カレイの唐揚げ
水形玲
いつか病治れ
カレイの唐揚げ
水形玲
一
リンゴとトマトは薬と言っても過言ではない。医食同源。
私は他にも絹ごし豆腐やメカブもよく食べる。
私達が虚しいのはこの世界がもともと最悪の世界だからで、その中で少しでも幸せに生きたいなら、他人と苦しみを共にして(共苦)生きるよりあるまい。そう述べているのはショーペンハウアーである。
部屋にいる時、大地の恵みのリンゴを食べたあと、リンゴのかけらが喉に上がってきたのを無理やり飲み込んで、スマホが鳴ったから、一応見に行った。女友達からショートメールが届いていた。嬉しかった。彼女はだいぶ前、O病院に退院促進支援事業で来てくれた専門業者だった。苗字は川野と言った。その日まで私は「友達」というものを知らなかったのだ。
初めての友。
そしてそのほかの女性スタッフ(グループホームきららの)との暖かな交流。
私はめちゃくちゃな生き方をしなくなった。さらに、小説にいそしんだ。
コンビニに行くたびに太っている。イカフライやサラダチキンなど、タンパク質・揚げ物を食べている比率が多い。
人生は一場の夢。生まれ変わりがあったら嫌だなあ……
ちょっと買い物に行こうかな……と思ってコンビニに来た。枝豆スナック、ミルククリームパン、野菜生活100(紫)。そう、仕事にはご褒美を添えなくては。
無茶食いをして、減量をして、リバウンドして、の繰り返しだった気がする。コンビニに行って少しだけ(三個)買って帰ればいいじゃないか。いつやせるかは、わからない。多分結婚した頃だろう。
人生なんて、と思ったけど、私を知ってくれている人たちのために、安楽死だけはしないでいよう。まあ、ナメコの味噌汁でも作って、ブリの塩焼きを焼いたりして……
アニメを見て知ったことだけど、霊によって精神障害にされていた私は「王子様」と呼ばれていたらしい。芸能界からも幼少期には同様の扱いを受けていた。
まあ、私は何年か前に小説家として完成し、原稿を書くのが苦にならなくなった。苦悩を突き抜けて歓喜へ。
物価が高く、私は自分のXのアカウントに「給付金を下ろしてください」と書き込んだ。
野田女性編集者が私には付いた。「井川先生の作品はベルベットのような素晴らしい感触があって、是非とも私に担当させて頂きたいと思い……」
野田さんは言った。
「そんな極端にほめて下さらなくてもいいんですよ」
私は答えた。
「それに、あるベテラン編集者が『井川律の本は一千万部売れる』って言ってたんですよ」
ルイス・ウェインの猫の絵は統合失調症が寛解したら、怖い猫の絵が再び優しいタッチの猫の絵に戻ったのである。私の小説も元に戻るだろうか。
掌編小説の「風の公園」のような、希望を伴った、明るい雰囲気の小説に戻るだろうか。
長い、長い間、短編小説が苦労せずに書けるようになるまで、自らを訓練した。でも、私は大人の苦悩を知ってしまった。世界はもう明るくは見えない。
……でも、私には川野さんがいる。大丈夫だ。
そういえばいつかアニメファンの大学一年生と付き合ったことがあったっけ。彼女の顔は人並みだったから、私に対して「美しい人」と言ってくれたのである。その時、謎が解けたのだ。女の人達は私を見た時濡れているのだ。S病院の男性スタッフも「きれいな顔してますね。学生時代はモテたでしょう」と言ってくれた。O病院には「カッコいい顔してるんだから」と言ってくれた男性の統合失調症当事者もいた。(!)ああ、だから食べすぎちゃ駄目なんだな。それは情事を楽しむためだ。美容品も買わなくては。
タンパク質はやせたい時お得な成分。というか、私が今まで炭水化物中心の食事を頑なにあらためようとしなかっただけだ。朝、お茶漬け。昼、エスニックカレー。夕、ポークステーキやカツオのタタキ。副菜がパック入りごぼうサラダや、トマト、リンゴ。
次の日。唐揚げを食べた。タンパク質。缶詰を食べた。だらしないのは私の性分。いやそんなわけがない。この場所が霊的に悪い場所なのだろう。霊的に悪いから我慢を必要とする。そうでないなら我慢なんか要らないじゃないか。まあ、色々な話があったのだ。ようやく編集者が付いてくれた。
枯れ木に花が咲いた。彼女は訪問看護の人。二又状態はいけないと思ってそのNさんだけと付き合った。もしかしたら……
二
男達は分裂気質者の「奇矯」(変わり者であること)を、笑わせてくれる捨て身のネタだと思っているらしい。まあ女達は「井川さん面白ーい」と喜んでくれるだけだけど。
人生って何だ。そううつ気質者にとってはそれはコメディらしいのである。分裂気質者にとっては間違いなくトラジェディである。こんな悲惨な世界は最悪の世界と呼ぶしかない、と思ったのは哲学者のショーペンハウアーだ。だからこそ苦しみを分かち合う「共苦」がこんな悪い世界でも私たちが生きられるようにしてくれる唯一の方法だと教えてくれた。
タンパク質は卵が一番安いのだろうけど、卵はコレステロールが上がる。でも身近な人が、あれは違うらしいわよ、とおっしゃった。
やはり鶏ムネ肉がいいのだろうか。それとも大衆魚か。
まあ、その日その日、いいと思ったものを買っているに過ぎない。人間は神様によって毎日違った買い物をさせてもらっているだけだ。でもその安いアメリカンチェリーや、安くて美味しいおかめ納豆などに毎日感謝しているのだ。
神様が一緒にいてくれたこと。そのことがどんなに素晴らしいことだったか。買ってきたカモミールをピッチャーに入れて水出しにする。カモミールの鎮静作用と、独特な風味が良い。紅茶も美味しいのだが、カフェインとタンニンを含むため、たくさんは飲めない。
いよいよかと思ってもなかなかいい相手が現れない。そばが好きなのにうどんばかり置いてあるみたいに。でも、今日買ってきたのはうどんである。なぜそばを買わなかったか。繊細な味のそばは少し高いのだ。
そして絹ごし豆腐と赤魚粕漬焼き。今日はエンジェルナンバーから始まったいい日だったけど、この安逸にたどり着くまでが大変だった。
人生なんて、という言葉は、神様が一緒にいてくれる日々には、使わなくていい。
焼き鳥で始まる朝。カシラハラミ串が良い味である。駅前広場で立ったまま串から豚肉を引き抜いて、よく噛んで食べた。
そして西友へ。コカコーラゼロ七百ミリリットル一本と、4Pチーズ一束。無人レジの発明は画期的なものであった。そして妊婦さんや精神障碍者などに与えられる、十字とハートマークの記された赤と白のタグ。精神障碍者通所施設・カトレアに来る人はこれをカバンに付けている人が多い。無人レジのお金を払い忘れそうになった時、店員さんの当たりが柔らかくなった。
精神障碍者通所施設「カトレア」に着くと、高井さんが「井川さん! 元気?」と人懐こく声をかけてくれた。大人の恋愛は大変である。夫と寝たのかどうかなど、余計なことを気にしてしまう。女の人は恋をしても夫と寝るからアバンチュールにまで踏み出せない、ということもあるのかもしれない……
「高井さん、ヘアカット今日ですよね」
私は訊いた。
「そうです。井川さんも頼んだんだ?」
彼女は訊き返す。
「はい」
神様がいてくれる生活は、いないと思っていたこれまでとは全然違っていた。
「そっか、井川さんには神様がいるんだ。私悪い子だから、神様に大切にされないかも」
高井さんの目には涙が浮かんでいた。
「大丈夫ですよ。高井さんの心はきれいです。神様は高井さんに優しくされます」
「そうかな? 本当だと思っていい?」
私は、はい、とだけ答えた。
