混濁

富良原 清美

混濁

⚠本作はCoC7『帯切橋』(七伏市奇譚)の二次創作です。当シナリオのネタバレを多分に含みますので、少しでも今後遊ばれる予定がある方はブラウザバックを推奨いたします。


⚠こちらはクトゥルフ神話TRPGの二次創作となっております。話の構成として、シナリオプレイ済みでないと何を言っているのか全く分からないと思います。

いつも私の作品を読んでいただいている方、申し訳ございません。今回はめちゃくちゃ身内ネタになります。



―――





 七伏市での奇妙な体験を経て以降も、雲母きらら明菜あきなは友人同士だった。寧ろ、命すら危ぶまれた状況を一緒に乗り越えた分、その絆はより強固になったといっても良いだろう。


 しかし、だからこそ、明菜は悩んでいた。


 いつも通りの大学、いつも通りの講義室。

「変わらぬ日常」を纏って、私の生活は続いていく。


 数百人を収容可能な講義室のやや前方、左端の席に今日も私は腰掛ける。


「おはよう、斉藤」

「うーす」


 狼森おいのもり君と緒方おがた君が私の方を振り向き、軽く挨拶する。私も軽く挨拶を返す。


 教授がプロジェクターの設定に戸惑っているのを横目にルーズリーフと筆記用具を取り出していると、後方が一段とざわつき始める。

 見ずとも分かる、大人数の女子グループが入室してきたのだ。


「あいあい、じゃーね!……やっほー、明菜!!」


(ひゃっ……)


 よく通る声が私を呼ぶと同時に、始業のチャイムが鳴る。


 きっと、皆に聞こえた。講義室の皆に聞こえた。大学のアイドル、可愛雲母かわいきららちゃんが、こんな私を呼ぶ声が。

 雲母ちゃんはフンフンと手を振りながら足音を響かせ、当たり前のように私の隣に着席する。


「いえーい、ギリセーフ」


 六十センチの距離で彼女の笑顔を見ていると、たどり着いてしまう答えがある。


 大学の人気者が、これ以上私なんかに時間を割いてはならないと。


 授業が始まる。三人とも至って真剣だ。一方の私は、話が全く頭に入ってこない。


 今日はダメだ。何となく思考が止まらない。

 教授の話もそぞろに、私は物思いにふける。


 ーーー


「選択肢を増やしなさい」


 この言葉は斉藤明菜の二十年間において、最も大きなお節介だった。


「家業がどうのも、お見合いがどうのも、今どきでねぇべさ。大学に通いなさい」


 まぁ、反対するほどではなかった。正論だと思ったし、高層ビルに囲まれながらコンピューター会社の事務員をやるのも悪くない気がした。


「ん。私、けっぱるよ」


 小さな集落の皆々は、すぐに「明菜ちゃんが関東の大学に通うことになった」とお祭り騒ぎを始めた。


「明菜ちゃんはなまら元気でめんこいからねぇ」


 そう言って送り出してくれた老人ホームの皆さんに、一年前の私は顔向けできなかった。


 だって、会話しても、


「ふーん、聞いたことない町」


 話、終わり。


「斎藤さんって、推しいる?……いない?そっかー」


 終わり。


 一度だけ学部の子にカラオケに誘われ、唯一歌える中森明菜の「少女A」を歌った。

 二度と誘われなくなった。


「うぅ」


 一人ぼっちの寝室。


 誰も悪くなかった。

 強いていえば、田舎暮らしにかまけて同世代と仲良くなる術を学んでこなかった自分が悪いのだ。




 大学二年目の春、たまたまギャルとグループワークになった。


「じゃ、近くの四人で何となく集まってもらって、ディスカッションしましょうか」


 教授から宣告を受けた私は、前列の男子学生二人にギロリと(体感)睨まれ、蛇に睨まれたカエルよろしく震えていた。


(終わった……)


 緊張が高まるほど人の五感は研ぎ澄まされるもので、よく通る声が耳に飛び込んで来やがった。


「五人で良いよね、ね?」

「雲母、こっち入ってよ」


「いい、いい。あたし前行くし」


(私なんかとは世界が違うや……)


