第二話:三つの手紙と五つの嘘(前編)


一章『木崎響――カスミソウ・一つ目の嘘』



「ちょっと聞いてよ!これ!どう思う!?」


机に投げつけられたのは白い封筒だった。

中には便箋、そしてカスミソウの押し花が一輪。


そこには、一言


『嘘つきは誰?』


そう書かれていた。

目の前で仁王立ちするのは木崎きざきひびき先輩、三年生だ。


自称『学院一カワイイおんなのこ』


今年四月、三つ子ダンス動画が百万再生を超えた、学内の超有名人――出待ちまで現れて、削除か廃部かを迫られた結果、泣く泣く消したと言う。そのダンスのすごさを、ケイが嬉々として語ってくれたことがある。


しかも、双子のかなで先輩、擬似三つ子のうた先輩と三人で付き合っているという。一対一でないお付き合いとは、どう言うことなのだろう?


そんな響先輩は、高めのツインテールに校則ギリギリのメイク。いわゆる“地雷系女子”。そう形容するのが一番早い、そんな人物だった。


付けまつげと短いジャンパースカートが幼さを引き立てていた。

眉根を寄せ、感情を隠さない表情は幼くも見えるが、それが人気の一端らしい。


わたしがそんな風に品定めしていると、手紙を読み終えた雪乃先輩が、指に挟んで手渡してくれた。


「これは、嫌がらせ……なのでしょうか?」


封筒は購買部で売られている艶のある白。

ラブレターとして使えば、成功率が高まると噂されているものだった。


筆跡は角ばっていて、差出人を隠しているようだ。

きちんとポストに投函されたらしく、消印は学校最寄りの郵便局だった。糊のはみ出し一つない、丁寧に閉じられた封筒は、上部が無遠慮に引き裂かれていた。


響先輩の奔放さを、物語っているようだった。


中には一言、


『嘘つきは誰?』の文字が書かれた一枚の紙。

コピー用紙を丁寧に切り取り便箋にしてあった。

送り主は、几帳面な人物らしい。


わたしはひとしきり手紙を見ると、音をたてないようにテーブルへ滑らせた。


「カスミソウの花言葉……」


「感謝、無垢、純粋な心……だっけ?」


口にしたのは、思いがけず響先輩だった。


「私には全然似合わないよね」


響先輩はカスミソウを指先で軽く回した。

確かに黙っていれば、絶世の美少女に見えるかもしれない。


「花言葉の“無垢”は実に響さんらしいと思います」「“嘘つき”と“花言葉”はどう関係するんでしょうか?」


「たとえば、無垢ゆえの嘘……でしょうか?」


雪乃先輩は誰に言うでもなくそう呟いた。


「こういう手紙って前にも?」

「んにゃ、全然」


響先輩の短い返事のあと、揺れるツインテールだけを目で追った。


「嘘……送り主の心当たりは?」

「んにゃ、全然」


響先輩は同じ返事を繰り返すと、再びカスミソウを回した。


「差出人みっけてよ?指紋とか、聞き込みとかあるでしょ」


雪乃先輩を、警察か何かと勘違いしているらしい。


「指紋調査ですか。お望みならやってみますよ」

先輩が笑顔で応える。二人が意気投合しているのを見て、胸がざわついた。


「やるじゃん!」


話の早さに、響先輩の声が弾んだ。


「私は良いんだけどさ、奏と詩が気にしちゃって」


「特に奏が絶対に相談に行って!なんてさ」


「まあ、あの子らしいっちゃ、そうなんだけど」


天真爛漫な響先輩の表情に、心配とも慈愛とも取れない微妙な影があった。この人もお姉さんと言う事だろうか?


