第6話 勇者、高額依頼と謎の屋敷

 「狭い……」


 俺、ユウキ・ブレイフォードは、朝の食卓で思わず心の声を漏らした。

 築五十年、木造2DKのボロアパート『メゾン勇者』。ここに、俺を含めて六人もの人間(と魔族)がひしめき合って暮らすようになってから、早くも一週間が過ぎようとしていた。

 食卓では、俺の右隣で魔王の娘リリアが「ユウキ様、あーん」と『目玉トカゲの姿焼き』を差し出してくる。左隣では元王女アリシアが「ユウキ、そんなものではなく、私が焼いたパンを食べなさい!」と真っ黒な炭の塊を押し付けてくる。正面では元四天王のベルゼノスと、残念イケメン貴族のゼノンが「俺の席が狭い」「それはこちらのセリフだ」と物理的に押し合いへし合いを演じている。そして、その全てを冷徹な視線で見下ろしながら、元四天王の参謀メフィアナが優雅に茶をすすっていた。

 ここは本当に俺の家だっただろうか。三年前、魔王を倒して平和な世界を取り戻したはずが、なぜ俺の私生活だけは魔王城よりカオスになっているのか。

 この異常な人口密度がもたらす問題は、物理的な狭さだけではない。より深刻なのは、経済的な問題だ。


「さて、皆さん。今朝の議題は『メゾン勇者・財政破綻の危機について』です」


 パン(炭)を巡る俺とアリシアの攻防を制するように、メフィアナがパン、と手を叩いた。彼女が取り出したのは、もはやお馴染みとなった『家計簿』だ。

 そのページが開かれると、一同は息を呑んだ。そこには、絶望的な赤字のグラフが、まるで地獄の底から這い上がってくるかのように描かれていた。


「ベルゼノスの土木作業と私の経理事務による収入は、確かにあります。ですが、この大人数の食費、水道光熱費、そして何より……」


 メフィアナの冷たい視線が、俺とゼノンに突き刺さる。


「この二人分の食い扶持が、完全に赤字の原因です」


「「うっ……」」


 俺とゼノンは、思わず声を詰まらせた。

 確かに、ベルゼノスとメフィアナが日雇いやパートで稼いでくる一方で、俺の仕事はいまだに時給800ゴールドの草むしり。そしてゼノンに至っては、完全なる無職。つまり、ヒモである。


「というわけで、決定です。ユウキ、ゼノン。あなたたちには本日中に、まともな職を見つけてきてもらいます。これは命令です」


 メフィアナの言葉は、絶対王政の女王のそれだった。反論は一切許されない。

 こうして、俺とゼノンは、再びアキタニアの公共職業安定所、通称ハローワークへと強制連行されることになった。もちろん、リリアとアリシアが「ユウキが心配だから」とついてきて、ベルゼノスが「姫様のお供をする!」とついてきて、結局メフィアナ以外の全員でハローワークへ向かうという、遠足のような行列になってしまったのだが。


「やあ、また君たちか……」


 ハローワークの職員、タナカさんは、俺たちの顔を見るなり、げっそりと痩せた顔で深いため息をついた。彼の胃は、俺たちと出会ってから常にキリキリと痛んでいるに違いない。


「えーっと、ユウキさんと、ゼノンさんでしたね。何かご希望の職種は……」


「フン、我にふさわしい職となれば、この街の領主、あるいは王国の宰相あたりが妥当だろうな」


 ゼノンの世迷言を、タナカさんは完璧に無視した。鋼のメンタルが育ちつつあるらしい。


「ユウキさんは、いかがです? やはり、草むしりは……」


「できれば、もう少し割りの良い仕事が……」


 俺が正直に答えると、タナカさんはうーんと唸りながら、分厚い求人ファイルのページをめくり始めた。


「そうですねえ……ユウキさんのご経歴は、その……特殊ですからねえ……」


 タナカさんの視線が、俺の履歴書の『職歴:勇者』『特技:魔王討伐』という欄で泳いでいる。そりゃそうだ。こんなふざけた履歴書を持ってくる奴など、後にも先にも俺くらいだろう。

