【設計図 No.15】覚醒
バスはダンジョンへ向け、ゆっくりと走行を開始した。車内には、戦いに向かう者特有の、張り詰めた熱気が充満している。つぐみの胸の中にも、期待と不安が入り混じった高揚感が渦巻いていた。
今回の依頼の報酬は破格だ。数えきれない魔獣の群れを殲滅すれば、高校生がひと月は悠々と暮らせるほどの金額が手に入る。しかし、その代償はあまりにも大きかった。命の保証は一切ない。戦場で死ぬ可能性は、極めて高い。だからこそ、大人数での挑戦となり、互いをカバーし合うことで、どうにか死者を出さないように試みているのだ。
「つぐみさん」
隣の席から、優しい声がかかる。振り向くと、そこには梓が座っていた。物理的な距離が近いからか、その整った顔立ちがより一層くっきりと目に飛び込んでくる。深く澄んだエメラルドの瞳。透き通るほどに輝く、つややかな肌。 ……ふと、この車内がたった二人きりの空間のように錯覚してしまいそうになった。
「なんでしょう?」
「つぐみさんは、まだ戦闘に慣れていないでしょう? 私たちが全力でサポートしますから、どうかご安心を。大船に乗ったつもりで、任せてくださいね」
そう言い終えると、梓は後部座席に座るこころとゆずりはにさりげなく目配せを送った。二人もその意味を悟ったのか、自然な笑みを浮かべてつぐみに向けて優しくうなずく。
こんなにも温かく、強い絆で結ばれたパーティが他にあるだろうか。以前のつぐみなら、その優しさにただ涙を浮かべていたかもしれない。 だが、今は違う。新たに得たスキルの''使い方''を会得したつぐみは、確かな自信を内に秘め、笑顔の裏に強い意志を宿らせて、三人に微笑み返した。
*******
バスが揺られて進むこと約十五分。 車内に、ギルド関係者の冷静なアナウンスが響き渡った。
「──ご案内します。現在、ダンジョン周辺は魔獣が異常発生し、溢れ出ていて極めて危険な状態となっております。このため、最寄りの治療施設にて停車いたします。その後、徒歩にてダンジョン入口まで向かっていただきます。ご準備のほど、よろしくお願いいたします」
通常、魔獣はダンジョンの最深部付近から湧き出る。上層部で遭遇することは稀で、その数もさほど多くはない。しかし、時折、その発生速度が急激に加速することがある。今回の件は、どうやらその典型らしい。ダンジョンから《溢れ出る》ほどだなどというのは前代未聞であり、このような緊急停止はまずない。 ───車内の空気が、一瞬で凍りついた。
他の冒険者たちも、この異常事態に気圧されたのか、出発時の勢いはどこへやら、俯く者、弱気な呟きを漏らす者、甚至には辞退を申し出ようとする者まで現れ始めた。 しかし、そんな彼らの動揺などお構いなしに、バスは淡々と目的地へと進んでいく。
到着まで、残り数分。
---
バスは治療施設へと到着した。 ギルド関係者の合図で、ドアが重そうに開く。 その頃には、冒険者たちのほぼ全員から、戦う意気込みは消え失せていた。
《参加するんじゃなかった……》《死ぬ……こんなの》
そんな慄きの声が、あちこちから聞こえてくる。 実際、つぐみもまた、内心では大きく揺らいでいた。あの
葬儀のような重苦しい沈黙の中、一人、無言で出口へと歩み出るものがいた。こころである。それに続くように、ゆずりは、そして梓もまた、足を進めた。 つぐみも慌てて装備を確認し、彼女たちの後を追う。
降り立とうとしたその瞬間、こころが振り返ることなく、バス内に残る冒険者たちへ、静かに、しかし強く語りかけた。
「……死ぬのが怖い。傷つくのが恐ろしい。安全に任務を終えて、報酬を手にしたい。そう思うのは、当然のこと」
一呼吸置くと、その声はさらに強く、鋭く響いた。
「だけど……そんな生半可な覚悟で、冒険者を名乗らないでほしい。緊急事態とか関係ない。私たちは、常に命を懸けてこの仕事をしている。この危機を乗り越えなければ、魔獣は街へと押し寄せ、全てを破壊し尽くす。そうなれば、私たちだけじゃない。戦うことのできない無数の人々が、大きな被害を受けることになる。この世界には、戦いたくても戦えないスキルしか持たない人々が大勢いる。私たちは……『選ばれた』の。魔獣から彼らを守れるのは、今ここにいる私たちだけなんだから」