「でも、犯人さんの指紋がわからないと照合は難しいですけどね」


そもそもベタベタ触ってるから、あなたの指紋ばかりだけど、とわたしは思った。


「そういうもん?ま、とりあえずよろ」


雪乃先輩は、一度だけ頷いた。


「お心当たりはありますか?」

「あるっちゃあるけど、ないっちゃないね」


曖昧な返答に、雪乃先輩がかすかに首を傾げる。


「私は響さん達の関係を伝聞でしか知らないので」


「デンプン?芋が今、関係あるの?」


「うふふ、聞いた話でしか知らないので、教えていただけますか?」


「はいはい」


「私と奏、ずっと仲良くてさ。告白とかも、結構されるんだけど、片方だけ付き合うと、ぎくしゃくするでしょ」


「フリーはフリーで、姉妹で付き合ってる、とか変な噂立つし。奏もそれ嫌がって」


「そしたら詩が、私たち二人と同時に付き合いたいって言うわけよ、変な子だなぁって思ったけど、奏が嬉しそうにするから、まあいいかって」


響先輩の言葉は、自分本位のようでいて妹への優しさが確かにあった。


「話題にもなるしね。ダンス部の」


照れ隠しのように、響先輩は付け足した。


「響さんは、お二人のどんなところが?」

「付き合うのとか、奏が全部決めたからなぁ。まあ、私に似てかわいいとこかな」


「雪乃……呼びづらいね。ゆきのんでいっか。ゆきのんは二年ならトップビジュだと思うよ。でもね、三年は私達が一番。そう思うよ」


ツインテールを指で撫でながら、響先輩は言い切る。


「響さんたちの次にランクインとは、光栄ですね」


雪乃先輩はまた嬉しそうに笑った。それがなんだか悔しくて、また胸にかすかなおりが積もる。


「まあ、ゆきのんも相当いい線行ってるからさ。落ち込む事はないよ。でも、タイプじゃないんだ。ごめんね」


「あら、振られてしまいましたか。残念です」


また、くすくすと楽しそうに笑う雪乃先輩。


どう考えても、雪乃先輩が一番だろうに。

わたしは、心の中でそう唱えた。

楽しそうな二人の輪に入れずに遠巻きに眺めながら。


「響さんたちのダンス動画、良ければ見せていただいても?」


響先輩は携帯を取り出すと、雪乃先輩と顔を寄せる。雪乃先輩は熱心に魅入っている。時折、感嘆の声が漏れてなんとも愛くるしいのに、心がざわついた。


「神ダンスって、書かれるだけの事はありますねえ。この数字が閲覧数、なんですか?」


先輩は、いちじゅうひゃく……と指さし数えている。


「奏は、いつも丁寧でポーズも綺麗なんだ。ほら、こことかさ」


「詩さんは、奏さんとすごいシンクロですね」


「奏は完璧主義で、部でも結構厳しくてね。自他ともに。詩もいいセンスだよね。合わせるの上手いし。技術だけで言えば、二人は私より上だね」


「でもリーダーは私」


自信満々な響先輩と、感嘆しきりの雪乃先輩。


響先輩がいなければ、この先輩を動画に撮りたいと感じた。あどけない無防備な顔に、そんなことすら思ってしまう。


数週間前に、鋭い表情で警察に連絡していた人と同一人物とは思えなかった。

雪乃先輩と響先輩は、ますます距離を縮め、まるで恋人同士か本物のアイドルユニットのようだ。

お似合いの二人。


胸が締め付けられる。その瞬間、自分が無意識に自惚れていたことに気づく。


この人の隣は自分の場所だと、いつの間にか勝手に決めつけていたのだ。


それを認めたくなくて、心の中だけで、彼女を呼び捨てにすることにした。自分の小さな自尊心を守るために。


雪乃先輩をタイプではないと言った響の言葉を、何度も反芻して安心しようとする自分が嫌だった。

誰にも気づかれないようにそっと前髪を触った。


すべてを見透かすような目で、雪乃先輩はわたしを見つめている。


「さっきも言ったけど今回もね、実はあたし、どうでもいいんだけど」


「奏が、結構気にしちゃってね?」


「そうなんですか?」


ダンス動画のマネだろうか?

無意識に手を動かす先輩。


「んで、ちゃんと相談に行ったか、後で確認するって言うもんだからさ。あの子は昔からそういうところあるから。私がしっかり気を配ってあげないと、っていうか」


妹の事を心配する響の顔は、今までで一番可愛らしく見えた。わたしに見つめられていたのが、照れくさかったのか、サッと立ち上がる。

バッグのマスコット、短いスカート、そして高い位置のツインテールが順に揺れた。


「んじゃ行くね」

「一応、嘘にならない程度に、ね?」

「サラッと表面だけでもいいから」

「頼むよ」


この白い封筒が、三人の、わたしたちの心を深く貫く事になるとは、まだ誰も知らなかった。



二章『ロザリオは銀の輝き』



雨が、司書室の奥まで染み込んでくる。

それはまるで、届かなかった手紙に染みついた、誰かの涙のようだった。


雨粒が窓を滑るたび、白い封筒の光沢が頭に浮かんでは消えた。部屋に残った雪乃先輩とわたしは、言葉なく窓の外を眺める。湿気に乱れる前髪をそのままに、先輩は口を開いた。


