雨が降ったら会えるかな
相内充希
第1話
望月洋平がそのカフェに入ったのは偶然だった。
午後2時40分。
部活の後なのにこの時間まで昼食を食べ損ねており、早く帰ろうと急いだものの、地元の駅で降りたら雨に降られた。2月の雨だ。濡れたくはない。
とはいえ今日は傘がない。仕方がないから庇が多い駅前商店街を走りぬけようと思ったのだが、食欲をそそる匂いに誘われた。
これは唐揚げ? いや、生姜焼きだろうか。
今日のランチと書かれた黒板のメニューはポークジンジャー定食。しかも安い。時間がギリギリ間に合うなと思わず店に入ってしまったのだが、おしゃれレトロな店内の雰囲気に思わず立ち尽くしてしまう。
(やっべ。俺、場違いか)
実のところ前から少し気になっていた店だったのだが、制服の上にコートを羽織った高校1年生が入ってもいいものかと一瞬悩んでしまう。
半端な時間なので空いてはいる。
しかも正面席のサラリーマンらしき男性が食べているポークジンジャーがあまりにもおいしそうで、思わず喉が上下した。想像以上におしゃれだけど、かなりがっつりしてるのだ。
「いらっしゃい」
一瞬の迷いの間にカウンターから店主らしき男性に声をかけられ、踵を返す機会を失ってしまう。厳つくも人懐こい雰囲気の髭の男性。この人の作る飯なら絶対うまいだろうと思われる風貌だ。
彼にニコッと笑われたことで入店許可を得た気がして、洋平は促された席に足を向け、瞬間どきっとした。
観葉植物で少し隠れた席。そこに見知った女子の顔があったのだ。
(そうか。今日は雨が降ってるもんな)
そのことに少しだけ頬が緩む。
花井香乃子とはなぜか、雨の日に偶然会うことが多いのだ。
前回会ったのは去年の9月か10月だっただろうか。高校が別だし、特に連絡を取り合う仲ではない。そうしたいのは山々だけど……。
嬉しい偶然に心の中でガッツポーズをすると、手が空いたらしい店員に案内されたのは彼女の隣の席だった。
席につきながら声をかけようかと思ったものの、香乃子は編み物に集中しているようで、まったくこちらに気づく気配はない。
(あ、あの毛糸か)
前回会ったのはショッピングモールだった。
その時の彼女は本屋の前にある手芸コーナーで熱心に毛糸を選んでいた。「何してるの?」と声をかけると、家庭科の授業の材料を買いに来たのだという。
「マフラーを編むから、どの毛糸にしようか悩んじゃって」
初めてだから編みやすい糸がいいだろうが、どうせなら綺麗な色がいいと。
「へえ。大変だ」
買い物が終わった友達が呼んだので、冗談半分、「俺はあの色が好み」と好きな色の毛糸をさして去ったのだが、彼女が編んでいる毛糸の色がまさにそれで、胸の奥が痛いようなむず痒いような変な気分になった。
(別に俺に編んでるわけじゃないのにな)
もしも貰えたらすごく嬉しいだろうなんて考え、ふと、さっき先輩たちが話していた話題を思い出した。
*
「そういえば、このまえ西高の後輩に聞いたんだけどぉ」
そう話し始めたのは委員の先輩である矢作麻友だ。今日洋平が昼飯を食べ損ねた原因でもある。
土曜の部活は午前だけだったから弁当を持ってこなかったのだが、帰りしな、この先輩につかまって仕事を手伝わされてしまった。一緒にいた部員も巻き込もうとしたものの逃げられてしまい、結局洋平のみが残されてしまった。薄情者め。
なんでも洋平の高校で年数回開催されている地域イベントの準備らしいのだが、当番だった委員が3人も風邪で欠席で人手が足りなかったらしい。
洋平も力仕事は苦にならないので手伝うのはやぶさかではない。だが食べ盛りの高校一年。昼抜きでの作業はさすがにきつかった。
「まあまあ。ちょうど今日はバレンタインだし、お姉さまがチョコを上げるから」
そう言って麻友と数人の先輩から小さなチョコをいくつか貰ったのだが、さすがに義理にもほどがあると怒ったふりをしたら、なんのけなしに麻友が話し始めたのが香乃子が通う西高の話題だった。
「西高ってさ、家庭科で編み物やるらしいよ」
「えっ? 男子も?」
「そうそう。男子も女子もで、棒針でもかぎ針でもいいけど、マフラーが課題だって言ってた。幅も長さも決まってるんだって」
「えー、すごい。私、編み物なんてしたことないよ。由奈は?」
