15ボタン 証明する、クレーンゲーム検定①
ついにこの日がきた。
たかがクレーンゲーム、されどクレーンゲーム。
だけど、俺にとって初めて本気で腕を試す日だ。
寝癖を直し、白いシャツの襟を整える。
鏡の前で深呼吸をして、玄関のドアを開けた。
「おはよ」
扉の向こうには、芽衣が待っていた。
白いカーディガンに淡いグリーンのスカート。
その裾が風になびいて、細い足首が一瞬のぞく。
前髪は下ろしていて、薄く整えた目元が朝日を受けてきらりと光った。
いつもより大人びて、からかう言葉すら喉の奥でつかえて出てこない。
「…おう、寝坊しなかったな」
「当たり前でしょ!」
「じゃあ、行くか」
小さく頷き、隣を歩く芽衣。
街路樹が並ぶ道を渡る風が葉を鳴らし、その影が二人の足元を流れていく。
「もう前髪は上げないのか?」
「前とどっちが好き?」
「うーん…下ろした方?」
「じゃあ、このままにする」
「なんか、調子狂うなぁ」
「なんでよ!」
ふっと笑いあう。
その笑い声が静かな並木道に反響して、朝の空気に吸い込まれていった。
まだ街が完全に目を覚ます前の淡い光の中。
見た目が少し大人になっても、笑うとやっぱり、芽衣だった。
「そういえば、わくたってなんでクレーンゲーム好きなの?」
唐突な問いに、足が止まりかける。
なんでだっけ?
うーん、たしか、あれは──
「あなた、すごいのね!」
脳裏に浮かぶのは、小さい頃の声。
古びたゲーセンの光。
初めてぬいぐるみを掴んだとき、隣で飛び跳ねる女の子の笑顔。
照明よりも眩しくて、無邪気で。
あの笑顔をもう一度見たい。
それが、きっと始まりだった。
──
「ねぇ、なんで?」
芽衣の声が現実に引き戻す。
「なんでって…そりゃあ、楽しいからだよ」
「景品を落とした時の音、技決めた時の爽快感、その瞬間は脳汁がやばい」
「それだけ?」
「それだけって…それが最高なんだ」
芽衣は空を見上げて、細く息を吐いた。
「ふーん、あたしにも分かるようになるかなぁ」
「どうだろうな」
その横顔のラインを見ながら、ふと気づく。
そういえば、芽衣の好きな物ってなんだっけ?
ずっと隣にいたのに、気にしたこともなかった。
「芽衣はハマってるものあるのか?」
「知ってる?“SECOND LINE”っていうバンドなんだけど」
「…悪い、わからん」
「えー、なんで、前も話したじゃん」
「まったく…」
ぷいっと顔をそらして歩く芽衣。
でも、歩幅は変わらない。
不意に指先が触れてしまいそうな距離。
やがて、駅が見えてくる。
駅前の通りは人通りが増え、パンの焼けた良い香りが風に混じって、満たされたお腹をくすぐる。
「おーい、枠太、芽衣」
改札前には、すでに楽と莉愛が待っていた。
莉愛は鮮やかなピンクのパーカーに、黒のスキニーパンツ。
首元にかけたヘッドフォンは、マットな白に小さなゴールドのロゴが入っていて、彼女の雰囲気をほんの少し大人びさせている。
髪の内側に入れた青いインナーカラーが、動くたびにちらりと覗く。
学校での莉愛とは違う、少し眩しい一面。
「莉愛ちゃんの服装すごいね、雰囲気全然違う」
「…クレゲのとき、これ」
「可愛いよな」
「…っ」
莉愛は動きが止まり、目線を逸らす。
頬が真っ赤に染まる。
口元に手を添えて、小さく息を吸った。
その仕草がなんとなく、いつもより女の子らしく見えた。
