老人と犯罪者

京野 薫

前編

 十二月の空を滑るように走る数頭の動物らしい影とソリ。

 その影……俗に言う「サンタクロース」と言われている老人は、手綱を持ちながらため息をつく。


 最近はすっかり出番も減ってしまった。

 文明の進歩は人々に幸福をもたらしたが、その反面過去にあった様々なものを駆逐して言ったようだ。

 だが、まさか自分のような存在までがその居場所を奪われていくとは……


 人々に幸福を与える。

 それを報酬とし、生きる糧としてきた老人には中々酷な状況だった。

 これでは今年も何とか生活していくのがやっとだ……

 全く、世知辛い世の中だ。


 そんな事を考えながら早々に終わったプレゼントの配布によって軽くなったせいか、元気になったトナカイに鞭を入れると、家に向かって速度を上げようとしていた。

 そんな時。


 老人は眼下を走る車に……いや、正確にはそれを運転している人間に気付き、ソリを止めた。

 あれは……


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 男は全てに怒っていた。

 自分のイラストの能力を認めない社会。

「大人なんだからちゃんとした仕事をしろ」と、理不尽に虐げる無能な役所の連中。

 才能を理解しようとしないアニメ制作会社の連中。


 彼はそんな理不尽に怒り、その全てに復讐しようとしていた。

 その絶好のタイミング。

 そうだ。

 クリスマスの日。


 馬鹿な連中が浮かれている時に、現実を思い知らせる。

 これは正しい戦いなんだ。

 理不尽に苦しめられてきた自分がやった、正当性を知らしめる戦い。

 これなら神様も……いいや、こんな自分に生まれさせた神にも仕返しだ。


 そんな事を考えていると、突然助手席から「久しぶりだね、鈴木修すずきおさむ……じゃったかな」と声が聞こえたので、男は仰天して隣を見た。

 その直後、車は急ブレーキがかかり道路わきに止まった。


「おお、危ないな鈴木よ。わしが車を止めなかったらお前は黒こげだ」


「あ……あんた何者……なんで……え?」


 混乱する男に老人は自分がサンタクロースであると名乗った。

 そして、老人が言うには男が子供の頃にプレゼントを渡したと言うのだ。


 こいつ、頭おかしいんじゃないのか?


「ほっほっ、鈴木よ。わしは狂人などではない。その証拠に……」


 そう言うと老人は男の額に指を触れた。

 すると、男の脳裏に鮮明に子供の頃の姿が浮かんだ。

 朝、起きた時に枕元に置いてあったおもちゃの銃。

 それに歓喜する自分……


「どうかな、信じてくれたかな?」


 男は不思議と老人の言葉を受け入れる気になっていた。

 自分と自分を取り巻く全てを消し去る戦い。

 その前に僅かでも人間になりたかったのかもしれないが……


「で、久しぶりに懐かしい再会をはたしたと思ったら……今日でお別れとは寂しい限りじゃの。そのバッグの中のナイフとガソリンで……何をするつもりじゃ」


 その言葉に男は自らの計画を全て話した。

 学業もうまくいかず、仕事に就いたが上司に突っかかってしまい首になり、生活費も底をついたこと。


「僕は……もうどうでもいいんです。人生終わりました。だからこんな目に会わせた連中やあの街に復讐してから、その場で死んでやるんです。クリスマスに人生や全てを終わらせる。いいアイデアだと思いません?」


「ほうほう。……では、わしも手伝ってやろうか?」


「……え?」


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 老人の走らせるソリに乗った男は信じられない気持ちだった。

 まさか最後の日にこんな経験が出来るとは……


「さて、もう少しで着くぞ。どの辺で降りたい? 言ってくれればそこで降ろしてやるぞ」


「あ……じゃあもう少し進んだ町外れの所で……助かりました。有難うございます。生まれ変わったらあなたのような存在になりたいですよ。いや、この人生ももうちょっとみんなが僕を分かってくれたら……誰も僕を助けてくれなかった」


「ふむ、お前はそんな未練を感じていたのか。ふむふむ。わしはサンタクロース。最近プレゼントも渡すことも無くなり暇だった。乗せてやったお礼にもうちょっとつきあってくれんか?」


「……え? まあ……いいですけど」


 男がそういったとき。

 老人は男の目をじっと見た。

 そして数回瞬きをすると、男はボンヤリとし始めた。


 ●○●○●○●○●○●○●○●○


 男はハッと我に帰ると、老人にお礼を言ってソリを降りて街に向かう。


 そして、街に入ると最初に目に付いた仕事帰りのビジネスマンに目を付けた。

 コイツが最初……


 そう思いながらナイフをバッグから出そうとしたとき。


 目の前で男性が胸を押さえて苦しみだした。

 な、なんだ!?