そう言い放つと、こころは躊躇いなくバスを降り、ダンジョンへと歩き出した。 ゆずりはと梓も、当然のようにそれに続く。 彼女たちは、そこに残された誰よりも──遥かに大人で、覚悟を決めていた。
───つぐみは、こころの背中に、何か特別な温かさを感じながら、その後に続いた。
*******
「……俺たちって、本当に情けないな」
「……ああ」
───今、自分たちは『真の勇者』というものに出会ったような気がした。 ダンジョンへ向かう少女たちの一行を見て、残された冒険者全員がそう感じずにはいられなかった。 この場にいる最年少とも思われる少女たちに、完全に諭されてしまった。自分たちより倍以上も人生を重ねてきた大人たちが、である。本来なら、大人が子供に命の重みや意志の在り方を教えるべきだ。 しかし、彼女たちは自身の命だけではなく、守るべき他人の命の存在を、しっかりと認識していた。 少女たちの誇り高き背中を見つめながら、冒険者たちはそれぞれ、自分の家族や友人、守るべき平和な日常のことを思い浮かべた。 ……そして、一人、また一人と、決意を新たにバスを降り立つ。
全員の気持ちが一つとなり、少女たちの跡を追った。
****
つぐみたちの目に飛び込んできた光景は、正に地獄絵図だった。 魑魅魍魎、様々な魔獣たちが、既に街へ向かって蠢き、移動を開始していた。
「梓、援護を頼むわ! ゆずりは、つぐみ、私について来て!」
「了解です。───《聖の輪(ひかりのわ)》!」
こころの指示と同時に、梓の唱える呪文が響く。たちまち、つぐみたちの足元から柔らかな光が溢れ出し、全身を優しく包み込んだ。身体が軽くなり、力がみなぎってくるのを感じる。梓の説明によれば、この光は身体能力を向上させると同時に、 invisible な障壁としての防御効果ももたらすらしい。まさに攻防一体の強化魔法だ。
「魔獣どもだーっ! 蹴散らせーっ!」
「「「「「おおーーっ!!」」」」」
後から駆けつけてきた冒険者たちの雄叫びが轟き、様々なスキルが炸裂する。魔獣たちも咆哮を上げ、炎を吐き、鋭い爪を振るって応戦する。光と衝撃、咆哮が入り乱れるカオスな戦場と化した。 参加している冒険者のほとんどはCランクだ。数的優位を活かし、連携しながら戦っていく。
「こころ、ここは彼らに任せよう。私たちはダンジョンに潜り、元凶を断つ。それが最優先だ」
「そうね。発生源を絶たなければキリがない。つぐみ、梓、ゆずりは、行くわよ!」
そうして四人は、戦場を縫うようにしてダンジョンの入口へと急ぐ。 梓の《聖の輪》の効果は絶大で、つぐみが魔獣を強く打撃すれば、その衝撃は周囲の魔獣をも巻き込み吹き飛ばした。こころとゆずりはは、常人離れした身体能力でつぐみの周囲の魔獣を躊躇なく蹴散らしていく。 ……Bランク冒険者という枠に収まっているとは、とても思えないほどの実力だった。
ダンジョン入口付近まで来た時、一匹の魔獣がその巨躯で行く手を阻んだ。虎のような風格を持ち、牙に不気味な光を宿す
「こころ、任せて」
こころは微かに息を整え、うなずく。合図を受けたゆずりはは、目にも止まらぬ速さで毒牙虎へと疾走する。 魔獣も素早く反応し、凛との戦いの時と同じように、顔を天へ向けて毒の塊を吐き出し始めた。このままでは、陨石の如き毒の雨が降り注ぎ、周囲の冒険者たち全体が危険に晒される。 ゆずりははその動きを予測していた。すでに彼女は大きく跳躍し、魔獣の遥か上空へと舞い上がっている。
「───抜刀、《宿怨斬(しゅうえんざん)》」
鞘から抜かれた刀が、噴き出す毒の塊へと向けられる。すると、異様な光景が起こった。無数の毒塊が、まるで磁石に引き寄せられるように刀身へと吸収されていくのだ。魔獣が全ての毒を吐き尽くしたその瞬間、ゆずりはは刀を大きく振りかぶった。
「──ッ!」
放たれたのは、視認できるほど巨大な翠緑色の斬撃。それは毒牙虎の巨体を断ち切り、その首を地面へと落とした。
ゆずりはは何事もなかったかのようにつぐみたちの前に着地し、刀を鞘に収めると、ダンジョン入口へ走り出した。 こころと梓も表情を変えず、その後に続く。 つぐみは倒された魔獣の横を通り過ぎながら、心の中で思わず呟いた。
……このパーティ、私を除いて、規格外すぎる……!