「すごく面白い人だったね。ダンスもすごかったし」

「わたしは……なんだか疲れちゃいました」

「ああいう人は、苦手そうだもの」


「そ、そんな顔に出てましたか?」


先輩にわたしの醜い心がばれないように、慌てたフリをして答えた。


「少しだけ。でも私以外には分からないから大丈夫よ」

「きっとね」

雪乃先輩は穏やかに言った。


「私は……響さんのこと、気に入っちゃった。私のこと趣味じゃないんだって。うれしいな」


先輩はカップの縁に指を滑らせながら、笑った。


「わたしは……」


どう答えても、実質的な告白になってしまう。そう気づいて話題を変えた。


「もし嘘つきが三人の中にいたとして、響先輩は違うかなって、思いました」


「そう?正直な人でも、嘘に助けられる時があるんじゃないかな」


雪乃先輩の曖昧あいまいで難しい返事に混乱してしまう。


正直者は正直者ではないのだろうか?


「妹の奏さんはどんな人なんでしょうか?」


わたしは響の性格を思い出した。

あれがもう一人と思ったら、怖くなってしまう。


「私……なんだかドキドキしてきちゃった。うたさんも興味あるな」


先輩は少し楽しそうだった。


わたしたちは、下校前に封筒の出所を調べることにした。購買部は図書室の下、渡り廊下にある。

階段を降りると明かりが見えた。狭い室内は、数人の生徒が買い物をしている。


先輩とわたしに向けられたその視線は、ほとんどが刺すような鋭さ。けれど、応援の眼差しもいくつかあって、心が少し軽くなった。

雪乃先輩は特に気にした様子もなく、文房具の調査を始めている。


手にしているのは、響が持ってきたものと同じ封筒。

手紙の投函者は、おそらく学内の人間だろう。

清心館で売っている封筒を特定して、外で入手するなんて手間がかかりすぎる。わたしはそう考えた。

他に何かヒントがないか、購買を物色する。


そういえば、ここにはロザリオが売っているんだっけ。中学三年の頃、わたしにこの学校を勧めてくださった先生は、清心館の卒業生だった。


先生の柔らかい指先。

微笑みながらそれを爪繰つまぐるのを見ているだけで、心が落ち着いたことを思い出した。


入学後すぐ買うつもりだったのに、色々あってタイミングを逃してしまっていた。


雪乃先輩が、小さく手招きをする。

何か事件のヒントを、見つけたのだろうか?

そう思って近くに行くと、スカートのポケットから光る何かを取り出した。


それは、小さなロザリオだった。

淡い光沢が二人の手元を照らす。

細く長い指が指し示す方向を見る。

同じデザインの物だ。


雪乃先輩はそれをポケットにしまうと、すっと離れて行った。


迷わず、わたしは同じものを購入した。先輩が自分とお揃いにしようと、わたしだけに教えてくれた事が嬉しくて。千円程度の物なのに、価値の計り知れない聖遺物のように感じる。

握っているだけで、不安がほどけていくようだった。


でも、こんな風に思ってるのはわたしだけだろうか?

喜びと苦しさが、交互にやってきては消えてゆく。


買い物を終えたわたしたちは、いつもの坂道を二人で降りていく。降り出した雨が、アスファルトの上で跳ねた。雨の匂いが坂道を埋め、街灯の光が水面に揺れていた。


下校時間をだいぶ過ぎているため、歩いている生徒たちもまばらだ。先輩にお願いして、二人で帰る時は帰宅の時間を遅らせてもらっていた。あんなに偉そうな事を言ったにもかかわらず、だ。