 男が動揺していると、近くを歩いていた女性が駆け寄ってビジネスマンに声をかけた。

 女性は周囲に向かって「救急車を!」と言うが、何故かみんな気付いていないかのように素通りする。

 ほらみろ。

 どいつもこいつも自分の事ばかり。

 やっぱりこんな連中には天誅を……


「そこのあなた! お願い、救急車を!」


 突然自分に向かって言われたその声に男は慌てた。


「え……俺?」


「お願い! この人……多分心臓が……早く!」


 男は(なぜ自分が……)と思いながらも女性の勢いに押されて慌てて救急車を呼んだ。

 これが落ち着いたら、改めて処刑の開始だ……


 やがて救急車が到着し、ビジネスマンは運ばれていった。

 これでいいだろう。

 よし、まずは俺に怒鳴りつけてきたさっきの女から……


 すると、さっきの女性が男に駆け寄ってきて、何度も頭を下げた。


「あの……有難うございました! あなたのお陰で……本当に恩人です!」


 そう言ってニッコリと微笑む女性の顔を見て、男は慌てた。

 顔を真っ赤にして涙目で微笑む顔。

 それは、子供の頃に男が山で足を怪我した時に、必死になって助けてくれた幼馴染の少女を思い出させた。


 その翌年、病気で死んだ幼馴染……初恋だった。

 あれが男が世界から裏切られたと感じた最初だった。

 自分を本気で心配してくれた、唯一の存在。


 男は気付いたら自分の名前を名乗っていた。


「俺は……鈴木修。君は?」


「あの……私、庄司有紀しょうじゆきと言います。……あの、もし良かったらお礼をさせて下さい! そこのイタリアンで。あそこのパスタ美味しいんですよ!」


 そう言うと有紀はハッとしたような表情になった。


「あ……やだ! 今思ったんですけど、あなたにあんな言い方……すいません! 後、私も携帯持ってたから自分で連絡すれば……私、いつもそそっかしくて!」


 そう言って恥ずかしそうに微笑む有紀を見ながら男はうんざりしていた。

 なんだ、自分で連絡できたのか。

 本当にそそっかしい女だ。


 まあいい。

 処刑はイタリアンを食べるまで延期だ。

 思えば何も食べてないから腹が減った。

 食べ終わったら改めて復讐してやる。

 その時、絶望に歪んだコイツの顔を見るのも楽しみだ。


 そして、二人で店に入ってパスタを食べ終わり、男が店内の誰から襲ってやろうか考えていたとき。

 誰かと電話で話していた有紀の表情が酷く曇っているのに気付いた。


「どうしたんだ?」


 男が聞くと有紀は慌てて首を振る。


「なんでもないの。ゴメンなさい」


「なんでもない事はないと思うが……言ってみろ」


 そう。

 どうせこいつら全員死ぬんだ。

 俺の手で。

 最後に俺も物語の主人公っぽく振舞ってみたかったから、それの練習台になったならコイツの人生にも意味があるだろう。


「あの……私、趣味でイラストを書いてて。で、さっき友達から連絡があって……イラストを一緒に持ち込まないか? って。でも……自信なくて……断ろうかと」


 なんだそれは。

 馬鹿馬鹿しい。

 どうせ上手くいくわけないのだから、どっちでもいい……いや、失敗するならしないほうが傷も小さい。


 だが男はイラストと聞いたので、自分も書いていると伝え見せてもらう事にした。

 軽い気持ちで有紀のイラストを見た男は……言葉を失った。


 技術は正直拙かった。

 だが……暖かかった。

 暖かくて優しい。

 それはあの幼馴染が男に良く書いてくれた絵を思い出させた。

 男がイラストを書く切っ掛けになった絵……


 男は胸の奥から何かがあふれ出しそうになり慌てた。

 そして、気がつくと口が勝手に開いていた。


「俺が……絵を教えてやろうか」


 キョトンとする有紀に男は自分がイラストを書いている事。

 そして一時期はそれで生活していた事を話し、その場でイラストを書いて見せた。

 出版社には「売れ線じゃない」と馬鹿にされたイラスト。

 でも、男には大切なもの……幼馴染の少女をモチーフにしたもの。

 だが、今までほとんど満足行く評価をされなかった。


 どうせ……お前も……


「……凄い……まるで魔法みたい。綺麗……」


 有紀が目を潤ませて顔を紅潮させる姿を見て、男は焦った。

 これ……が?


「あの……イラスト……教えてください。お願いします、先生!」


 そういって有紀は何度も頭を下げた。

 男は全身に冷や汗を感じながら頷いた。

 処刑は……もう少し延期だ。


 それから男は有紀の家に行った。

 彼女は十代の頃に妊娠し、出産後は男性に捨てられてシングルマザーをしているようだった。

 その七歳になる娘、里香りかが男に何故か懐いていた。


 全くやりづらい……子供は嫌いなのに……

 だが、あの絵は魅力的だった。

 あの絵をキチンとした形にだけはしてやろう。


 それで終わりだ。

 これが最後の「人間らしい仕事」

 それからは全部おしまいにしてやる。

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