「やっほー、ここ座るねん」


(ああいう子はシブヤでお洋服買って、シンジュクのクラブで遊んだりしてるんだろうなぁ……)


「え、カチューシャめっちゃ可愛い~。名前聞いていい?私は雲母」


(……え、)


「え、は??」


 気がつけば隣六十センチにいたアイドルのような女の子を前に、私の口はあんぐり開いた。

 目の前の男子大学生が、スッと私のシャーペンを机の上に置き直した。いつの間にか落としたらしい。


 どこに目をやれば良いか分からず、彼女がさっきまでいた後方に目をやる。四人グループが四つだから……十六人と雲母ちゃんか。いや、なんだよ、十七人グループって。


「ねぇねぇ、名前は?」

「あ、いや、お気になさら


 可愛雲母

 CC<=65 【魅惑】 (1D100<=65) > 60 > 成功


 彼女と目が合った瞬間、バチッと脳みそがはじける音がした。


 可愛い。


 こんな子、テレビの向こうでしか見たことがない。実家の人形も嫉妬するであろう整った顔立ちを前に、私は思わず質問に答えた。


「……斎藤明菜、です」

「明菜ね、よろしく!で、何すればいの?」


 あ、この子に教えなきゃ。

 思えばこの日から、私の学力は大分上がった気がする。


 ーーー


「……明菜?ねぇ、明菜?」

「ん、んう?」


「だいじょぶそ?ボーッとしてるみたいだけど」


 意識が戻る。

 気がつけば、雲母ちゃんが私の目の前三十センチで顔をのぞき込んでいた。


「あ……ごめん、ちょっと考え事を……」


 整った顔に皺を寄せてしまったことを反省し、私は笑顔を取り繕う。


「体調悪いとかなら言ってね?じゃ、グループワークやろっか!」


 そう言って雲母ちゃんは手慣れたようにディスカッションを進行させていく。


 雲母ちゃんは優しい。七伏市での出来事を経たからこそ、一層分かる。彼女は優しい。


 弾琴座だんきんざで『帯切橋おびきりばし』の演目を見終わった後、彼女は涙を流していた。今なら分かる。おそでを想って、寄り添って、泣いたのだ。


 涙をそっと拭う雲母ちゃんを横目で見ながら、私は一つ理解したことがあった。



 彼女が斎藤明菜に向ける感情も、きっと同情であると。


 ーーー


 午後八時。


 テレビ電話に出た両親は、私がどこか浮かない顔をしていることをすぐに感じ取ったようだった。


「明菜。学校はどうだい?」

「普通だよ」

「こわいんでねぇか?」

「普通だって」


 両親は顔を見合わせた。


「まぁ……明菜が家業を継いでくれる気でいるのは知っている。大学へ行けと言ったのも、お節介だったかなとも」


 今更かい、という言葉を、私はぐっと飲み込んだ。母が言葉を続ける。


「最近少し話し合っていたことなんだけど……明菜が早くこっちに戻ってきたいようなら、大学を中退しても良いと思ってるんだよ。仕事もあるし、縁談も持ってこれる」


「それは……」


「少し、考えてみなさい」


 両親との通話を切った後、私は少し思いを馳せた。彼女の笑顔が浮かんできて、ブンブン頭を振った。


「全部辞めて、帰って……それもありなのかもな」


 ーーー


 七伏市以降、私と雲母ちゃんは授業が被らない日でさえも一緒に昼食を取るようになった。もちろん、雲母ちゃんの提案だ。


「明菜ちゃんが食べてる姿、かわいーんだよね~。ほれほれもっとお食べ?」


 今日の日替わり定食は焼き魚。

 なぜか魚が大嫌いになってしまった狼森君が今日はいないため、女子二人で食事をしているのだった。


 自分で皿を取り分ける間もなく雲母ちゃんが魚を解して渡してくるので、私は目の前に出されたものをひたすら口に詰め込んでいった。


「あむ、んぐ」

「んー、良き良き」


 彼女は私の様子をニマニマと満足気に見つめ、やっと自分の食事に手をつける。


「雲母、お疲れ〜」


