第7話

 ガーディアン・ゴーレムが光の粒子となって消滅した広間には、束の間の静寂が訪れた。俺たち六人は、互いの荒い息遣いを聞きながら、今しがた成し遂げた勝利の余韻に浸っていた。


「はっ、大したことなかったな! 我ら魔王軍(元)の力をもってすれば、あのような石人形、物の数ではないわ!」


 一番派手に吹っ飛ばされていたベルゼノスが、胸を張って言い放つ。その鎧がへこんでいるのを指摘するのは、野暮というものだろう。


「あなたの脳筋攻撃だけでは、装甲に傷一つ付けられなかったでしょうに。私の的確な分析と、ユウキの柔軟な指揮があったからこその勝利よ」


 メフィアナが、やれやれと肩をすくめる。その隣で、ゼノンがキラキラしたオーラを無駄に振りまきながら、リリアにアピールしていた。


「見たかね、リリア! 我が身を挺した陽動! すべては君を守るため……」


「ええ、ゼノン様。くるくると飛び回る姿は、まるでアワフキムシのようでしたわ」


「アワフキムシ!?」


 リリアの無邪気で残酷な感想に、ゼノンがショックを受けている。こいつらのやり取りは、もはや天丼芸の域に達していた。

 そんな喧騒の中、アリシアが心配そうな顔で俺の腕を取った。


「ユウキ、大丈夫? 無茶な動きをしていたけれど、どこか怪我は……」


「平気だよ、これくらい。昔に比べりゃ、準備運動みたいなもんだ」


 俺がそう言って笑うと、今度はリリアが反対側の腕に抱きついてきた。


「ユウキ様! もしものことがあったら、このリリアは……! さあ、治癒の魔法ですわ! いでよ、我が眷属『ナメクジモドキ』! その粘液で、ユウキ様の傷という傷を舐め尽くすのです!」


「やめろ! 気持ち悪い! ていうか怪我してねえから!」


 リリアのポケットから這い出そうとする、虹色に輝く巨大なナメクジを押し戻しながら、俺は全力で拒否した。俺を巡る二人のヒロインの世話焼き合戦は、戦場よりよほど神経をすり減らす。


「見事だ、挑戦者たちよ」


 そんな俺たちの様子を察してか、再び守護者の荘厳な声が響き渡った。広間の奥に現れた新たな扉が、ギシリと音を立てて開く。


「最初の試練は突破した。だが、我が主の叡智は、まだ遥か先にある。次なる試練に挑む覚悟は、あるかな?」


「上等だ」


 俺は、リリアとアリシアをなだめながら、新たな扉を睨みつけた。

 家賃三万ゴールドのため。そして、この奇妙でやかましい仲間たちと共に、この謎の屋敷を攻略しきってやりたいという、不思議な高揚感が俺の胸を満たしていた。


 第二の試練の部屋は、俺たちの想像を遥かに超える空間だった。

 一歩足を踏み入れると、そこは天井まで届く巨大な本棚に四方を囲まれた、円形の図書館のような場所だった。古書の放つ独特の匂いが鼻腔をくすぐる。部屋の中央には、黒曜石でできた巨大な円形の石版が鎮座していた。


「第二の試練は『知恵』。我が主が遺した、三つの問いに答えよ。しからば、次への道が開かれん」


 守護者の声と共に、中央の石版の表面に、古代ルーン文字が光を放ちながら浮かび上がった。


『第一の問い。天を目指して伸びるが根はなく、王の城をも覆うが影はない。時に人を癒し、時に人を殺める。これ、なーんだ?』


「なぞなぞ、ですの?」


 リリアが不思議そうに小首を傾げる。


「フン、知恵比べか! 我が頭脳の敵ではないわ!」


 ベルゼノスが自信満々に石版の前に立つが、数秒後には「……読めん」と潔く白旗を上げた。


「古代ルーンね。私に任せなさい」


 メフィアナがすっと前に出て、石版の文字を流暢に読み解いていく。


「天を目指し、根がなく、影もない……。人を癒し、殺める……。答えは『言葉』、あるいは『噂』ね」


 メフィアナがそう呟くと、石版がカッと輝き、最初の問いが消え、新たな問いが浮かび上がった。正解らしい。


『第二の問い。満ちては欠け、欠けては満ちる。銀の船は涙の海を渡り、黒き狼は常にそれを追い求める。この船の名と、狼の名を答えよ』


「これは……天文学と神話に関する問題ね」


 メフィアナは少し考え込むと、淀みなく答えた。


「銀の船は『月』。それを追い求める黒き狼とは、月を喰らうとされる神話の魔狼『フェンリル』のことでしょう」


 再び、石版が輝き、第二の問いが消える。さすがは元魔王軍の参謀。その知識量は底が知れない。

 だが、最後の問いが浮かび上がった時、そのメフィアナが初めて眉をひそめた。


『第三の問い。王国の盾たる聖騎士は、なぜ涙を流したか。北の森の薬草師は、なぜ毒を飲んだか。西の海の歌姫は、なぜ声を失ったか。三つの悲劇の中心にありし、一つの「真実」を答えよ』