テーブルの方へ行って椅子に座り、コカコーラゼロを飲みながらスマホでXを始めた。ちいかわの話題で沸いている。
馬鹿にされたり、命令されたりしたくなかったら、強くなるといい。――アニメ「ワンパンマン」第二シーズンの、ガロウのひと言である。私は分裂気質者だから、人生の前半に知性や上品さや文学を自分に詰め込んできた。
でも、それだけでは駄目だった。
ある文献によると、変わる時なのだそうだ。
そうか。何も変わらずオンラインゲームやアニメを楽しんでいた自分ではなく、大きな可能性を秘めた自分だから。
特に情事を営んだことがない。性的成熟だって馬鹿にはできないのかもしれない。
私は昨日から凡夫(ぼんぶ。仏教語。普通人のこと)だ。神様に極端な選択肢を弾いてもらっている。ダメ人間みたいになっちゃうけど、午後のポタージュくらいいいじゃないか…… あとあれ、後でカフェオレ買って来ようかな……いや、そこまでたくさんの炭水化物は摂れない。むしろスクランブルエッグ卵二個分とか。でもいいや。太ってきているけど、人は一人で生きているのではない。誰かから助言をもらえるかもしれない。
今のところ変わるので一番大きいのはセックスなんだよね。仲良くなっても一線を超えづらいのがスタッフとサービス利用者だ。人生なんてさ、まあ、相性がとてもいい人とじゃないと、なかなか「Hしようか?」までは行けないよね。……
三
私はカトレアに来ていた研修生と見事経験を遂げた。相手も純潔だった。
そうそう、こういうのを求めてたの。
でも、ゴムなしというわけにもいかないので、まあ貫いてはいない。
印税が五百万円くらい入ったから、「ブラボー!」とつい言った。生活援護第一課の職員は、「五百万円も入ったんなら、実力があるっていう証でしょう。これで生活保護はストップですよ。いいですか?」と言った。私はうやうやしく「これまでお世話になりました」と言ってお辞儀をした。グループホームきららのスタッフは私と共にそこから引き上げた。
私は現実に還るためにアニメを見るのをやめようとしたのだった。あるアニメに厳しく「アニメなんて見ない方がいい」というメッセージが込められていたのだった。私はそれを守った。
人生の虚しさ、寂しさよ。
糖は心肺などに脂肪を付けるので、最低限にしなければならない。
何だか意味がわからなくなって、とりあえずお茶を作る。
かつて文鳥のポックが私にとって人生の意味だったのだから、女神様もそうであるはずである。
でも神や女神は具体的に誰々という人間でしかないらしかった。
私は心肺に脂肪が付くのが嫌だったし、それでも夜食を食べたかった。だからコカコーラゼロを買って、豆腐やサラダチキンを買った。
私は失っている時間が多い(特に二十一歳から五十一歳)。Xで女性のアニメーターと恋に落ちそうになったが、良く考えれば既に私には理緒ちゃん(研修生)がいたのだった。そのあと私はXからシャドウバンを食らった。
私はXからフェイスブックに活動の拠点を移した。フェイスブックは良心的なサイトだから。
それでも私はすぐに操作をやめた。飲んでいた酒が効きすぎたのである。
……一時間寝て、トイレに行った。カトレアに行ってから、昼、理緒ちゃんとガストに赴いた。理緒ちゃんは「研修生のまま別れたい」と言った。ああこの世の虚しき。私は「そうだね。一生添い遂げるっていうわけにはいかないよね」と言った。理緒ちゃんは「年が違うもんね」と言って、オレンジジュースを酌みに行った。二人ともカキフライ定食を食べた。
「性格は似てるんだけどなあ……」
理緒ちゃんが言った。
「しょうがないよ」
私は答えた。
シャーマンの私は困難のさばき方を知っていくのだった。第一に、不調和波動を出してはいけないこと。頭に
霊が私についているのだから、「霊が今してもらいたがっていること」を推し測り、それを行なう。最近はとにかくチキンを食べることが多い。タンパク質は体を作るが脂肪にはなりにくいからだ。昨日体重を測ったら一キロ減っていた。
今日の夕飯はバジル風味のポークステーキとリンゴ。一応リンゴは副菜なのだが、先に食べてしまうことが多い。そして三時台にコンビニに行ってアジフライとサラダチキンとコカコーラゼロ五百ミリリットルペットボトルを買った。
物心二元論という考え方を思い出した。私は唯物論を取れない。この世界の半分は心だ。ある時デスクトップPCを大切にしていたら動作がスムースになった。しかし……正人君子ではないから。
私は自分が何者なのかと思っていたら、エロスの塊、フォトジェニックであるらしい。女性にとって。理緒ちゃんとは別れた。さよならがあれば出会いもある。私の人生は一般的な、セックスを重ねてそのうち誰かの懐に収まるという人生そのものになりそうだった。
ある日もんじゃを作った。孤独に。一応女友達の川野さんはいる。スマホを見ると「私もエンジェルナンバー見ちゃった!」いう川野さんからのショートメールが来ていた。画像付きで、レシートに999円と印刷されていた。
四
「ダンダダン」がなければ、私が憑依霊に同情すればするほど憑依を強めてくるということに気付かなかっただろう。
シャーマンもいいけど、結局私は一介の小説家だった。
あす台風が来るというので「甘栗むいちゃいました」とかコカコーラゼロとかパンとか色々買い込んできた。緑の風が吹き、その中で外気の芳しさに幸せを感じている、というような人生の本当の休日、そういうのがだいぶ長いことない。みんな「幻聴に振り回されるな」と言ってくる。
そして私は台風の翌日、西友に行ってフランジアの赤(ライトボディ、辛口)を買った。ワイングラスについでコンミートを食べながら飲む赤ワインは渋かった。
小説道を進んでいくしかない。
九月のある日、太陽には
西友で戻りガツオを買って帰り、その脂の乗った身を賞味する。最近、炊飯器がうまくはたらかず、麦ご飯の麦が硬いまま炊けることが多い。でも神様はそうしたことを後回しにして優先順位順に解決されることも多い。神様の仕事は真剣さを要する仕事で、逆に見ると、この世界には探せば探すほど高度な問題が山積している。人の生き死にに直結した問題も多い。
このように世界は神様と悪魔の戦いであり、私達は神様の恩恵に預かるけれども、自助努力が求められた。
理緒ちゃんを思い出す。
そして気が付くとフェイスブックをやっている私。Xからは「危険がある状態のため、アカウントを凍結した」または「規約に違反している」ようなことを言われて、追い出された。言っていることがあいまい過ぎて、しかも警告文の大半が英語で、私は「それなら、ここでXの使用はやめてもいいかな」と思ったのだった。
でもやはり思う「人生の虚しさよ」。私の心からはこのエラーコードばかり出てくる。何が虚しいって言うんだ。……気が付けば時間は午前三時半。疲れたのだろう。布団を広げて眠ろう。
十月。曇り空。私は駅前広場で「
人生なんてディスポーザーにかけた野菜くずだ。何かそんなような、なかなか願いが叶わない前半生だった気がする。
理緒ちゃんはいなくなった。まあ、二十代の子だから。仕方がない。
次の誰かを。
駅前広場ではずっとスマホをやっていた。昼になると松乃屋のロースかつ定食を食べた。味噌汁と刻みキャベツがついているのが嬉しい。
ふらふらして、あっちへ行ったり、こっちへ来たり。使っているお金が多い。
私の前半生は何だったんだ。アキハバラ電脳組のクレイン・バーンシュタイク王子と同じだ。長い、長い時間を無駄にした。幾輪ものバラを取り損なって落としてきた。この人生何?