 で、口に運ぶよりも早く呼び止められる。


「うぇーい、おつ♪」


 雲母ちゃんは一口食べて箸を置いた。


 当たり前だが、雲母ちゃんは友達が多い。体感、一口食べるごとに誰かしら話しかけてくる。


「またね〜……いやぁ、参っちゃうよね?あたしって人気者だからさ〜。日本人なのに金髪が似合うから目立つんだよね。あ、明菜もオソロに染めてみる?赤毛のアンみたいで推せると思うし、って、アンは赤毛か〜あっはは。てかインスタ交換してなかったよね、今しようよ♪」


 しかも、めっちゃ喋る。


「じゃ、気を取り直していただき」

「お、足して2で割るコンビだ」

「はいはい、おつ〜♪」


 雲母ちゃんは、また箸を置く。


 綺麗なまま冷めていく彼女の定食とは対照的に、もうすぐ空になる自分のプレートを見つめながら、


 斎藤明菜

 1d100<=64 【正気度ロール】 (1D100<=64) > 66 > 失敗

 1d3=2 の減少


 私は胸が締め付けられるような心地を覚えていた。


「足して2で割るコンビ」。うん、言いたいことは分かる。だからこそかもしれない。

 正直、その名称にズキッとする。私が雲母ちゃんと不釣り合いな、地味で、自信がなくて、おどおどしたヤツだと自覚させられるからだ。


「で、マジでメンツがアツくて~……あ、斎藤さんってインスタやってたんだ」

「あっ、えっ」


 雲母ちゃんをフォローしようと開いたインスタの画面に気がつき、女子グループの一人がおまけ程度に話しかけてくる。不意打ちで名前を呼ばれたことにしどろもどろしながら、私はスマホの画面を慌てて隠した。

 私のインスタのフォロー欄には、地元の食堂と、役場と、雲母ちゃんしかいない。


(やばい、顔赤くなっちまう……)


 大学の人気者を独り占めしておいて、こんな貧相なSNSアカウントを見られたら笑われてしまう。最悪、雲母ちゃんまで馬鹿にされかねない。


「ごっ、ごちそうさまでした!私、もう行かなきゃ!」

「え、あ、明菜?」

「雲母ちゃんはお友達とゆっくりしてて!」


 私は逃げるようにその場を離れた。


 可愛雲母

 CC<=65 【心理学】 (1D100<=65) > 38 > 成功


「……明菜?」


 ーーー


「明菜っ、遊園地行こう!」


 数日後、いつもの講義の終わりに雲母ちゃんは唐突な提案をしてきた。


「ここのお化け屋敷行ってみたいんだよね♪」


 周りに音符が見えるほどのウキウキオーラを纏いながら、彼女はスマホをスワイプする。


「良いけど……雲母ちゃんってお化けとか平気だったっけ?」

「ダメすぎる。でもさ、」


 雲母ちゃんはグイっと私の顔に寄り、いたずらっぽく耳打ちする。


「七伏市でお化け?から逃げたじゃん?今なら行けるんじゃないかな~って」


 あぁ、なるほど。だから私を誘ったのか。

 帯切橋の付近で白い手につかみかかられたあの感触を思い出す。確かに、作り物のお化け屋敷は今や私達の敵ではないかもしれない。


 特に断る理由もなく、彼女の計画を唯々諾々いいだくだくと飲み込んでいると、教室後方の女子グループ五人がこちらへ向かってくる。最初は十六人いたはずだが、気づかぬ間に大分脱落してるな。


「ねー雲母。ディズニー行かん?雲母推しの先輩も来るってさ!」

「え、最高じゃん!いついつ?」


 あー、雲母ちゃん好きな先輩いるんだ。


「今度の15日!」


 あ、被った。

 スマホのカレンダーアプリに登録した「遊園地」の文字は、今月15日の位置に陣取っていた。


「15かぁ……ごめん!ちょうど今埋まっちゃってさぁ」


 雲母ちゃんは当たり前のように断った。嬉しさもあったが、罪悪感が勝っていた気がする。


「そっかー」


 長い髪を緩く巻いた女子学生が(恐らく)私の方をちらっと見て、言った。


「雲母、最近ノリ悪くない?」


(え)


