第13話 真冬と刻印

「その……刻印、とやらがあれば、能力をコントロールできるんですか」

 雨夜あまやが恐る恐る投げかけた問いによって、春香はるかさんの不可視の拘束から俺は解放される。

 春香さんは自分自身のことを中立的な管理者と言っていた。だが、時折無言の訴えというか、何か意図があるとしか思えない振る舞いを俺にしているのは、ただの思い違いだろうか。

「制御という語彙はちいと正確ではなかったな。刻印は、コアにとって能力の抑制作用があるのだ」

 するり、と。春香さんは俺たちに背を向けたかと思うと、次の瞬間。着物の衿ぐりを肩から下へと落とした。露出したなめらかな白い肌をキャンバスとして、その背中全体には悠然と咲き乱れる一本の桜の木が入れ墨のように刻まれていた。遠山の金さんのような桜吹雪の彫り物というよりは、障子の隙間から垣間見えている、風に揺れる桜をそのまま描いたと言った方が表現としては近い。

 俺と雨夜はその桜の美しさに、ただただ息を呑むことしかできなかった。俺たちも一応、健全な男子高校生だ。こんなラッキースケベ的な展開、普通なら胸が湧き踊るに違いない。あるいは刺激が強すぎて視線を逸らしていたかもしれない。それなのに、艶やかで色っぽくても芸術作品のような春香さんの背は、離れていても桜の香りが間近で鼻腔をくすぐるような魅力が詰まっていた。網膜に勝手に焼きついて、目を離せない。

「ほほ。そのように熱き視線を向けられては、こちらまでこの身が焦がれてくるではないか」

 サービスタイムは突如終わりを告げた。春香さんは着物の衿を正すと、またもとのとおりゆるりとした着こなしでこちらに姿勢を戻した。夢心地だった俺は、もう刻印の意味なんて頭から吹き飛んでいた。脳内にまで、乱れ咲いた桜が荒れに荒れている。

「我ら神水しんすい一族はの、その昔、未来を見通す力を持っていたという。神水の血を引く人間がいずれ強大な力を持ってこの世に生まれ落ちると、先祖は予言した。もしその力が暴走する事態となれば世界を破滅させかねんとも、な。それからというもの、誕生した子らには必ず身体のいずこかに刻印がなされた。余ら姉妹も例外ではない」

 先程のサービスタイムには、春香さんの無邪気なからかいの意味も込められていたのではないだろうか。そう気づいたのは、今はもう既に春香さんが管理者としての役割を果たそうとする眼差しに戻っていたからだった。その瞳に急速に冷やされた頭と相反して、身体は火が出そうなくらいに熱い。穴があればどんなに小さくても、世界の裏側にしかなくても、猛ダッシュで滑り込みたいくらいに恥ずかしさが吹き上がってくる。

 そんな俺の様子など露知らず、春香さんは先を続ける。

「当然、一番先に生まれ落ちた者がより力を持つと思われていたゆえ、余は抑制効果の高まるよう相応の大きさをもって印を刻まれたのだ。一方の真冬は末の子ゆえ、力の影響はそれ程までではないと踏み、刻まれた印は小さきものだった」

 だが、と逆説の言を言いたげに、春香さんの視線が陰りを見せる。

「そして、先祖の予言は的中したのだ。余は器として、真冬は核として選ばれた。器である余は能力を持たぬ。核と融合し能力を得たとて、厳密に言えば神水の血を引く力ではない。この背の刻印は、余の後発的に得た能力には効かぬのだ。神水の強大な力を持ってして生まれたのは……真冬。あの子なのじゃよ」

 真冬の名を口にする春香さんは管理者として淡々と事実だけを伝える冷静さはなかった。心のどこかではただ姉としてできることなら立場を変わってあげたいのではないかと邪推してしまうくらい、悲痛な面持ちをしていた。

「真冬ちゃんは、能力のことを知っているんですか」

 きっと、自身の能力を制御できれば能力を封じずとも有効活用できる活路を見いだせるかもしれないという淡い期待を抱いたのだろう。刻印には自身の能力のコントロールはできないと知った雨夜は暫し肩を落としていたように見えた。しかし、同じ核という存在により親近感が湧いたのか、真冬の能力の深堀りを始めた。

 俺だって好奇心に素直に従えば、真冬の能力がどのようなものかは知りたい。でも、俺と雨夜が器と核ということを知った上で、真冬が能力について明かさないでいたのであれば今はまだ聞いてはいけない気がする。そんな俺の願いは結果的に叶えられることになる。

「能力を保有しておること、その他諸々の汝らも承知の器と核などのことは、真冬も心得ておる。じゃが、真冬の内なる能力が如何ようなものであるかまでは把握してはおらぬ」

「春香さんは、他の能力者の能力を知ることもできるんじゃなかったんですか! 真冬ちゃんが持つ能力がどんなものか、教えてあげたって……」

「ならぬ」

 ピシャリと、春香さんの喝が広間全体に響き渡る。雨夜は自分で能力に気づけたはいいものの、結果として両親に見放され孤独と苦悩を抱え続けている。たった一言、能力について初期の段階から助言してくれる誰かがいれば、多少であっても未来は変わっていたのかもしれない。雨夜の強く握られた拳からは、そんな思いが滲み出ていた。