「これは……」


 メフィアナが絶句する。


「ただの知識問題ではないわ。これは、百五十年前に編纂された英雄叙事詩『光なき時代の年代記』の一節。しかし、この三つのエピソードは、いずれも未完のまま終わっているはず……。その真相など、作者でなければ分かるはずが……」


 どうする、と誰もが顔を見合わせた、その時だった。


「……答えは、『勇者の剣が錆びていたから』だ」


 静まり返った部屋に、俺の声が響いた。

 全員の視線が、一斉に俺に突き刺さる。


「ユウキ様? どういうことですの?」


「ユウキ、あなた、なぜそれを……」


 リリアとアリシアが、驚いたように俺を見る。


「ああ。その叙事詩、ニート時代に暇つぶしで読んだんだ。結末が気になって、色々調べてみたことがある」


 俺は、かつての記憶を辿りながら語り始めた。


「聖騎士が守るべき王は、実は圧政を強いる暴君だった。薬草師が愛した人は、不治の病に冒されていた。歌姫の歌声は、邪悪な魔物を呼び寄せる呪われたものだった。三人は、それぞれの絶望的な状況を打開するために、一人の勇者に助けを求めた。だが、その勇者の持つ伝説の聖剣は、平和な時代が続いたせいで手入れを怠り、肝心な時に錆びついて力を発揮できなかった。結果、聖騎士は暴君を討てずに涙を流し、薬草師は愛する人を苦しみから解放するために毒をあおり、歌姫は魔物を呼ばないよう自ら声を捨てた。三つの悲劇はすべて、勇者がその使命を忘れたことから始まってるんだ」


 俺が語り終えると、部屋は再び静寂に包まれた。

 メフィアナが、信じられないものを見るような目で俺を見つめている。


「……驚いたわ。元勇者。あなたが、ただの脳筋ではないことは知っていたけれど、これほどの知識と洞察力を持っていたとは」


「ニートをなめるなよ。時間は有り余ってたからな」


 俺が自嘲気味に笑うと、石版がこれまでで最も強い光を放ち、第三の問いが消え去った。

 そして、部屋の奥に、三つ目の扉が重々しく姿を現した。


「すごいわ、ユウキ! さすが、私の見込んだ男ね!」


「ユウキ様! さすが、私がお世話をすると決めた方ですわ!」


 アリシアとリリアが、両側から同時に褒め称えてくる。少し、いや、かなり気恥ずかしい。だが、悪い気はしなかった。


 最後の部屋は、一見すると何もない、だだっ広いだけの空間だった。壁も床も天井も、継ぎ目のない滑らかな石でできている。


「……何もありませんわね」


「罠か? 皆、油断するな!」


 リリアとベルゼノスが警戒する中、守護者の声が、今度は俺たちの頭の中に直接響き渡ってきた。


『最後の試練は「絆」。汝らの最も恐れるもの、心の内に潜む「弱さ」の幻影を打ち破れ。互いを信じ、乗り越えることができた時、我が主の遺産への道は開かれん』


 その声が聞こえた瞬間、俺たちの足元に複雑な魔法陣が浮かび上がり、目も眩むような光が部屋全体を包み込んだ。


「うわっ!?」


 俺は思わず目を閉じる。そして、再び目を開けた時、俺は一人、見慣れた場所に立っていた。

 三年前、魔王討伐後に俺たちが拠点としていた、王宮の一室。そして、目の前には、かつての仲間たちが立っていた。アリシア、聖女フィリア、賢者オルエン……。だが、その表情は、俺が知るものとは違っていた。彼らの瞳には、軽蔑と、怒りと、失望の色が浮かんでいた。


