プロタゴニスタは道の端に立つ
長月瓦礫
プロタゴニスタは道の端に立つ
プロタゴニスタは道の端に立っていた。
見知らぬ土地でひとり、呆然と立ち尽くしていた。
自分は今、どこにいるのか。さっぱり分からない。
闇雲に走り、飛び回っていたら、ここにたどり着いた。
大きな通りに出て、流れる人の波を眺めていた。
太陽の光は強く、空は青く美しい。
歩く人々の服装は軽く、風通しが良さそうだ。
傘をさしていたり、タオルで体を拭っていたり、汗だくで歩き、暑そうにしている。
それに対して、プロタゴニスタは分厚いコートにマスク、手袋をしていた。
一寸の隙間のない彼を見て、人々は奇妙な顔をしながら通り過ぎていく。
今の季節と自分の服装が合っていないことしか分からない。
さて、これからどうしようか?
彼には帰る場所がない。人間だった頃の記憶がないのである。
それまで何をしていたのか、どこからか帰る途中で連れ去られたのが最後の記憶だ。
その後はただ、プロタゴニスタと呼ばれていた。
彼だけでなく、あの場にいた全員がそう呼ばれていた。
プロタゴニスタと呼ばれる彼らは、何らかの動物と人間を融合した改造人間である。
彼は蚊と融合したことで、人間としての機能をほとんど失ってしまった。
声帯を切られてからは、ずっと小型の信号機でやり取りしていた。
ライトをカチカチと点滅させ、今も仲間にメッセージを送っている。
唯一、施設から持ち出せた私物だ。
『プロタゴニスタ、ドコニイル』
施設にいる間は戦闘と実験の繰り返しだった。
能力を強化するための実験、結果を出すための戦闘、それの繰り返しだった。
最終的に残ったどれかにその名を与える予定だったらしい。
与えられた個体をどうするつもりだったのかは知る由もない。
つい先ほど実験施設で破壊の限りを尽くし、脱出したばかりだ。
仲間の行方は分からない。
背中に生えた飾り程度の羽は意味をなさない。
少し動かすだけでも大変で、1時間も飛んでいられない。
正直、飛ぶより走る方が早い。
どさくさに紛れて研究員の服を奪い、ようやく人通りの多いところに来られた。
ひさしぶりに外に出たからか、体温調節が上手くいかない。
さて、これからどうしようか。
コートの下は四本の細い腕がある。
上の二本をコートの袖に通し、残りの二本はズボンのポケットに突っ込んでいる。
無駄に長いだけで何の役にも立たない。
ポケットを探るとメモ帳が入っていた。
機械の使い方、会議や実験の記録、日々の業務内容を細かく書いていた。
白紙のページが少しだけ残されていた。
施設を破壊し尽くした今、これは重要な記録だ。
誰かに見せれば、すぐに仲間も見つかることだろう。
その後はどうしようか。何か約束をしたわけでもないから、集まったところで何ができるだろうか。やることはやったから、その結果を待つだけだ。
「すみません、さっきからなんかピカピカ光ってますよ」
仲間かと思って見下ろすと、見知らぬ男がいた。
色素が薄いこの男もそうだ。日傘をさし、帽子をかぶっている。
「てか、ずっと立ってますよね。なんか困ってるんですか?」
想定外だ。今の状況ををどう伝えればいいんだろうか。
どこに行けばいいか分からない。
「……こっちの声は聞こえてるんですよね」
プロタゴニスタは何度かうなずいた。
メモ帳を開き、文字を書く。
『どこに行けばいいか分からないのです』
「目的地とかありますか」
目的地か。行く当てがない。帰る場所もない。
あったとしても、人間でなくなった自分を受け入れてくれるとは思えない。
「とりあえず、交番に行きますか。なんか分かると思うし」
交番か。今後のことを考えると、それがいいかもしれない。
『それでお願いします。ありがとうございます』
頭を深く下げると、少しだけ笑っていた。
彼の話を聞いてる限り、自分の認識がかなりずれていることが分かってきた。
あの施設で数年は過ごしていたらしく、時間の流れがマヒしていた。
