灰より願う、炎に堕ちた二人
ゆりんちゃん
序章:謁見の間の断罪劇
陽光がステンドグラスを通して床に幾何学模様を描く、王宮の謁見の間。
国王が玉座に座し、居並ぶ重臣たちが見守る中、異様な緊張が場を支配していた。
その中心に立つのは、第一王子アルフォンス。彼の隣には、庇護を求めるように寄り添う男爵令嬢エリナ・クローディアと、王子を支持する数人の若い側近貴族たちがいた。
そして、彼らと対峙するように、たった一人で静かに佇む公爵令嬢がいた。リディア・アルデリーネ。彼女の表情は、美しい磁器の人形のように、一切の感情を映していなかった。
「リディア・アルデリーネ!」
王子アルフォンスの声が、甲高く響き渡る。
「そなたは、我が婚約者という立場を笠に着て、心優しきエリナ嬢を虐げ、あまつさえその心を弄んだ! その嫉妬深さと傲慢さ、もはや見過ごすことはできん! この場で婚約の破棄を宣言するとともに、そなたの罪を断罪する!」
王子の言葉に続き、側近たちが口々にリディアを非難する偽りの証言を重ねていく。「夜会でエリナ嬢を罵倒するのを聞いた」「王子との仲を裂こうと画策していた」、と。エリナは王子の指示通り、ただ怯えたように俯き、その告発が真実であるかのように振る舞っていた。
全ての告発が終わるのを待って、リディアは静かに口を開いた。その声は、鈴が鳴るように澄んでいるが、氷のような冷たさを帯びていた。
「……茶番は、それでおしまいですの?」
彼女はまず、側近の一人に向き直った。
「カニンガム伯爵令息。あなたが私とエリナ嬢が口論していたと証言した夜、あなたは王都の正反対に位置する劇場で観劇をなさっていましたわね。こちらに、劇場の支配人が記したあなたのサイン入り来場記録がございますが」
一枚の書類が、ひらりと侍従の手に渡された。伯爵令息の顔が、さっと青ざめる。
リディアは、次の側近へと視線を移した。
「バークレイ子爵。あなたが、私が王子への不満を漏らすのを聞いた、と。それは、あなたが運営する商会への投資話を、我がアルデリーネ家が『将来性なし』と判断してお断りした翌日のことでしたわ。ご自身の個人的な恨みを、このような公の場で晴らそうとなさるのは、あまりに見苦しいのではございませんこと?」
的確に、淡々と、感情を一切伴わずに事実だけを突きつける。リディアの反撃は、熱い怒りではなく、相手の嘘と欺瞞を暴き立てる冷たい刃だった。側近たちは次々と顔色を失い、口ごもった。
そして、リディアの視線が、エリナへと注がれた。その瞳には、憐憫とも好奇心ともつかぬ、冷たい光が宿っていた。
「男爵令嬢エリナ・クローディア。……お労しいこと。王子は、あなたの困窮したお家に、どのような甘言を囁きましたの? 没落した家の再興でも約束なさいましたか? あなたの立場の弱さに付け込み、偽りの希望を餌に、このような道化を演じさせたのでしょう」
最後に、リディアは王子アルフォンスへと向き直った。
「そして、王子。あなたが私を断罪する本当の理由……それは、私があなたの無能さと浪費癖を、再三にわたり父である国王陛下にご報告申し上げていたからではございませんか?」
リディアが合図すると、彼女の従者が分厚い帳簿を国王の前に差し出す。
「王子が近年、国庫から引き出した使途不明金。そのほとんどが、特定の宝石商や賭博場に流れております。その金の流れを、我が家の者がすべて突き止めました。王子、これでもまだ、私の『罪』を問いますか?」
アルフォンスは顔面蒼白となり、わななく唇で何も言い返せない。
沈黙を破ったのは、玉座で全てを見ていた国王だった。その声には、息子への失望と、公爵家を敵に回しかねなかった愚行への冷たい怒りが滲んでいた。
「――もうよい。聞き苦しい」
国王は立ち上がり、厳かに言い渡した。
「アルフォンス、そなたには心底失望した。王子の位を一時剥奪し、離宮での謹慎を命じる。そこにいる愚かな取り巻き共も同罪だ。全ての官位を剥奪し、即刻領地へ下がれ!」
王子と側近たちは、その場で崩れ落ちるように膝をついた。彼らは、リディアを断罪するはずが、逆に国王その人から切り捨てられたのだ。
しかし、裁きはそれで終わらない。国王は、冷然と続けた。
「男爵令嬢エリナ・クローディア。そなたが利用されただけであろうことは察するが、王族への偽証に加担した罪は許されぬ。詮議が終わるまで、その身を王家の牢に預かるものとする」
エリナは、顔を上げた。助けを求めた王子はうなだれ、自分を見ようともしない。結局、弱い者はこうして切り捨てられるのだ。貴族社会の理不尽さを一身に浴び、彼女は抵抗することなく衛兵に腕を取られた。
リディアは、その光景のすべてを、静かな瞳で見届けていた。
計画通り。腐敗した枝は刈り取られた。
その「計画」の始まりは、数週間前に遡る。きっかけは、王子がリディアとの婚約破棄を目論んでいるという、にわかには信じがたい不穏な噂だった。初め、リディアは信じなかったが、念のため父である公爵に報告を入れた。
公爵も半信半疑だったが、最悪の可能性を想定して動く男だった。彼は王と内密に相談の場を設け、噂の実態を知るための調査を秘密裏に開始した。そして彼らは、その噂が本当であるという驚くべき事実を掴む。
その報告はにわかには信じがたいものだった。だが、もし王子が本当にそのような愚行に及ぶのであれば、もはや次代の王として国を任せることはできない。二人は冷徹な決断を下した。――彼を切り捨てる、と。こうして、来るべき日のための事前対策が講じられたのだ。
そうして婚約破棄は実際に行われ、その報いとして王子とその側近たちは失脚することになる。まさに、今日のこの光景の通りに。
しかし、リディアはここで疑問を抱いた。あまりに物事が都合よく運びすぎていることに。王と父が描いたシナリオ通りではある。だが、さらにその裏で、何者かに誘導されているような、予感にも似たものを感じていた。
連行されていくエリナが、一瞬だけリディアの方を見た。
その瞬間、リディアは息を呑んだ。
(もしかして…)
その瞳に宿すのは……恐怖や懇願ではない。燃え尽きた後の灰のような、すべてを諦めきった色だった。
(……私と、同じ色)
それは、リディアが完璧な公爵令嬢という仮面の下に、ずっと隠し続けてきた魂の色だった。正義に裏切られ、世界に絶望した自分自身の本性。それを、あの見ず知らずの男爵令嬢は、隠そうともせずにその瞳に映している。
不快なほど無防備で、それでいて、どうしようもなく惹きつけられた。
リディアは、エリナのその瞳に強烈な興味を抱いた。どことなく自分に似た何か、魂の片割れのようなものさえ感じ取っていたのだ。
あの瞳の奥に宿る絶望の正体を、知らなければならない。
そして、確かめなければならない。あの灰色の奥にも、自分と同じように、すべてを焼き尽くしたいと願う炎が燻っているのかを。
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