第5話 勇者、残念なイケメンに絡まれる

 元王女アリシアの襲来から数日。俺たちの生活は、新たな緊張感をはらみつつも、相変わらずのドタバタ劇を繰り広げていた。

 アリシアは、街一番の高級宿『水鳥の羽亭』に滞在しながら、一日に三度は俺のアパートに顔を出した。


「ユウキ、朝の訓練を始めるわよ! 体が鈍っているでしょう!」

「ユウキ、昼食は何を食べるの? そんな得体の知れないものではなく、私が作ったまともなものを食べなさい!」

「ユウキ、夜の見回りに行くわよ! あなたも元勇者なら、街の平和くらい気にかけなさい!」


 ……正直、ありがたいやら迷惑やら。彼女の過剰な世話焼きは、リリアとはまた違った形で俺の精神を削っていく。

 一方、当の魔族たちは、驚くべきスピードで人間社会(?)に順応しつつあった。

 ベルゼノスは、日雇いの土木作業員として、その規格外のパワーで現場のスターとなっていた。「ベルさんがいれば、工期が半分になる」とまで言われ、日当も倍に跳ね上がったらしい。

 メフィアナは、商業ギルドの経理事務の仕事を獲得。持ち前の超絶的な計算能力と分析力で、ギルドの不正会計を次々と暴き、「氷の女帝」と恐れられながらも、ギルドマスターから絶大な信頼を得ていた。

 リリアは、相変わらず俺の身の回りの世話を焼くのが仕事だ。彼女の作る魔界料理は、もはや俺たちの生命線となっていた。

 そして俺は、と言えば……。


「ユウキさん、今日も頼むよ!」


「へいへい」


 俺の仕事は、いまだに河川敷の草むしりだった。

 なぜだ。元勇者だぞ、俺は。

 そんなある日の昼下がり。

 草むしりを終え、汗だくでアパートに帰ると、玄関の前に見慣れない人影があった。

 いや、人影、というよりは……光り輝く何か。

 そこに立っていたのは、頭のてっぺんからつま先まで、純白の衣装で固めた、やけにキザな男だった。金色の髪は少女漫画の王子様みたいにサラサラで、その整った顔立ちは、無駄にキラキラとしたオーラを放っている。

 その手には、なぜか一輪の真っ赤な薔薇。


「……どちら様で?」


 俺が訝しげに尋ねると、男は髪をかきあげ、芝居がかった口調で言った。


「フッ……君が、この家の主かね? 我が名はゼノン・フォン・ルシファーダ。魔界の名門、ルシファーダ家の嫡男にして、リリア姫のフィアンセさ」


「……は?」


 フィアンセ? 婚約者だと?

