11.実地演習開始

 アレスが黒服たちに連行させるのを見届けた後、ティナが口を開いた。


「……私は成績のためだからいいけど、本当に彼と交流を持って大丈夫なの?」


 正直、ティナから見たアレスの評価は、ロクでなしで下衆でクズだ。

 やることなすこと滅茶苦茶で理解に苦しむ、いや、したくない。

 そんな男と交流するのは、周りからの評判を陥れる要因となり得る。

 そんな意味合いを含ませた忠告に、カリスは微笑みを浮かべる。


「ご心配には及びません。有象無象と縁を結ぶつもりも、必要もありませんので」

「…………そう」


 何か言いたそうな間があったが、呑み込んだのか、多くは語らなかった。


「寧ろ、そう言った者たちに対する除ける傘にもなりますので、メリットはありますとも」


 カリスの言葉は、そこで止まらなかった。


「無論、貴女も傘の一つですよ?」

「…………」


 ティナの目が、僅かに細くなる。


「……そう。私のことも、織り込んでの今ってこと」

「当然です」

「カリス」


 目に余ったのか、ディトがカリスを咎めようと口を開いたが、ティナが手で制した。


「……いい。そういうことなら、私も心置きなく利用できる」


 ティナの言葉にディトは複雑な顔を作ったが、すぐさま笑顔に切り替えた。


「さて、話も一段落着いたことだし、そろそろアレスを追いかけようか」


 特に断る理由はない、というより当初の目的であるため、ティナとカリスは首肯した。

 同意が得られたため、ディトは満足そうに頷いて、歩き出す。


「それにしても、まさかという程度だったけど、本当に賭場にいるとは思わなかったよ」


 ディトの言葉に、ティナは頷いた。


「……本当に、理解できない。授業は居眠りするし、何をしに来たんだか」


 確かにプレアデス士官学園は名門校であるが、惰性で無気力に通うだけでは意味がない。

 将来の夢を叶えるために、より良い未来を掴むためには、結局必要なのは本人の努力だ。

 学び舎が提供してくれるのは、結局の所、環境だけなのだ。


「……意識の矯正が必要だと思う?」

「それはティナ様がアレス様と、どこまでの関係を構築するかによるかと」


 ティナの質問に答えたのは、微笑を浮かべるカリスであった。


「ティナ様は、アレス様の協力を元に、好成績を取るのでしょう? 長期の付き合いを見据えるのであれば、最低限、学園を通い続けることができるよう支援するべきかと」


 反論の隙が一ミリも見当たらない、圧倒的な正論だ。

 その通りなのだが労力に対し、十分な見返りが得られるか怪しいのが悩み所である。

 ティナが頭の痛い命題に対してひそかに嘆息していると、一行は賭場から外へと出た。

 そんな彼らが、鉄扉を開けて、真っ先に目にしたのは……


「しくしく、もうお婿に行けない……しくしく……」


 制服とパンツ姿で地面に転がされている、めそめそと泣いているアレスだった。

 正視に堪えない、惨めで悍ましい光景に目を逸らしそうになるが、一行は耐えた。

 素晴らしい、こいつはもうそういう人間なのだと、耐性が付きつつある。


「やあ、アレス。何をしているんだい?」


 ディトが真っ先にアレスへと声をかけ、アレスはそこでようやく泣き止んだ。

 パンツ一丁の男に躊躇なく声をかけられるとは、きっと彼は大物になるだろう。


「あれ……? お前ら、揃いも揃って、どうしたんだ?」

「アレスがいつまでも戻ってこないから、探しに来たんだよ。それで、どうして君はそんな現状に至ったんだい? 賭場から摘み出されて、そう時間は経ってないよね?」

「あ、もしかして見てたのか? いやぁ、恥ずかしいなぁ」


 安心してほしい、もう恥ずかしいから。


「よっこいしょっと」


 蹲っていては落ち着いても話もできない、と言わんばかりに、徐に立ち上がるアレス。


「さて、それじゃあ、聞くも涙、語るも涙な俺の武勇伝を」

「……手短に」

「熟練の早業で身ぐるみ全部剥がされました」


 知りたくなかった。

 同じ学び舎を共とする者たちが、他人に身ぐるみを剥がすことに慣れているなんて。

 そして練習台になる者も多数いることも知りたくなかった。


「それにしても、制服とパンツは慈悲として、他は見事全部持っていかれたね。剣士が愛剣をとられて大丈夫かい?」


 そう問うディトの声には、呆れが出ていた。

 ただでさえ、明日からは武器である剣を使う、実地演習が始まるのだ。

 剣を持たぬ剣士など、果たしてどこまで使い物になるのやら。


「あぁ、そこは大丈夫だ。宿に戻れば、替えの剣があるからな」


 ディトの心配をよそに、アレスは軽く返した。

 一応、替えの武器を持っているということに皆安堵したが、懸念はある。


「……それは、さっきまでの剣と比べて、どの程度格が落ちるの?」


 そんなティナの問いに対して、アレスは首を傾げる。


「別に? 俺が使う剣は、そこらで適当に買ってる安物だけだから」


 アレスの返しに、ティナたちは固まった。

 優れた使い手程、使う道具に拘り、優れた道具を求めるのが普通だ。

 それが命を懸ける戦闘となれば、なおのこと。

 ここぞという瞬間で壊れたら? 性能不足で、相手に有効打を与えられなければ?