やはり周りの生徒たちの視線が、気になってしまうから。


雪乃先輩はこのお願いをした時、言葉を探すように軽く唇を結んだ。


「ゆっくり一歩ずつってことよね」


そう言ってわたしの意思を尊重してくれた。

帰り道、ポケットの中のロザリオをそっと確かめる。握る指先から、不安がゆるやかに溶けていくようだった。


周囲の目を気にせずに隣を歩きたい。その気持ちをロザリオに託した。


日ノ宮ひのみや雪乃ゆきのさん。ごきげんよう」


揺れるツインテールが薄明の色に映えた。

曲がり角の薄闇に、影が佇んでいた。

その姿にカスミソウと同じ、色のない想いが宿っている気がした。



三章『雨中の告白――奏』



その姿は響を映した鏡だった。

けれど、その瞳の奥にあるのは別の物語を求める、切実な魂の模様だった。


木崎きざき……かなでさん?」


奏さんは、何かを言いたげな様子で先輩をじっと見ている。わたしの事は眼中にないかと思えば、視線がじわりとこちらを探った。慌ててわたしは、先輩の後ろに身を寄せた。傘が触れ合って、水滴が弾けた。


「あの手紙をね……出したのは私……」


唐突な告白だった。

奏さんはレースの傘を回しながら、囁き声で告げた。その仕草はカスミソウを回す響と重なった。


目を伏せた先輩の指先が、乱れた髪をそっと撫で続ける。


衝撃を受けたのはわたしだけで、先輩はこれを予期していたのだろうか?笑顔なのに、目は笑っていない奏さんは続ける。


「明日はね、うたがきっと伺うわ……」


その予告は、わたしの胸の奥に冷たい針を突き刺しながら、もっと大きな痛みを予感させた。


「どうして、こんな事を言うと思う?」


先輩は、まっすぐに奏さんを見つめたけれど、何も言葉にしない。


「もちろん、これも全部嘘で……手紙に書かれた嘘つき、それは私かもね?」


奏さんは傘の影に表情を隠し、低く落ち着いた声を響かせた。


「あなたにね……雪乃さん。私の想いを解き明かして欲しいのよ。推理……好きって、そう聞いたから」


それだけを言うと、ツインテールを指に絡ませながら、奏さんは水たまりに足音も立てずに立ち去った。


その仕草は、驚くほど響とそっくりだった。

けれどその後ろ姿は、胸の中の引き裂かれそうな痛みを、必死に押さえているようだった。


奏さんの衝撃の告白の帰り道、隣を足音もなく歩いていた雪乃先輩は急に口を開く。それは、今回の奇妙な三つ子とは関係ない話題だった。


「雲が低いね、本格的に雨続きになっちゃうかな」


先輩は耳にかけた前髪を払った。


わたしは、先輩の髪に触れたい衝動を、胸の奥に押し込めた。伸ばしかけた手を引き戻すと、ブラウスの襟を整えた。わずかに袖が水滴を受ける。その染みはわたしの心の中の邪さのようだった。


「雨は嫌いじゃないの。カフェではテラス席に行くのが好き。いつの間にかね、好きになってた。いつからだろう?」


独り言のような、先輩の独白。その言葉に胸を射抜かれてしまった。遠い目をした横顔は、霞のように儚くて、梅雨空と共に消えてしまいそうだった。

さっきまでの張り詰めた雰囲気は、もうなくなっていた。


気づくと、住宅街に入る路地が目の前だ。


大きな道路をつなぐ歩道橋の分かれ道。

先輩との下校もここまでだ。わたしは中学の時も、この歩道橋を使っていた。毎日一人で、ここから見る夕日が好きだった。でも、先輩と帰るようになって、この場所が少し寂しくなってしまった。


一人がいいと思う時も多いけれど、やっぱり一人は嫌だな、そう思ってしまう。


三人も、同じ気持ちなのかもしれない。


「また明日!」


一礼をして歩道橋に足を向ける。


「また明日ね」


先輩は普段と同じ声、同じ笑顔でわたしを見つめている。あの夕暮れの日以来、二人の関係はほとんど進展していないと気づく。


そもそも進展するような、関係じゃない。

わたしと先輩はただの友達なんだから。


でもわたしは、どうしても――そうしたくなった。


振り返って、先輩の手を握った。


歩道橋の階段を一段飛ばしで駆けあがって、上から小さく手を振った。ここからだと距離があって表情がよく見えないから。雨に反射した車や街灯が、雲間の光がわたしの心を隠してくれた。


