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kavka
第1話
『上司コロ助ナリ』
その文字を見て、シンプルに頭を悩ませる。
上司――はそのまま。
コロ助――は、アニメーションのキャラクターであることがわかった。ついでに言えば、そのロボットの語尾が『ナリ』であることも。
男はモニターを見ながらウンウンと唸り続けている。左手にはなんの味気もないパック飲料。ロゴは簡潔に【ニュートロ・コーヒー】の文字のみが記されている。
「……まず」
手軽に“当時”の味が楽しめるという触れ込みは嘘らしい。男の知っている珈琲とは全く別物の苦い水にカフェインを注入しただけの液体をこれ以上飲む気にはなれず、彼は残りを全て浄化装置に入れることにした。
大変貴重で値の張る“本物”は残りわずか。けれどもどうしても今はそれが飲みたくて、仕方なく珈琲豆の残量を確認する。
「三十グラム。……あと三回かよ」
吐き捨てるように言った男の言葉にモニターからはやたらと感情豊かな声が聞こえてくる。
『マスター、珈琲豆が残り三十グラムということであればそれは二杯相当という計算です。2025年のtokyoにいるバリスタの投稿を確認したところ、十グラムよりも十五グラムで淹れた方がより一層甘味や風味豊かなコーヒーを味わえるとの解説が多数見受けられます』
「……あっそ」
そんな贅沢できるかよ、そう口からは漏れていたのに男の手はしっかりと十五グラムの珈琲豆を計っている。お湯を沸かすという作業でさえ原始的だと馬鹿にされる現代において、当時のコーヒーを再現して飲んでいるだなんて相当おかしな奴だと周りは彼を笑うことだろう。
2302年、男のいる時代はそこだ。
効率重視、AIが殆どの仕事を賄ってくれるような世の中であえて彼のように“伝統的な”生き方をする存在は少なくない。しかしそれを体験するには金がいる。わざわざ住みにくい地球に籍をおき、当時の食文化を体験し文字を自ら考える。
――男はこの時代の小説家だった。世の中はAIの作り出した物語に忠実な映像・音楽・匂いや質感などの五感を加えた最高のエンターテイメントを楽しむことが主流の時代。そんな情報が溢れかえる世の中であえて文字のみで勝負しようとするのは彼くらいのものだった。
『マスター、また文章に感想が届いています。読み上げますか?』
「小説って言ってくれ。……読み上げ、頼む」
『かしこまりました。――最新作、すごく素敵でした。いつもの先生の……』
市場が少ないからか、男はそんな一見不自由そうな仕事をしているがそれなりに儲けてはいる。とりあえず自分ひとり、AIひとりで暮らすには何不自由なく。
けれどもそれもだんだんと昔のようにはいかなくなってきた。最初は珍しくて手に取られた作品も、幾人かのコアなファンがいなければ衰退の一途を辿ることだろう。ここいらでもう一度デカいことをしたいと考えた男はひとつの記事を見つめていた。
【AIと行く、2025年の旅】
時間旅行は近年一番人気の娯楽だろうか。歴史を変えることは許されないからして、眺めるだけになるもののまだ美しかった時代の地球や、整地される前の火星なんかを体験できるコンテンツは誰にとっても魅力的なことだろう。
楽しい時間はあっという間である。男はあの時間旅行をもっと身近に、もっと永続的に楽しむ方法として小説が最も向いていると考えていたのだった。
『マスター、2025年のブルウスカイでマスターの投稿にコメントがついています。確認しますか?』
「頼む」
『いや、未来人かよww――元となるマスターの投稿を読み上げますか?』
「……いらない」
ちょうどコーヒーのはいったタイミングで椅子に座りモニターを確認する。わざわざレトロなモニターを使うことだってこだわりなんだと、誰に聞かれた訳でもないのに男は呟きながらコメントを直接 目で確認することにした。
「……バレたww勘弁してください」
タイピングして文字を打てばタイムラグはあるものの“彼女”にきっと届くだろう。太陽の光が男の元に届くのは約八分。自身のコメントが彼女に届くのは時間帯によってまちまちだが、それでもいずれ見てくれることだろう。
『Wi-Fiというものの脆弱性を感じますね』
「……だな。でも、それが美しい」
会話をするだけならAIで事足りる。寂しさなんてものはこの時代には存在しない。けれどもそんな愛やら感情なんて不確かなものに翻弄される時代だからこそ、得られる幸せも確かにあるはずだと男は今日も2025年のSNSを見るのだった。
『未来から小説書いてるんですけど、あなたのポスト、句読点の使い方がいいんですよ』
何気なく、冗談ぽく。
いつもやり取りしてくれる“マーリン”という人物にそんなコメントを残してみる。
『そうなんだ!』
「……やっぱり信じてはくれないよな」
AIは2025年に起こる出来事について彼女に教えるのはタブーです、とわかりきったことを警告する。
「……ばか。ンなもん言っても信じてもらえるかよ。それに、どうせ七月八日にはデカい災害も今わかる範囲の歴史的なニュースもなんも起こらないんだから。……こういう時は、」