「私? んー、小学校の時にお母さんに教えてもらって、かぎ針編みは少しだけやったことがある。でもガタガタになって大変でさぁ、結局リリアン編みの毛糸バージョンみたいなのを使って、ちっちゃい巾着作ったな。マフラーだと大変そう」
きゃっきゃと話す女子たちに、それまで黙々と作業をしていた委員の男子が「ああ、それ」と呟く。
「確か編んだマフラーを交換するんじゃなかったけ?」
「そうなの、岡井くん?」
「ん。元カノが西高で、クリスマスの伝統だって言ってたんだよね。お互い編んだマフラーを交換するって。まあ、告白イベント?」
「へえ。おもしろーい。交換出来たってことは告白OKみたいな感じってことか」
「だな。女子は友達同士でも交換するって言ってたけど」
そんな盛り上がりを聞くともなしに聞いていたのだ。
*
「お待たせしました。ポークジンジャー定食です」
ことりと置かれた生姜焼き、もといポークジンジャーと皿に盛られたごはんとスープにごくりと唾をのむ。
料理を待っている間スマホをいじりつつ、時折香乃子のほうを横目で見てみたが、彼女はたまに飲み物を飲む以外はずっと手元に集中していた。テーブルの上には焼き菓子の皿の横に大きな砂時計。何かの時間を計っているらしい。
クリスマスはとうに過ぎているし、彼女が編んでいるのはたぶんネックウォーマー。丸いひもの付いた棒みたいなもので編んでいるのが面白いが、マフラーではないので、学校の課題とは別物なのだろう。
(花井はマフラーを交換したのかな)
自分の想像にジリッと胸の奥が焦げ付くのをごまかすように、洋平はご飯をかきこんだ。
「うまっ」
思わず呟いたのが聞こえたわけはないのだろうが店主とバチっと目が合って、洋平はへらっと笑った。
*
定食の皿が片づけられ食後のコーヒーが出る頃になっても、窓の外の雨はやむ気配がない。このままだと夜には雪になるかもなと考え、昔のことを思い出した。
小学校のころのことだ。まだ梅雨に入るかどうかのころ、クラスの女子が一人、家庭の事情で突然転校したことがあった。朝クラスで挨拶をしたその女子は、給食前に迎えに来たおばあちゃんに連れられて帰ったことをなんとなく覚えている。
放課後突然雨が降ってきたが、洋平はランドセルに折り畳み傘を入れていたのでそれをさして帰った。その途中で雨宿りをしている花井香乃子に会ったのだ。
(傘、忘れたのかな?)
当時、なんとなく女の子に声をかけるのが恥ずかしくて、チラチラ様子を伺いつつゆっくり歩いていると、香乃子に「望月くん、バイバイ」と声をかけられ立ち止まる。なんとなく彼女が胸に抱きしめていたもの目を向けると、香乃子は少し困ったように笑った。
「沙穂ちゃんがくれた絵を濡らしたくなくて」
転校した女子は絵が得意だった。
その子が最後にくれた絵を濡らしたくなくて、雨が止むのを待っていたらしい。
洋平がそこでスマートに行動できるような男だったら、彼女を傘に入れてあげるなり、その傘を彼女に貸して自分は走って帰るなりしたのだろうと思う。でも当時の洋平は少し考え、その絵を家に持って行ってあげると提案した。
今なら「あほか」と突っ込むところだが、当時はいい案だと思ったのだ。
実際少しびっくりしたような目をした香乃子はにっこり笑って、「じゃあお願い」と、ノートにはさんだ絵を洋平に預けてくれた。
傘をさして歩く洋平の横を、家のひさしの下などを選びながら、ぴょんぴょん跳ねるように下校する香乃子。
洋平の通学路を少し離れて香乃子のうちの前まで行き、無事濡らさずに済んだ絵を渡すと、彼女はとても嬉しそうに「ありがとう」と笑った。
歯の矯正をしていた口元が、妙に印象に残った。
たぶん、それが最初の雨。
中学は1年生の時だけ同じクラスだった。
でも、彼女を意識するようになったのはクラスが分かれてからだ。
雨が降った放課後。誰もいなくなった教室で日誌を書いていた香乃子の横顔に、なぜかどきりとした。彼女が歯の矯正器具を外したのがこの頃だったから、顔の印象が変わったせいかなとその時は思った。
2年と3年の時は偶然委員が一緒になって、係が同じ日になると雨が降ることが多かった。どっちが雨男で雨女かと笑い話になったこともある。
(ああ、そうか。受験の合格発表の日も雨だったな)