なるほど、服装が合わないわけだ。
「いや、ここ最近本当に暑いですよね。
外に出るだけで大変というか」
プロタゴニスタはただ、うなずいていた。
口がきけないのが分かっているのかいないのか、一方的に喋り続けている。
「職場はエアコンが効いてるから、外との気温差があって余計に疲れるんですよね。
もう本当にやってられませんよ」
よく喋る男だ。ずっと明るく笑って口が動いている。
ひさしぶりに人間らしい人間を見た気がする。
実験施設で飛び交う専門用語ばかり聞いていたから、世間のことを忘れていた。
もう後戻りできないのを実感する。
「そういや、俺は霧崎っていうんです。
名乗るのが遅れて申し訳ありません」
男は名刺を差し出し、頭を下げる。
何やらごちゃごちゃと書かれていて、よく分からない。
ただ、名刺があるということは、名のある職業に就いているのだろう。
人間だった頃の名前など憶えていない。
プロタゴニスタと名乗っていいものか。
しばらく悩んでから、メモを見せた。
『実は名乗れるような名前がないんです。
ここ数年、施設にいたので何も分からんのです。
本当に申し訳ないです』
霧崎は何度かうなずいた。
おそらく、この施設という単語も自分が想像しているのとは別の物を指すのだろう。
何を想像したのかは分からないが、笑顔が一瞬だけ消えた。
「すみませんね、勝手にペラペラと喋り倒してしまって。うるさかったでしょ?」
うるさいと言われるとどうだろうか。
口がきけないのをいいことに、一方的に怒鳴られるのは実験中でもよくあることだった。この世のありとあらゆる罵詈雑言を聞かされた気がする。
まともな人間を見るのはひさしぶりだから何とも言えない。
『私は気にしていませんので、どうぞ、続けてください』
メモを書くと、立ち止まって読んでくれる。
彼の場合、沈黙が耐えられないだけなのだろう。
世間話しかしていないし、傷つける意図はないのは分かった。
「……ずいぶん大変だったみたいですね。まるで浦島太郎みたいじゃないですか」
浦島太郎か。それもひさしぶりに聞いた。
あそこは豪華で楽しい城などではなかった。
陰鬱で狭い、地獄のような場所だった。
「ま、外に出られただけでもよかったんじゃないですか?
こんなクソ暑いのは運が悪かったってことにしておけばいいんですよ」
そういう考え方もあるか。
実験の試行回数を繰り返して運をなかったことにしていた。
連れ去られたのも運が悪かったからだろうか。
『運が悪かった、なるほど』
立ち止まって、メモに書きつける。
「ま、そういう日もありますよ。あんま気にせずいきましょ」
そう言って笑い飛ばす。どこまでも陽気な男だ。
施設にはいなかったな、こういう奴は。
横に並んで話をずっと聞いている。
日常会話もなかった。仲間に会ったら、聞いてほしいくらいだ。
「すみません、迷子の人です」
霧崎が声をかけると、警官の肩が大きくはねた。
分厚いコートを上から下へとじっくり見ている。
「ああ……これはどうも。そちらの方が迷子、ですか?
はあ、分かりました」
警官はそそくさとどこかに連絡を取り始める。
これで何かが分かることだろう。
仲間の居場所や実験施設について、ようやく明らかになるだろう。
『ここからはひとりで大丈夫そうです。
案内してくれてありがとうございました』
ここから先は彼が踏み込んでいい話ではない。
まともな人間を巻き込んではいけない。
「分かりました。ご縁があったらその時はよろしくです」
プロタゴニスタが頭を下げると、霧崎は手を振ってその場を去った。
また会えるときは、人間らしい姿が戻っているだろうか。
人ごみに消えていく彼の背中を見送っていた。
プロタゴニスタは道の端に立つ 長月瓦礫 @debrisbottle00
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