来世チャンス、今すぐ積め。』 ――徳を積み直す転生人生、その先に待つものとは?

稲佐オサム

第1章 最初の死と、徳リプレイ開始

相原タクトは、今日もいつも通りの朝を迎えていた。

だが、その“いつも通り”がこの先、彼の人生にとって最後の朝になるとは、夢にも思っていなかった。


満員電車の中、窓の外の風景がゆっくりと流れていく。

街の喧騒、忙しなく行き交う人々の姿。タクトはただぼんやりとそれを眺めていた。

仕事に追われる毎日。夢も希望も持てず、目の前の現実だけをこなす日々だった。


「もう少しで職場か…」

そう呟いた次の瞬間、視界が突然歪み、激しい衝撃が彼を襲った。


痛みも何も感じず、ただ意識だけが遠のいていった。



気がつくと、彼は白く広がる空間に立っていた。

どこまでも続く、まばゆいばかりの白。音も匂いもなく、まるで時が止まったかのような静寂。


「ここは……?」


戸惑いながら辺りを見回すタクトに、冷静で落ち着いた声が響いた。


「相原タクトさん。あなたは先ほど交通事故により、命を落とされました。」


声の主は見えない。だが、その言葉は揺るぎない真実だった。


「嘘だ…そんなはずはない…」


彼は必死に抵抗した。だが、身体の感覚はなく、逃げることもできない。


「これは現実です。あなたは死後の世界にいます。これからあなたには来世への選択が与えられます。」


「来世…?」


「はい。あなたは輪廻の輪の中にいる魂です。現世で積んだ徳の量により、来世の環境が決まります。」


「徳……?」


言葉の意味は理解できなかったが、彼はその言葉に無力感を覚えた。


「あなたの徳は不足しています。このままでは来世での環境が極めて厳しいものになるでしょう。」


「では、どうすれば…?」


「あなたには『徳リプレイ』が与えられます。今度は幼少期からやり直し、徳を積み直す人生を生きてください。」


突然の説明に、彼はただ呆然とするしかなかった。


そして次の瞬間、彼は幼い子どもの姿で目を覚ました。



「これがあなたの最初の転生です。」

無機質な声が告げる。


新たな人生、タクトの徳積みが今、始まった。



再び目を開けたとき、タクトはまるで縮んだような身体で、柔らかい毛布にくるまれていた。

視界がぼやけていたが、天井の色、部屋の匂い、ぬくもり――すべてが知らないものだった。


「……ん、う……」


声にならない声をもらすと、すぐそばから優しい声が聞こえてきた。


「タクト、起きたの? ほら、おはようって言ってみて?」


見知らぬ女性。年の頃は三十代半ばほどだろうか。タクトの頬にそっと手を添え、微笑んでいた。

彼はようやく気づいた。自分が赤ん坊の姿になっていることを。


(……マジか。生まれ変わってる。ガチで。)


この状況を受け入れるには、あまりにも現実離れしていたが、あの“白い空間”と“声”を思い出せば納得せざるを得なかった。

ここから、自分は徳を積む人生をやり直すのだ――と。


タクトの新たな家族は、ごく普通の家庭だった。

優しそうな母親と、少し無口な父親。そして2つ年上の姉。

タクトはその家の長男として、相原タクト――という名前を再び与えられた。


数年が経ち、幼稚園に通う年齢になったころ、彼はようやく言葉を操り、記憶を持ったままの知性を活かし始めていた。


(なるほど。過去の知識はそのままある。これはチャンスだ。

けど、知識を活かすことと“徳を積む”ってのは、たぶん別物だよな……)


彼は人と接することで、少しずつ“何が徳なのか”を探っていく。



その日、タクトが通う「ひかり幼稚園」では、園児たちが自由遊びをしていた。

砂場、滑り台、ブロック、積み木。いろんな子どもたちが笑い、泣き、怒り、走り回っている。

その光景は混沌としながらも、どこか温かかった。


彼はブロック遊びをしていたが、ふと、ある出来事が起きる。


「あーっ! タクトくん、それ、ボクのー!」


そう叫んで駆け寄ってきたのは、泣きべそをかく男の子。

タクトが使っていた赤いブロックは、さっきその子が置いたものだったらしい。


(うわ、子どもってすぐ泣くな……)


タクトは思わずため息をつきそうになったが、そこで一つ、内なる声がよぎった。


【ここが“徳の選択”です】


(え、ナニ!?)