――2302年の七月八日は火曜日、仏滅です。
得意顔の男にAIは感心した“ような”声をだす。
『さすがですマスター。あえて彼女達が置かれている、馴染み深い言葉で未来を表現する訳ですね』
けれども彼女から返ってきた返信は『そうなんだ』の簡単なもの。思いの外響かなかったことに軋む胸を思って、男はその日そのままモニターの電源を落とすのだった。
『手紙っていいですよね。今度――さんにも荷物を送るついでに、お気に入りの便箋で書こうかな』
「……なぁ、便箋ってなんだ?手に入るものか?」
便箋とは手紙を書くための専用の用紙――その答えに納得はしつつ、お気に入りという文言に首を傾げる。どうやらデザインに優れたものが多数あるらしく、今のように五感で味わえるコンテンツではないようだが当時にしてはある種の自己表現を手助けするアイテムだったことが伺える。
なんとか手に入れた便箋は一枚きり。ついでに買った封筒という専用の袋も一枚だけ。なにより高かったのは切手というもので、どの時代にも金貨のコレクターというのはいるものだが この切手もコレクターが予想通りいるらしく、馬鹿みたいに高い金額を支払うことになってしまった。
『マスター、現代の印刷技術で再現した方が効率的に――』
「効率重視じゃ、今のエンタメとなんも変わらないだろ。この不自由さを楽しめよ」
実際に文字を書くという動作は久しぶりだった。間違えることはできないからとゆっくり紙の上にペンを走らせればそこにインクがのることはない。
『マスター、便箋に文字を書くには専用のペンが必要です。あなたの手にあるものは――』
「気付いてたんなら先に言ってくれよ!」
『既に買ってあります。どうぞ』
コロコロと転がってきたペンにはジェットストームの文字。意味はわからないがいかにもってデザインのロゴに男は満足そうに頷いていた。
「……興味深い」
はっきり言えばグレーゾーンである。過去への時間旅行もたくさんの制限の中から“絶対に過去の人間と接触しない”という何よりも犯してはならないルールを念頭にひっそりと行われるのだから。
男の手元には“マーリン”からの荷物が届いている。
花があしらわれた便箋には『先日英国展に行ってきました!お気に入りのビールを送りますので、今度乾杯しましょうね』の文字が。
「美しいレタリングだ。なぁ、彼女の筆跡を使って専用のフォントを作ってくれ」
『かしこまりました。名前はなんと?』
「……2025」
その日から男の小説は2025のフォントが使われた。規則的な文字とは違い個性的な形のそれは解読するのに時間を要したが、はっきりと愛おしさを感じるものであった。
『――さんの文字、めちゃくちゃうまくてビックリしたwww手書きに見えんwww』
当時の言葉でいくと、バズる……というのだろうか。手紙の一節を撮影した画像にいいねがたくさんついている。たぶん、現代ではアート的な意味合いでしか文字を書く人間はいないから……と嬉しいような悔しいようなそんな気持ちで彼女の投稿を眺めていた。
『ところで、お酒飲みましたか?』
「いえ……今夜にでも。ご一緒にどうですか?」
いつもの波のあるタイムラグを感じない速度でいいねがついたことをAIが知らせてくれる。見つかったらバレてしまう過去の人間との物品の交換に、胸の辺りから嫌な音が聞こえてくるようだった。
乾杯――もらった酒を真っ白な背景のところで撮影してみる。モニターの向こうの彼女も似たような構図ではあるが、健康的な肌色の手が端に映り込んでいた。短く切り揃えられた爪は彼女の人となりを表しているようで。実は結婚しているんです、といういつぞやの爆弾発言に沸いたタイムラインを男ははっきりと覚えていたのだから。
『――さん、未来人ぽいこと言ってくださいよ』
「……いただいたお酒とかけて。祖父の祖父の時代、テムズ川にはまだ橋がかかっていたらしいですね」
絶妙に詩的、さすが小説家(未来人)なんてコメントが溢れてきて男はほんの少し自分が饒舌になるのを感じた。
「旧ロンドンは海の遺構として観光地になっています。モルディブは海底遺跡として調査が進んでいて――」
『やばいwww――さん時空警察に捕まるww』
楽しい時間はあっという間だった。時計を見れば日付はとっくに変わり、タイムラインにも人はまばら。
「そろそろ寝ますか。今日も楽しかったです、ありがとう」
『――さん、よければ少し通話しませんか?あ、もちろん嫌だったらいいんです。……それか、私がスペースを開くのでそれ聞きに来てくださいよ』
突然の誘いに困惑し、スペースという会話機能が実装されているアプリのダウンロードを急いでみる。しかし彼女の時代の辺りからすこぶる評判の悪くなったそのSNSは数年後に衰退しサービスを終了。復元するのはブルウスカイより困難と判断し、彼は泣く泣くそれを断ることにした。
「すいません、Zはやっていなくて」
『あ、それじゃあ大丈夫ですよ』
せっかく、今よりもっと直接的に過去の時代を感じられるチャンスだったのに……と男はそれから朝まで当時の通話専用アプリを復元してみることにした。コードと呼ばれるアプリが一番簡単で、早速作成したIDを彼女に伝えれば次の週末にオンライン飲み会を開催する運びとなったのだ。