学校に合格の報告に来た時偶然会って、下駄箱で少し話をした。卒業までに二人で話せたのはあの日が最後だった。中1の時はラインのグループがなかったし、なんとなく連絡先を聞けないまま今に至る。
めったに会えないのに、ずっと心の奥にいる。
どうしてか分からない。
ただ会えると嬉しくて、居心地がいいのだ。たとえ今日みたいに気づいてもらえなくても。
コーヒーを半分くらい飲んだところで、彼女が最後の仕上げにかかっていることに気が付いた。編み目をどんどん閉じていって、輪っかになっていた編み棒が抜けていく。
「できた」
小さく呟いた彼女の目が輝く。
「すごいな」
素直に挙げた感嘆の声に、香乃子がはじめて洋平に気が付いた。
「え、な、なんで」
真っ赤になって手を意味もなくワタワタと振り回していた香乃子が、洋平の後ろにある窓の外をみて「雨」と呟いた。それで洋平がいることに納得したらしいのがおかしくて、秘密を共有するように二人でニッと笑いあう。
「望月君、いつからいたの?」
「30、40分くらい前? 腹減って生姜焼きの定食食べて、今最後のコーヒー飲んでたところ」
「そんなに? ……声をかけてくれればよかったのに」
「や、なんか集中してたから悪いなと思って」
「そっか」
そこでチラリと彼女の手元を見ると、ぱっと作ったものを後ろに隠されたので、なんとなくがっくりする。
「それ、前言ってた家庭科のやつ?」
絶対違うことを分かっていながら、尋ねずにはいられない。
マフラーは誰かに渡したの? 今隠したそれは誰かにあげるの?
そんなことは聞けるはずもないけれど。
すると香乃子が首を振って、「これは別」と言った。そしてなぜか店主のほうにその作品を持ち上げて見せ、ひらひらと振り、「できました」と小声で伝える。
不思議に思って見ていると、香乃子はここがニットカフェでもあるのだと教えてくれた。
「週に一回、編み物教室が開かれてるの。で、あそこにいるマスターが編み物の先生なんだ」
「えっ?!」
あの髭の厳ついマスターが?
驚いたことで思いのほか大きな声が出ると、会話が聞こえていたらしい他のお客さんにも笑われてしまった。よく見ると数人編み物をしていた客がいることに今更ながら気が付いた。席が観葉植物やパーテーションで程よく隠れていて見えなかったのだ。
周りにペコペコ頭を下げると、香乃子が簡単に説明をしてくれる。
普通のカフェだが、マスター夫婦の趣味で手芸教室が開かれていること。展示してあるニットや革の小物は夫妻の作品で、奥さんのほうは公民館でレザークラフト教室の先生をしていること。すいている時間なら、ワンドリンク90分の時間制限で編み物をしていいこと。そんなことを教えてくれた。
「2学期の家庭科でマフラーを編んだのが面白かったから、もう少しやってみたいと思ったの。ここで編めば、わからないところを教えてもらえるし」
そして完成したのがネックウォーマーらしいのだが、少しの沈黙のあと、香乃子がそれを洋平の前に差し出した。
「よかったら試着してみてくれない?」
一瞬期待したものの、使えるものかどうか試したいのだろうということに気づく。がっかりした気持ちを隠して快諾してスポッとかぶると、思った以上に温かかった。
「わ、似合うね」
「そう?」
まんざらでもない洋平を香乃子が鏡代わりにと出したスマホを向けた。
自分の好きな色で。
好きな子が編んだネックウォーマー。
それが驚くほど似合っていることが嬉しいような、むなしいような気持ちになった。
「すごくうまくできてると思う」
早口で褒め、そそくさととって返そうとすると、香乃子は少し目を伏せて首を振った。
「よかったら貰って。望月君に似合えばいいなと思って編んだの」
ハンドメイドは迷惑かな?
小さく聞こえた声にぶんぶんと首を振る。
香乃子の耳の赤さに期待してしまい、視線があちらこちらに泳いだ。
「もらうな。嬉しい。ありがと」
早口でそう言うと、顔をあげた香乃子がにっこりと笑う。
その反則級の可愛さに、洋平の心臓は絶対一瞬止まったと思った。
終
雨が降ったら会えるかな 相内充希 @mituki_aiuchi
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