目覚め

目が覚めた時、課長がいた。いつものスーツ。地味なスーツ。刑事らしい。ここがどこなのか分からない。

課長の後ろ姿が見える。鶴の様に細く、髪を後ろに撫で付け、顔は見えないが、痩せこけ、鋭い大きな目で窓から外を見ている。背が高く、180cmの俺よりも一つとび抜けている。威圧感は半端ない。俺は声を出そうしたが、出ない。医療マスクをしてるようだ。点滴が見える。管が見える。パーテーションカーテンが見える。天井が真白い。ああ、病室か、俺は軽く手を動かした。布団の感触がした。俺は何度か手を動かすと、何か気配を感じたのか。後ろ姿の課長が振り向いた。俺に顔を近づけた。


鋭い目つきは変わらない。顔色ひとつ変えず「織田おだ」と課長は耳元で囁いた。


俺は軽く手を上げようとしたが、課長がそっと元に戻した。


「よく生き帰った」



4ヶ月後


 俺は課長と俺が入院している病院のレストルームにいた。病室と同じ番号のついた個室があって、患者同士が会うことがないような仕組みになっている。


窓際の日当たりのいい場所で、俺と課長は向い会っていた。俺たちの他にも数人の患者がいる様だ。そんな気配がする。


「調子はどうだ?」と課長。


「ええ」


それから、俺はここまでの経緯を課長から聞かされた。


 俺はやはり撃たれ、教団の農場から3キロほど離れた、車道の脇に打ち捨てられていた。誰かが公衆電話から地元警察と救急に連絡し、俺は地元の救急病院に担ぎ込まれた。


俺は右胸を撃たれてはいたが致命傷ではなかった。しかし出血がひどかった。


俺の血液型は『AB型のRh(-)』でこの国で2000人に一人の割合しかいない。


基本的には『AB型のRh(-)』には『AB型のRh(-)』の輸血が絶対だ。しかし輸血のストックが無いその病院で、医師は生命を脅かす緊急事態と判断し、O型血液を輸血すると判断した。


その時だ。ある男が現れた。


俺と同じ血液型の『AB型のRh(-)』だと言う、そんな偶然。と医師も看護師もいぶかしがったが、検査をすると確かに間違いなかった。


男は同意書にサインし、


俺に血を分けてくれた。


俺は一命を取り留めた。


輸血が終わった後、


男は忽然と姿を消した。


病院の防犯カメラにも姿が無い。


そしてファイリングされた男の同意書も無くなっていた。


…………………………………………………


「そいつは、名前を、」


課長は少し黙り、そしてこう言った。


「タチバナ、と、言ったらしい」


「タチバナ?」


課長は頷く。


「タチバナって、あの『伝説の潜入捜査官』」


課長はやはり黙って頷く。


「タチバナの血液型は確かにお前と同じ『AB型のRh(-)』だ」


『伝説の潜入捜査官』と言っても何も子供向けのファンタジーの話じゃない。

「タチバナ」は俺が知っている限りでも数々の重要犯罪の潜入に成功し、それを解決してきた男だ。俺が公安に入る前に聞いた話しだが、

というのも、

「タチバナ」は『光抱く扉』に5年前に潜入し、その後、消息を断った。

「タチバナ」は単独行動ばかりで、その素性を詳しく知る人間は公安の中でも上層部のごくごく一部だ。もう死んだのではないか?とか『伝説の潜入捜査官』?『の潜入捜査官』じゃないのか?なんて冗談も罷り通るほど、名前だけが先行し、俺自身もその亡霊のような男の存在は何だか掴みどころのない、空想じみた感覚だった。


「お前が言った、その『キャップを被った男』は多分、タチバナだ。そして電話をしたのも輸血したのもタチバナだ」


「なんで俺を撃ったんですか」


「それよりも、何でお前の顔を切り刻んだと思う」


俺は今、美容整形病院にいる。都内屈指、いや世界でも5本の指に入るほどの名医のいる病院らしい、俺は銃撃を受けて一命を取り留め、地元の救急から都内の大学病院に搬送された。そこで2ヶ月入院し回復した。

問題は俺の顔だった。銃撃を受けた体の傷もそうだが、同時に俺は顔をナイフの様な鋭利な刃物で切り刻まれ、とてもじゃないが見られる顔にはなっていなかった。俺は何も考えることができなかった。課長に言われるがままにこの美容整形病院に来た。名医と言われる院長は課長と顔馴染みらしかった。

