第18話 誤解解消
それからは黙々とスプーンを口の中へ運ぶ作業がお互いに続いた。辛いものは得意なはずなのに、食べる度にカレーがヒリヒリと喉の奥で焼けるように熱い。クマになり損なった冷めたカプチーノをがぶ飲みして喉の火照りを鎮めていると、お盆にコーヒーカップを二脚乗せたウェイターが再び姿を現した。今度は、銀の器に盛られたプリンも一緒だった。
「おっまたせー。こっちはシノのプリン。で、再チャレンジしたラテアートだぜ!」
どんよりとした空気をぶち壊すように、
「ん? これは……」
コトリと置かれたカップの中に広がる、ラテのキャンバス。一つには大きく白いハートが、もう一つには一輪挿しの花が描かれているように見えた。後者は花弁がハート形で、その下に対の葉っぱが三つ続いている。
「何に、見える……?」
意気揚々と持ってきた割には、恐る恐る俺たちの様子を伺う表情の雨夜だった。浮かない顔だった真冬も、今回のラテアートを見てふわりと微笑む。
「わたしのはハートだね。シンプルでかわいい」
「俺のは花、かな。花には疎いから、種類まではわからないけど」
一周回ってもはや可哀想としか思えないあのクマ模様に比べたら、俄然シンプルでわかりやすい。絵柄をピタリと当てはできないけれど、八割方正答に近づける自負を持てる代物にはなっていた。先程みたいに答えに窮することはない。
それぞれの解答を得て、雨夜は正解だと満面の笑みを開かせる。
「当ててもらえたの、初めてでめっちゃ嬉しい! ちなみにシノの一輪の花はチューリップな。……今まで、ラテアートと言えば洒落てて複雑な絵柄の方がいいよなって思ってたけど、シンプルなものでも喜んでもらえるんだな」
自分の発した言葉を噛み締めて、雨夜は続ける。
「もっと早く上達して世話になってるマスターの役に立ちたいって。オレ、先走りすぎてたのかもな。ラテアートの勉強用に買った本を見て、基本に立ち返ってみたらこうやって二人に褒めてもらえた。急がず焦らず、徐々にステップアップすることにするよ」
お盆を胸に抱きしめてそう宣言する雨夜に、俺と真冬は頑張ってと声をかける。同時に俺は、雨夜が自身の能力について明かしてくれたあのカフェでの出来事を思い出していた。手本とした書籍とは雨夜が能力の説明の時に取り出していたものではないだろうかと思い当たる節があったからだった。
雨夜の急く気持ちはわからなくはない。自分のタイムリミットが明確な以上、焦って当然だ。でも、小さなことでも俺たちが雨夜の手助けになれたのであればそれでよかったと思える。俺は雨夜ありきで生きながらえる側であり、雨夜の生き方にとやかく言う資格はないのだから。
雨夜は最初に持ってきたカプチーノの空になったカップ二つと完食したカレー皿をお盆に乗せ、キッチンへと下げていった。その後しばらくしてエプロンを取ってそそくさと戻ってきた雨夜は、小さなハートが三つ連なったラテアートが施されたカップを手にしていた。
「今、お客の入りも少ないからって、マスターが少しなら休憩していいって言ってくれたんだ。隣、いいか?」
俺の隣に腰を落ち着けると、まだ手つかずの俺のプリンを一口勝手に食いやがった。
「おい、俺のプリンだぞ」
「いいじゃん、オレの奢りだし。糖分チャージも必要だしさ、ケチくさいこと言うなって。真冬ちゃんもそう思うだろ?」
「えっ。そ、そうかな……?」
俺から奪ったスプーンを戻す雨夜はへらへらと笑ってやがる。急に話題を振られた真冬もどう返事をしたらよいか戸惑う始末だ。接客中は真面目ないい奴だったのに、素に戻るとこうだから困る。そこが雨夜らしさの一つではあるから、思い悩んでいるよりはずっとマシなのは否めないところが憎いよな。
「雨夜くん。わたしのも、食べる?」
真冬は上手に返答できなかったことに気を揉んでか、残り一口二口となったプリンアラモードと雨夜を見比べて気を遣ってあげていた。そこから奪い取るなんて行為をするならさすがに悪魔の所業だから、友達の縁を切らざるを得ないと身構えた俺だったけれど。雨夜は大丈夫と一言返事をして、お手製カプチーノをゆったりと啜った。