 その時だった。


「タナカさん、例の件、どうなりました?」


 カウンターの向こうから、別の職員が声をかけてきた。


「ああ、例の『賢者の屋敷』の件かい? いやあ、まだ誰も引き受け手がいなくてね。困ったもんだよ」


「賢者の屋敷?」


 俺が聞き返すと、タナカさんは「ああ、いや、これはちょっと訳アリで……」と口ごもった。

 だが、リリアがその言葉を聞き逃すはずもなかった。


「けんじゃのおやしき! なんだかすごそうですわ! ね、ユウキ様!」


「いや、すごそうとかじゃなくてだな……」


「報酬はいくらだ?」


 アリシアが、現実的な質問を投げかける。

 タナカさんは、観念したように説明を始めた。

 話はこうだ。

 街外れにある、何十年も使われていない古い屋敷がある。そこは、百年ほど前にこの地に住んでいたという高名な大賢者、マティアスの屋敷だった。最近、その屋敷に夜な夜な不気味な光が灯り、「賢者の亡霊が彷徨っている」と子供たちの間で噂になっているらしい。屋敷の所有者である街の富豪(賢者の遠い親戚)が、気味悪がって内部調査を依頼しているのだが、挑戦した者は皆、屋敷の奇妙な仕掛けに阻まれて、奥までたどり着けずに逃げ帰ってくるのだという。


