11ボタン 古びた教室に色付くペンキ
静まり返った昼間の教室。
今日の午後は授業がなく、遠くでは運動部の掛け声や吹奏楽の音が響いている。
絢音は撮影、梢は部活があり、最初の活動は4人で始まった。
「なんと、クレゲ同好会が発足しましたー!」
楽が嬉しそうに発表する。
「そうか…」
「なんで、テンション低いんだよ」
「タダでクレゲしたかった…」
「わくた、そんな邪なこと考えてたんだ」
肩に腕を回され、小声で囁かれる。
「いいじゃねぇか。美女たちと楽しく過ごせるんだ」
「それは、お前の目的だろ」
腕を軽く払う。
「あと一つ、お知らせがあります!」
「なーーーにーー?」
笑心歌が両手を口元に添えて声を伸ばす。
「部室がありません」
「ガチ?」
間髪のない返事に、みんなの顔が固まった。
「…部室が、ありません」
「2回言わなくてもいい。活動はどこでするんだよ」
「生徒会にお願いするしかない」
「素直に貸してくれると思うか?」
「行くしかねぇ!枠太行くぞ」
連日やってきた生徒会室。
不本意だが、来ないわけにはいかない。
それでも、前回のような重苦しさは感じなくなっていた。
「すいませーん」
楽が先導して雑に入っていく。
また狩野が俺たちの前に立ちはだかった。
「今度はなんだい?」
「部室って貸してもらえます?」
「部活じゃないのに貸してもらえると思うかい?」
「そこをなんとか…」
狩野は少し考えた後、めんどくさそうに口を開く。
「うーん、どうしてもというなら、この教室を使うといい」
「いや、旧校舎側じゃないか、こんなのほぼ倉庫だろ」
旧校舎は授業では使っておらず、その先の体育館だけが様々な部活で使用されている。
まともな教室なんてないはずだ。
「嫌ならいいんだ」
「…ありがとうございます」
苦虫を噛んだような顔で楽は頭を下げた。
旧校舎に近づくにつれ、部活の音たちは遠ざかっていく。
気づくと靴と廊下が擦れる音だけになっていた。
薄暗い廊下を抜けて、指定された教室にたどり着いた。
長い間使われていない教室は、不要になった物で溢れていて、空気が冷たい。
木目の剥げた椅子に割れた時計、壊れたテレビ、古いファイル。
乱雑に置かれた机をなぞると、埃で指先が滑る。
誰にも使われなくなった教室って、こんなにも寂しいんだな…。
「…ここが部室?」
芽衣の声が静かに響いた。
正直、どこから手をつけて良いかわからず、呆然としていた。
「片付けよー!」
笑心歌の声がしんとした空気を破った。
振り返ると、腕まくりをしてやる気満々の顔。
全員の背中をポンッと軽く叩いて言う。
「大変だけど、みんなで掃除すればすぐ終わるって!」
「みんなで良い部室、作ろー!」
「…そうだな!やろうぜ!」
楽も負けじと声を上げる。
埃の舞う教室に少しずつ活気が戻っていく。
窓を開けると、外の風が一気に入り込む。
沈黙が染みついた空気は流れて、閉じこもっていたカーテンが微かにはためいた。
「すごい埃っぽいね」
芽衣は咳をひとつして、掃除の準備を始める。
「らくみーはゴミ捨ててきてー。メイメイとわくたんは掃除と机の移動お願い!」
「オレ大変じゃね?」
「頼りにしてるよ!会長!」
楽は頼られて嬉しかったようで、喜んで粗大ゴミを運び出した。
「ウチは…ここ拭こっと」
椅子に上がって、棚を拭き始めた。
それでも、手を動かしながら、チラチラとこちらの様子を伺っている。
「わくた、そっち持ってくれる?」
机を運ぶ瞬間に芽衣の手が少し触れた。
指先に残った体温が思ったよりも長く居座って、どこを見て良いのかわからなくなる。
一拍あけて一緒に動き出した。
机を動かすたびに床がギリギリと軋む。
視界に入った笑心歌は満足そうな表情を浮かべている。
「青春だねぇ〜」
徐々に明るさを取り戻して、息を吹き返していく教室。
窓に反射する光も柔らかく、白い筋が机や壁に揺れる。
「よーしっ、ここまで拭けたら完璧っ──きゃっ!?」
バランスを崩し、椅子から転がり落ちる。
咄嗟に腕を伸ばし、受け止めた。
「……わくたん、ナイスキャッチ」
軽い衝撃と一緒に、甘いシャンプーの香りがふわりと鼻をかすめる。
笑心歌と視線が交わった。