「いやはや、人気者は困りますなぁ♪」


(待って)


「あ、ちなみに次のライブは?あれも先輩来るけど」

「行ける行ける、マジ上がるわ」


(私のせいで)


「てか次の読モイベがさぁ……明菜?」


(嫌われる)


 嫌われる、嫌われる。


 私のせいで、この子が嫌われてしまう。


「え、明菜?聞こえてる?」


 その温かい同情のせいで、私なんかに時間を割いたせいで。


「ダメだよっ!!」


 帰りの支度をしていた周りの学生が、一斉に私の方を振り向いた。


「15日はディズニーに行って!さようならっ!!」


 雲母ちゃんがどんな顔をしているのか、私には見ることができなかった。


 名前を呼ばれたかもしれない、引き留められたかもしれない。でも私は振り向けなかった。叔母さんのお下がりのトートバッグをひっつかみ、私は教室から走って逃げた。




 びっくりするくらい記憶が飛んでいるのだが、ともかく私は自室のベッドにいた。


(なにか……言い訳しなきゃ)


 嫌に重たい腕を持ち上げ、スマホの電源を入れる。

 薄暗い部屋では目が痛くなる明るさで表示されたスマホに、インスタのホーム画面が表示される。スリープしてそのままだったのか。


(あ……雲母ちゃんの投稿)


 投稿を遡ってみても、ほぼ彼女の自撮りしか出てこない。フォロー人数たったの三人だし、当たり前か。なんだか、スワイプする手が止まらない。


『読モ1ヶ月thx!!』


『カラコン変えたの分かった子は挙手』


『見て~カチューシャ!可愛い?』


「えっ、カチューシャ」


 目にとまらないわけがなかった。


 慣れたようにウィンクを決めながら舌をだす雲母ちゃんの自撮り。右手で示した先にあるのは、明らかに私のそれとそっくりな赤いカチューシャだった。


 どくり


 心臓が、絶対に危ない音を立てる。


 変に画面をタップしてしまったのか、コメント欄が開いた。コメント件数は三ケタをマークしていた。意味が分からない。


(え)


 その多数は褒め言葉だ。多数は。


(待って)


 数百の内の一つなど、あの子は気にしないかもしれない。


(私のせいで)


 でも、でも、大変。見つけてしまった。

 私の目は、一つの心無いコメントに囚われた。


『え、カチューシャはダサくない?笑』


「嫌われる……」



 斎藤明菜

 1d100<=64 【正気度ロール】 (1D100<=64) > 90 > 失敗

 1d4=4 の減少



 私の頬を流れたソレは、雲母ちゃんが『帯切橋』の上映後に流したソレとは全く違う性質のものだった。


 それから二時間後。両親との電話で、私はこう告げた。


「大学、今学期で中退する」


 翌日から一週間、私は学校をサボった。


 ーーー


 ピンポーン


「明菜!遊園地行くよん♪」


 15日の朝に聞こえたインターホン越しのその声に、私は耳を疑った。


(夢かな?)


