第27話 雨夜への共有

 迎えた月曜日は、それはそれは重苦しくて仕方なかった。

 ようやく真冬との誤解も解け、わだかまりなく高校生活を続けられると思っていたのに。少なくとも、雨夜あまやはそう思っているだろう。

「はよーっ! この前はホントありがとなっ!」

 教室に入るなりいつもよりお早い登校らしい雨夜の第一声を、俺は食らう。あまりの無邪気さに、思わず目を瞑ってしまうくらいだ。

「あ、ああ。こちらこそごちそうになったな。雨夜の名案のおかげで、助かったよ」

 口からスラスラと言葉は出てくるものの、俺は雨夜と目を合わせることができなかった。雨夜がそれを疑問に思う前に、続けて登校者が一人。先日の主役に注目をもっていってもらえることとなる。

「真冬ちゃんも! おっはよーっ! この前はありがとなっ」

 俺の時よりもテンション高く真冬に絡む雨夜。対して真冬は、体調が優れないのか重々しくはにかんでいた。

「この前はありがとう。わたしなんかのために」

 教室に入ってから席に着くまでの間、俺の姿を見てハッと息を呑んで涙を堪えたように見えたのは、俺特有の自意識過剰によるものだろうか。

「体調、悪そうだな。大丈夫か?」

 いつもと様子が異なる真冬に雨夜も気づいたようだったが、先に声をかけたのは俺の方だった。あくまでも、体調が悪いように見えること以外の様子には触れないでおく。

「何だか、身体の怠さが抜けなくて」

 気にしないで、と無理に笑う真冬の額には冷や汗が滲んでいた。

「そうか。あまり無理するなよ? 体調が悪化したら、オレ、心配だし」

 雨夜は心底真冬が心配そうだったが、これ以上話を続けても真冬の体調に差し障りがあるといけないと見守りの体勢に入ったようだ。一方の俺は心配も何も、心当たりしかなく複雑な気持ちでいた。

 真冬の体調不良の原因は、おおよそ想像がつく。鷹司たかつかさと対峙した時に発動しかけた能力のせいだと。真冬が倒れて春香さんに引き渡した後のことはわからない。同様の事象が発生した時の内容を聞くに、しばらくの間眠っていたのだとは思うけれど。それだけの睡眠では休息に不足が出る程強い能力を持っているのだと、改めて実感させられる。

 一日の始まりを告げる鐘が鳴り授業が始まっても。俺は時折真冬を横目で盗み見ていた。雨夜もきっと真冬の後ろ姿を眺めていたことだろう。一時間目の授業が終了した後、真冬は友人の女子生徒に連れられて保健室へよろよろと向かっていった。

 昼休みになると、俺は雨夜を探しに教室を脱した。

 雨夜は昼休み開始のチャイムが響き授業が終わると、決まってすぐさま教室から姿を消していた。一緒に飯でも食べようと誘おうとしても相手がいなければそんな誘いも虚空へと消えてしまうものだ。毎度毎度声をかける前にふらっと消えては昼休み終了間際にしれっと戻ってくる。当初は疑問で仕方なかったけれど、数日経ったところで何となく察しがつくようになった。

『ねえ、朝倉くん。雨夜くん知らない?』

『雨夜くん、いつもどこに行っちゃうんだろう。一緒にご飯食べたいのにぃ』

 俺と雨夜が親しくしているからなのか、同じクラスだけではなく他クラスの女子にまでそんなことを聞かれるようになったのだ。もちろんまったくもって心当たりのない俺は、知らないに類する回答をするしかなす術がなかった。次第に俺が当てにならないと理解した女子たちは、ようやく質問攻めから開放してくれたのだが。雨夜のモテ具合には心の底から腹の立つものがある。それと同時に、恵まれたものがあっても苦労するものなんだなとも思う。同情は死んでもしてやらないけどな。

「にしても。いつもどこにいるんだ、アイツは……」

 やれやれとため息を吐き、あてもなく歩く俺の身にもなってくれ。

 ただでさえ時間のない昼休みだ。無駄に時間を費やしたくない俺は、一度立ち止まって拙い脳に藁でもすがる思いで頼ってみる。

 雨夜を探し求める女子たちでも見つからなかった場所。校内は一通り見て回ったのだろうと推測はできる。と、なると。

 俺は閃いた考えを辿り、ダメ元で階段を駆け上がることにした。

「わっ」

 向かった先は、屋上。重い扉を開くと、吹いてくる風に思わず呻きを上げてしまった。

 屋上に狙いを定めた理由は大したことではなかった。雨夜は、知らずと植えつけられた固定概念を逆手に取って一人になれる場所を見つけていたのだ。

 少なくとも俺は、危ないからという理由だけで中学校までは屋上に立ち入ることを禁じられていた。理科の授業で遮光板を手に太陽の観察をするくらいしか立ち入った記憶がないくらいだ。だから経験則上、高校でも屋上の立ち入りを禁じられているのではないかと思っていた。だが、改めて思い返してみると、屋上に立ち入ってはならないと言われた記憶がないとふと気づいた。一か八かで屋上につながる扉の前に立ってみると、立ち入りを禁じるロープも看板も一切なく。鍵もかかっておらずすんなりと足を踏み入れられたのだった。

 中学校とは違いクラス数の多い高校なだけあって、敷地面積が広い分屋上もそれなりの広さがあった。それでも見渡しがよい分、少し歩けばお目当ての人物をすぐに見つけることに成功する。