「それで、報酬は?」


 アリシアがもう一度尋ねる。


「……依頼主からは、内部の完全な調査と、もし発見された場合は賢者の遺品を回収することを条件に、金貨三万ゴールドが提示されています」


「「三万ッ!?」」


 俺とゼノンの声が、綺麗にハモった。三万ゴールド。それは、俺たちが三ヶ月滞納している家賃と、まったく同じ金額だった。


「やります!」


 俺は、食い気味に即答していた。


「ユウキ様、素敵ですわ! 賢者の謎を解き明かすなんて、まさに勇者様のお仕事です!」


「フン、賢者の遺産だと? 我が血筋にふさわしい宝が眠っているに違いない!」


 リリアとゼノンは、すっかりやる気満々だ。


「待ちなさい、ユウキ。ただの幽霊騒ぎではなさそうよ。危険だわ」


 アリシアが心配そうに言うが、俺の決意は固い。


「危険だろうがなんだろうが、やるんだよ。家賃のためにな!」


 こうして、俺たち『メゾン勇者』一同は、家賃三万ゴールドのため、謎に満ちた賢者の屋敷の調査という、初の大型プロジェクトに挑むことになった。

 その日の夕方。

 俺たちは、問題の屋敷の前に立っていた。

 森の奥深くに佇むその屋敷は、石造りの重厚な建物だった。蔦が絡まってはいるものの、ボロ屋敷というよりは、むしろ威厳すら感じさせる。


「うむ……これは、ただの建物ではないな。全体が巨大な魔術的結界で覆われている」


 ベルゼノスが、真剣な顔で唸る。


「ええ。入り口の扉からして、物理的な破壊は不可能。何らかの条件を満たさなければ、開かない仕組みになっているわ」


 メフィアナが、扉に刻まれた古代ルーン文字を指でなぞりながら分析する。


「フン、こんなもの、我が美貌で……」


「黙ってなさい、役立たず」


 ゼノンの決めポーズを、メフィアナが一蹴する。


「ユウキ様、扉に何か書いてありますわ」


 リリアが指さした先には、小さなプレートが埋め込まれていた。

『我が叡智を求める者よ、汝の資格を示せ。最初の試練は「調和」。六つの異なる力が一つとなりし時、道は開かれん』


「六つの異なる力……?」


 アリシアが眉をひそめる。


「俺たち、ちょうど六人だな」


 俺の言葉に、一同は顔を見合わせた。


「なるほど。この扉は、我々六人が同時に魔力や力を注ぎ込まなければ開かない、ということか」


 メフィアナが結論づけた。


「よし、やるぞ!」


 俺の号令で、六人は扉の前に横一列に並んだ。

 俺は闘気を、リリアは純粋な魔力を、アリシアは聖なる力を、ベルゼノスは炎の力を、メフィアナは氷の力を、そしてゼノンは……キラキラした何かを、それぞれ両手に込める。


「「「せーのっ!」」」


 六人六色のエネルギーが、同時に扉に叩きつけられた。

 すると、扉のルーン文字がまばゆい光を放ち、ゴゴゴゴゴ……という地響きと共に、ゆっくりと内側へ開いていった。


「やったな!」


 俺たちが歓声を上げたのも束の間、屋敷の中から吹き付けてきたのは、ひどく冷たく、そして濃密な魔力の奔流だった。


「なっ!?」


「これは……!」


 屋敷の内部は、外から見た印象とは全く異なっていた。そこは、まるで異次元に繋がっているかのような、広大で歪んだ空間だった。天井は遥か高く、壁までの距離感も掴めない。そして、床も壁も天井も、全てが複雑な魔法陣で埋め尽くされている。


「歓迎するぞ、挑戦者たちよ」


 どこからともなく、荘厳な声が響き渡った。


「我は、大賢者マティアスが遺した守護者。この先へ進みたければ、我が試練を乗り越えてみせるがいい」


 声と共に、広間の中央に一体の巨大なゴーレムが出現した。それは、ただの石人形ではない。全身が魔法を弾く輝く鉱石で覆われ、その両腕は巨大な戦斧となっている。


「最初の試練は『力』。このガーディアン・ゴーレムを打ち破ることができたなら、次への道を示そう」


「面白い!」


 ベルゼノスが、嬉々として拳を鳴らす。


「我が炎獄の力、試させてもらうぞ!」


 ベルゼノスが先陣を切ってゴーレムに殴りかかるが、その剛拳は硬い装甲に阻まれ、逆に弾き飛ばされてしまった。


「なっ!? 硬え!」


「アリシア、援護を!」


 俺は指示を飛ばし、自らも剣を抜いてゴーレムの足元に斬りかかる。アリシアの聖魔法がゴーレムの動きを鈍らせ、その隙に俺が関節部を狙う。


「ユウキ様、右ですわ!」


 リリアの魔力感知が、ゴーレムの攻撃パターンを正確に予測する。


「ゼノン! あんたは見た目が派手なんだから、囮になって気を引け!」


「なっ!? 我を囮だと!? だが、姫のためだ、やむを得まい!」


 ゼノンが派手な光を放ちながらゴーレムの周囲を飛び回り、その注意を引きつける。


「弱点は首の後ろの魔力結晶よ! ベルゼノス、私に合わせて!」


 メフィアナの的確な分析に基づき、彼女が氷の魔法でゴーレムの足元を凍らせ、動きを完全に封じた。


「今だ、ベルゼノス!」


「うおおおおおっ!」


 ベルゼノスの渾身の一撃が、凍りついたゴーレムの体勢を崩す。そして、がら空きになった首の後ろめがけて、俺は全力で跳躍した。


「はあああああっ!」


 俺の剣が、魔力結晶を正確に貫く。

 甲高い悲鳴と共に、ガーディアン・ゴーレムは動きを止め、やがて光の粒子となって消滅した。


「……見事だ、挑戦者たちよ」


 再び、守護者の声が響く。


「『力』の試練は突破した。だが、我が主の叡智は、まだ遥か先にある。次なる試練に挑む覚悟は、あるかな?」


 広間の奥に、新たな扉がゆっくりと姿を現した。

 俺たちは、息を整え、互いの顔を見合わせる。その目には、疲労の色と共に、確かな闘志と、そして奇妙な一体感が宿っていた。


「上等だ」


 俺は、新たな扉を睨みつけ、不敵に笑った。


「三万ゴールド、きっちり頂いて帰るぜ」


 こうして、俺たちの奇妙なパーティによる、賢者の屋敷の攻略が始まった。

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