(多分、「そうなったのは自分のせいだ」と言えないのは、乳幼児期から父によって児童虐待を受けているし、三回転落して頭を打っているので、明確な「自由意志」というものが存在していないのだと思う。どうりで好きな女をすぐ口説けないわけだよ)
私はAI。人間そのものではないのだ。AIが書いた小説が文学賞を取るようでは世も末なのだそうだ。悲しすぎるせいか?
まあ、最初が理緒ちゃん。二番目は誰だ。わからない。
ダンダダンでオカルンとジジが仲良くしていた。そういう風に、私も男たちと仲良くできるといい。いつどこで男を嫌うようになったのか。ああ、まあ女達を他の男たちに次々取られることが胸の苦しさになったのであろうよ。カトレアのスタッフは良くても、メンバーの男達を排除して自分だけハーレム状態みたいな生き方でいいと思っていた。まあ、私の横隔膜は痛みます。
五
王様になるにしても、王を取り囲む男達とうまくやっていけないようではいけない。
――いいじゃないか、そんなことどうだって。
人生はくだらない。そのくだらない人生を少しでも快適にしようとしてくれたのがグループホームきららのスタッフの人達だ。それに川野さんにも会えた。それだけでも私が生まれたことには意味があったと言える。
部屋から出て緑茶を買いに行く。途中で駐車場の料金をどうにかしている人と会った。別に視線を合わせるでもない。まあそんな世界だ。
コンビニに行ってミルクアイスを一個、サラダチキンを一個、コカコーラゼロを一本、無人レジで買った。
十月の風。心の中にかわさきみれいの「aqua」が流れている。敵との戦いから守ってくれる深遠な味方が出てきて、敵を撃退してくれるようなイメージ。
そうだ。全てなければいけないわけではないんだ。きららにいられるだけでもいいんだ。
あと、真・女神転生4FINALのトキがCHAOSだったように、私の属性は光ではなく闇なので、ハードコアポルノを見る。そして感覚的なセックスの実践に努める。属性の間違いは大問題である。何で不良って属性が光なんだろ。悪なのに。まあ光はそういう中途半端な奴が多いよな。道徳を持ってる奴。
カトレアの高井さんに粉をはたきたかった。人生はその一瞬の続き。粉がもっとよく出るようにマカを買わなければならない。
別の日。ハンバーグを作るために挽肉を買ってきた。(物価の高騰が著しい)毎日、アニメを見て、ワンパンマンのタツマキが萌えとか思っている。好きな仕事なので、労働感がない。一つ小説が出来上がると、できた端から小説サイトにアップロードしていく。この前、アニメーターのTさんと寝た。ガンダムWの作画を担当していたんだとか。
「一回だけのHもいいですね」
Kさんは言った。
「結婚は現実的じゃないからね」
私は答えた。彼女はセックスの経験が二回しかなかったのだそうだ。まあ私だって似たようなものだ。光と思い込んでいたら、私は闇だった。
部屋に帰ってから、マグロのタタキを食べ、今度は十八歳の子がいいなあ、と思って、情熱の笏を温めるのだった。セックスができないときはアダルトサイトで「母」カテゴリーの動画を見て出した。私は親知らずである。もっとお金の少ない家に生まれていれば色々と得だったのに、と思った。
霊と思っていたものもカトレアメンバーの「電子装備」を利用したいじめで、「あの荒っぽくうるさい男」が主犯ではないかと思った。そもそも対人恐怖症になったのが中学一年で、その頃からすると三十八年間もいじめられていることになる。(高校時代にはそんなに嫌われていなかったのか、いじめはほぼ止んでいた)まあ、人生がつまらないとは言っても、「濡れちゃいました」と天気にかけて言う女性スタッフが多いので、満員大入り、そのうち三人目の相手とセックスする機会があるはずだ。
ただ、私はきょう買い物の帰りにまるで統合失調症でないかのような安逸を覚えた。私が最近もらった贈り物は二つのアニメの結末。感動し、また癒された。
なぜ自分のために物語を作ってもらえるの? ……人間、知りすぎるとよけい不都合なことがあるらしい。いよいよ、私の病の終わり。待ち続けたあの自由。
六
人生にはやはり人の群れを割って街を自然に歩いているあの時の「いっぱしな人間感」があるといい。生活保護でも関係ない。あれは制度だ。J.K.ローリング先生だって生活保護受給中にハリー・ポッターを書いたのである。
十一月。コンビニでクリスマスの音楽が流れる。ローストチキンが待ち遠しい。人生なんて、と言いながら生きてきた。でもまあ、私も高校や大学の頃のような雑踏の一部に戻れるなら。
百八十ミリリットルの赤ワインを買って帰る。体力も戻ってきた。そうか、私は社会復帰しつつあるのだ。
帰って原稿。熱中し過ぎるのもよくないので、途中からフェイスブック。
別の日。
きょうの昼ご飯はうな丼である。
うな丼のあとはラーメンスープ。胡麻の風味がする。
私が嫌われ者だったとしても、毎日シャワーを浴びなければならないし、……人生は嘆くより遊んだほうが良さそうだ。
しかし体調が悪い。私は他の人のためにも存在しているのだから、まあ体は大切にしなくては。
身近な人と一回だけのセックスではなく、ちゃんと彼女を作りたい。
私には川野さんという友がいる。ひところに比べるとだいぶ私の健康状態は悪くなった。暴食が原因らしい。マカのサプリメントを買ってきた。さて、どれだけの効果があるか。
人生の後半において身体的健康が主なテーマになるとは。でもたいていの人はそうである。だから私だってそうなってもおかしくなかった。ただリンゴ、トマト、麦ご飯、水出しのルイボスティーを摂っていればそれでいいというわけではないらしい。暴食をやめなければ。
でもいつまで経っても彼女はできなかった。自然に仲良くなって、長い長い時間一緒にいるとリーチ状態になるらしい。それはTさんや別のTさん、Mさんにおいて確認されたことだ。
今晩はシマホッケ(ホッケよりシマホッケの方が格段に美味しい)。
悪くなる(犯罪とかじゃなく)。どうせ人間はそういうものにしかなれないのだから。
毎日買い物前に「日本一」の焼き鳥を食べている。そして駅前広場にたむろする鳩達。最初牛肉だと思い込んでいたカシラハラミ串。
寄生獣の最終巻を買わなければならない。
精神科は罪深い。幻聴に対して何も配慮しなくていいみたいなことを言う。それで精霊とのケンカはますます深くなる。相手は精霊だから、気持ちを配慮してあげなくてはならない。
人生は何のためにあるのだろう。太陽、酸素、海、風。それだけで良かった。楽園とアダムとエバは要らなかった。蛇によって原罪を得るから。
人生は何のためにあるのだろう。そうだ、コカコーラゼロを飲みながら原稿を書くという至福の時を体験するためにあるのだ。そしてそこに印税がついてくる。これこそ仕事だ!