けれどその瞬間のぬくもりを、このロザリオと共に、ずっと胸にしまい込んでおこうと決めた。



四章『中村詩――アネモネ・二つ目の嘘』



その翌日。


司書室の扉が開いた瞬間、空気が変わった。

入ってきたのはまるで舞台から客席へ降り立ったような人だった。


中村なかむらうた先輩が、奏先輩の予告通りに現れた。


詩先輩の手には一通の手紙。


昨日の奏先輩の表情を思い出して、わたしは声が出そうになる。


中には、ただ一行――


『嘘つきは誰?』


同じ言葉でそう書かれていた。

昨日の響宛のものとは異なり、細かな皺が走り、糊の跡が封筒の端から滲んでいた。

縁はもう乾き切って、紙だけがわずかに波打っていた。

一度開封され、再び貼り直された痕跡だとはっきりとわかる。


そんな封筒の上部を、ペーパーナイフで慎重に開いていた。それは想い人からの手紙を扱うような美しさで、詩先輩の人柄が滲んでいるようだった。


「これ、今朝ね、下駄箱に入ってたの。封は一度いじられてたから、上をナイフで切ったんだ」


昨日の帰り道、奏先輩は『出したのは私』と言った。

もし、それが本当なら、貼り直したのは奏先輩の仕業なのか。雪乃先輩は封筒の端をじっと見つめ、


「糊は最低でも一晩は置かれています。しっかり乾いています」


わたしの考えを裏付けるようにそう言った。

詩先輩は一瞬、貼り直したのは自分と思われたことに気づいたようだった。けれど、わずかに顔をしかめただけで、何も言わなかった。


でもどうして、封筒は貼りなおされたのだろうか?


皺だらけの封筒に、貼り直した縁。

使い古された紙肌と、二度目の封。

再利用の痕だけが残っている。


考えがまとまらなかった。

封筒の縁をなぞっていた指が、ふっと止まる。

手紙の他に、また押し花。


アネモネが一輪、静かにそこにあった。


花言葉は『儚い恋、見捨てられた、君を愛す……』だったろうか?


詩先輩が誰かを見捨てたのだろうか?それとも、誰かに恋していたということだろうか?


封筒のことも、アネモネも、単なる推測。証拠は何もない、わたしは自分に言い聞かせた。


でも、昨日のカスミソウよりは、嘘つきという言葉に相応しい、そんな気がした。


手紙から、視線をゆっくりと詩先輩に向けた。


事前に知らされてなければ、三つ子と見間違えたかもしれない。それくらいの完成度。一流の役者を目の前にした時の衝撃は、こういう物なのかもしれない。


「詩さんはどこでお二人と知り合ったんですか?」


雪乃先輩は柔らかい口調で聞いた。


「ダンス部の動画バズったやつ!特定されたっしょ?」


響の真似。


「それでね……?うちの学校だってなって、すぐ見に行ったんだ」


次に奏さんの真似。


「名前も似てるでしょ?初めて二人に会った時、三つ子みたいって感動しちゃって。特に奏のダンスがね。音楽が目から入ってきたみたいで。泣いたね」


最後は、詩先輩自身……だろうか?