 俺の思考が停止していると、家の中からリリアがひょっこりと顔を出した。


「あら、ゼノン様ではありませんか。お久しぶりですわ」


「おお、リリア! 我が愛しの姫! このゼノン、君を迎えに来たよ!」


 ゼノンは、持っていた薔薇をリリアに差し出し、恭しくその手を取ろうとする。

 だが、リリアは差し出された薔薇を受け取るでもなく、不思議そうに小首を傾げた。


「お迎え? 何のことですの?」


「決まっているだろう? 我々と共に、輝かしき魔界へ帰るのさ。こんな薄汚い人間の世界など、君にふさわしくない」


「お断りしますわ」


 リリアは、にべもなく即答した。


「なっ!?」


 ゼノンの完璧な笑顔が、ピシリと固まる。


「なぜだ、リリア! 我々は、幼き日に結婚の約束を交わした仲ではないか!」


「それは、あなた様が一方的に言っていただけですわ。それに、私にはもう、心に決めた方がおりますもの」


 そう言って、リリアは俺の腕にギュッとしがみついた。


「こ、このリリアの心は、すでにユウキ様のものなのです!」


「な、なんだとぉぉぉっ!?」


 ゼノンの顔が、嫉妬と屈辱に歪む。その視線が、まるで親の仇でも見るかのように、俺を射抜いた。

 ああ、またこのパターンか。俺は、遠い目をした。


「……許さん。許さんぞ、元勇者ァ!」


 ゼノンは、天に向かって叫ぶと、ビシッと俺に指を突きつけた。


「貴様のような、ニート同然の男に、リリアを渡すものか! 我と勝負しろ!」


「なんでだよ」


「リリアを賭けて、神聖なる決闘だ!」


「いや、だから、なんで……」


「いいでしょう!」


 俺の意見を無視して、なぜかリリアが快諾した。


「ユウキ様が、あなた様のような方にお劣りになるはずがありませんわ! ね、ユウキ様!」


 キラキラした瞳で、リリアが俺を見上げてくる。

 断れるわけが、なかった。

 こうして、俺の意思とは無関係に、愛(?)とプライドを賭けた、元勇者と魔界貴族の決闘が、アパートの前の空き地で執り行われることになった。


「いざ尋常に、勝負!」


 ベルゼノスが、どこから調達してきたのか、巨大な軍配を振り下ろす。いつの間にか、野次馬として大家のイトウさんや、近所の子供たちまで集まってきていた。


「フン、後悔するなよ、元勇者。我がルシファーダ家秘伝の魔法、その目に焼き付けてやるがいい! いでよ、暗黒の炎、ヘルフレイム!」


 ゼノンが詠唱すると、その掌から禍々しい黒い炎が出現した。その威力は、確かに一級品だ。並の魔術師なら、一瞬で黒焦げにされるだろう。

 だが。


「……火、使うのか?」


 俺は、地面に落ちていた手頃な石を拾うと、それをゼノンの顔面めがけて、ひょいと投げた。


「ぐはっ!?」


 俺の投げた石は、寸分の狂いもなくゼノンの眉間にクリーンヒットし、彼は白目を剥いてその場に崩れ落ちた。詠唱中だった黒い炎は、行き場をなくして霧散する。

 シーン……。

 空き地を、気まずい沈黙が支配する。


「……勝者、ユウキ!」


 ベルゼノスの、やや引きつった声が響き渡った。


「ユウキ様、お見事ですわ!」


「師匠、すげー!」


 リリアと、いつの間にか俺に弟子入りしていた近所の少年ケンタが、目を輝かせている。


「……ひ、卑怯だぞ、元勇者! 魔法の勝負に、石を投げるなど!」


 鼻血を流しながら、ゼノンが抗議の声を上げる。


「いや、決闘にルールなんてなかっただろ。それに、あんた、魔法を使う前に隙だらけだったぞ」


「ぐぬぬ……」


 ゼノンは、悔しそうに歯噛みすると、今度は別の提案をしてきた。


「よ、よろしい。ならば、今度は生活能力で勝負だ! 我ら魔界貴族の、優雅なる日常スキルを見せてやる!」


 こうして、戦いの舞台は第二ラウンドへと移った。

 最初の勝負は、「洗濯物たたみ」。


「フン、見るがいい! この華麗なるシャツさばき!」


 ゼノンは、一枚のシャツを天に掲げ、まるで舞を踊るように、優雅に、しかし絶望的に要領悪くたたんでいく。

 一方、俺は。


「……こうして、こう」


 主夫スキルを発動し、三秒で一枚を片付ける。あっという間に、洗濯物の山が綺麗に畳まれていった。

 結果は、言うまでもなく俺の圧勝。

 続く第二の勝負は、「オムライス作り」。


「我が家のシェフが作るオムライスは、魔界一ィィィ!」


 ゼノンは、なぜか執事を呼び出し、最高級の食材(闇ニワトリの卵、血トマトなど)を使って、見た目だけは完璧なオムライスを作らせた。

 一方、俺は。

 冷蔵庫の残り物の卵と、イトウさんにもらった野菜で、ごく普通のオムライスを作る。ケチャップで、リリアの似顔絵を描いてやると、彼女は大喜びした。


「判定!」


 審判役のメフィアナが、両者のオムライスを一口ずつ食べ比べ、冷静に告げた。


「味、見た目、独創性、そして愛情。すべての面において、ユウキの圧勝ね」


「そんなぁぁぁっ!?」


 ゼノンは、その場に崩れ落ち、わんわんと泣き出した。


「なぜだ……なぜこの私が、こんなニートに……」


 その日の夕方。

 結局、行く当てのないゼノンも、なし崩し的に『メゾン勇者』に居候することになった。もはや、このアパートのキャパシティは限界を超えている。


「……よろしく頼むぞ、元勇者。だが、リリアは諦めんからな」


「はいはい」


 こうして、俺の同居人は、魔王の娘、元四天王二名、そして残念なイケメン魔界貴族、というカオスな構成になった。

 その夜。

 俺は、いつものように縁側でため息をついていた。


「……これから、どうなるんだ、マジで」


 すると、そっと隣にアリシアが座った。


「ユウキ。大変そうね、あなた」


「……お前が言うな」


「でも」と、アリシアは続ける。「なんだか、楽しそうでもあるわね。王都にいた頃のあなたより、ずっと」


「……そう、かもな」


 昔の俺は、常に「勇者」という鎧を身につけていた。だが、今は違う。

 ニートで、無職で、家賃も払えない、ただの俺だ。

 でも、そんな俺の周りには、なぜかやかましい奴らが集まってくる。


「はぁ……」


 俺のついたため息は、でも、もう冷たい色をしていなかった。

 元勇者のニート生活は、終わった。

 そして、元勇者と魔王の娘と元四天王と元カノと残念なイケメンによる、奇妙で、やかましくて、そして多分、悪くない毎日が、今、本当に始まったのだ。

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