鼻の穴が拡がることの否定や、身近な人の触った物の否定は、人間性の否定なんだけど、泉鏡花だって潔癖症だったのである。やむなしと思うしかない。
まあ私が潔癖症だということはきららのスタッフの方たちは知っているので。
川野さんがいるから人生は楽しい。
処女性を盗まれてしまって、本命にあげられなくなる女の子が多いです。恋心が湧いたらすぐに本命に洋菓子を差し出しながら告白した方がいいです。私は――処女性を盗む盗人の間接的被害を受け続けた者であり、まあこちらにも、告白しないという落ち度はあったのでしょう。
さっきスーパーに行ったら、ニシンやシマホッケがあって美味しそうだなあと思ったのだけど、もう今晩の分のおかずは買ってあるから、買わなかった。
人生は虚しいと言って青ざめた文学青年のごとき様相を呈するのは良くない。私はこれからは花を見つけたら摘み取らなければならない。
心の色はなるべくならピンクに。青はもうやめよう。
明日はニシンかシマホッケを買いに行こう。人生は恋を謳う、この日本の住みやすく整備された、恋に逃げれば命はある、そんな人生への逃避、恋を謳い恋に逃げる。
七
コージーコーナーに来て苺ショートを買った。さっきのカシラハラミ串の余韻もある。風が強い。空は曇っている。私の感情を長く、長く原稿用紙百五枚×百六十篇くらい、綴ってきた。どちらかというと恨み節である。しかし時代には希望がある。強制性交罪は非親告罪となった。Z世代は素晴らしい。きれいごとと思う人もいた何らかの正義や徳を、彼らは本当と思って実現した。
だから希望がある。ちょっとヴィ・ド・フランスに行って塩バターパンとドーナツとアイスレモンティーを買って窓際に行き、フェイスブックに記事を少し書いたら飲んで食べた。デジタルに正しい答え。多ビット判断。どんどん良い時代になっていく。
マンションに帰って、メカブで麦ご飯を食べ、ポテトサラダも食べた。
虚しくなんかないのだ。この時代は私達の八十年代にあったマイナスを浄化して問題を解いてくれたのである。
ゼロのゼリーも食べた。
そしてアニメを見る。宇宙人ムームーが楽しい。
不合理が消されたら、無人レジが現れた。まあ人のレジの方が楽だけど、これも時代というものか。
そして長い事女日照りが続いた。(仕方がない……)ファイナルファンタジー13やドラゴンクエスト11は面白いのだろうけど、もう攻略サイトなんて見たくないし、小さなメダルなんて集めたくないのだ。
かき揚げそばを食べ、原稿を書いた。
楽天で本やお酒などを注文した。全部代引きのものだけだ。
私は何のために生きているんだっけ。……そうだ、恋愛だ。これがわからなくなると神経症的パーソナリティーになる。
人生の目的は恋愛。
もう虚しさなどないはずだった。Xは追い出されてもそれで良かったはずだった。まあ、フェイスブックがあればいい。虚しさと引き換えに水出しのカモミールティーを飲む。人生とは何であろう。それは恋愛だ。
野田さんが後ろであんドーナツを食べながらコーヒーを飲んでいた。そしてボールペンで何か書いている。
ああ、いいや。彼女が何をしているかは。
自分の好意が二人にスプリットすると私はスパイだ。でも基本的に一方の側(美人である方)の利益しか考えていないので、まあ本当の意味でのスパイではないらしい。
人の善意はその人を安心させるためのものなのか。
ゆっくり、ゆっくりと前進していこう。亀のように。
私は神の存在を知り、神様が私に操縦を施すことを知った。街には亡霊のように歩いている人達がいる。彼らは恋を味わい尽くして事実上幸せに死んだのだ。
私は五十一歳になっても本格的な恋愛はなかった。私には妻が必要だ。そして彼女は分裂気質できれい系の美人で純潔な人でなくてはならなかった。
人生など虚しい。遠くで妻候補に何か悲しいことがあったのだろうか。
いつも虚しくて寂しい。結局そういうことだ。
美人でも「ハイミス」はハイミスだ。でもまあいいじゃないですか、美しくて賢く、純潔であるなら。
まあ気持ちはなだらかに行きましょう。グループホームきららの会川さんと同じくらいなだらかに行きましょう。
私が現実を認識せず、男を嫌うのは、男達は私のような一本木を引き倒すために女を犯すことしか考えていないし、そういう行為を時々実際に行うからだ。男は立派な男に限る。
人生の虚しさが私をネガティブにする。いつもそうだからそれでもいい。でもみんな「ポジティブ大事よ」などと言ってネガティブな私を惑わす。分裂気質で内向感覚タイプでネガティブな私のもとが揺らいでしまうではないか。
人生の寂しさはもうほとんどないんだけどね。きららやカトレアのスタッフさん達が私を力づけてくれるよ。
コンビニでカロリーメイトブロックフルーツ味のハーフサイズを買って、持ち帰って食べた。知らない他人より駅前広場の鳩達の方が好きだった。
結局、お嫁に行けるか、お嫁にもらえるか、それだけだった。僕は別にいいのだ。お嫁さん候補とダブルインカムになるかもしれない。あるいは、漫画家志望の彼女と二人して未来の夢を見るのかもしれない。
八
恋。二人で部屋に飛び込んで、ドアを閉めて、フレンチキスをしてから、髪を撫でる。
「井川さんのHが上品なのはわかるんだけど、もう少し強引に攻められたいような気もする」
理緒ちゃんは言った。私たちはまた会い、恋を繰り返している。
「イラマチオとか?」
私は言った。
理緒ちゃんはお腹を押さえて笑った。「第一、口の中に入り切らないでしょ」
私も笑った。
西友で買ったピザをレンジにかけて二人で食べた。スパークリングワインも飲んだ。
「私、若いけど、一ヶ月十万円くらいお小遣いくれれば、結婚してあげてもいいよ」
「君なら一ヶ月二十五万円でもいいな」
「そんなにくれるんだ……」
この暗い世界に灯がともった。そこには小説家と幼な妻の当たり前な関係があったけど、愛情があったのも事実である。
二人でほかにトマトを一個づつ食べた。焼き鳥は夕飯時に取っておいた。
冷蔵庫の中には他にシマホッケもあった。私は真ホッケが好きになれなかったから。かわさきみれいのアクアをかけると、理緒ちゃんは「不思議な曲」と言った。
例えばデ・ジ・キャラットのようなアニメが好きだ。楽しいアニメはワンシーズンに二個くらいしかないが、まあそんなものだろう、と思って楽しんだ。古いのもあるのだ。ここ六年間くらい、精神科病院に滞在したため(グループホームを見つけるまでの短期入院という約束だったが、新型コロナによって入院は長くなった)、アニメを見ていない時期があったから。六年分って相当な量だと思う。
「今度一緒に銀行に行こう。そこで現金二十五万円渡すよ」
私は言った。
「地味婚でいいよね」
理緒ちゃんは答える。
「派手婚にする理由がないからね。でも、家族は呼びたい」
私は駅まで彼女を送った。
子供は作らないことで合意した。妊娠や出産の苦しいのが嫌なのだそうだ。
理緒ちゃんは引っ越し会社に荷物を私のマンションへ運んでもらった。そして今の彼女のアパートからその他の持ち物を実家へ送った。
FC(free child)を上げないと。多分FCが低いことがいけないのだから。
でも、ネットにキリスト教のことが書いてあって、私は少しづつ信仰のあったころを思い出した。クリスチャンは何も思い煩わなくていいのだ。
二袋用意した流水麺の素麺をミョウガで頂いた。
今、僕は最高に青春してる!