一瞬で三人を切り替える。


唖然とするわたしは雪乃先輩と目を見合わせる。

昨日に続いて、先輩がここまで驚く姿を見れるなんて。


詩先輩の存在感は、双子とはまた違った種類だった。

わたしは何故かその姿から、目を逸らすことができなかった。一通りわたしたちの反応を楽しむと、詩先輩はふっと息を抜いた。


「私、一人っ子でさ。響と奏を見た時。こんな可愛い子が二人もいるんだって。気づいたら、交際申し込んでた」


「二人も驚いてたけど、自分が一番びっくりしちゃったよ。おかしいよね。私。こういうの一目惚れっていうのかなあ?」


やはり、これが素の話し方なのだろう。


「双子のダンスにシンクロするのが、最初は苦労して。人から見たら意味のない事が好きなんだよね。自分でもバカだなって、思うんだけど」


「告白もね」


わたしはなんとなく詩先輩に、共感をしてしまった。

無茶なことをしたのは、わたしも同じだったから。


「最初は……どんな感じだったんですか?」


そんな思いが、口から出てしまった。

詩先輩はわたしの方を見て、にっこりと微笑んだ。


「私がね、奏のダンスとメイクを完コピして会いに行ったんだ。そしたら、奏がすっごい喜んでくれて」


詩先輩の表情に愛情が滲んでいた。


「こんなに良くしてもらったのは初めて。なんて言うんだよ。それで響の事も説得してくれたんだ」


「大げさだよね」


詩さんは、何でもないように笑った。


「それで二人の側にいたら、双子って言ってもやっぱり全然違ってて。今はね、ダンスは奏、見た目は響って感じにしてるの」


「でも、奏が結構怒ってね。推し変なのか、だって」


また詩さんは笑った。今度は少し寂しそうに。


「お手紙の件、心当たりはありますか?」


雪乃先輩は言った。


「心当たり……ねえ」


「響はどうせ、あるっちゃあるけど、なんて言ったんじゃない?響らしいよね。まあその通りなんだけどね」


目を伏せる詩先輩の表情は読み取れなかった。


「心当たりってわけじゃないけど」

「私たちの関係を不快だって思ってる人は、やっぱり多くて。でもさ、今時の、多様性ってやつ?を考えてよ。好きな人が双子でさ、片方を選べない時って、そのまま諦めないといけないのかな?」


「まあ諦める――方がいいんだろうけど、ね」


「双子ならずっと一緒じゃない?私、二人が羨ましいのかも」


詩さんの本音が溢れたようだった。

自嘲気味に詩先輩は笑みを浮かべた。


「契約恋愛のことは聞いてる?」


「響は、言わないか。私たち三人は、それぞれを平等に扱うっていう、決まり事があってね」


雪乃先輩の目が光ったように見えた。


「確認ですが……、その『契約』例外は一つもない――そう理解してよろしいですか?」


「もし誰かを“一番”に選べば、契約はそこで終わる……」


雪乃先輩は囁くように付け足した。


「特に取り決めはないけど……今のところ、うまくやってるよ」


詩先輩は困ったように言った。


『契約恋愛』


もし、雪乃先輩がわたしにゲームとして、遊びとしてなら付き合ってあげる。そう言われたら。

詩先輩みたいに割り切れるだろうか?


それでも良いですって、

泣きながら懇願しているわたし?

そんなのは嫌だと反発する自分?

どちらの未来も、くっきりと目に浮かんでしまった。


窓の外、低く垂れた雲は、わたしの心を覆っているようだった。


「詩さんは、この件はどうしたいんですか?」


先輩の質問。


詩先輩は口元に手を当ててしばらく考えてから言った。


「私は――響と同じかな。時間に任せて忘れるでいいんだけれど。雪乃さんなら、簡単に犯人みつけちゃうのかもだけど」


真相がわからないほうが良い。そんな口ぶりだった。


「差し出し人に心当たりはありますか?」


「響にフラれた子なら、たくさん知ってるけど。だからって、こんな事までする子は、いないかな」


「カラッと無理って言うからね、響は」


「誰かにすごく恨まれてる。そんな話は聞いたことないかも。それに響にフラれた腹いせに、こんな手紙を出したのか?って」


「そんなこと、聞いて回るわけにも……ね」


「詩さんは、お二人を選べるとしたらどちらとお付き合いしたいですか?」


雪乃先輩は言った。


「あはは、それは言っちゃダメだよ」


急な問いに、わずかに本音が漏れ出たようだった。

詩さんは『二人を平等に愛している』『選べなかった』そう言った。


そんなことができるのだろうか?もしできるとしたら、どんな気持ちなんだろうか?


「失礼なことを聞いて、ごめんなさい」

「響さんのことはわかりました。奏さんと、詩さんに関してはどうですか?」


「ああ、私はこんなだから、誰も気にも留めないよ。認めてほしいって、思うことはあるけど」


詩さんはためらってから続けた。


「奏は、そうだね、響が好きだった子と付き合うことになったんだけど、結局うまくいかなくて。しかも、仲良し三人組だったって言うから……」


「それに、響とその子がホントは両想いでって」


「昔のことだけど、いまだに引きずってるみたい。いや、本人いないとこで言うこっちゃないね」


「忘れて」


「契約恋愛なんて言い出したのも、それがきっかけみたい」


「でも三人になってからは、生き生きしてて、ダンスもさらによくなってね、元気一杯だよ」

「私も楽しいしね。居場所があるって、良いよね」


「雪乃さんと……ええと如月さんだっけ。あなたたちならわかるんじゃない?」


そう締めくくった。


わたしは急に話題を振られたことに少し驚きながら

奏さんのことを思い出した。元気?なのだろうか?


あれが?