隣からは芽衣の鋭い視線が送られている。
電車に揺られながら、秋葉原に到着した。
改札を出て、しばらく歩く。
「枠太は、場所知ってるの?」
「あぁ、前に行ったことある」
「オレもあるぜ」
「…リメも」
「みんな都内と近いところは、ほぼ行ってるんじゃないか?」
「そうなんだ……すごいね…」
「引くなよ、クレーンゲーマーにとっては普通だから」
「おっ、あそこだ」
遠くに巨大なビル。
壁に映る看板には光る文字が浮かび上がっている。
『AXIS ARCADE AKIBA』
人の波が絶えず、入口のショーケースにはぬいぐるみ、フィギュアといった夢がずらりと並ぶ。
ガラス越しに輝く彼らが、まるで「ようこそ」と微笑んでいるようにも見える。
俺たちが近づくにつれて、空気が次第に熱を帯びてくる。
入口が開いた瞬間、電子音や筐体の声、そして、人々の歓声が一気に押し寄せてきた。
視界の端から端までクレーンゲームの筐体が立ち並び、反射したライトがガラス窓を走る。
アームが上下するたび、歓喜と落胆の声が交錯する。
──国内最大級のクレーンゲーム専門アミューズメント施設。
その名の通り、まさに“聖地”という言葉がぴったりだ。
(…ようこそ、夢と搾取の世界へ……)
「……今、なんか言ったか?」
「え?」「いや」「…ううん」
三人が一斉に首を横に振る。
気のせいか…。
「うわぁ、人すごいね」
「たぶん、検定のせいだろうな」
「オレ、緊張してきたー」
「あれ?楽も受けるんだっけ?」
「受けるぜ!未来さんに頼み込んで、滑り込み参加!」
「マジかよ」
背後から通る声。
「ちょっと、そこ、いいかな?」
振り返ると、サングラスの奥から射抜くような視線。
白金の髪は光を滑らせるように流れ、その立ち振る舞いは、視線を浴びることを計算しているようだ。
黒いロングコートがひるがえると、金色のラインが稲妻のように走る。
手首や指先に付けたアクセサリーは、舞台衣装の一部かと思うほど整いすぎていて、どこか鼻につく。
周囲の視線を全てさらっていくその姿。
空気そのものが彼を中心に回っているようだ。
でも、何がそんなに惹きつけるのか、俺には分からなかった。
俺たちが道を開けると、ド派手な男は一言も発することなく通り過ぎた。
「あいつ…」
男の行先では、ざわめきが波紋のように広がっていく。
「え、ちょっと、マジ?」
「嘘だろ、生で見れるとか、神!」
群衆の前に立つと、ゆっくりと手を上げ、とある少年の肩を軽く叩いた。
「ちょっと、いいかい?」
筐体の前に立つ。
指先がボタンに触れる。
たったそれだけで、ゲーセンの空気が変わった。
周囲の音すら遠のく。
電子音も、人のざわめきも、全て男のためにタイミングを測っているかのようだ。
レバーをほんの数ミリ動かして、ボタンを押す。
その一連の操作には、微塵の迷いもない。
アームがゆっくりと下降する。
「ここだ」
再びボタンを押すと、爪が景品のタグを正確に捉え、しっかりと掬い上げた。
ぬいぐるみが静かに出口へ向かう。
「──落ちろ」
低く呟くと、アームがゆっくり開く。
まるでその言葉に従うように、ぬいぐるみが獲得口に吸い込まれていく。
誰もがその行方を固唾を飲んで見守る。
一瞬の静寂──
次の瞬間、歓声が爆ぜる。
「やばっ!今の見た?」
「えぐすぎ!」
サングラスの奥で軽く笑い、視線をこちらへ向ける。
今、こっちを見た…?