『なぜだ、ユウキ! なぜ我々の意見を聞き入れず、独断で行動した!』

『あなたのその力が、人々を怖がらせているのが分からないのですか!』

『君は、もはや英雄ではない。ただの、力を振りかざすだけの独裁者だ!』


 仲間たちの罵声が、俺の心を抉る。そうだ。これが、俺が王都を去った本当の理由。平和な世界で、俺の強すぎる力は、仲間たちとの間に深い溝を作ってしまったのだ。


「違う……俺は、そんなつもりじゃ……」


 俺が膝から崩れ落ちそうになった、その時だった。


「――ユウキ様は、独裁者などではありませんわ!」


 幻影のはずの世界に、凛としたリリアの声が響き渡った。

 ハッと顔を上げると、俺の目の前に、リリアが立ちはだかるようにして、偽りの仲間たちを睨みつけていた。


「ユウキ様は、誰よりも優しく、不器用な方です! あなたたちが、ユウキ様の孤独に寄り添わなかっただけではありませんか!」


 リリアの瞳には、涙が浮かんでいた。彼女は、自分の幻覚――父である魔王が倒される瞬間の悪夢――を振り払って、俺の元へ駆けつけてくれたのだ。


「リリア……」


「しっかりなさい、ユウキ!」


 今度は、アリシアの声が聞こえた。彼女もまた、自らの無力感という幻影を打ち破り、俺の隣に立っていた。


「過去は変えられないわ。でも、未来は違う! 私たちは、もう間違えない!」


 アリシアの力強い言葉に、俺は失いかけていた自分を取り戻す。そうだ。俺はもう、一人じゃない。

 見渡せば、ベルゼノスが、メフィアナが、そしてゼノンまでもが、それぞれの悪夢を振り払い、俺たちの周りに集まってきていた。


「主君を守れなかった俺が、今度こそ姫様と……お前たちを守る!」

「私の計算では、ここで立ち止まるのは最も非効率的な選択よ」

「フン、我が美貌の前では、悪夢の一つや二つ、塵芥同然よ!」


 それぞれが、それぞれのやり方で、互いを鼓舞する。

 俺は、ゆっくりと立ち上がった。目の前の偽りの仲間たちを、まっすぐに見据える。


「確かに、俺は間違えたのかもしれない。だが、後悔はしていない。今の俺には、こいつらがいるからな!」


 俺がそう叫んだ瞬間、世界がガラスのように砕け散った。

 気づけば、俺たちは元の何もない部屋に立っていた。六人、誰一人欠けることなく。


『……見事だ。実に見事だ、挑戦者たちよ』


 守護者の声には、初めて、感嘆の色が混じっていた。


『汝らは、力、知恵、そして何より、互いを信じる「絆」の力を見事に示した。我が主の遺産を受け継ぐに、ふさわしい者たちだ』


 声と共に、部屋の奥の壁が、光と共に静かに消滅した。

 その先には、こぢんまりとした、しかし気品のある書斎が広がっていた。窓からは月明かりが差し込み、部屋の中央に置かれた黒檀の机を照らしている。

 机の椅子には、一体のミイラ化した遺体が、まるで眠るように座っていた。大賢者マティアス、その人なのだろう。その骨だけになった手には、一通の封蝋された手紙と、一つの古びた木箱が抱えられていた。


「……終わった、のか?」


 誰かが、ぽつりと呟いた。

 俺たちは、吸い寄せられるように机へと歩み寄る。

 俺が代表して木箱を手に取ると、それはずしりと重かった。蓋を開けると、中には金貨ではなく、羊皮紙の巻物や、奇妙な鉱石、古びた魔法道具などがぎっしりと詰まっていた。これらが、賢者の遺品なのだろう。


「金はどこだ!?」


 ゼノンが素っ頓狂な声を上げるが、メフィアナが冷静にそれを制した。


「依頼は、あくまで『遺品の回収』。報酬は、これを依頼主に届けた後よ」


 木箱の中には、もう一つ、丸められた羊皮紙が入っていた。俺がそれを手に取って広げると、インクが滲んだような、不思議な文字でこう記されていた。


『天上の揺り籠が砕ける時、星の涙が地に落ち、偽りの月が真実を喰らう』


「……なんだ、これ?」


 意味不明な言葉に、俺は眉をひそめた。だが、今はそれどころじゃない。

 俺たちは、依頼達成の証である賢者の遺品を手に、意気揚々と屋敷を後にした。


 その足で、俺たちは依頼主である街の富豪、ヘンドリクセン氏の豪邸を訪れた。

 初老の紳士であるヘンドリクセン氏は、俺たちが持ち帰った木箱の中身を確認すると、目を丸くして驚いた。


「おお……! これは、まさしく我が祖先、マティアスの研究記録と遺品に間違いない! よくぞ、あの屋敷からこれらを……!」


 彼は、約束通り、ずっしりと重い金貨の袋を俺に手渡した。その額、間違いなく三万ゴールド。


「やった……! やったぞおおお!」


 今度こそ、ベルゼノスとゼノンが、子供のようにはしゃいで抱き合う。


「これで、家賃が払えますわね、ユウキ様!」


「ええ。これで、当面の財政問題は解決ね」


 リリアとメフィアナも、安堵の表情を浮かべていた。アリシアも、どこか誇らしげに微笑んでいる。

 金貨の重みを噛みしめながら、俺は高らかに宣言した。


「よし、帰るか! 俺たちの『メゾン勇者』へ! 今夜は、この金で盛大な打ち上げだ!」


 俺の言葉に、五人が力強く頷く。

 帰り道、俺は決めていた。まずは大家のイトウさんに滞納していた家賃をきっちり払い、残った金で、皆に腹一杯ご馳走するのだ。日頃の迷惑を詫びて、そして、この勝利を祝うために。

 これでやっと、俺の平穏な(?)日常が戻ってくる。そう思った、その時だった。


「打ち上げのご馳走は、このリリアが腕によりをかけて!」

「いいえ、ユウキにはちゃんとしたものを食べさせないと! 私が作るわ!」


 俺の隣で、再び火花を散らし始める二人のヒロイン。

 俺は、天を仰いで、深いため息をついた。

 どうやら、俺の本当の試練は、まだまだ始まったばかりらしい。


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魔王倒してニートしてたら魔王の娘来たんだが!? 無慈悲な利息 @DURA-ACE

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