遠くで雷鳴が鳴った。


嵐はまだ来ない。それは三人の心を静かに待っていた。



五章『その嘘は誰のもの?』



まるで、観劇後の余熱が、まだ司書室に残っていた。

「詩さんはすごい人だったね」

先輩の口調の中には、感嘆と、寂しさが溶け合っているようだった。


「髪だけでも伸ばしましょうか?」


寂しそうな先輩を見て、思わず呟いてしまった。


「萌花ちゃんが目隠れヘアじゃなくなったら」


「私、嫌だな」

雪乃先輩は一拍おいてから

芝居がかった大きなため息をついた。


「す、すいません」

「詩先輩は嘘つき……でしょうか?」


わたしは話題を変えた。


「もかちゃん、詩さんの事、結構好きそうだったね」

「そうですね。努力する姿に惹かれたのかもしれません」

「好きな人に振り向いて欲しくて……そんな事まで出来ちゃうんだなあ……って」


「わたしには無理ですから」


「あら、ショック、もかは私のためになんでもしてくれないの?」


二人きりの時、時々こうして呼び捨てにしてくる先輩。文句を言う度に、わたしが最初に呼び捨てにしたことを持ち出してくるのだ。


でもこれは、わたしが勝手に恥ずかしがってるだけ。


「先輩のためなら何でもできますよ?」


衝動的に口走ってしまった。一歩でも関係を進めたくて。


そんなわたしに、先輩は楽しげに微笑むと、一歩近づいてドンっと壁際に追い込んだ。


上目遣いの瞳は、何かを待っているようだった。


「キ、キスとかは無理ですよ。無理……」


そう言いながらも、きつく目を閉じてしまった。

先輩の微かな息遣いが伝わってくる、続けて、指と髪先がわたしの頬に触れた。

何も起こらないままの時間が過ぎた。


「じゃあ、何なら……してくれるの?」


先輩は拗ねた声でそう言った。

薄く目を開くと、先輩は顔を逸らして、頬を膨らませている。

その表情は読み取れない。


「えっ、いや、山に――埋める手伝い、くらい」

「でしょうか?」


わたしは、とっさに口にした。


「カプサイシン……忘れないでね」

「え」

「カプ……トウガラシ?何に使うんですか?」


「野犬が掘り返しちゃうんだって、漫画で読んだの」

「何の話ですか」

「漫画の話かな?」


二人で声を出して笑った。


でも、もし先輩が、笑顔で、あるいは、泣きながら、一緒に手伝って……

手を血に染めて、そう言ってきたなら――

わたしは必ず手伝う。確かな予感があった。

そんなわたしの心を読んだかのように、先輩は言った。


「もかちゃんは愛する人を肯定して止めない、そういうタイプなんだねえ」


「わたし、世界の事がどうとかあんまり気にしないのかもしれません」


「だって知らない人ですし」


遠くの知らない誰かよりも、近くの大切な人を大切にしたい……というのは変だろうか?自分勝手かもしれない、とは思うけれど。わたしはどこかおかしいのだろうか?


雪乃先輩は、考え込むわたしをさらにかき乱すことを言ってくる。


「でもね、もかちゃん、その『知らない人』が……誰かの大切な人だったりしてね」


「それが巡り巡って――」

「もかちゃんが好きな人の」

「大切な人だったらどうする?」



わたしは、言葉に詰まってしまう。

でも、そんなことを言ったら何も――

生きていくことさえ、出来なくなってしまうのではないだろうか?


「ごめんね、いつも意地悪して」

「もかちゃん可愛いから。すぐいじめたくなっちゃうの。さ、帰りましょ」


先輩は笑いながら鞄を手に取った。


「もしもの時は呼ぶからね。約束」


その声は冗談めいていて、それでいて本気にしか聞こえなかった。

先輩の言葉を受け止めきれないまま、胸の奥にざわめきが残っているのを感じた。


何か言おうと口を開きかけて、慌てて視線を落とす。

頭の中には先輩の声ばかりが反響して、考えがうまくまとまらない。


気持ちを切り替えたくて、無理やり封筒と押し花の違っているところを思い浮かべてみる。


一通目。

はみだし一つない、綺麗に閉じられた封筒。

乱暴に開封されていた。

入っていたのはカスミソウ。


二通目。

貼り直しをされて皺だらけ。

丁寧にナイフで開封されていた。花はアネモネ。

封筒が、花が。何かを語っているのだろうか?

奏さんと二人の関係?