 挙げればキリがない、もしもを回避するための得物選びで、妥協するなどあり得ない。

 そんなティナたちの心境を読み取ったのか、アレスが口を開く。


「ティナは俺が戦ってる所を見たから察してるかもしれないが、俺は剣をトドメの一撃にしか使わないんだ。そんな俺が業物やら、良いモノを持ったって無駄なんだよ」


 そういう問題ではないのだが、部外者が口を出す問題ではないため、ティナたちはこれ以上何も言わないことにした。


「……剣はそれでいいとして、どうして、あなたは賭場に入り浸っていたの?」


 ティナの問いに、アレスは端的に答えた。


「趣味」


 数秒の沈黙の後に、


「……クズ」

「社会不適合者ですねぇ」

「ノーコメント」


 アレスは悪し様に罵られ、一同は解散した。





 アレスは学園指定のジャケットにパンツのみという、誰かに見られれば即座に通報されるであろう恰好だが、幸い誰にも見られず宿に帰った。


「師匠、帰ったぞー」


 アレスの恰好は、どの観点から見てもアウトなのだが、後ろめたさは一切感じられない。

 メンタルが強過ぎる。

 部屋に戻り、呼びかけに何の反応も返ってこないことに、アレスは首を傾げる。


「……師匠?」


 もう一度呼びかけるものの、やはり無反応。

 アレスは不審に思いながらも、歩みを前に進める。


「師匠―、俺、腹が減ってるんだよー。だからさぁ、とっとと晩飯にしようぜー」


 プレアデス士官学園に入学してから、アレスの食事はノンナが用意していた。

 とはいえ、用意と言っても、大体は総菜で済ませてきたのが殆どだ。

 料理のための食材などないのである。

 ギャンブルでボロ負けしたアレスは無一文であるため、自力で夕食を用意できないのだ。


「ふむ?」


 時刻はもう夜中となり、完全に夜の帳が閉じ切っているため、部屋の中は見えない。

 視界を確保するために、アレスは灯りを点けた。


「は?」


 だが部屋は無人で、ノンナはいなかった。

 もう寝たのかと考え、寝室を覗いたが、やはりいない。


「は?」


 寝室にて、書置きを見つけた。

 そこには、こう書かれていた。


『野暮用ができた。よその大陸に行ってくる故、しばし留守とする』

「……は?」


 その日、アレスは夕食を抜いた。





 アレスがプレアデス士官学園に入学して、三日目の朝。

 天気は快晴で、空は澄み渡り、清々しい一日が始まる予感を想起させる。

 本日は実地演習の実施日、高等部の一年生にとって、初めての晴れ舞台となる一日だ。

 そんな日に、アレスは……


「飯ぃ……飯をくれぇい……」


 すれ違うあらゆる人間に対して、物乞いをしていた。

 勿論誰もが頬を引き攣らせ、早足で逃げていった。

 頬は痩せこけ、全身から生気が抜け落ちたその様は、まるでアンデッド。だ

 そんな訳で、誰からも食糧を分けてもらえなかったアレスは、とうとう腹を空かせたままプレアデス士官学園に着いてしまった。


「……飯を、分けてくれぇ……」


 這う這うの体で教室に辿り着いたアレスは、ティナたちに物乞いをした。

 挨拶抜き、失礼、とても失礼。


「……私はあなたとチームを組んだことを、後悔し始めている」

「ティナ様、その判断は遅すぎたかと」


 ティナは相変わらず無表情だが、彼女が常人であれば、顔を歪めていたことであろう。


「飯ぃ……飯ぃ……」


 周りの状況などお構いなしに、尚も食糧を乞い続けるアレス。


「……私は食べ物を持っていないけど、あなたたちは?」


 ティナは呆れ果てつつ、ディトとカリスへと尋ねた。


「僅かでよければ」


 問いに答えたのは、カリスであった。

 彼女はポケットからパンを取り出す。


「飯ぃ……」


 アレスはパンを目ざとく見つけ、カリスへと歩み寄り始めた。

 彼女はパンを奪われないよう、パンを持った手を頭上へと掲げる。

 その姿勢のまま、カリスはアレスへと問いかける。


「アレス様、このパンが欲しいですか?」

「ホシイ……クレェ……」


 空腹をこじらせすぎて、アレスの言葉が片言になり始めた。

 そんな彼の姿を見て、カリスはくすくす笑う。


「これが欲しければ、今から私が言うことを復唱し、実行し続けてください」

「ワカッタァ……」


 カリスは聞き取りやすいように、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。


「カリス様に、三年間従うことを誓います」

「カリスサマニ、サンネンカンシタガウコトヲチカイマス」

「ディト様に、生涯忠誠を誓います」

「ディトサマニ、ショウガイチュウセイヲチカイマス」


 パン一つに対して代償が重すぎる。