「雨夜。こんなところにいたんだな」

 屋上の隅っこ、俺が上がってきた一年生のクラスがある教室の階段の出入り口からは離れた場所に、雨夜は座っておにぎりを咥えていた。意外にも他の生徒の姿は見当たらなかった。

「お。シノじゃん。どうした?」

 俺の姿に驚くことなく、雨夜は俺を見上げてくる。見つかってしまったというよりも、いつかは俺がここに辿り着くだろうと思っていた顔をしていた。

「探したんだぞ。お前に話があってな」

 放課後は放課後で、アルバイトのため下校を許された途端に雨夜は姿を消す。朝も遅めで時間がないから、雨夜を捕まえるには昼休みしかなかったのだ。

「なんだよ。そんなにオレが恋しくなっちまったかあ?」

 口ではウザったらしく冗談を言っているけれど。さっとあたりを見渡して人がいないのを確認したところからして、俺の来訪目的に大体察しはついているらしい。本当に、察しがいい奴で助かるよ。

「雨夜のバイト先を出た後、俺は真冬を家まで送ったんだ。で、真冬のことについて少し話をしたんだけど」

 ただでさえ時間のない昼休みだ。俺は時間内に話し切れる自信がなく、登校時にコンビニで買ってきた菓子パンをそそくさと開けるとすぐに先日あった出来事の共有を始める。

 神水かみみず神社の例の池のベンチで真冬と雑談をしていた時、真冬の器である鷹司が現れたこと。目障りになった俺に警告するため、オモチャのナイフで俺を刺そうとしてきたこと。真冬はオモチャと知らず本当に俺が刺されたと思い能力を使いかけたが、刻印により抑制されて気を失ってしまったこと。倒れた真冬を偶然出会えた春香はるかさんに託したこと。

「……とまあ、そんなことがあったんだよ」

 カロリー重視で買ったチョコチップが表層にこれでもかと埋め込まれた大きなメロンパンを勢いよく齧りつきながら、俺は話を終えた。もぐもぐと咀嚼音によって聞き取りづらい箇所があっただろうがご愛嬌だ。

「それはとんだ災難だったな。今朝、真冬ちゃんが調子悪そうにしていた理由も納得がいったわ。……にしても、鷹司って野郎。一発ぶん殴ってやんねえと気が済まないな。本当に真冬ちゃんの適合者なのかよ?」

「真冬と鷹司がコアと器の関係なのは確かだ。真冬本人がそう言っていたし、春香さんの証言も取れてる。あと、鷹司に手を出すのはやめろって。お前なんか権力で一捻りだ。俺の適合者がいなくなっちまったら責任取れないだろ」

 先日の一部始終を頷きながら静かに聞いてくれた雨夜の第一声は、思っていたとおりの反応だった。補足がてら牽制しておくも、雨夜は冗談だと笑ってやがる。冗談と言いつつも雨夜ならどこかうっかり殴ってしまいそうな雰囲気が漂っているから、少しヒヤヒヤする。

「あーあ。せっかく真冬ちゃんとの仲直り大作戦が成功したってのに、どうしてこうも次から次へと問題が降ってくるかなあ」

 雨夜はぼやくも、それ以上の追及はしてこなかった。真冬の能力について何か聞いているか問いただされるかと思ったが、俺が要点をすべて共有したと思っているのであろう。それに、真冬の能力のことを以前春香さんからあれだけ言われてしまっては、同席していた俺に個別で話してもらったとは想定していないに違いない。

 そう考えると、俺は胸が締めつけられる。

 だって、真冬の能力の話を春香さんから聞いたって言えば。どうしてあんなに頑なに教えてくれなかったのに俺にだけは伝えたのかと、雨夜なら鋭い指摘を飛ばしてくるだろう。そうなると俺は白状せざるを得なくなってしまう。

 俺が、真冬のもう一人の器であることを。鷹司は真冬にとっての『悪』の器であり、春香さんは『善』の器である俺と真冬を引き合わせたがっている、とも。

 それは、ある種の雨夜への死刑宣告。俺には言えない。言える勇気なんてない、とんだ卑怯者なんだ。

 俺は、雨夜の言う『いい奴』なんかじゃないんだ。そんな奴に、俺はなれないんだ。

 この雨夜への裏切りと言ってもいい行為を今後糾弾されようが一向に構わない。雨夜には、その権利があるのだから。俺は意図的に現実から逃げまくっていると、自覚しているのだから。

「あ、ヤベっ。昼終わっちまった」

 俺の気持ちなんて露知らず、昼休みを告げる鐘が無常にも校内全体に響き渡る。屋上にいても校内のざわめきや午後の授業への他生徒たちの気怠さが漂ってくる。

「シノ。俺を見つけてくれてありがとな。放課後はバイトで時間作れないし、昼休みは短いけど、情報共有助かったよ。俺も何かあればちゃんと言うからさ」

「……あ、ああ」

 戻ろうぜ、と雨夜はよっと勢いをつけて立ち上がる。俺は手に掴んだままの菓子パンの袋の残骸をグシャグシャに丸めると、スラックスのポケットへと捩じ込んだ。

 教室に戻っても、授業の続きが始まっても。真冬が戻ってくることはなかった。

 けれどもそんな真冬に対する不安は一時的なものに終わり、俺と雨夜は心置きなく翌日、連休前最後の授業日を迎えることになる。

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