幕間1 おじさん、絶対を語る

 これは未来の話であり、今のおじさんは知らない物語だ。

 小島三太はあの後もB・P社の派遣社員として仕事をこなし、ときには大きな山場を迎えつつも、せっせと日々を過ごしていた。


 どんなに鮮烈な記憶も、時が過ぎれば薄れるもの。

 ラブさんとメイトさんという、一度目にしたら二度と忘れなさそうな二人のことも、記憶から薄れつつあったある日――別クエストにて偶然にも、ラブさんと再会した。


*


「久しぶりだね、オジマさん。仕事のほうは順調かい? ……私のほうも変わらず、自由にさせて貰っているよ。まあさすがにそろそろ、どこかのクランに属そうかと考えているけれど」


 何の因果か、彼女と再会したのはコカトリスの卵採取クエストだった。

 ブロンドのショートを揺らし、にっ、と太陽に愛されているかのような微笑みは相変わらず美人だ。


 少し驚いたのは、服装が以前より地味になっていたことか。

 前は中世の貴族服かと見間違うかのようなキラキラ服だったが、今は(多少格好はつけているが)ジーパンに白シャツ、その上に防寒兼魔力防護用ジャケットを羽織っている。普通の探索者らしい格好だ。

 あと、一人称がボクから私になっていた。

 指摘するのも野暮かと思っていると、ラブさんが瞳を細めて先に教えてくれた。


「大した話じゃないさ。メイト君が私の元を離れてから、英雄として振る舞う必要がなくなったからね。まあ私の口調は、昔からの癖だけれど。……良ければ卵採取のクエスト、共にやらないかい?」

「是非お願いします。今回おじさんが組んだパーティ訳アリでして」

「相変わらずだねぇ。まあ君には恩もあるし、喜んで協力しよう」


 お陰でクエストは無事に攻略することが出来た。

 金持ちのボンボンをお膳立てしながらという面倒なクエストだったので、彼女がいたのは有難かったね。




 ――相談を打ち明けられたのは、その帰り道でのことだ。


 夕暮れ時。太陽が傾く、昼と夜の境目たる時間。

 互いに挨拶を済ませ、ではまた機会があればと背を向けたおじさんに、彼女がぽつりと囁いたのだ。


「オジマさん。ひとつ、つまらない質問をしても良いだろうか?」

「……俺に、応えられることであれば」

「君にしか応えられない質問だよ。まあ、大した話ではないのだが…………私はやはり、間違っていただろうか?」

「と、言いますと?」

「メイト君を甘やかしていた私のやり方は、やはり良くなかったのかなと……あの後もずっと、心の中でもやもやが収まらなくてね」


 腰元の細剣を弄り、寂しげに微笑むラブさん。

 夕日が差し込むその横顔は、どうしてか、いつもと同じ表情にも関わらず寂しげな影が差しているような気がした。



 ――あの後、メイトさんはラブさんの元を離れて探索者学校に入学した。

 メイトさんはやはり「一度は探索者の道にも挑戦したい」と口にしたらしく、実際に一年だけ、ミウさん達の後輩として探索者学校に在籍し――そこから別の道に進んだと聞いた。

 噂によると、アイテム鑑定系の勉強をしているのだとか。


「そういう話を聞くとね。私が彼女を連れ回していたのは、彼女のためにも良くなかったのでは……という想いも抱くのだよ」

「……ですが、ラブさんの善意は疑う余地もないと思いますよ」

「本当にそうだろうか? 私はこう見えて、自己中心的な人間でね」


 ふっ、とラブさんが自嘲気味に鼻で笑う。

 らしくない態度に密かに驚いていると、彼女がぬるい風に身を預けるように、首を振った。


「つまらない話だが聞いて欲しい。私は見ての通り美しく、優雅で、才能もあった。特別な努力をせずとも成績は良かったし、それなりに器用で行動力もあった。小中高を通じて皆の羨望を集めるには十分な、非の打ちどころのない素晴らしい子供だったものさ。――そのせいか、母とは折り合いが悪くてね」


 俺は、沈黙をもって彼女に返す。

 いまは、余計な言葉は必要ない。


「私の母は、母でありながら子供である私に嫉妬していたようだった。私の美貌が、離婚した父譲りだったのが気に入らないのか、単に女としての屈辱感なのか……真相は分からない。とにかく、母が内心私を妬んでいるのには、何となく気づいていた」

「それは……大変でしたね」

「そうだね。ただ複雑なのは……母は私を妬む一方、母親としてきちんと生活を保証してくれたことだ。実家が太いのも理由ではあったが、建前上、親としての義務は果たしてくれたのだ、文句を言う筋合いはない。

 ……しかし。

 しかし、人間とは愚かな生き物でね。

 私の中では区切りをつけたつもりだったが――友人に指摘されて気づいたのだが、私は何かとリアクションが激しいらしい。まるで、他人の注目を無意識に集めたがっているようだと」


