生活には困らないけれど何か充されない。そのような想いが育ちや関係の中で熟成され、望郷とコンプレックスへ変容していく。まちの風景は間違いなく暮らしていた人たちの心には残っていて、ニュータウンという完成されているはずの未完成の景観を、満たされているのに充たされていない心情と共に詠み上げられる、この連作。
全体として緩やかな退廃を纏う作品が多く、【もうどうにでも〜】や【百均で〜】、【公園の〜】などには陰鬱とした作者様の心根が見える一方で【ファミレスの〜】や【海がある〜】の心象風景はとても叙情的で、その往来が心に響きました。
特に最後の【ニュータウン〜】の作品が描く望郷は、諦念とも懐かしさとも取れるような、読者へ委ねる余白の美しい一首で、静かな余韻に浸ることができました。
日曜日の朝に素敵な作品と巡り会えて良かったです。
この連作を読み進めていくうちに、自分の中の記憶が静かに動き出した。
「地元とは呼べないけれど簡単に手放すべきじゃなかった居場所」
の歌から始まって、もう心を掴まれている。
誰もが抱える曖昧な郷愁を、こんなに的確に表現できるものかと思った。
「ファミレスも中途半端な星空も記憶の中じゃ変に綺麗だ」
には、思わず頷いてしまった。
何でもない日常が、時間が経つと妙に美しく思えてくる、あの不思議な感覚。
「百均で何でも揃うけどいつも誰かを探すふりをしている」
の歌には、胸がキュッとなった。
本当は誰も探していないのに探しているように装う、
その演技自体が現代の孤独の本質を表現していると感じた。