ダンジョン内部は、地上よりもさらに多くの魔獣が渦巻いていた。しかし、梓のスキルの加護と、こころとゆずりはの圧倒的な戦闘力により、つぐみが本格的に戦うことなく、隊伍は深部へと順調に潜行していった。
*****
最深部へと続くドーム状の大空間。そこは不気味な静寂に包まれていた。外部の魔獣の咆哮が遠のき、逆に耳鳴りのようなものが聞こえるほどだ。
「静かすぎますね……親玉はどこにいるのでしょう?」
「油断は禁物よ……いつ襲いかかってくるか……」
つぐみは《コロッサス》戦の時と同じ要領で、地面の石から剣を生成し、カルメル鉱を用いて炎属性を付与する。一度コツを掴んでしまえば、作業は早い。ショルダーポーチから飛び出す工具たちにも動じることなく──
───つぐみ、危ない!
「───《霜神脚(そうしんきゃく)》!」
ガンッ……! ドゴオオン……!
振り返ったつぐみの視界に飛び込んできたのは、緑色の肌に一本の角を生やした巨人──その巨体に似合わぬ太さの棍棒を振るう
「こころ!? どういうことだ……? 鬼将の危険度はBランク以下のはず……なのに、こころが押し負けるだなんて……!」
「こころさん!───《瞬癒の掌(しゅんゆのて)》!」
梓の癒しの光がこころを包む。
「……ありがとう、助かる。けど、こいつはただものじゃない。力の差が圧倒的すぎる…………私たちだけでは、勝てないかもしれない」
つぐみは石の剣を握りしめ、俯く。
───また、みんなに迷惑を……? 助けてもらってばかりで、自分は何もできていない。せっかく認めてもらえたというのに……。
首元のペンダントを強く握りしめ、こころたちを見つめる。 こころたちは、自分たちの命だけではなく、守るべき人々のために戦っている。つぐみだって、母を支えるために冒険者を始めたはずだ。 危険を冒しても、誰かを守りたい。
……この人たちと出会い、分かり合えたからこそ、見つけ出した答え。
───私だって、こころたちのように、強くなりたい。守りたいものがあった。
つぐみは目を閉じ、意識を研ぎ澄ませる。眼前の魔獣へと五感を集中させる。微かに、かすかな光を感じ取る。それは徐々に強まり、やがて全身を支配していくかのような感覚へと変わる。 目を見開く。つぐみの髪には赤い稲妻が走り、瞳はオレンジ色の炎のように燃え上がった。さらに、彼女を包んでいた光は、こころたちへも伸び、三人を強く照らし出す。 鬼将は、再びこころを狙うかのように棍棒を振りかざす。
「……ッ! 絶対に、倒す!!」
殺意だけではない。仲間への想い、絆を剣に込め、燃え盛る幻影を纏わせ、迫り来る棍棒へとぶつける! 激しい火花が散り、凄まじい衝撃が迸る。が、力及ばず、つぐみは押され気味になる。 歯を食いしばり、全身の力を振り絞る。 その時、背後から力強い押す力が加わった。振り返れば、こころとゆずりは、梓がつぐみの背を押していた。
「つぐみ、一人で背負い込むんじゃないわよ。少なくともあんたより、戦い方なら知ってるんだから……。つぐみの成長、しっかり見せてよね?」
「つぐみ、私たちはパーティだ。一人じゃない。奴は明らかに異常だ。でも、みんなで力を合わせれば、必ず勝てる」
「つぐみさん、焦らないで。相手は凶暴ですが、冷静に。大丈夫、私たちがついていますから」
そうだった。つぐみは一人じゃない。まだ未熟だ。でも、強い仲間がいる。