突如、頭の中に声が響いた。例の“白い声”と同じだ。


【この場面であなたがどう行動するかが、魂の価値に影響を与えます。

ブロックを返す→微小な徳。

譲らずに喧嘩になる→徳減少。

返す上で慰めの言葉をかける→徳の質が上がります。】


(な、なんだよ…選択肢つきかよ…ゲームみたいだな……)


とはいえ、答えは決まっていた。


「……ごめんね。タクト、気づかなかった。これ、きみのだったんだね。」


そう言ってブロックを返す。そして、少し笑って付け加える。


「一緒に、作ってもいい?」


相手の男の子は驚いたように目を見開いたが、すぐに頷いた。


「うん!」


そのとき、頭の中に“カチリ”とスイッチが入るような感覚が走る。

どこかで、ポイントが加算されたような不思議な実感。


(……ああ、これが“徳”ってやつなのか)


タクトは生まれて初めて、“与える喜び”を自覚した。



えーん、ひっく、うえぇぇぇ……!」


泣いていたのは、小柄な女の子だった。園庭の片隅でしゃがみ込み、泥だらけになったクレヨンの入れ物を前に、声を上げていた。


(またか……)


タクトは遠くからその様子を見つめていた。

クレヨンをわざと蹴り飛ばしたのは、園内でも少し目立つグループの男の子たちだ。

同い年とは思えないような横柄な態度で、日頃から気弱な子どもをターゲットにしていた。


(よし、ここは“助ける”チャンスだろ。これは間違いなく徳ポイント案件。)


タクトは心の中で確信し、迷わず駆け寄った。


「おい、やめろよ! 人のクレヨンを蹴ったらダメだろ!」


言いながら、泥を払って女の子にクレヨンを渡す。


「大丈夫? キミ、名前は?」


女の子は涙を拭きながら、小さく答えた。


「……あや……」


「あやちゃん、怖かったね。でも、もう大丈夫。」


タクトの中にある“善行カウント”が増えるような音が聞こえた気がした。


だが、その瞬間だった。


「なに、カッコつけてんの? ヒーローごっこ?」


主犯格の男の子が嘲るように言った。名前は“リュウジ”。園内で最も我の強いタイプだ。


「おまえ、女子としか遊べないの? だっさ!」


「ねー、あいつ女の味方ばっかしてるー!」


何人かの子たちが笑い始めた。


(……え?)


戸惑った。

助けたはずなのに、なぜ自分が笑われている?


さらに数日後。

給食で隣に座ったあやがタクトにお礼を言おうとしたとき、それを見ていたリュウジがまた声をあげた。


「また女と一緒かよー!」


その声は思った以上に園の中で目立ち、次第に他の子たちも真似をし始めた。


(なんで……助けたのに……)


タクトは自分の中に芽生えた違和感を抑えきれなかった。


(これも徳になるってわかってた。でも……正しいことをしても、周りからはバカにされる?

……それって、本当に“正しい”のか?)


そう考えた瞬間、頭の中に“通知”が鳴った。


【あなたの行動は“正”です。しかし、動機に迷いが生じたため、徳ポイントの質が下がりました】


(……質?)


【“助ける”という行動に、見返りや期待が入り始めた場合、それは“善意”ではなくなります】


その通知は、無機質で静かな声でありながら、タクトの胸に深く突き刺さった。



夜、自宅の布団の中。

タクトは小さな手をぎゅっと握りしめながら、天井を見つめていた。


(なんなんだよ……やってることは間違ってないのに……

どうしてこんなに虚しいんだよ)


思い通りにいかない現実に、彼は幼い身体のまま、初めて“魂が疲れる”という感覚を覚えた。


だが同時に、ほんの少しだけ、理解したことがある。


(“徳”って……他人に褒められるためにやるもんじゃないんだな)


あやは、きっと自分に感謝してくれた。

誰か一人でも、自分の行動で救われたなら、それでいい――

そう思えたとき、再び“チリン”という澄んだ音が頭の奥で鳴った。


【今の感情、評価:高】


(……こんなところまで、見てんのかよ……)


タクトは薄く笑い、目を閉じた。



タクト、こっちでいっしょにやろ!」


クラスの人気者グループの一人、アヤトが声をかけてきた。

彼のまわりにはリュウジをはじめ、いわゆる“強い子たち”が集まっている。

タクトが最近、みんなの前で浮いていることも関係しているのだろう。

なんとなく、その声には「俺たちの方に戻ってこい」という意味が込められていた。


タクトは、手に持っていた絵本をそっと閉じた。


「何してるの?」


「え? 砂場で山つくって、誰のが一番高いか勝負!」


アヤトの声は明るかったが、その後ろでリュウジがニヤリと笑っていた。

かつてタクトが“ヒーローごっこ”と笑われたあの事件の主犯――

そして、未だに“女の味方タクト”と陰でからかわれる原因でもある。


(どうする、タクト……)


