第11話 春香との邂逅
それから一週間はあっという間に過ぎていき、また月曜日が巡ってきた。
こんな感想を持ったということは、この一週間、記憶上に残る出来事が大して何も起こらず日常が円滑に進んでいたのと同義だ。むしろ、今までが情報過多なだけだったのだ。高校入学というだけでも人生においては一大イベントなのに、それを大幅に上回る情報供給に、他人の殺生権を握らされるとまできた。もうそれだけでお腹いっぱいのところ、残酷にも俺の拙い頭を追い詰める出来事はどうしても続いてしまうようだった。
「シノ、
もう既に授業の予習も復習も徒労に感じながら一日を終えた放課後。音もなく静かに立ち上がった真冬が、俺と雨夜に声をかけてきた。
「真冬ちゃん、どうした?」
いち早く反応したのは、雨夜だった。出遅れて俺も真冬に目を移すも、いつもの凛とした佇まいではなく、少しピリッとした緊張感が漂っていた。
「二人とも、今日これから時間取れないかな……」
真冬に倣って俺と雨夜も立ち上がるも、真冬は俯き気味で視線が彷徨っていた。言わなくてはならない、でもできれば言いたくない、こんなことはしたくない。そんな雰囲気が、真冬の声色にありありと滲んでいた。
「ああ、いいぜ。シノ、お前も問題ないよな?」
そう言う雨夜の手は、携帯に素早く何かを打ち込んでいるようだった。視界の端に捉えた画面に映し出されているのはメッセージアプリだった。推測するにアルバイトの断りを入れているようだ。真冬の様子からただならぬものを察知したのかもしれない。
「俺も特に予定はないし、問題ないよ。それで、どんな用事が……」
生活に困窮しアルバイト漬けの雨夜が快諾しているんだ。俺に拒否権なんてありはしない。ただ、この一週間ちょっとの間で初めて見せた真冬の様子を不思議に思った俺がお誘いの内容を聞くのは当然の流れだろう。それなのに俺の問いかけは、真冬の射抜くような瞳によって詰まってしまった。抑止されたと言ってもいい。同時に雨夜にも向けられたその瞳はそのままに、真冬は用件を告げる。
「姉さまから……お二人をお呼びだてせよとのお達しがありました。わたしの家……
淡々と指令書を読み上げているかのような口調には、有無を言わさぬ強制力があった。俺と雨夜に与えられた選択肢は首を縦に振ることのみだった。
チャラチャラと、雨夜が引く自転車のチェーンの音だけが三人の間を響き渡っている。
目的地である神水神社へ向かうまでの間、俺たちは無言だった。話題ならいくらでも作り出せそうものだが、到底雑談をする雰囲気ではなかった。
神水神社は高校から見て駅を挟んだ反対側に位置していた。三点を結ぶとおおよそ正三角形になるような距離感だ。雨夜が自転車を引いているということもあって、俺たちは高校から住宅街を通って曲がりくねりながらもほぼ直線距離を歩き続けた。
「……神社には着いたけど、姉さまのところまではもう少しだから」
大きな鳥居の前で一礼をしてから、真冬は俺たちに振り返らずに呟いた。
俺と雨夜も辿々しくも真冬の真似をして頭を下げると、境内へ向けて一歩を踏み出す。
正面奥には大きな本殿があるが、真冬はそちらには見向きもせずに右手に曲がる。進んでいくと次第に桜の木が増えていき、古めかしい離れの前で真冬は足を止めた。もう時期が時期だから桜の花はほとんど散っているはずなのに、この建物を囲うように立ち並んでいる桜だけはいまだに狂い咲いていた。
「……
真冬は数段ある石段を登り、引き戸に向かって声をかける。中からの返事はなかったが、構わず真冬は戸を引く。ギイギイと軋む音を響かせながら開かれた先は、左手から微かに夕日が差し込んでいるだけで奥までは見通せなかった。