息遣いまで伝わってきて、呼吸を忘れる。
この距離で見た笑心歌の瞳は、思ったより澄んでいて、胸の奥で何かが弾けた。
「危なっ!大丈夫?」
芽衣の心配して駆け寄ってきた。
「ごめん、ごめん」
笑心歌は慌てて立ち上がる。
気まずさを誤魔化すようにスカートをはたいてロッカーに戻っていった。
俺と芽衣も持ち場に戻り掃除を続ける。
「…終わったな!」
楽からは達成感が漂っている。
「掃除して、机並べただけだぞ」
「うーん、やっぱり、このままだとつまんないよねー…」
笑心歌は少し考え込むと何かひらめいたようだ。
「よし、模様替えをしよう!」
「模様替えって何するの?」
芽衣が尋ねる。
「とりま、買い出し行こー!」
「買い出しって、金ないぞ?」
「そうそう、あやねるがこれ使ってってくれたんだー」
制服の内ポケットから封筒を取り出して、中身を確認している。
「……じ、十万円もある…」
「こんな大金どうするんだよ」
「と、とりあえず、少しだけ使わせてもらおう…余ったのは返して、使った分は割り勘しよう」
「だな…」
手渡された封筒のずっしりした重みに喉が鳴る。
妙な緊張感を抱えて部室を出た。
昼下がりの空はどこかのんびりしていて、アスファルトが柔く光っていた。
胸ポケットは重かったが、時折吹く風が背中を押してくれる。
「…ホームセンター?」
「そう!メイメイとわくたんは、これ買ってきて」
「ペンキにスプレー、刷毛…何する気だ?」
「楽しいこと!」
「色は何色が良いの?」
「かわいい系で!」
「らくみーはウチと行くよ〜」
笑心歌と楽は、通路の向こうへ姿を消した。
壁一面に並ぶ色見本を前に、俺と芽衣はしばらく黙り込んでいた。
「何色が良いんだろうな」
「そうだねぇ…パステル系とビビッド系どっちもあると良いかもね」
「そうか、芽衣に任せる」
「じゃあ、オレンジは決定ね!わくたの好きな色」
ペンキ缶を軽く持ち上げて、俺の前に止める。
奥から覗く笑顔がやけに眩しかった。
「さて、あたしの好きな色はなんでしょう?」
「えーっと──」
頼む、当たってくれ…。
「赤だっけ?」
「正解!もしかして、あの時のこと覚えてくれてた?」
「ま、まぁな」
どの時の何だ…?
全く思い出せないが、一難乗り越えて胸を撫で下ろした。
「そういえば、笑心歌を受け止めた時、すごいニヤついてたよね?」
「…いや、あれは不可抗力で」
「ふーん、なんか嬉しそうでしたけど」
疑いの目でこちらを覗き込んでくる。
「そんなことねぇよ、さぁ合流しようぜ」
否定する声が情けなく裏返った。
逃げるように二人の所へ急ぐ、ペンキをたくさん積んで。
日が少し傾き始めた頃、俺たちは旧校舎に戻ってきた。
「よし!やるぞー!」
「おー!」
笑心歌の掛け声に芽衣が応える。
「結局、何するんだ?」
「わくた、ペンキ買った理由まだわからないの?」
「リメイクでーす!自分色に染めちゃおー!」
机、椅子、ロッカーも外に運び出し、養生テープを貼る。
それぞれが好きな色に染めていく。
退屈な日常を色付けていくように。
ひと筆ひと筆、霞んでいた木の表面に新しい色が重なり、生まれ変わる。
「枠太のムラやばくね?」
「うるさい、まだ途中なんだよ」
「エモくていい感じじゃん!」
芽衣が缶を持ち上げた瞬間にペンキのしぶきがふわりと舞った。
「あーっ、楽ごめん。背中にペンキ付いちゃった」
「おい!嘘だろ…」
「ほんとごめん!わざとじゃないの」
芽衣は慌てたように手をバタバタさせながらも、口元は少し笑っていた。
「ほら、これ!ティッシュ」
笑心歌はティッシュ一枚を手渡す。
「これじゃあ、どうにもならないだろ!」
笑い声が廊下まで反響する。
みんなで夢中になって、笑い合える。
それだけで、世界が少しだけやさしく見えた。
「今日はここまでにするか」
「あとはレイアウトだけだね!」
「次は、絢音ちゃんと梢ちゃんも来れるといいね」
指先のオレンジ色が蛍光灯の白色光と残像になる。
ペンキの匂いと笑い声が混ざり合って。
この色が、何かを変えていく──そんな予感がした。
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