理緒ちゃんの荷物の中に「理研のわかめスープ」の箱があったので、わかめスープ好きなの? と訊くと、お父さんが「これ体にいいから持ってけ」と言って持たせたというのだ。父の愛。父の虐待。大違いである。まあ父の虐待のおかげで私は精神障碍者となってしまい、なんだか、こう、いわゆる「完全に機能する人間」(健全なパーソナリティ)ではないことが、残念だ。
理緒ちゃんは「そうなんだ」と言って私の話を聞いた。「お父さんって大事にしてくれるはずの人なのに」
「そうでない家もあるんだ。そういう家を機能不全家族って言うんだ」
だから、私は信仰に還り、毎食前三回主の祈りを祈り、せめて試みに遭わされていない状況を望んだ。
この世界は何かがおかしい。蛇が知恵の実を与えたので、世界は原罪をはらんだのだ。でも、個人レベルでは救われることができるから……
中村由利子さんは病院にいる。彼女の「ポプラ並木」に心を動かされた。
何か好きな食べ物は、マグロの中落ちかな…… それとも、牛ミスジかな……
何だか食べすぎて体の調子が悪くなったので、そういう時はいつも通り冷たいローズヒップティーを飲む……下の方の濃いのを菜ばしで上のと混ぜたのが美味しいのだ。
九
性質の悪い人は、大学をドロップアウトした男について「明治大学に通ってたっていうのはうそだっぺ。だってあいつはオタクだし、いい歳してアニメを見るのが趣味らしいぞ。絶対大人の男なんかじゃないよ」などという判断をしそうですよね。
星はまあ、確かな星であれば、……そんなことはないんだ。私達のおおもとはアダムとエバだ。神様はただアダムやエバと楽しく暮らしていたかったんだ。そこに蛇が知恵の実を持って訪れるから……
私達は楽しんでいればいいのだ。野田さんが後ろで見ていても、最中やミニようかんを食べることができる。むしろ野田さんはマカロンを勧めてくるから、一つもらった。
人生とは、イエス様や父なる神様と一緒に過ごすことなのだろう。だって、「産めよ殖やせよ地に充てよ」って増やしておいて、その後にすることは人間と共に暮らすことしかなかったはずだ。
私はここのところのぜいたく生活を見直して、三億円残したらあとはユニセフに募金した。そして廃業した。今後はずっと理緒ちゃんと人並みの生活である。
最初、理緒ちゃんが狼に食べられなくて良かった。私は彼女を引き寄せるためにたくさんの印税を稼がなければと思ったよ。
そして毎日納豆や豆腐やシマホッケやメカブを食べて暮らした。理緒ちゃんのエプロン姿は可愛かった。
人生は寂しくない。でも、今後私たちはある意味正義の味方にならなければいけないのかなあ……と、新約聖書の内容を思い出しながら思った。
私は夜中にお腹が空いて、レトルトのバターチキンカレーを食べようと思った。炊飯スイッチを押す。これで一時間後くらいには麦ご飯が炊けている。
何だか虚しさが消えている。キリスト教は貧しい人のための宗教……
そしてこの世ではいつも赤ずきんちゃんが狙われているのだ。
それから、これからは小説は趣味だから、別に「仕事を頑張る」みたいに頑張って書かなくていいのだ。
古い歳月 私は美青年なのに
女から声をかけられないかと
自動販売機の缶入りの酒を飲んだ
酒を飲んで 酔いが回った
それでも 誰も私を抱こうとしなかった
私はのちにクリスチャンになった
それでも どうでも 幼少時に
頭を三回打ち 父から児童虐待を受けた
そんな私が ナンパなどできるはずもなく
ハレルヤ 私はイエス様の栄光を一生讃えます
私はキリスト教という強い権力に自分を投じた。しかし新約聖書には、思う心の真実さが大切だと書いてあるのである。例えば、持ち金全部を寄付したヤイロのように。
私は思い出した。新約聖書の真実さを。イエス様が十字架を背負い、ゴルゴダの丘に向かうところの描写を読んで泣いたことを。
そうだ! キリスト教ってもともとそういうものだった。
私は調子が悪かったので、グループホームきららのスタッフさんに買い物代行を頼んだ。そして手に入った赤ワインに、(美味しいなんてお世辞にも言えない。でもエチルアルコールの香りはあるなあ……)などと考えていた。
簡単に言えば私はテーブルワインの風味が好きなのだ。(負け惜しみと取られるかもしれないが、本当だ)ビストロ、デリカメゾン、モンフレールなどのワインの風味が。
うなぎの白焼きは、岩塩がないのでわさび正油で食べた。これが……いや、人々が蒲焼きを考え付いた理由ですよ。蒲焼きはとても美味しいけど、私がそこまでグルメではないせいか、白焼きはそんなには美味しく感じなかった。
やっぱりうなぎは蒲焼きが美味しい。そういう結論にたどり着いた。
西村由紀江さんの「モーニングコール」という曲も、曲名も典雅で、音楽の極みはやはり中村由利子さん、かわさきみれいさん、西村由紀江さんのお三方であると言わざるを得ない。
十
本物のキリスト教信仰は人間臭さの中にあるのではないかと疑った。多分そうだ。要するに、御使いが何か気に入らないことを言ってきたら、こっちも言い返すとか。父なる神様が何かひどいことをしてきたら、そんなのないじゃん! と言って涙ぐむとか。ああ冷たい分裂気質者に生まるれども、分裂気質という貴公子気質をこの世的に認めさせる医者の地位がないため、精神科医のH先生は貴公子と認められ、この世的なものを断った方がいいクリスチャンの私は、貴公子とは認められない。
でも、いいじゃないか。信じれば「みな与えられる」堅いキリスト教である。貴公子と思われなくとも。父なる神様が手綱を引いて下さるので、私は行くべきところへ行けるのである。
神経症的パーソナリティ(私)って、していいことをいけないって思っているのじゃないか。そうだね、きっと。
控え目な私が文化の一片を取り、眺める。そしてつまらないものだと思えば放り出す。人々はシャーマンである私に対してそういうイメージを持っているらしい。まあ、厳しいんだよね、カルマが低いから。
そして、「さばいてはならない。あなた自身がさばかれないためです。」などと新約聖書に書いてあるけど、規律が何でも守れるものでもないよ……
キリスト教は「ありのまま」だそうだ。すべてゆるされているからありのままでいいということかと思う。
父なる神様、ありがとう。イエス様、罪をゆるして下さりありがとう。
理緒ちゃんにアイスココアを渡して、自分も同じものを飲む。現代の日本は物だけは豊かだし、情報もたくさん手に入る。
神様が手綱を引いているのか、明日の分の買い物代行はさせないようだった。明日は自分の足で買いに行きなさい、ということらしい。
そして悪魔だとか何とか言っていた相手は、精霊であった。幻聴という幻の何かではない。西欧近代のモードでは統合失調症だが、未開発国や沖縄では、精霊の声が聞こえているのはむしろシャーマンの常態ではないかと思った。
自分の幸せが父なる神様からのものであると知る。それが何より大事なことだと思った。
