第3話 勇者、家計簿と就職活動に頭を抱える

 魔王の娘リリアと、脳筋元将軍ベルゼノスが俺のアパート『メゾン勇者』に転がり込んできてから、一週間が過ぎた。俺の平穏なニート生活は、もはや遠い昔の記憶の彼方だ。


 2DKのボロアパートは、人口密度が限界を突破している。俺の四畳半はかろうじて聖域を保っているが、居間兼ダイニングキッチンは完全に魔族の巣窟と化した。朝はベルゼノスのいびきで目が覚め、昼はリリアの作る魔界料理の異臭に鼻を悩まされ、夜はベルゼノスの寝返りでアパートが震度3を記録する。


「ユウキ様、本日の朝食は『マンドラゴラの根っこと闇イモの炒め物』ですわ!」


「うむ! 精がつきそうですな、姫様!」


 食卓に並んだのは、皿の上でかすかに身をよじり、「キュ…」と鳴き声を上げる植物の根っこと、紫色の斑点を持つ芋のソテー。見た目は完全にアウトだが、これがまた悔しいことに美味いのだ。


「ベルゼノス、お前、昨日イトウさんの所の畑、また一つクレーター増やしただろ」


「むっ! あれは害獣のモグラを駆除しようと、つい力が入りすぎただけで……」


「力加減を覚えろと、あれほど言ったでしょう!」


 リリアに叱られて、巨漢の元将軍がシュンと小さくなる。もはや見慣れた光景だ。


 ベルゼノスは有り余るパワーを活かして、近所の手伝いをしてはいるのだが、いかんせん加減というものを知らない。薪を割れば地面ごと割り、井戸の水を汲めば滑車を破壊する。善意が常に裏目に出る男、それがベルゼノスだった。


 そんなカオスな日常にも、慣れというものは恐ろしい。俺はすっかり、このやかましくて奇妙な共同生活の保護者兼ツッコミ役というポジションに収まりつつあった。


 だが、俺たちの共同生活には、一つ、致命的な問題があった。


 そう、金である。


 俺のなけなしの貯金は、三人(と使い魔軍団)の食費であっという間に底をついた。大家のイトウさんはリリアに甘く、野菜などの差し入れはしてくれるが、家賃を免除してくれたわけではない。このままでは、俺たち三人は仲良く路頭に迷うことになる。


「はぁ……どうすっかねぇ……」


 俺がこめかみを押さえていた、その時だった。


 コン、コン。


 控えめな、しかしやけに芯の通ったノックの音が、かろうじて扉の役割を果たしているベニヤ板を叩いた。ベルゼノスのように破壊するでもなく、大家さんのように威圧的でもない、あまりにも理知的なノック。


「どなたでしょう?」


 リリアが不思議そうに首を傾げる。俺は嫌な予感しかしない。このアパートに、まともな来客があったためしがないのだ。


 俺が警戒しながら扉を開けると、そこに立っていたのは、息を呑むほど美しい女性だった。


 氷のように冷たい輝きを放つ銀の長髪。知性を感じさせる、切れ長の青い瞳。寸分の隙もなく着こなした、スリットの深いタイトなドレスは、彼女の完璧なプロポーションを強調している。その手には、なぜか分厚い本が一冊。


 その姿には、見覚えがあった。魔王軍の頭脳にして、元四天王の一角。


 『氷血参謀』メフィアナ。


「……ごきげんよう、元勇者。随分とみすぼらしい住まいね」


 メフィアナは、俺を一瞥すると、侮蔑を隠そうともしない冷ややかな視線で部屋の中を見渡し、そしてリリアの姿を認めると、わずかに表情を和らげた。


「リリア姫、ご無事で何よりです。ベルゼノスの奴がご迷惑をおかけしていないと良いのですが」


「メフィアナ! あなたも来てくれたのですね!」


 リリアが嬉しそうに駆け寄る。その様子は、まるで姉に甘える妹のようだ。


 一方、名前を呼ばれたベルゼノスは、気まずそうに顔をそむけた。


「……フン。貴様こそ、今までどこで何をしていた」


「あなたと違って、無意味に暴れていただけではないわ。情報収集と、現状分析をしていたのよ、この脳筋将軍」


 相変わらず、仲が悪いらしい。


 メフィアナは、リリアの頭を優しく撫でると、再び俺に向き直った。


「さて、元勇者。単刀直入に言うわ。私をここに住まわせなさい」


「はぁ!? またかよ! 無理に決まってんだろ、どこにそんなスペースがあんだよ!」


「問題ないわ。ベルゼノスを庭で寝かせれば、一部屋空くでしょう」


「俺を犬扱いか、貴様ッ!」


 ギャンギャン吠えるベルゼノスを無視し、メフィアナは続ける。


「私とて、好きでこんな肥溜めのような場所に来たわけではないわ。魔王様亡き後、路銀も尽き、三日ほど何も口にしていなくてよ」


 そう言って、彼女はふらりとよろめいた。その顔は、確かに青白い。


 クールビューティーな元参謀が、まさかの空腹で倒れる寸前。そのギャップに、俺は思わず「大丈夫か!?」と肩を支えていた。


 結局、こうして元四天王の二人目、メフィアナも『メゾン勇者』の住人となった。


 そして、彼女の加入は、俺たちの生活に革命をもたらすことになる。


 その日の夕食後。


 リリアの作った『光る苔のコンソメスープ』を飲み干したメフィアナは、体力も回復したのか、おもむろに持っていた分厚い本をテーブルに広げた。その表紙には、彼女の性格を表すかのように几帳面な文字で「家計簿」と記されていた。