 ……確かに、ラブさんには出会った時からその癖があった。

 メイトさんが離れた今なお、演者めいた語り口をしている様子からも見て取れる。


 ……今の話と結びつけると、つまり彼女は……。


「私は、注目を集めたかった。足りない愛を、補いたかったのさ。……メイト君を手元に置いたのは、彼女のためだけじゃない。私自身に、彼女を飼っておきたいという浅ましい欲求があった――彼女は私を、心の底から敬愛してくれていたからね」

「…………」

「依存していたのは、メイト君だけじゃない。私も同じだったというだけの話さ。じつに罪深く、愚かな話だろう?」


 それは知られざる、英雄の裏側。

 演技めいた口調と、メイトさんに対する無償の愛――その裏に隠された、人間らしい浅ましさ。


 ラブさんが夕日を背に両腕を広げ、己を見せつけるようにおじさんの前で自嘲する。

 罪深い自分を見てくださいと言わんばかりに。


「だから、オジマさんには感謝してるのさ。私が抱えた邪念を、一刀両断してくれた。若者に上から目線で説教なんて、リスクしかない今の時代に……何のメリットもないのに、私達の問題に切り込んでくれた――君のような人こそ本当の意味で、いい人、なんだろうと私は思うよ。私のような、偽善者と違ってね」


 金髪をさらりと流す彼女。

 長くきれいな睫が伏せられるのを目の当たりにしながら、俺は、珍しくじんわりとした感傷を覚えつつも……。


「それは、違うと思いますよ」

「……ん?」

「ラブさんは、本物の英雄です」


 俺は素直に、心より溢れた言葉を返す。

 口にするのは野暮かとも思ったが、彼女にははっきり言わないと伝わらないだろう。不器用な英雄だから。


「ラブさんが居たからこそ、メイトさんは救われたし、メイトさんは俺の言葉に耳を傾けてくれたのだと思いますよ」

「そうかい? だが、私の愛は嘘偽りのものだよ?」

「全てが嘘だとは思えません。それに、嘘でもいいじゃないですか。その嘘が、相手のためになる嘘なら」


 彼女の嘘の全てが、私欲に塗れていたとは思えない。

 もし本当にそうなら、彼女はメイトさんを手放しはしなかっただろう。

 悪質な毒親のように、言い訳をつけて自分の元に囲ったはずだ。……それをしなかったのは、ラブさんがメイトさんを想っていたからに他ならない。


「おじさんの役目は、言うなれば父親です。本人の自立を促すため、厳しいことも言うでしょう。……対して、ラブさんの役割は母親です。現実に傷ついた人を優しく包んであげるための、ね」


 傷つき、落ち込んだ少女を無償で励まし、たとえ内心に嘘があったとしても……彼女の心を癒やしてくれた人。

 それを、英雄と呼ばずなんと呼ぶ?


「少なくともメイトさんにとって、あなたは本物の英雄だった。そこは、自信を持っていいと思います」

「……本当に、そう思うかい?」

「ええ。おじさんは滅多に”絶対”という言葉は使いませんが、ラブさんの行動は絶対に必要だった――少なくともおじさんは、ラブさんをそのように評価します」


 彼女は探索者としてだけでなく、人として優れた器量を持っている。

 例え動機の一部に、邪な欲求が紛れていたとしても……表に出した愛情は、本物だと思えるから。

 そもそも世の中に、完璧な人間などいない。

 彼女くらいの打算や邪な心があった方が、人間らしく、魅力的であるものさ。そう伝えると――


「なるほど。……そういう考え方も、あるのか」


 ラブさんの唇がちいさく震えた。

 瞳を人差し指で払い、吹っ切るように茜色の空を見上げ、大きく……大きく、息をつく。



 彼女の瞳から、払ったはずの雫が零れ――


「……不思議なものだね。君に肯定されると、ずいぶんと胸に来るよ。普段の私はもっと、飄々としている人間のつもりだったが……困ったな。意外と、オジマさんは女タラシなんじゃないかい?」

「四十超えたおじさんに、そんなスキルはありませんよ」

「どうだろうね。自覚がないだけで、君を想う人は密かに居たんじゃないかな」


 彼女が笑いながら、ちいさく鼻をすするのが見える。

 俺は無言で、くるりと背を向けた。……大した理由じゃない。背中がちょっと、むずむずしたものでね。

 深い理由なんてない。本当さ。


 強いて言うなら、大人の嗜み、ってやつかもな。





 それから短い会話を交わし、ラブさんとはそのまま、別れた。

 探索稼業をしていれば、再び顔を合わせる機会もあるだろう。その時はまた、いつもの英雄らしい彼女に戻っているに違いない。

 それが、英雄ラブという探索者のあり方だから。


「不器用だねぇ……」


 誰にともなく呟き、おじさんもまた駅のホームへ繋がる地下へと降りていく。

 もしかしたら、本当に不器用だったのは、メイトさんじゃなくて彼女だったのかもしれない。


 それでも彼女なら、自力で乗り越えていくことだろう。

 彼女は真の意味での”英雄”だから、な。


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