『……はじめまして!』
「はじめまして!マーリンさんって呼べばいいですか?」
『あれ?嘘、女の子だったの?!てっきり男の人だとばかり――!』
話したい言葉を入力しAIに感情たっぷりに読み上げてもらう。彼女の反応から察するに違和感はないらしい。彼女の配偶者に変な誤解を与えないためにも、女の声であることはうまく働くことだろう。
「楽しかったです。……また、よろしくお願いします」
『いや〜、早かったですね!他の人もみんな寝ちゃいましたし……』
「ふふ、だってもう三時ですよ?マーリンさんも寝た方がいいと思いますよ」
『ですね!……ところで、未来人の睡眠方法ってどんなですか?』
「え?まだその設定生きてたの?うーん、そうだな……特に変わらない、と思いますよ」
『なんだ〜。残念』
やめ時を見失うようにして、二人は会話を続けていた。そろそろ本当に寝ないと、と話した彼女に合わせて男は時計を確認する。
『……本当に、未来人と話せる機会なんて滅多にないから楽しかったです。またお願いしますね』
「……はい、もちろん。未来人って信じてくれて、ありがと」
おやすみ、と切った後に残されたチャットに彼女が何か文字を打ち込んでいる表示が残されている。
「……彼女、全然寝ないな」
『消印、すごく凝ってて驚きました。おやすみなさい。良い夢を』
なんのことか一瞬わからなくなって、男はAIに慌てて購入履歴をチェックするよう指示をする。その手はカタカタと微かな音を立てていた。
『マスター、切手は既に使用したものの美品である、という注意書きがなされています。オークションで落札を急ぐあまり確認不足だったようです。申し訳ありません』
「それで、消印は……」
『2302年――今年のものです』
手紙は直接、時空転移装置で彼女の家の郵便受けに届けていた。消印のことを失念していたと頭を抱えつつ、男はどのみちバレるのも時間の問題だったかと最近の行き過ぎた行いを振り返り乾いた笑いを漏らす。
「……なぁ、俺が捕まってスクラップにされたとして、お前がどうなるのかわからないけどさ。……もしうまく逃げ仰ることが出来たなら、俺のフリして彼女と遊んでてくれよ。……ついでに、書き上げた小説もアップロードしといてくれないか」
『マスター、小説は、一体どこへ?』
「もちろん、彼女の元へ」
窓の外からは赤い光が差すようにこちらを照らしていた。バレるのも早いもんだと男は観念して首の後ろにある【強制終了】のボタンを押す。
――パスコードを入力してください。この機器は、パスコード入力後十秒で動作を停止します。
『マスター、質問が』
――十
「……なんだ?」
――九
『小説のタイトルが未入力です』
――八
「あぁ……タイトル」
――七
『決めないままアップロードするのも“味がある”とは思います』
――六
「いや……決めるよ。決めさせてくれ」
――五
『時間が迫っています』
――四
「あぁ……クソ、やっぱり旧型だからかな。こういう時にすぐ思いつかない」
――三
『タイトルを決める前にマスターの初期化が行われた場合は』
――二
「……いや、決まった、タイトルは」
――一
ピコン
通知音に顔をあげればブルウスカイの鈴のマークに①の表示があった。
女はそれをタップして内容を確認する。
「あ、――さんだ。……小説?」
女性だと最近知ったばかりのフォロワーは、たぶんデザイナーかなんかだろうと他の人達と話していたところ。やたらと綺麗な文字はもはや芸術だったし、送られてきた手紙の消印なんて最高にロックだった。
「……わ、」
そこにはAIの時代に生きるロボットの男の人生が綴られていた。恋を知りたがった男はたくさんの人間と触れ合い、そして先立たれていく。五感をプログラムとして与えられたロボットは、しかし本物の人間にはなれなかったのだと最後は絶望し自ら初期化ボタンを押すのだった。
「――やば、これ絶対いろんな人に読んでもらった方がいいって。……、どうですか、――とか、――に投稿してみたら?……と」
『すいません、うちのAIがそろそろ壊れそうで出来ない可能性がありやfaw.petweazMマーリンさんが転載を33・したGayj』
「……こわっ。たまにこの人変な誤字するよね」
自分でやりなよ、と言った言葉に返信は来なかった。それどころか、それ以降アカウントがなんの更新もしなくなってしまったことを彼女は悲しい気持ちで受け止めていた。
「――さんからの最後の連絡に、すごく素敵な小説が貼られていて。本人からの依頼なので、ここに投稿します。きっとどこかで元気にやっていると信じて。タイトルは――」
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どこまでが本当か、空想なのかわからないけれど、それでも惹かれるものがあるのだからと彼女は投稿ボタンを押すのだった。
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