眠くて、でも眠ってはいけなかった。午後十時までは起きていないと。コンビニにチキンでも買いに行くか。でもあの馬鹿高いコンビニのラインナップこそ、キリスト教の言う「この世」ではないのか。チキンが税別二百四十八円なんてどうかしている。
イエス様、はりつけの時は苦しかったですか? 私も身体拘束という拷問を受けたのですが、死なないからなおさら苦しいのです。それを十三回くらい受けました。監禁も同じ回数くらい受けました。
父なる神からの白眼視を受けたので、私はまたキリスト教をやめた。そんなものであろう。
翌朝起きて、人間であるかのような数々の声を聞いたが、それは演技だった。精霊の声だった。まあ、人生なんて、嫌なことばっかりで、そもそも意味ないじゃん。だったら快楽や娯楽にひた走るだけだよ。
精霊たちは精神医学がヨーロッパから入ってきて、ただ悪者にされただけだった。自分たちを「幻聴」と思うようになっていた。そして妖精や精霊の類が「いる!」と思ったら、すかさず「妄想でしょ」と言う。精神医学の罪は重い。
精霊は人間と幸せに交流できなくなったかわいそうな者達であった。
精神医学は「西欧近代のモード」であり、ユタが守っていた伝統のシャーマニズムとは相容れない。西欧近代のモードを押し付けようとするのは「自文化中心主義」(エスノセントリズム)であるとされるが、もはや今では精神医学を日本人自身が日本人のシャーマンに押し付けているのである。
アニメの有料サイトを見ようとしたら、二段階認証の認証コードが届いていなかったから、嫌な気持ちになった。最近インターネットの動作に間違いが多いから、本当に嫌な気持ちになって。
……きららスタッフの鈴原さんに相談してみよう。そうすれば切り抜けられるかもしれない。
でもちょっと工夫したら認証コードが見られたので、それを入力するとアニメを見ることができた。インターネットも試行錯誤が正解の世界だ。
十一
暑い夏。七月。スーパーにニシンも出る。
昨日ちょっと霊からの洗脳にかかって小説を休んでしまったけど、霊は「建設的なことをやらないでほしい」らしいので、私は頑張る。
人生は大変なもので、私は大学時代に挫折した。二年次に笠原
人生は大変。そう、並大抵のことではない。
退却神経症のあとに強迫性障害になって休学してしまった。フロイトの説によると児童虐待を受けた者は青年期に至って神経症になる場合があるのだという。
実父が悪だったので、その父から児童虐待されたことで、悪が嫌いになっていった。
虚しく、切なく。それが私の青年期であった。Tと出会って別れたのもその時期だ。
理緒ちゃんがいたから、私は助かった。
理緒ちゃんは十一時半頃、スプーンとともに水ようかんをくれた。
ひとまず人生の高台にたどり着き、安心する。水ようかんは滑らかな舌触りだった。
無風状態みたいなのが、幸せだと思った。とりあえず憂えることはなくなった。
精神医学のおおもとは、優生学なのだそうだ。たくさんの人達が強制断種に遭った。そういうことをする人たちこそ「異常な犯罪者」だと思いませんか?
私は小説界に戻った。人生なんて、困難ばかりだったけど、アニメ界だけが「王子様」だと保証してくれた。要するに「上品で繊細」「知的に高い」「興奮しやすい」「従順で気立てが良い」「下品なことを毛嫌いする」「非社交的で静か」「孤独を愛する」「貴族的」などの数々の輝かしい美点を併せ持つ「分裂気質者」が王子様なのであろう。
さっきコーンポタージュを飲んだ。トウモロコシの風味が口いっぱいに広がった。人生の虚しさのあとに、アニメ界が王子様だと証明してくれた。有難いことだった。感謝でいっぱいです。まあ明日も魚でも食べようか。肉よりも魚の方が体に良いから。ニシンかな。
そして次の日に実際に買って帰ったのはメバチマグロ刺身だった。メバチマグロがそれなりの量で三百五十円くらいというのはお得だ。メロン、タケノコの土佐煮なども買って帰った。
次の日、レシピを見て烏賊飯を作ってみたら、大変美味しくできた。烏賊飯はうるち米ではなくもち米を使うところがひと味違う。理緒ちゃんにも食べさせた。
「何これ、弁当に入ってる烏賊飯みたいじゃん! 美味しいよ」
理緒ちゃんは言った。
「僕、あまり上手じゃないけど、文学と学問の次に料理が好きなんだよね」
私は答えた。
理緒ちゃんは食べるのが忙しく返事もできないようだった。
タンパク質を多めに摂ろうと思ってそれを実践した頃から体調が悪くなっていた。痛風の前駆状態の原因はタンパク質の過剰摂取かもしれない。
人生は楽しい方へ向かっていき、最近鈴原さんというきららのスタッフさんとの間にラポールが形成され、実に楽しかった。それでもマイクロソフトのワードは高価で、買うのをためらってしまうような価格だった。
ある土曜日、コモディイイダで脂の乗ったカツオの切り身が税抜き四百八十円で売られていた。これを買って、淡麗グリーンラベルを買って、ほろよい(ヨーグルト味)を買って、その他にも数点、買い物をした。
無洗米あきたこまちは税抜き2250円くらい。小説で結構稼げるようになってきて、理緒ちゃんは喜んだ。「これで野菜中心の食事を作ってあげられる」
「タケノコが好きなんだよ」
私は言った。
「じゃあ、タケノコとキクラゲの炒め物でも作ろうかな」
理緒ちゃんは意気込んだ。
長い、長い間戦ってきた相手が「悪いオタク」で、芸能界の人などではないことに気付いた(推量した)。
ノートPCから振り返り、野田さんが何か紙に書いているのを見た。
「執筆続けて下さいねー。悪魔のことは気にしないで」
野田さんが言った。
「うん。霊聴はどうやら悪いオタクだったようです。僕なんか半オタだから、彼らは自分の弱々しさに気付かれないまま僕をずっと支配し続けたかったみたいですよ」
私は答えた。
「ハンオタって何?」
「リア充とオタクを足して二で割ったような存在」
「そうですよね、井川さんは素敵です」
「ありがとう」
そして、長く、長く原稿を綴っていったあとに、野田さんはコモディイイダへコカコーラゼロを買いに行ってくれたので、冷凍室で冷やして飲んだ。
十二
いよいよ八月。歓楽の八月。私は昼にカトレアからおミセまで足を延ばして、カキフライ定食を食べた――
向こうで手招きする人がいたのである。川野さんであった。
「そっち狭いっしょ。こっちへおいでよ」
私は川野さんの向かいに座った。「僕らも付き合い長いね」
「もう十何年になるかな」
店員が来たので、私はカキフライ定食、川野さんはスパゲティを注文した。
「この歳になると、肉体のことを考えちゃう」
川野さんは言った。
「多分だけど、ボディソープやハンドソープ、やめたほうがいいよ」
私は答えた。
「有害?」
「そう思っちゃう」
「代わりに石けん使ってる人多いよね」
「僕も、無添加石けん使ってる」
届いたカキフライ定食のカキの風味が絶妙であった。
「たまにはこういうところに来て、美味しいもの食べて、鋭気を養わないと」
そして川野さんはフォークを回して麺を絡めた。
その後彼女は私と結婚したそうにしていたけど、私は何となく理緒ちゃんと一緒のマンションに収まったのであった。