真冬が石段から降り立つと、俺たちに中へ入るよう促してくる。いつもの柔らかな物腰はなく、目線は空中を彷徨ったままだった。俺と目を合わせようとすらしてくれない。声のかけ方からして真冬の言う『春香姉さま』とやらが恐ろしい存在であるのか、それとも他の理由があるのかはわからない。それでも俺は石段を上がり、靴を脱いで建物の中へと一歩足を踏み入れた。
「お邪魔します……」
建物内の床には一面畳が敷き詰められていて、三十畳はゆうに超えるくらいの縦長の大広間となっていた。控えめに発した俺の声は何事もなかったかのように空間に分散して消えてしまったくらいだ。等間隔に開かれた外界とつながる障子からは、風が吹くたびに揺れる桜の独特の甘い香りが漂ってくる。
「ふたりとも、よく来たの」
がらんとした大広間を雨夜と一緒にキョロキョロと歩を進めていたところ、一瞬の桜のざわめきとともにどこからともなく声が響いてきた。驚いて声の主を探すと、先程まで誰もいなかったはずの正面奥に着物姿の女性が一人、肘掛けにもたれかけてくつろいでいた。
「そのようなところで立っておらずとも、そちらに座るとよい。なあに、遠慮はいらぬよ」
柔らかくしなやかな髪を床に垂らし、くすんだ紅色の着物を緩く身に纏うその女性は、右手に持つ扇子を少し離れた場所に二つ置かれた座布団に向ける。口調は穏やかだが溢れ出る威厳やオーラは、発した言葉に抵抗するという選択肢を与えず強制的にこの身を動かすには容易かった。
厚みのあるしっかりとした座布団に俺と雨夜は二人並んで身を落ち着ける。この場に真冬はいなかった。今回真冬が任された仕事は案内役のみであり、同席は許されていなかったのかもしれない。
視線の高さが合ったことに満足したのか、正面に鎮座する女性は広げた扇子で口元は隠れてはいたものの目元には微かに柔和さを滲ませていた。
「さて。真冬から聞き及んでいるかはわからぬが、まずは自己紹介とゆこうではないか。余は名を
やはり、この女性は真冬の姉だったのか。それに、この神社の神主をしているということは、石原の言う美人姉妹のウワサが本当であれば恐らく長女に値する人なのではないだろうか。真冬もこの女性も美人という点では首がもげるほど頷ける。
「はじめまして。春香さんとお呼びすればよろしいでしょうか。オレは……」
思わぬ石原の差し金によりくだらないことを考えていた俺の隣で、雨夜がしれっと目の前の女性を下の名前で軽々しく呼びやがっていた。確かに真冬とは姉妹だから下の名前で呼ぶ方が無難ではあろうが、初対面のしかも年上に対してその態度は如何なものかと思ってしまう自分がいる。まあ、俺もその呼び方に便乗するしかなさそうだけどな。
呼び名の確認に加えて雨夜は自己紹介を始めようとしているようだった。だが、その自己の開示はあわや春香さんの静止によって打ち止められる。
「ふふ。汝らのことはよく知っておる。器の
フルネームで名前を呼ばれながら扇子を突きつけられた俺は、思わず背筋が伸びる思いだった。それは雨夜も同じようで、互いに目の端を合わせた。
名前を知っているくらいなら、真冬に教えてもらったのだと説明がつく。容姿だって伝えていれば名前と見た目も一致させることができる。それなのに、なぜ。この女性は、神水春香という人物は。俺と雨夜が『器』と『核』であることを知っているのか。
それと同時に、俺はやはり今を生きるこの世界が夢ではないことに改めて気づかされる。雨夜の言っていた、いや、雨夜だけが言っていた器と核の話。それは、第三者である春香さんの口から発せられたことによって揺るがない現実であることが証明されたに等しい。
だが、今そんなことはどうでもいい。
「ほほ。揃いも揃って『なぜ』という顔をしておるのう。……余は管理者。人類の行く末を見届ける存在。それゆえ、本日汝らを呼び寄せたのだ」
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