何が欲しい?」

 美砂が突然、そんなことを聞いてきた。


 「欲しいもの?」

 考えたこともなかった。

 この街では、欲望を語ることは愚かだと思っていた。


 「俺は……そうだな。」

 少し間を置いて、口から出た言葉は、自分でも意外だった。

 「……“こうしたい”じゃなくて、“こうしてほしい”って言える世界、かな。」


 美砂は目を丸くし、そして小さく笑った。

 「それ、すごくいいね。私もそれがいい。」


 そのとき、俺は気づいた。

 “まほろば”は、きっとどこかにある場所じゃない。

 俺たちが“誰かに望むこと”と、“誰かに望まれること”が、ちゃんと交わる瞬間——

 そのとき初めて、まほろばは生まれるのかもしれない。

 だが、その夜の終わり。

 空を見上げると、またひとり、影が浮かんでいた。

 今度は、俺の知っている顔だった。

 ——あの子だ。素直になれるはずだった、別の誰か。


 美砂が息を呑む。

 俺は何も言えなかった。

 ただ、胸の奥に冷たい痛みが広がるのを感じながら、

 “まほろば”を見つけなければならないと強く思った。

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