俺の手術が始まった。


手術は成功し、


俺は以前と全く違う顔として生まれ変わった。


「倉橋は、潜入だった。※外事の。外事は外事で独自に動いていた。俺も知らなかったが」

※公安部外事課:主に諸外国ならびに海外テロ組織の動向、諜報、戦略物資の不正輸出を捜査対象とする。


「そうでしたか」


「お前、わかってたのか」


「警察学校で拳銃の分解と結合をしますが、その時、指をよくケガするんです。倉橋の指にはその創痕がありました。多分警察関係者かなと」


「外事も仲間を殺されて躍起になっている。今、外事と調整をとっているところだ」


「外事が動くということは『教団』は国際テロ組織とつるんでるんですか」


「それを追うために倉橋が入った」


「何で倉橋は俺を売ったんですか」


「分からない」


「倉橋自身の潜入捜査に俺が邪魔だったんですか」


「そうかもしれないし、実際お前が潜入だと知らずに『でっち上げ』て手柄を立ててその代わりに教団の上層部に潜入したかったのかもしれない」


「俺のことを潜入だと知ったうえであえて売って上層部に潜入したかったのかもしれない」


「そんなことはもう藪の中だ」


「ところでタチバナはまだ潜入しているんですか。それともあちら側になって本物の教団幹部にでもなったんですか。潜入の倉橋が殺されたのならタチバナはあちら側になったと推測されます。しかし何で同じ潜入の俺を助けたんですか」


「それが分からない。お前の言う通り、お前が潜入だとタチバナはわかっていたはずだ」


「タチバナがまだ潜入なら、俺を助けた理由は理解できます。しかし、倉橋を殺した理由は分からない」


「タチバナは、倉橋がお前を売ったことが許せなかったんじゃないのか」


「どういうことですか」


「仲間を裏切るヤツはどんな組織にいても必ずいつか『足枷じゃま』になる。その組織が『公安』だろうと『教団』だろうと」


「組織なんて裏切りばかりじゃないですか。ところで何でタチバナは俺をあんなまどろっこしい形で助けたんですか」


俺は課長の目をじっと見た。ガラス玉のような死んだ目をしている。俺もそんな目をしている。


「タチバナは、お前が来るのを待っている」


「どういうことですか」


「タチバナは、お前に何かを期待している」


「どういうことですか」


「お前が、新しく生まれ変わって、自分の目の前に来ることを望んでいるんじゃないのか」


「言っている意味がわかりません」


「タチバナとお前はよく似ている」


「だから何ですか」


「お前には、もう一度、潜入はいってもらう」


「俺はもう辞めます」


「お前、『あの事件』を忘れたのか?」


「脅すんですか」


「お前は優秀な警察官だ」


「警察は何でもするんですか」


「お前が必要なんだよ俺たちも、タチバナも」


「ところで、やはり農場には踏み込めませんでしたか」


「令状は無理だ。倉橋、椎名、野間、高見の死体を拝むことはできない。教団側は多分、「修行が辛く、逃げて行方分からない」とでも言うんだろう。死体もとっくに処理済みだろ」


「ところで椎名、野間、高見は何で殺されたんですか」


「ただの粛清だろ、アイツら3人は反社上がりで頭も悪い。幹部と言ってもただの兵隊だ」


「俺も『ただの兵隊』です」


「お前は優秀な警察官だ。……それと…、」


課長は椅子の背もたれに体重を乗せてのけぞってこう言った。


「タチバナが教団のあちら側になっていたら、殺してくれ」


「昔見た映画みたいですね」


「『地獄の……、』何とかだっけ」


そしてこう続けた。


「2ヶ月休暇を取れ。お前は基本的に好きなように捜査していい。それから、お前にを紹介する」

そう言って課長はメモ書きを見せた。そこには名前、住所、電話番号が書いてあった。通例だが、メモ書きを見たら『憶えろ』ということだ。俺はもう体が慣れて一瞬で頭の中に入った。課長はすぐにメモ書きを手でクシャッと握りつぶし、上着の右ポケットにしまい込んだ。後で燃やしてしまうんだろう。

課長は立ち上がった。


「もし、お前が、逃げたとしたら、どんな手を使っても追い詰める」


「俺は『タチバナ』みたいですね」


課長はレストルームから出て行った。


続く。

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