「さて、現状を整理しましょう。まず、この家の収入は?」


 メフィアナの鋭い視線が、俺、リリア、ベルゼノスの三人を射抜く。


「しゅ、収入……?」


 リリアが小首を傾げる。


「うむ、イトウ殿からいただく野菜が、我らの収入源であろう!」


 ベルゼノスが自信満々に答える。


 メフィアナは、深々とため息をついた。


「……話にならないわね。あなたたち、経済という概念を理解しているの? ユウキ、あなたはどうなの?」


「……俺は、元勇者で、現ニートだ」


「つまり、無職ということね。最悪だわ」


 メフィアナは、ペンを走らせて家計簿に何かを書き込むと、それを俺たちの前に突きつけた。


【収入】

・ゼロ


【支出】

・家賃:30,000ゴールド(三ヶ月滞納)

・食費:不明(原材料が魔界産のため算出不能)

・修繕費:不明(主にベルゼノスによる破壊活動)


【結論】

・このままでは一週間以内に野垂れ死ぬ。


「……というわけよ。理解できたかしら、この脳筋と世間知らず姫」


「なっ!?」


「わ、私が……世間知らず……?」


 的確すぎる分析と辛辣な物言いに、ベルゼノスとリリアが絶句する。


 俺も、改めて文字にされると、その絶望的な状況に眩暈がした。


「そこで提案よ」


 メフィアナは、すっと人差し指を立てた。


「我々は、労働をし、対価として金銭を得る。すなわち、就職するのよ」


「「しゅうしょく?」」


 リリアとベルゼノスの声が、綺麗にハモった。


「そう。働くの。あなたもよ、元勇者」


「俺もかよ……」


「当然でしょう。あなたはここの世帯主なのだから」


 有無を言わせぬメフィアナの言葉に、俺はぐうの音も出なかった。


 こうして、俺たちの『第一次就職活動』が、半ば強制的に幕を開けた。


 翌日。


 俺たちは、アキタニアの街にある公共職業安定所、通称『ハローワーク・アキタニア』の前に立っていた。


「ふむ。ここが、しょくぎょうをあんていさせる場所か」


「なんだか、わくわくしますわね!」


 ベルゼノスとリリアは、どこか遠足気分だ。俺とメフィアナだけが、重い足取りで中に入る。


 対応してくれたのは、人の良さそうな、しかしどこか疲れた表情の中年男性職員、タナカさんだった。


「えー、ではまず、こちらの履歴書にご記入ください」


 渡された紙を前に、三者三様の反応を見せる。


 俺は、三年間もブランクのある職歴欄をどう埋めるか頭を悩ませた。


 リリアは、「りれきしょ? 美味しいのですか?」とタナカさんを困らせている。


 そして、問題はベルゼノスだった。


「できたぞ、メフィアナ! これで完璧であろう!」


 ベルゼノスが自信満々に差し出した履歴書を、俺たちは覗き込んだ。


【氏名】ベルゼノス

【職歴】魔王軍四天王(炎獄将軍)

【希望職種】世界の支配、またはそれに準ずる業務

【特技・資格】城の3つや4つ、素手で更地にできます。


「……タナカさん、こいつ、今すぐ叩き出していいですか?」


 俺が言うと、タナカさんは引きつった笑顔で首を横に振った。


「そ、そんなわけにはいきません! あくまでお客様ですので! えーっと、ベルゼノスさん。まず、職歴ですが、これはもう少し、こう、一般的な表現に……」


 その隣では、メフィアナがスラスラとペンを走らせていた。


【氏名】メフィアナ

【職歴】魔王軍における戦略立案、及び組織マネジメント(約500年)

【希望職種】経営企画、または財務。年俸は最低でも金貨一万枚を希望。

【特技・資格】国家予算規模の財政管理。氷結魔法(絶対零度)。


「……あんたも大概だな」


 俺のツッコミに、メフィアナは「何か問題でも?」と涼しい顔だ。


 タナカさんの胃は、この時点で限界を迎えつつあった。


「あ、あの、お二人とも、もう少し、こう、現実的な……例えば、ベルゼノスさんはその立派な体格を活かして、土木作業員などいかがでしょう? 日当も良いですし」


「どぼく? 良い響きだ! やろう!」


「メフィアナさんは、その知性を活かして、商業ギルドの経理事務などは……」


「けいりじむ。悪くないわね。検討しましょう」


 意外にも、二人はあっさりと現実的な職に興味を示した。


 問題は、残る二人だ。


「ええと、そちらのリリアさんは……?」


「はい! 魔王の娘です!」


「ま、魔王の……そうですか。では、まずは花嫁修業から始めましょうか……」


 タナカさんは、もはや諦めの境地に至っている。


 そして、最後に俺の番が来た。


「それで、ユウキさんは……職歴は、と……『勇者』?」


 タナカさんの目が、点になった。


「あー、これはその、昔のあだ名みたいなもんで……」


「……そう、ですか。特技は『魔王討伐』……」


 タナカさんは、俺の履歴書と顔を何度も見比べると、深々と、今日一番深いため息をついた。


「……分かりました。とりあえず、皆さんまとめて、明日の河川敷の草むしりから始めてみましょうか」


 こうして、元勇者と魔王の娘と元四天王二名による、波乱万丈の社会復帰への道が、雑草をむしることから始まることになった。


「はぁ……」


 俺のため息は、ハローワークの空に虚しく吸い込まれていった。


 未来は、暗い。暗すぎる。

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