「よろしい。それでは、この誓約書にサインを」


 カリスはポケットから、誓約書を一枚取り出した。

 契約でガチガチに縛って、従属を強いる気である、この女。

 対するアレスはと言うと……


「口約束じゃダメ……?」


 踏み倒すつもり満々であった。


「……私一人の方がマシだった、なんてのは困るのだけれど?」

「ははは」





 場所は変わって、プレアデス士官学園の運動場。

 人間とエルフの一年生は全員集合しており、勿論、その中にはアレス達の姿もあった。


「ご機嫌用、諸君」


 そんな彼らの前に立つのは、プレアデス士官学園の教官であるアルジェイルだった。

 彼は大勢からの注目の的になっていてもなお毅然とし、堂々とした態度を崩さない。

 整い過ぎている容姿もあって、とても画になる。


「高等部の一年生である諸君にとって、この実地演習は初めての行事となる。これからの学園生活を送る上で、今演習の結果とても重要となるので、全力を尽くして欲しい」


 そう導入を締めくくり、アルジェイルは実地演習の説明を始めた。


「諸君には、山をフィールドとしたバトルロイヤルを三日間行ってもらう」


 バトルロイヤルという単語で場に緊張が走り、アルジェイルは緊張を解しにかかる。


「バトルロイヤルとはいっても、最後の一組まで続けるなどというサバイバル形式ではない。制限時間まで全ての組が生存していれば、全組生存で試験は終了となる」


 だが、とアルジェイルは付け加えて説明を続ける。


「それでは、バトルロイヤルとは呼べない。ただのサバイバルになってしまうからな。だから諸君らには、互いに争ってもらう。もちろん、殺傷は許さない。だがそれでは、優劣をつけにくい。また、我々としても採点し辛い。そこで、諸君らの校章の出番だ」


 アルジェイルはポケットから、プレアデス士官学園校の校章を取り出した。

 それはアレスたちの持つものとは違って、所属を示す文字が彫られてない無地の校章だ。


「今演習は、テストでもある。我々も君たち生徒全員を常に見つつ採点を行うのは難しい。故に諸君らには、この校章を奪い合ってもらう。死守もいいが、校章を保持している数が多ければ多いほど、評価は高くなるため、積極的に奪取することを推奨する」


 さて、と区切りを入れて、アルジェイルは徐に視線を他所へと移す。

 視線を追うと、その先にはアレスの担任教官であるアルドスが立っていた。


「アルドス教官が、皆に言いたいことがあるとのことだ」


 アルドスは気だるげな様子で、アルジェイルに無言で会釈だけした。

 アルジェイルの額に青筋が走ったような気がするが、きっと気のせいだ。


「よう、ガキども。これからテメェらに、注意喚起をしてやる」


 アルドスはポケットから、草を一房取り出した。


「俺の受け持っている薬草学の初講義で絶対に言ってきたことだが、薬草ってのはどんなに貴重で、強力な薬効を含んでようと、そのままじゃ何の効力も発揮しない」


 当然と言えば、当然の話だ。

 薬草と呼ばれていても、手を加えなければ、ただの草でしかないのだから。


「だからと言って、薬草を軽んじて良い訳じゃない。薬草の利点は、知識さえあれば、その場で必要な薬を作ることができる即応性にある」


 これから行くのは自然が豊かな山であり、薬草が群生しているポイントもあるだろう。

 それを踏まえれば、アルドスしているのは、ありがたい話ではあるが……


「まあ、こんな話は、薬草における話で基礎も基礎だ。改めて言うまでもないことだ」


 アルドスの視線が、アレスに固定された。


「ただなぁ~? 俺の講義をサボるような不届き者がなぁ~? この中にぃ、いてよぉ~? 話さざるをぉ、得なかった、ていうか~?」


 なんて奴だ、許せねぇ! 俺も許せねぇよ!

 自分が話してる目の前で爆睡してるやつがいたら、ぶっ殺したくなるからよぉ!

 あんたの講義受けた記憶がねぇけど、俺も許せねぇなぁ!

 あ、また青筋増えた、お労わしや……


「あのガキッ……!」


 アルドスは呪詛を吐いてから、息を吐き、頭を振る。


「まぁ、俺からの話は以上だ。後はそれぞれ、全力を尽くして、結果を出してくれ」


 話は終わりだと示すためか、アルドスは一歩下がった。

 そんな彼に同情的な視線を送ったアルジェイルが、生徒たちへと告げる。


「では、これより実地演習を開始する。健闘を祈る」


 アルジェイルがパチン、と指をはじいたのと同時に、アレスは乗り物酔いのような不快感と眩暈に襲われ、一瞬だけ意識が途切れた。



――――――――


アルドス「あのクソガキ闇討ちできねえかな」

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