第4話「雨の中のカブ」



 翌朝、東京の空は重く曇っていた。

 宿を出てしばらく走ったころ、細かな雨がフロントガラスに当たり始める。やがて、それは本格的な雨脚になった。


 礼子の赤いハンターカブは、雨粒を弾きながら先頭を走る。

 椎は黄色いレインコートを着込み、小熊のすぐ後ろをついてきた。

 道路は濡れて、マンホールや白線の上は光っている。ハンドルに伝わる感触が微妙に変わるたび、小熊は無意識にスロットルを緩めた。


「大丈夫ー?」

 礼子の声がヘルメット越しに届く。


「うん……まだ平気」

 短く答えると、礼子は少しだけ速度を落としてくれた。


 信号待ちのとき、椎が隣に並び、シールド越しに笑ってみせる。

「雨、嫌いじゃないんです。音が落ち着くから」

 そう言って、また前を向いた。


 目的地は、江東区の小さな喫茶店だった。

 礼子が「昔からやってる、すごいレトロな店らしい」と言って決めた場所だ。雨の中でもカブで行く理由は、たぶん単純――こういう状況も、きっと旅の一部だから。


 店の前に着くと、古びた看板と赤いテント屋根が見えた。

 中に入れば、コーヒーの香りと、昭和歌謡が流れるスピーカーの音が迎えてくれる。

 椅子の革はすり切れ、テーブルの木目は時間に磨かれて艶を帯びていた。


 三人はそれぞれ温かい飲み物を頼み、雨粒が窓を流れるのを眺めながらしばし無言になった。

 小熊は、自分の手の中のカップから立ちのぼる湯気を見つめる。

 外の冷たさと、この温もりの落差が、妙に心地よかった。


「……こういう日も悪くないな」

 小熊がつぶやくと、礼子も椎も、静かにうなずいた。


 外に出るころには、雨は小降りになっていた。

 走り出せば、アスファルトから立ち上る雨の匂いが、冬の空気に溶けていく。

 その匂いは、どこか遠くまで行きたくなるような、淡い衝動を連れてきた。

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