「あきなー。いるでしょー?」


 午前九時、休日。

 ドンドンと扉を叩く音が部屋に響き渡る。結構響き渡る。


「あ……あ、あわわわわ待って待って今開けるから!」


 お隣さんがザワザワし始めてはいかんと、私は玄関の戸を開けた。


「あーやっぱいた。じゃ、行こっか?」


 モデルのような(実際そうだし)キラキラファッションを目の前にして、私はまだ洗顔すらしていない自分に気がついた。


 可愛雲母

 CC<=15 【製作(メイク)】 (1D100<=15) > 1 > エクストリーム成功


 ーーー


 あれよあれよと遊園地に足を踏み入れた私は、経験したことのない視線の嵐に身を縮こまらせていた。


「うっわー、超美人いる……」

「金髪の子やっべぇな……でも黒髪の子も……」

「芸能人かな?ユーチューバー?」


 もしかして、可愛雲母の通常がこれなのだろうか。やっば。


 母親のニットにジーパンの私だが、雲母ちゃん直々のお化粧で少しはマシになれているのだろうか。


「ふっふふ、武者震い……。待ってろよ~お化け屋敷クン」


 だいぶキマっている目をしながら、雲母ちゃんは真っ直ぐお化け屋敷を見つめている。

 廃校舎がコンセプトの、関東屈指のお化け屋敷だ。両手を腰に当てふんぞり返って仁王立ちしているものの、隣に立ってみれば冷や汗が光って見える。


「明菜は準備オッケー?」

「あ、いや、うーん?」

「安心しなよ、あたしが守ったげるから!」


 目からハイライトが消え失せた子に言われても……。


 返答に詰まっていると、「無言は肯定」と見なされたのだろうか。私の腕を掴んで雲母ちゃんが走り出す。


「じゃー行くよ!Let’s 入校っ!」

「あ、ちょっと、まっ!?」


 半ば空元気のオーラを感じ取りながら、私は密かに腹をくくった。


 ーーー


 で。



「「むりむりむりむりむり!!!」」



 私たちはお化け屋敷内部で立ちすくみ、恐怖に完全敗北していた。


 頑張ったと思う。職員室をぬけて、A組を駆け抜けて、家庭科室を疾走して。


 もう順路の半分は行っていると思いたいが、音楽室に入ったところで私たちの腰は完全に抜けた。


「あぎな、あぎなぁ……。なんの音、なんの音、これなんのおとぉ??」


 無人のグランドピアノが不協和音を奏で、ナニカの気配がずっとする。

 しかも、順路の先にちょろっと見えるのは理科室。明らかにカーテンの向こうで何か動いてるんですけど。


「す、す、進まなきゃ、雲母ちゃん」

「むり、むりっ……」


(あぁ……緒方くん連れてくればよかった……)


 弾琴座でのカッキーンが思い出される。

 彼さえいれば、あのピアノも、ベートーヴェンの肖像画も、全部粉砕してくれるのに。いや粉砕はダメか。


「あたしはギャル、あたしはギャル、さいきょーのギャルっ……!」


(……ん?)


 自己暗示をかけるように雲母ちゃんが呟き出し、ゆらりと立ち上がる。


「は、ちょ、雲母ちゃ」

「あたしはギャルッ!!!」


 半泣きの雲母ちゃんがガバッと立ち上がり、とんでもない行動に出始めた。


 立ち入り禁止の柵の向こう、血塗られたドラムスティックを掴んだのだ。


「え、え、ぇぇえええ!!!?」


 恐怖がすっぽり吹っ飛んだ私の制止も効かず、雲母ちゃんは柵を越えてドラムセットに歩み寄る。


「バイブス上げれば怖くないっ!怖い音もかき消しちゃうよっ!!」

「だ、ダメダメストップ!?」


 可愛雲母

 CC<=75【芸術(バイブス)】 (1D100<=75) > 50 > 成功


 私の言葉に聞く耳を持たず、雲母ちゃんはドラムスティックを思いっきり振り下ろした。


 ジャーンッ!!


 お化け屋敷にて金輪際聞くことのないであろうドラムの音が派手に響きわたり、ぐわんぐわん反響する。


「あ……ああ……」


「あのぅ、」


「ひぃっ!?」


 恐怖と驚愕きょうがくが混じって真っ白にフリーズした私の肩を、誰かが叩く。


 暗闇からぼんやりと伸びる青白い手の先にいたのは―。


「立ち入り禁止の場所には入らないでいただけますと……」


 お化け屋敷のスタッフさんだった。


 ーーー


「あっはは、ちょー楽しかった!激アツ!」


 黄昏時。


(うう、係の方に避難口まで誘導していただいて。悪かったなぁ……)