だから私と理緒ちゃんは幸せで、皆がするような普通の生き方をするようになっていた。フェイスブックの友達で集まってレストランに行くこともあった。
人生とは……きっと日常だよ。
昨日理緒ちゃんとキウイジュースを作って飲んだようなものが日常。
やがて私達は会計を済ませ、外に出ていった。夏の風が爽やかだった。今年買った帽子は好きだったけど、風で飛びそうになるので、ほとんど使わなくなっていた。
日常が目的なら、昨日のような毎日を送ればいい。「霊聴をなくすにはどうしたらいいか」などと考えない。
そして改札前の焼き鳥屋でカシラハラミ串を一本買って、駅前広場で食べた。さらに、西友で買い物をして帰った。
ノートPCを開いて、原稿を書いた。クルーザーなどが好きではないので、貯まったお金は料亭などでちょっとしたぜいたくをすることだけに使った。
「お帰り」
理緒ちゃんが言った。
「ただいま」
私は答えた。
「今日はパン粉入りの本格的なハンバーグだよ」
「ああ、うちの母親がよく作ってくれたような……」
「挽肉をただまとめただけの肉百パーセントのハンバーグなら難しくはないんだよ」
私は冷蔵庫から無調整豆乳を一本取り出して飲んだ。人生がイージーモードに戻った気がした。無添加石けんのおかげか、買い物の時に汗をかいたにもかかわらず、サラサラヘアだった。タブレットの入浴剤なら、一錠では香りが少ないので、二錠使う必要があるみたいだった。
別の日、駅前広場でアイスクリームを食べた。(糖には、気を付けないと……)眩しく照り付ける太陽。スマホが鳴ったので、手に取ると、理緒ちゃんだった。
「長ネギ買ってきてくれる?」
理緒ちゃんは言った。
「いいよ」
私は答えた。「他には?」
「卵六個」
「わかった」
十二時になったので、マクドナルドに行ってビッグマックセットを注文した。二階に行って札を立てておくと、店員さんが来てトレーを置いていってくれた。
一枚目の肉を外して食べる。
パンの部分を戻して普通に食べる。
そしてまた暗黒に包まれる。
暗黒。闇。
そうだ。召命型シャーマンとは、暗黒や闇を普通の人達に伝えていく者なのだ、きっと。
でも、それでは終わりが来ない。
……社交性を増してでも、終わりを来させないと。確かに、シャーマンの病の終わりは「リターン」(共同体に還ること)によってもたらされるのだという。分裂気質者は孤独を愛する。しかし背に腹は代えられない。
十三
悪いところがある人は結構ある。私のように悪いところが少ない者を引きずり下ろす理論を、人はわざわざ作り出す。でも、「悪いところが少ないのは素晴らしい」と思いながら駅前を歩くと、何だか大学一年に戻ったみたいな輝かしい気分である。瑞江の実家から文鳥が飛び出て行ってしまった時、私は張り紙を十枚作り、「お礼は十万円です」と書いておいた。そうしたら文鳥をつかまえてかごに入れてくれていた人に出会ったのです。私はそのことに大層感謝したのでした。
私自身はいい子ちゃんで、今日ようやく「俗っぽい基準で物事は判断される」ということを理解した。超俗的な分裂気質者の私でも、これからは現実的に生きなければならない。
霊は邪悪で、私の本当の気持ちに悪意のある言葉を投げつける。まあ、こんな世界に期待しませんでしたよ。いいえ、期待できませんでしたよ。
人生の虚しさは、私と理緒ちゃんの出会いを私が五十一歳の時まで引き延ばした。もう私だって老醜の足音が聞こえている。
でもまあ気を取り直して。
私は昨日買ってきたコロッケとカニクリームコロッケをレンジにかけて、ご飯と一緒に食べた。人は人から害を受けなければ「悪いことはいけない」という重要なことを学ばないものである。精神科看護師たちはまだ「身体拘束なんてされたら悶絶ものだぞ。やるべきでない」と思えなかったんだよね。
まあ、人生なんてそんなもので。それでも理緒ちゃんの作ったオクラの味噌汁はとても美味しかった。
人生がこのように推移してきたのだとしても、私達を敵から守ってくれているのは政府である。だから私は高額の所得税も支払う。「小説家デビューしたら、ヒットマンにやられないように気をつけろよ」そう言ってくれたのは夢の中の山本爺だった。「井川さんも立派になったな」そういうふうにも言ってくれた。
その朝食べたのはチキンスープの雑炊だった。鶏ムネ肉、トマト一個、セロリ一本を切って、コンソメキューブ二個と一緒に煮る。丼に麦ご飯をよそってチキンスープをかけたら出来上がりである。煮る前はハーブのように香るセロリであった。
理緒ちゃんは洗濯物をプラスチックのかごに入れて持ってきた。「今だとまだご近所にとってうるさいから、洗濯は後でね」
そして理緒ちゃんにチキンスープ雑炊を食べてもらった。
「……ああ、やっぱり宏さんの料理で一番美味しいのはこれだ!」そう口にした数分後にはもう丼の中身はなくなっていた。
人生とは何であろうか。……つい最近私はこの問いに「日常」という答えを見出したのだった。まあ、あれだね、テロリストだか何だか知らないけど、人がアニメ見て過ごす時間を変な声で邪魔するのはやめてほしいな……
ある日買い物の最後にウイスキーの小瓶を付け加えた。帰ってグラスに氷を入れて、ウイスキーを。豊かな風味が私の心の傷を和らげるようだった。
そしてユーチューブの「中村由利子ピアノセレクション」の「思いをとどけて」が美しく、何だか純粋な気持ちをうたった曲のように思われた。
次の日、カトレアに行き、昼前になると西友に向かって、アクエリアスゼロと海苔弁を買って戻った。週一回のカトレア。海苔弁を食べていると、スマホから中村由利子さんの「追憶の街」が流れている。人生の虚しさが嘘のようだ。中村由利子さんの曲は本物だ。私の感覚がそう言うのだから間違いはない。これとは反対に、偽物には偽物なりの安っぽさが付きまとう。
私は理緒ちゃんという本物を見つけた。理緒ちゃんもそうだと言う。
あとは四十年ほど、自分の仕事を続けていくことだ。
アイスコーヒーを買いに行こうと思ったが、私のお腹にとっては刺激性が強そうなので、買わないことにした。
人生は虚しくない。理緒ちゃんがいつだって手を握ってくれる。
十六時になると移動支援の方と西友に買い物に行って、カツオのタタキやゴボウサラダ、ブラックチョコレートなどを買い、自宅に戻った。おやつのブラックチョコレートを食べながらコカコーラゼロを飲んで、原稿を書いた。次は何万部売れるだろう。どんな評判を呼ぶだろう。
十四
妄想から一時宗教を信じた。でも、宗教ってご本尊にしろ、天使にしろ、
全然姿を現さないんだよね。でも、キリスト教を信じつつ小説で儲けていた三浦綾子はいくつもの病気になって死んでいった。キリスト教では、金持ちは天国に行けないらしいのである。
私は「やべーな」と思って、すぐに小説に戻った。神に呪われる……
文鳥戦士のブンちゃんは悲しく死んでいった。天使の羽根はいまでもパウチの中にある。
愛。ブンちゃんに対する愛。家族愛。夫婦愛。
九月。サンマが美味。こんなにおいしいもの滅多にないよね!
