朱音の空

冬野輝石

序章 朱音の空

第1話 世継ぎ問題

時は戦国、とある地方の国衆くにしゅうの一つである矢礼家やれいけ

ある問題が持ち上がっていた。


それは矢礼家当主の矢礼政継やれいまさつぐには朱音あかねという娘が一人いるだけで

跡継ぎとなる男子がいないために、お家存亡の危機に直面していた。


当主の政継は矢礼家重臣たちとの協議の結果

娘の朱音に婿むこをもらって嫡男ちゃくなんを産んでもらおうという話になり

今まさに政継は、この提案を受け入れさせるべく

一人娘の朱音を呼び出し、説得にあたらんとしていた。


「父上、お呼びでしょうか」


朱音は政継の前に着座をし、三つ指をついてお辞儀をすると

凛々りりしい表情で真っ直ぐに政継の顔を見据みすえた。


「うむ、話というのは他でもない、当家の世継ぎの問題じゃ

そなたも知っての通り、わしにはそなた以外に子はおらぬ

そなたの母親が亡くなって以降、新たな嫁をめとろうとも思わなんだ

そこでじゃ・・・」


政継の話によると矢礼家の所領と隣接する国衆の空井家そらいけ

代々、矢礼家との関係が良好で、これまでにもなにかと

お互いに持ちつ持たれつで協力しあって来たいきさつがあり


つい先日行われた国衆の会合でも政継は空井家当主の

空井龍也そらいたつなりとすっかり意気投合し、矢礼家の世継ぎ問題の話になると

二人の男子がいる空井家から一人を婿入りさせても良いという話になり


近々、空井家矢礼家合同で行われる鹿狩ししがりの際に

お互いに顔見せをして様子をうかがってみようということになったのだ。


「朱音よ、そなた鹿狩りは大の得意であったな

今度の鹿狩りの折に、わしの供をして空井家の二人の息子

龍高たつたか殿と龍安たつやす殿にうてみよ、まぁ龍高殿は空井家の嫡男ゆえ

もっぱらそなたに相応ふさわしいのは龍安殿になろうとは思うが

まだ二人とも独り身ゆえ、気が合えばいずれでもよいと

龍也殿も申しておられる、いかがじゃ」


「はっ、父上のおおせとあらば何処いずこへともお供いたしまする」


朱音は再び三つ指をつきながら政継の命を引き受けた。


「うむ、では下がってよいぞ」


朱音は自分の部屋に戻り、静かに着座すると

誰もいない部屋の中で言葉を発した。


「ねず、聞いておったか・・・」


「はっ!」


朱音の部屋の天井裏から女の声で返事が返ってきた。


朱音が十三歳になった頃から警護を任されているくノ一、『ねず美』の声だ。


「他ならぬ父上の命じゃ、しかもお家の存亡に関わる一大事

空井家の二人の子息しそく、いかなる者か探ってまいれ」


朱音が部屋の天井に向かって命ずると


「かしこまりました、巳上みかみともない探ってまいりまする」


との、ねず美の返事。


『巳上』は、ねず美が連れて来た忍びの仲間で

共に朱音の身辺の警護をしてくれている者だ。


「ん、巳上もおったのか・・・」


朱音は立ち上がり障子を開けて廊下に出て巳上を呼んだ。


「巳上、おるのか!?」


すると一人のせた男が床下からニョロニョロとした動きで出てくると


「はっ、ここに!」


そう言って、朱音の前にひざまずいた。


すぐにねず美もどこからともなくやって来て、巳上の横に並んで跪くと

朱音は二人に命を下した。


「よいか、絶対にさとられぬように探ってまいるのだぞ

もし気付かれようものなら、何か良からぬくわだてを画策かくさくしていると

疑われかねぬ、両家の関係にもひびが入ろうというもの

くれぐれも気を付けて参るのだぞ」


「はっ!」


ねず美は一瞬にしてどこかへ消え去ったが

巳上はニョロニョロとうような動きで庭から出て行った。


「巳上・・・相変わらず気持ちの悪い動きじゃ」


朱音は巳上の動きを見る度に鳥肌が立つのを覚えていた。

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