「己の能力は、己の力で気づくべきなのじゃよ」

 雨夜の思いを一蹴した春香さんは、打って変わって慈愛を含んだ戒めを続けた。それは、雨夜の過去は間違っていないと包み込むようにも、真冬に対して何もできない姉の言い訳のようにも、どちらとも取れる含みがあった。

「真冬はいまだ神水の刻印によって、与えられし能力をその身に秘めたままじゃ。一族によって課せられた抑止が薄らぐ時。真冬は己の使命を知ることとなろう」

 突如として吹き上げた突風により、障子の外の桜はその花びらを激しく揺らしていた。室内に舞い込む一枚の薄紅色の花弁を眺め遣る春香さんの紅色の瞳は、直前に一瞬だけ、俺に視線をくれていたように思えた。真冬のことを話す時の春香さんの様子は、やはりどこか歪だ。ここまで露骨な態度を取られては、冴えない頭を持っていると自覚している俺ですら感じ得るに余りある。

「さて。そろそろ質問攻めにされるのにも飽いてきたの。器である汝であれば、最後に一つ。質問を許そうではないか」

 俺と雨夜に視線を戻した春香さんは、優雅に笑うと閉じた扇子を俺に向けた。

 突然最後に質問の機会を与えられたって、山程ある疑問を一つに絞れとはなかなかに鬼畜の所業である。人類存続審判のことだって、春香さんのことだって、器や核のことだって。わからないことはたくさんある。真冬のことも、もっと知りたい。

「春香さんは、もともとは器だったんですよね。融合した後の春香さんの変化……核である適合者の方は、どうなったのでしょうか」

「シノ……」

 それでも俺は、一息ついて最後の質問を投げかけた。今、俺の隣には雨夜がいる。雨夜がこれまで春香さんに対して能力について問いかけていた根本には、雨夜自身が直面し続けている核としての困難を和らげよういう意図が含まれていた。だったら俺にできることは、器として、雨夜の対となる存在として。雨夜の不安に寄り添ってやるのが筋なのではないか。まあ、俺自身融合後の経験者の話は聞くに越したことはないしな。

「ふうむ。汝らは揃いも揃って悩ましい問いを投げかけてくるの。……まあ、よいであろう」

 春香さんは広げた扇子を再び口元にもっていき、ゆらゆらと空気を揺らす。

「余に与えられた変化は、核の能力を操れるようになったくらいかの。人格も、身体の変化も何一つない。……核であった適合者が余に与えしものは、あまりにも少なかったのう」

 伏し目がちとなった春香さんは、融合まで残り三年を切った雨夜に対する憂慮の念を漂わせているわけではなかった。俺らの知らない、春香さんの対であった適合者へのあくまでも個人的な感傷から態度を転じていた。

「では、これにてお開きじゃ。人類のため、くれぐれもよろしく頼むぞえ」

 俺の問いに対する答えは、あまりにもシンプルだった。むしろ、答えとしては不足しているとも言える。春香さんの身に起きた変化のみで、対である適合者についての明言は避けられた。

「春香さんっ! 俺は、まだ……」

「シノ。……行こう」

 俺は納得できず春香さんに声を荒げる。だが、意外にも雨夜に嗜められてしまった。

「雨夜、でも……」

「いいんだ。少し長居しすぎたかもしれないな」

 引くに引けなくなった俺を、再度雨夜は制止する。軽く頭を下げて雨夜は立ち上がると、背を向け一人出口へと歩き出してしまった。斜め下を向いたまま、振り向こうともしない。

 偽善と言われたって構わない。最後の質問枠は雨夜のためを思って消費したのに。俺は霧の晴れない感情とともに重い腰を上げる。

 雨夜の後を追って俺もこの広間を脱するべく歩を進める。既に雨夜の姿はなく、再び開かれた引き戸からは肌寒い風が吹き込んでいた。

「少し待て」

 出口まであと数歩といったところで、後ろから声をかけられる。完全に虫の居所が悪くなってしまった俺は、帰れと圧をかけたり待てと呼び留めたりと勝手だなという気持ちを綯い交ぜにしながら振り返る。先程春香さんが微睡んでいた位置から投げかけられていたと思っていたのに、実際には春香さんは想定よりも近く、俺の背後を取っていた。音も立てず気配も感じさせない並外れた動きに、思わず身体をビクつかせてしまう。これも春香さんの能力の一つなのではないかと尋問したくなるくらいだ。

「な、何ですか」

 モヤモヤとした気持ちとは裏腹に、俺はか細く情けなく声を発することがやっとだった。春香さんとの距離を短くしてようやく、真冬の長女に対するあのおどおどとした態度の理由がわかる気がしてきた。話をするため対峙していたあの時ですら、圧迫感というか春香さんの威厳をひしひしと感じていたのに。間近にするとまるで手足を拘束されているかの如く、身体の自由が効かなくなる。それくらい、威圧感が凄まじい。これが、神水かみみず神社の神主。人類存続審判における管理者の力なのだろうか。

「……真冬を、よろしく頼む」

 そんな春香さんから放たれた言葉は、意外にも優しく、似つかわしくなく懇願の意が含まれていた。刹那、春の嵐がこの広間を吹き抜けていった。いたずらな風に包まれてようやく身動きが取れるようになった俺が振り返った先には、ただ一枚の桜の花びらがポツンと。春の残り香に揺られているだけだった。

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