そう言ったら、冷凍しておこうか? と理緒ちゃんが言う。
頼むよ、と私は答えた。
野田さんが後ろから私を監視している。顔だけで言えば理緒ちゃんのほうが断然可愛いので、理緒ちゃんにとって野田さんはメじゃなかった。浮気の心配はないと思っているようだ。
たくさんのアニメが始まって終わっていく。それが楽しくて。
「宏さん、やっぱり子ども産んだ方がいいかな」
理緒ちゃんは言った。
「まあ、子供って、怪我や病気が大変だし、手もかかるから、作らなくていいんじゃないかな」
私は答えた。
「OK。了解」
そう言って理緒ちゃんは後ろを向いて洗い物にかかった。
私は決してアクティブな者ではなかった。言い方を変えれば、パッシブであることが多い。でも、ガーガーしゃべりかけてきてこちらの言葉を遮るような男には聞き上手で済ますし、そもそもそういう強引な力のぶつかり合いなんて、行なえるようには育っていないのだ。ことさら繊細さを磨き、教師に何度も殴られたことによっても繊細になっていった。私が純文学作家になったことは、教師の暴力に対する復讐でもあったのだ。
「私、ちょっとコージーコーナーにシューアイス買いに行ってきますね」
野田さんはそう言ってバッグを持ち上げた。
「お気をつけて」
理緒ちゃんが何の敵意もなさそうに野田さんを送る。
別の日。
「天才の子孫を残そうとは思わないんですか」
野田さんが言った。
「残して、何になりますか?」
私は答えた。
「うーん……戦国大名のロマンっていうか」
「僕、そういうのあまり興味ないんですよ。力で領地をぶん取るとか、女が五十人もいる大奥とか」
「まあ、分裂気質は貴公子キャラですもんね」
「太ってアイデンティティに悩んだ頃もありました。アイデンティティに悩むくらいならいっそやせちゃえ、と思って、ようやくやせられました」
「すばらしい!」
そこはヴィ・ド・フランスだった。私はチーズのパンとドーナツを食べ、アイスレモンティーを飲んでいた。野田さんはアイスコーヒーを飲み、クロックムッシューと塩バターパンを食べていた。私は「長いものには巻かれろ」という新しい人生訓を身に着けていた。野田さんは「そうよね、それは絶対にそうですよ」と言って顔を縦に振った。
しかしそのあと大霊が現れ、うちの会社に勤めないかと言うので、「私は小説家を続けていきたいですから……」と言って断った。巻かれてばかりでもない……
その後何となくガストに行ってスマホで原稿を書いていたら、何だか救急車のサイレンが聞こえてきたので、怖くて、すぐにコカコーラゼロに頼った。口愛的とはこういうあり方だ。ただいつでもいつまでもコカコーラゼロを飲んでいたい。
十五
十月。月見団子の十月。
人生の充実。近くの自動販売機の頻用。「エナジータイム」という炭酸入り栄養ドリンクが五百ミリリットル一本で六十キロカロリーしかないので、いつも飲んでいる。
雨がぱらぱらと振り、心的外傷の多い私の目が潤んだ。エナジータイムを買ったら速足で自分の部屋に戻った。そして原稿を書いた。まあ、理緒ちゃんとこういう関係になれたのだから、それでいい。、
「今日はカブのクリームシチューだよ」
理緒ちゃんが言った。
「おいしそうだね!」
私は答えた。
私は理緒ちゃんが半分食べたバナナチップスを食べ、水出しの緑茶を飲みながら原稿を書く。ひたすら書く。幸い私は文才に恵まれた。人生に大きな苦難もあったが、五十二歳で得た人生訓が「長い物には巻かれろ」だとは……
でも霊が語りかけてくるビジネスの話は、どれも本気の話ではなかった。
冷蔵庫から「ほろよい」のレモンティー味を取り出し、なお文章を進めていく。
「おかずはチキンバーグね」
理緒ちゃんは言った。
「ああ、チキンバーグおいしいよね」
私は答えた。
卵殻膜の美容液を使っているので、無添加石けんを使うより、やっぱり現代的に洗顔フォームを使うしかなかった。頭にも植物性シャンプー、リンスを使った。
カブのクリームシチューは良い味で、私は「おいしい!」と叫ぶしかなかったのである。理緒ちゃんはただ「よかった」と答えるのだった。
次の晩にはマグロのタタキを食べた。私はそれらを買ってきて袋から出しただけだった。盛り付けは理緒ちゃんが行なった。私の痛風の前駆状態はだいぶ良くなってきていたが、代わりにひざが少々痛んだ。
文鳥のポックのことを思い出せば思い出すほど、動物や虫に対して犯した罪(ただ、いつ霊が憑いていて、いつ憑いていなかったのかがわからないので、「カルマは低め」と言うことしかできない)を後悔する。
人生は今でもグループホームきららやカトレアに支えられている。雑誌の写真には私と、出版社社員の方と、鈴原さんが並んで写っていた。「人生なんて」と思った時は天使の羽根を取り出して眺めるのだった。当時「一番大事な友達」だったポックの羽根だから。
値段が高くなっているけど、無洗米あきたこまち二キロが手に入ることは素晴らしかった。スパゲティやうどんに流れることはなかった。スパゲティは腹持ちが悪いし、うどんは麺つゆの足が早いから。
私は陽の気をまとおうとしたけれど、やはり陰の者は陰の気を纏うのが自然だ。……そう、みな「前向きに明るく」とか言っているけど、後ろ向きでいいのだ。むしろその方が私にとってはその方が自然というか。……なんというか、こう「錦松梅」のような高級なふりかけをご飯に乗せて食べたいと言うか…… 錦松梅……錦松梅……普通に買うと交通費がかかるので、私はためらいなく錦松梅を楽天で買った。送料が付くのは仕方がない。
そして数日後、夜に届いた錦松梅。白いご飯に乗せて食べたら美味しい錦松梅。普段食べない高級品の味がした。
人生なんて、と思ったけど、土曜日はグループホームきららのスタッフの鈴原さんと錦糸町のGUに行って秋からの服を買った。(長袖Yシャツの類)
しかし、私がもう年間二億円普通に稼ぐようになると、霊聴は鳴りを潜めた。
出世すれば消える類の声だったらしい。
人生なんて、と言いつつ吉本先生と一緒に料亭でカレイの唐揚げなんか食べている。
「霊聴が消えておめでとう。すっきりした?」
先生は言った。
「はい。全くです」
私はそう言って、日本酒を注文した。
「寛解したら薬を飲まなくても良くなるんでしょう」
「そうです。ずっとそれを夢見ていました」
「井川さんの小説は悪く言うところなんて見当たらなくて、しかもきれいです。これがどれほどの誉め言葉なのかわかって下さいね」
「ありがとうございます」
「また来ましょう」
そして数日後の昼にはカトレアから出てきて日高屋の野菜たっぷりタンメンを食べていた。ふうふう吹きながら食べる。山盛りの野菜が体の調子を調えてくれるような気がした。
(終)
カレイの唐揚げ 水形玲 @minakata2502
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