 数時間前のお化け屋敷リタイアをまだちょっと引きずっている私とは対照的に、雲母ちゃんのテンションはここに来て更に上がっているようだった。


「あ、噴水!ちょー綺麗♪」


 彼女が目ざとく見つけたのは、ライトアップされた噴水広場だった。地面にポチポチ穴が空いていて、そこから水が湧き出ている。お客さんが多かった先ほどまでの時間であれば、水遊び好きの子どもで賑わっていただろう。


 ボケッと水を見つめていると、写真を撮り終わったらしい雲母ちゃんが隣で靴を脱ぎ始めた。


「えっへへ、いえ~い」


 両手を広げ、危なっかしげにじゃぶじゃぶ足を浸す雲母ちゃん。その小ささのバッグにタオルとかは入っているのだろうか。


「ほら、明菜もおいで」


 屈託のない笑顔。


(あーもう、この人たらし)


 濡れない位置に荷物を置き、ジーパンを無理やりたくし上げる。小さなハンカチしか持っていないが、後のことは知らん。


 夕日は急速に沈み、彼女の横顔は噴水を彩るライトによって照らし出されていた。紫色のライトが右側で瞬き、彼女の横顔に妖しい影を作る。ピンクのチークが映える、いつもの彼女じゃないみたい。


 バシャバシャと音を立てながら雲母ちゃんに近づく。

 いつの間にか周囲の客はまばらだった。静かで、流れる水の音以外は全てシャットアウトされてしまったかのようだった。


「明菜」


 雲母ちゃんは私に向き直り、六十センチの位置で言った。



「なんかあたしに隠してるでしょ」



 彼女の瞳に、収縮する私の黒目が映った。


「い、や」

「嘘」


 彼女は、私の咄嗟のごまかしを見越していたように答えた。


「授業中にも、食事中にも。何か隠してなきゃ、あんな顔するわけないじゃん。私が隣にいるのに、あんな顔」

「ど、どんな顔……?」

「消えちゃいたいって顔」


 あ、隠しておけない。


 知っていたはずじゃないか。七伏市で彼女の優しさをどれだけ目の当たりにしたと思っているんだ。


(言いたくない、言いたくない)


 しかし、私はもう言葉を止められなかった。


「大学を、中退しようと、きめた」

「はぁ……?」


 今度は雲母ちゃんの黒目がキュッと縮んだ。その瞳に自分はどう反射したか……。知りたくなかったので目を逸らした。


「ちょ、ちょっと、中退って」

「一週間前に決めた。地元に帰るから」

「何ソレ、聞いてないんですけどッ!!」


 流石に予想外だったらしい。動揺を隠せないまま、雲母ちゃんは私に詰め寄った。水しぶきが撥ねて、せっかくたくし上げたジーパンの裾が濡れる。


「なんで……?あたしは、明菜ともっと一緒にいたい!」


 それだ。


「あたしら、結構仲いいと思うんだけど……?悩んでるなら相談してよ!」


 それだって。


「あたしら、親友じゃんっ!」

「ダメだよっ!!」


 詰め寄る雲母ちゃんを押しのけて、私は一歩下がった。


「だから、ダメなんだよ……?」


 同情という名の優しさを自覚して、雲母ちゃん。


 説得すれば、きっと分かってくれるから。



「自分みたいな地味なヤツとつるんでちゃダメ。雲母ちゃんは、大勢の中心で輝いているべきなの!」


 斎藤明菜

 CC<=65【説得】 (1D100<=65) > 74 > 失敗


「なんでダメなの?あたしの勝手じゃん」


「ほ、他の子との時間が減るじゃない!この前だって『ノリが悪い』って……」


 斎藤明菜

 CC<=65【説得】 (1D100<=65) > 80 > 失敗


「可愛雲母舐めんな。あたしが一日に何ターン行動してると思ってるの?あと、重要なのはそこじゃない」


「え、SNSでも言われてたもん!私みたいなカチューシャの自撮り、だ、ダサいって……」


 斎藤明菜

 CC<=65【説得】 (1D100<=65) > 93 > 失敗


「いるんだよねー嫉妬民。美人の宿命ってヤツ?」


「雲母ちゃんは美人さんだから、私なんか釣り合わないよ……」


 斎藤明菜

 CC<=65【説得】 (1D100<=65) > 100 > ファンブル


「……それで、全部?」


 ぷつっと糸が切れる音がした気がした。


 雲母ちゃんはゆっくり目を瞑り、項垂れる。


(怒らせた)