「……はい! 負けません!!」
つぐみの手に新たな力がみなぎり、棍棒を押し返し、鬼将の巨体をよろめかせる。
「さあ、反撃開始よ!!」
****
よろめいた鬼将は、すぐに体制を立て直すと、大地を強く踏みしめ、再び棍棒を振り上げようとした。 つぐみたちは一斉に間合いを詰め、スキルを構える。 棍棒が地面を叩きつけ、大きな凹みができる。その瞬間を、こころは見逃さなかった。
「───《鏡氷獄(きょうひょうじごく)》!」
こころが吐く息は白く凍りつき、周囲の温度が急激に低下する。空中には無数の氷の結晶が浮かび、地面は円状に氷結していく。鬼将の棍棒も氷に捉えられ、その動きを封じられる。
鬼将は咆哮を上げ、足を上げて地面を強く踏みつける。氷の床は砕け、激しい衝撃と地震が起きる。バランスを崩すこころめがけて、巨体からは想像もできないほどの速さで襲いかかろうとする。
「させない!───《豪炎(ごうえん)》!」
つぐみがこころの前に躍り出る。剣に凝縮した炎を解放し、迫り来る魔獣の腕へとぶつける! ゴオオオッ! 炎は爆発的に膨れ上がり、太い腕を焼き切り、切断することに成功する。
しかし、切断面からは肉が蠢き、再生が始まろうとする。 すかさず梓が呪文を唱える。
「───《不死封印(ふしふういん)》!」
鬼将の腕の断面に眩い光が集まり、再生を完全に封じる。鬼将は苦痛の咆哮を上げる。
「───抜刀、《瞬妖刀(しゅんようとう)》」 「───《不死封印》!」
怯む鬼将に対し、ゆずりはは疾走する。刀光一閃。あっという間に鬼将の背後に回り込み、残るもう一方の腕も切り落とす。梓の光が追い打ちをかけ、両腕の再生を完全に封じた。
両腕を失い、怒り狂った鬼将は大きく跳躍し、着地の衝撃で無差別の衝撃波を周囲に撒き散らした。つぐみたちは吹き飛ばされ、壁に叩きつけられ、飛び散る岩の雨に晒される。
「つぐみ! とどめよ!」
「はい!」
つぐみは飛来する岩を炎で焼き払いながら突進する。こころは強化された身体能力で岩をかわし、まっすぐに進む。ゆずりはは、舞い散る岩塊を刀で切り裂いき、梓はその後ろを進む。
「ゆずりは! 梓!」
「───抜刀、《呪縛の斬(じゅばくのざん)》」 「───《七光りの封印(ななひかりのふういん)》!」
ゆずりはの放った漆黒の沼が鬼将の足元に出現し、その動きを封じる。梓の放つ七つの光点が鬼将を包み込み、完全に行動を拘束する。絶好の機会が訪れた。
「───《業火(ごうか)》!」
「───《氷獄衝波(ひょうごくしょうか)》!」
つぐみの放つ灼熱の斬撃と、こころの放つ極寒の衝撃波が、同時に鬼将の巨躯を捉える。 灼熱と極寒が同時に炸裂し、鬼将の身体は内部から破壊され、壁へと押しつぶされていく……。 ……その巨体は崩壊し、動きを完全に止めた。
「……終わった……」
緊張の糸が切れ、全身から力が抜ける。同時に、吹き出る汗。ボロボロになった冒険者服を着たこころ、ゆずりは、梓が、同じく傷だらけのつぐみの元にゆっくりと歩み寄り、強く抱きしめた。 ───あなたがいたから、勝てた。
……私も、みんながいたから。 時間の流れは平常に戻った。 しかし、この瞬間だけは、一秒一秒が宝石のように輝き、永遠のように感じられた。
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