封筒は――新品とお古。その違いは、紙の中にだけ残っている。


三通目。

今はまだわからない。

けれど、また白い花が……



いつの間にか先輩はわたしを見つめていた。


「嘘つきを暴くなら、同じ封筒を同じように送れば良いだけなのにね」


その呟きは、わたしの胸に小さく刺さり、雨粒のように広がっていった。



六章『二人の傘の距離』



昇降口でシスターとすれ違う。

初めは目新しかったその姿も、数ヶ月で風景の一部になっていた。


シスターは、先輩がクラスに顔を出すようになったことを、心から喜んでいるようだった。

先輩が新しい一歩を踏み出す、その小さな手伝いを、わたしも一緒にできたら――そんなふうに願った。


そのあとの帰り道は、どこにでもある学生の会話に終始した。先輩は何故か、ケイの話を聞きたがった。

面白い話は特にないですよ。そう言うわたしの言葉を、面白がってくれた。


わたしも先輩のクラスでのことについて聞いてみた。けれど文芸部の二年生、アリサ先輩と同じクラスだということ。聞けたのは、それくらいだった。


買ってから、肌身離さず持ち歩いているロザリオをポケットの中で撫でた。


本降りの雨に傘を差す。

もう一歩近づきたいのに、傘が触れ合って離れてしまう。二人の距離は遠く、当てつけのようで司書室を思い出してしまう。


雪乃先輩は目を伏せたまま、わたしの隣にそっと滑り込んだ。


「これで、声がよく聞こえるね」

わたしにしか聞こえない声でそう言った。

跳ねる鼓動が、届きそうな距離。


わたしは気づかれないように、軽く傘をかしげる。

こんな時ばかりは、自分の背の高さに感謝した。

優しく、柔らかな雨が肩を濡らしても、それさえ心地よく感じた。先輩は少し照れながら寄り添ってくれた。


肩越しに、先輩の温もりが伝わってきた。


足元を見ると、水たまりに映るふたつの影が、ゆっくりと重なったり離れたりを繰り返している。

昨日、奏先輩が声をかけてきた分かれ道と同じ場所。


一つ傘の下で、先輩と短い時間だけれどお話ができた。


昨日の不安を、出来事を洗い流すように。


「梅雨が明けたらどこかに行きましょうよ」

先輩の言葉に、わたしは嬉しくて胸がいっぱいになる。指先がロザリオをなぞり続けた。銀の表面は冷たいけれど、先輩との繋がりを感じるたびに、わたしの心はいつも温かくなる。


もちろん、デートなんかじゃない、そんなことはわかっている。


けれど、それはわたしの気持ち次第だ。


わたしにとって初めてのデート。


お小遣いを貯めておかなきゃ。お母さんにも相談してみよう。理由もなく涙が頬をつたう。


先輩にばれないように左手で涙を拭った。


――さっき、キスしておけばよかった。


もう一度涙が頬をつたい、急いでそれを拭った。


先輩と別れた後の足取りは、重かった。

早く帰って制服を乾かそう。そう思っていると、後ろから人の足音。先輩がもしかして、と思って急いで振り返ろうとした時。


「ねぇ、あなた」


背後から聞こえた冷たく凍える声。

振り向くと、奏先輩が立っていた。

奏先輩の視線には、得体の知れない敵意があった。


「如月さん……だよね?」

「そう、ですけど……」


さっきまで味方だった雨が体を芯から冷やしていく。


「あなたが日ノ宮さんの、今の遊び相手?」


「恋人ごっこ楽しかった?」


「モブとしては最高の栄誉でしょ?私もあなたくらい、お気楽になれたらよかった」


二人で過ごした時間を、見られていた。

その事実は、わたしの心臓を締め付けた。

分かってはいた。でも他人の口から聞きたくなかった。


この人は、何も関係ないのに。


「本気にしちゃだめよ?」


「あの人が、あなたみたいな普通の子を相手にすると思う?……それとも、私みたいに、自分を見失っちゃった?」


奏先輩の瞳に、底知れない悲しみが揺れていた。


「あなたと雪乃さんの嘘……」

「それも、私が暴いてあげるわ」

「――明日、司書室で。手紙を三通並べてね」


奏さんは、わたしの視線を楽しそうに受け止めている。昨日と同じように傘を回しながら去ってゆく。


足元を見ると、おろしたばかりの白い靴下に泥のシミがわずかについていた。

染みは広がり、消えない跡を残している。

その予感が怖くて、わたしは逃げるように歩き出した。

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