隣の少年が聞く。
「あんた、だれ?」
「ボクかい?ボクはクレーンゲーマーの頂点──」
口元に笑みを浮かべ、サングラスを指先で持ち上げる。
「カイザークレーンさ」
「取れない“運命”は存在しない…ボクがいる限りね」
「ボクの動画を見て、学んでくれたまえ」
「相変わらず、やなやつだな」
あの変に自信家で、挑発的な所が嫌で、見るのをやめてた。
そして、代わりに見るようになったのが、リメりんのチャンネル。
顔も出さず、言葉少なに、ただ確実に景品を掴み取っていく。
その手つきに、嘘がないと思った。
……気づけば、憧れていた。
同じクレゲなのに、どうしてこうも“響き”が違うんだろう。
「…なに?」
「いや、なんでもない」
「それでは、クレーンゲーム検定を受ける方は受付お願いします」
「よし、行こうぜ」
「あたしは遠くから眺めてるね、頑張って!」
アナウンスがあり、受付へ向かう。
「クレーンゲーム検定1級の可児(かに)です。よろしくお願いします」
「3級の試験内容は、私からクレーンゲームの技、12種を説明します。その後に実践してもらって、クリアできたら、合格です」
「じゃあ、さっそく一つ目の技、差し込みから──」
流石、検定1級になると、技一つ一つの説明はもちろん分かりやすいが、筐体への理解もとても深い。
まぁ、正直、全て知っている技で、少し拍子抜けではあるが…。
基礎を確認する良いタイミングになった。
「──では、これから皆さんに実践してもらいます」
「12種の技でゲットしてください。制限時間は一時間です。では、張り切ってどうぞ!」
「よし、行くか」
筐体の前に立ち、深呼吸をひとつ。
まずは、“雪崩”から。
アーム開度、景品の位置関係、頭の中で描いた軌跡を辿るように、ボタンを押す。
会場のざわめきが遠のいて、指先の感覚だけが、研ぎ澄まされていく。
あいつの派手なプレイとは違う。
手元が狂いそうで、余計な雑念をぬいぐるみごと弾き出す。
「おぉ〜」
「すげぇ、今の綺麗だった」
小さな歓声が上がり、俺は息を吐いた。
「次、リメリメ♡チャンネルさん」
空気が一変した。
周囲の視線が一斉に集まる。
「チャンネル名で応募したのか?」
「…撮影許可も、もらった」
「顔出してたか?」
尋ねると、小さく首を横に振る。
「いいのか?」
「…いい」
短い返事。
その瞳には、まるで何かを振り切るような意志があった。
スマホを構えながら、ボタンを操作する。
派手さも虚勢もない。
ただ真っ直ぐで、静かで、研ぎ澄まされている。
見るだけで、心が引き込まれるようだった。
ぬいぐるみたちが落下していく。
(あぁ、やっぱり、リメりん…好きだ)
「…な、な、何言って」
固まり、慌てるリメりん。
珍しく声が裏返っていた。
「どうした?」
「…い、今、好きって」
「えっ?あ、いや、そういう意味じゃなくて!プレイが!プレイが好きってことな!」
「……そう」
リメりんは小さく咳払いをして、視線を戻す。
耳元まで赤いのをヘッドフォンで隠すように。
「…次行く」
そう言って、歩き出した。
コードが絡まって、あたふたしながら。
それから、俺たちは残りの課題も全てクリアした。
リメりんはどの設定でも、変わらず正確で無駄のない動き。
アームを操るたびに景品が落ちていく。
「おめでとうございます。認定証です」
係員が笑顔で差し出した認定証を受け取る。
少し厚みのある感触が、達成感を連れてきた。
「枠太、やったな!」
楽が俺の肩をどん、と叩く。
こいつも無事合格だ。
「…合格」
隣ではリメりんがほんの少しだけ口角を上げていた。
「おつかれさま!おめでとう!」
芽衣が駆け寄ってくる。
どこか誇らしげで、楽しそうで、まるで自分のことのように喜んでいた。
その時、背後で誰かがひそひそと声をあげる。
「おい、カイザークレーン2級落ちたらしいぞ」
「マジ?カイザーが?」
「腕はまちがいないんだろ?」
「でも、あんなに大口叩いてたのにダサくね?」
「今日の“運命”は気まぐれみたいだ。」
そう言い残して、彼はどこかへ消えた。
誰もがその背中を目で追ったけれど、すぐに人の波に紛れていった。
「リメリメチャンネルならいけるんじゃね?」
「リメりんのプレイが見たい!」
「私も!」
声が一つ、また一つと重なっていく。
あっという間にゲーセンを飲み込み、歓声の渦になっていた。
その熱気を受け取るように、係員がマイクを取る。
「リメリメチャンネルさん、挑戦してみますか?特別枠です」
短い間を置いて、リメりんが答えた。
その瞳に決意を宿して。
「……やる」
きゃっち!Meeeee☆ 〜クレゲで人生最高のプライズ、掴みませんか?〜 三瀬夕 @Anotoki-Anohi7
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