 でも、これで良かったのかもしれない。彼女に説得を試みたということは、私はこの展開を望んでいたということじゃないか。


「……綺水きすい


 ぽつりと、項垂れたままの雲母ちゃんが口を開いた。


「ん、明菜!!」


 おもむろに、彼女は顔を上げる。その表情に怒りも見えた。でも、多分それだけじゃなかった。


 噴水が一段と高く吹き上がる。それを見た雲母ちゃんは、ニットの袖が濡れるのもいとわず、両手を噴水の中に突っ込んだ。


 ばしゃっ


 小さな手で目いっぱい掬ったその水が、次の瞬間、二人の足下に降り注ぐ。


「綺水を二人の足元にかけると、誤解が解ける」


 彼女はキッと私を見据えた。口が真横に結ばれていた。


「これは綺水じゃないけど、麗なだし……きっと」


 ぴしょびしょになった服の袖を絞りながら優しく微笑む雲母ちゃんを見て、確信した。

 今日の彼女の目的は、これだったんだ。


「ねぇ、あたし達誤解してると思う。このまま離れちゃうのは、嫌!」


 とめどなく溢れる噴水のように、彼女の想いが溢れ出す。


「初めて会った時も、七伏市での事もそう!あたしは、ずっと明菜がすごいって思ってた。優しくて、周りの人思いで、勇気がある。あたしとは全然違うなって……。だから、甘えちゃってた。明菜をいっぱい振り回してたんだって、やっと気がついたの!」


 私の手をそっと握った雲母ちゃんの手は、水に濡れて冷たかった。


「私が謝れば、誤解は解けるかな……?」

「……違う」


 彼女の気持ちの渦に押されて、私ももう我慢できなかった。


「違う!振り回されるなんて思ったことないよ!」


 こんなに溢れてしまうのは、きっと綺水のせいだ。


「逆だよ……。雲母ちゃんは優しいから、一人ぼっちの私に同情してくれて、私のためにやってくれてるんだって!そ、それで、私は……」


 噴水の飛沫しぶきと涙が混じって口に入った。あの時吐き出した気水と同じ味がする。


「ごめん……」

「明菜」

「ごめん、ごめんっ!私と仲良くしてくれて、私なんかに時間を使ってくれて、」


 そうじゃない。

 そうじゃなくて一番は、こんなに真っ直ぐ私を見つめてくれる雲母ちゃんを、


「貴方の気持ちを信じきれなくて、ごめんなさい……」


「明菜、こっち見て」


 雲母ちゃんは手を握ったまま、親指で私の手の甲をなぞった。


「あたしはね、同情なんかで遊園地に来るほど女神様じゃないよ」

「きらら、ちゃ」

「ありがと、話してくれて」


 一瞬たりとも私から目をそらさない。この子は、やっぱり、ずるい。


「だからさ、『ありがとう』って、明菜も言ってよ。『あたしといると楽しい!いつもありがとう!』って!」


 少しよれたメイクで、彼女はにっこり笑った。


「それも本音でしょ?」


 私もメイク崩れちゃったかな。

 いっぱい息を吸い込んで、真っ直ぐ貴方を見て、私は言った。


「うん。なまら楽しい、ありがとう!」


 なんだ、あのお酒じゃなくても、誤解は解けるじゃないか。


 ーーー


「お父さん、お母さん。私、やっぱりもうちょっと大学続けるよ」


 開口一番、私から飛び出した言葉に両親は目を丸くし、それから大きく頷いた。


「しっかりやってきなさい」


 遊園地での出来事を嬉々として話す娘の姿に、二人もどこか安心しているようだった。



 通話を終えた私はベッドに横たわった。


「あー、どうしよ」


 右腕で目を覆い、私はひとり呟いた。


「帰りたくなくなっちまうよ」

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混濁 富良原 清美 @huraharakiyominou

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