「真冬ちゃん。今日は来てくれてありがと」
コーヒーカップをテーブルに置くや否や、雨夜は真冬の瞳を捉えて感謝の意を伝える。それも、取り繕ったものではない心からの爽やかスマイル付きで。
「え。そ、それほどでも……」
改めてお礼を言われたことでたじろぐ真冬は、隣の俺に困った視線を向けてくる。雨夜の言動に引っかかりを覚えたところで、俺はようやく思い出す。真冬と二人でいることに気を取られて、本来の目的をすっかり忘れていたのだ。
「俺と雨夜が春香さんと会って以来、真冬が距離を置いているような気がしてさ。雨夜がきっかけ作りとして、今日この場を設定してくれたんだよ」
「まあ。ゴールデンウィークに向けてラテアートの練習と意見を聞きたいっていうのは、本当のことだったんだけどね」
目的を忘れていたなんて言えるはずもなく。あたかもずっと考えながら行動していたかのようにその場しのぎで言葉を並べてみるも、二人の様子から気づかれずにいるみたいだから内心胸を撫で下ろしている俺がいる。
俺たちが今日の趣旨を簡単に説明すると、真冬は大きく目を見開いて勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさいっ! わたし、あの日に
「それは、春香さんに頼まれた偵察の話?」
声が少し震え気味の真冬に気を遣って、優しく責めないように雨夜は問いかける。俺たちの意見としては、偵察のことが知られて気まずくなったのだとしか思えなかったからだ。
「うん……そう。春香姉さまはもう二人のことをほとんどわかっていたみたいだったけど、確認のためわたしに偵察を命じたの。でも、春香姉さまみたいな能力、わたしにはないから。偵察って言ったってどうすればいいかわからなくって。具体的な行動は取れずにいたの」
真冬の能力には何か偵察に関わるものがあるのかと思ったが、どうやら違うらしい。それに偵察には慣れていないみたいだから、ド素人の真冬にとっては急な無茶振りだったようだ。
「それで、入学後声をかけてくれたシノと雨夜くんの話をしたの。報告することなんて何もなかったから、苦し紛れのつもりだったんだけど……。そうしたらまさか、春香姉さまが探していたのが二人のことだってわかって。それであの日、言われるがまま二人を春香姉さまのもとへと案内したの」
申し訳なさそうに真冬は身体を小さくしていた。俺としては何であれ真冬の口から真実が聞けて嬉しかったし、正直そんなところだろうと思っていた。新たな問題が浮上しなくてよかったよ。
「なるほどね。まあ、でも。オレたちは特に真冬ちゃんに対して嫌な気持ちを持つことも何もないから。短い間だけど、これまでどおり仲良くしようぜ。なあ、シノ?」
「ああ、もちろん。改めてよろしくな、真冬」
同意のウインクは不要だと無言で雨夜をあしらってから、真冬に対して俺のできる限りの笑顔を向ける。俺と雨夜の言葉に大きく頷いてくれた真冬は、ようやく肩の荷が下りたのか表情を崩した。
こうしてようやく久し振りに三人でゆっくり話ができる機会を得たんだ。自分たちに課せられた試練について情報共有をするべく腰を据えて本題に入ろうとしたのだが。前段として他愛もない話を軽くしていたところに、俺たちとしては運悪くお客さんがちらほら来店し始めてしまった。お店にとって商売繁盛を願わずにはいられないだろうから、本来あるべき姿に戻ったといえば反論の余地はないのだけれど。雨夜の束の間の休憩時間は露に消え、名残惜しくも邪魔になっては悪いと俺と真冬も退散することにした。
またのご来店をお待ちしております、と言いながら顔を上げた笑顔の雨夜と、カウンター越しに微笑みを絶やさないマスターに見送られて、とりあえずは今日のミッションコンプリートといったところか。
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