【これは徳の分岐です】


またあの声が、彼の中に響く。


【グループに合わせて行動することで、対立は避けられますが、徳は得られません。

 一方で、“信じた行動”を選べば、場合によっては孤立しますが、高評価を得られる可能性があります】


(……答えは、わかってる)


「ごめん。タクト、いま読み聞かせ係だから。行けないや」


そう言って立ち去ろうとしたとき、リュウジの声が鋭く飛んだ。


「は? なにそれ。係とかマジメすぎてキモいんだけどー」


アヤトも苦笑して言った。


「まぁまぁ、いーじゃん。ヒーローくんは女の子と遊ぶのが好きなんだよな?」


一瞬、言い返そうかと思った。


でも――


「……うん、それでもいいよ」


タクトは、ただ穏やかに答えた。


その声は怒っても、震えてもいなかった。

ただ、自分が選んだ道を曲げない、幼いながらの“静かな誇り”だった。



放課後、先生がそっと声をかけてきた。


「タクトくん、今日もありがとうね。絵本係、ちゃんとやってくれて」


「うん」


「どう? 大変じゃない?」


「大変だけど……でも、読んであげるとみんな笑ってくれるし。

 タクトも、嬉しい」


先生は優しく微笑んだ。


「そう、それが“いいこと”なんだよ。ありがとうね」


その言葉が、胸に沁みた。


【現在の評価:安定上昇中】


頭の中に、再び機械的な通知が現れる。

でも、もうタクトは驚かなかった。


(“誰かに認められる善”じゃなくて、“自分で選ぶ善”って、こういうことなんだ)


ほんの少しだけ、タクトの中にあった“見返りを求める気持ち”が、消えていた。



夜。眠りにつく直前。


彼の夢の中に、あの“白の空間”が現れた。

そこで、前回と同じ無機質な声が言った。


「相原タクト。現在の徳蓄積値:Bランク。順調に推移中」


「……B?」


「はい。これは“人生前半”における相対評価です」


「まだまだってこと?」


「いえ、順調な滑り出しです。しかし、今後の“選択”次第で上下します」


「……たとえば?」


「“助けないことで救われる命”もあります」


「……え?」


「“優しさ”が人を甘やかすことも、“正しさ”が人を壊すこともあるということです」


それを聞いた瞬間、タクトは幼い顔で、思わず真剣な目をした。


(なにそれ……善だけじゃ、足りないってこと?)


その思考が、彼の来世を左右する大きな“礎”となっていく――。



善意のすれ違い


ある日、園内でちょっとした騒ぎが起こった。

滑り台の下で、ふたりの子どもがもみ合いになっていたのだ。


「ダメ!それ、ボクの!」


「ちがうもん!さっき置いてたのはボクだ!」


言い争っていたのは、慎太郎とユウマ。

どちらも気が強く、普段から周囲とぶつかることが多い子たちだった。


タクトはその場にいち早く駆けつけると、咄嗟に割って入った。


「ストップ!どっちのものかは後で決めよう。まずは手を離して!」


その声に、ふたりは驚いて手を止めた。


しかし、慎太郎の顔がすぐに険しくなる。


「なんでタクトが決めるの!?関係ないでしょ!」


「そうだよ、おまえいつも偉そうなんだよ!」


予想外の反応だった。

タクトは内心たじろいだ。助けたつもりだったが、ふたりの目には“偉そうに説教するやつ”に見えたのだ。


その場は先生が来てなんとか収まったが、数日後。

慎太郎とユウマは、タクトを避けるようになった。


(なんで……あれは良かれと思ってやったのに……)


休み時間。タクトはポツンと一人、絵本を読むふりをして座っていた。


(やっぱり“善いこと”って、誰かにとってはウザいことなんだろうか……)


そのとき、隣にふわりと座った影があった。


「タクトくん、わたしは、ありがとうって思ったよ」


顔を上げると、そこには“あや”がいた。以前、助けた女の子だ。


「え……?」


「ふたりがけんかしてるとき、先生より先に止めたの、タクトくんでしょ?

ちょっとこわかったけど、でも、わたしならうれしかったと思う」


その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。


(……そうか。誰か一人でも、ちゃんと見ててくれるなら――)


その瞬間、頭の奥でまた“チリン”という音が響く。


【徳評価:加点(共感・持続的善意)】


静かに、だが確かな実感がタクトの中に積もっていった。



小さな裏切りと、赦す心


その数日後、事件は起きた。

タクトのロッカーから、お気に入りだったスケッチブックがなくなったのだ。


「……ない……どうして……」


先生に相談し、探してもらったところ――

園庭の裏の物置に、破れた状態で見つかった。


そして、その場に名前の書かれた鉛筆が落ちていた。

書かれていたのは、“あや”の名前だった。


「うそ……」


園内は一気にざわついた。


あやは、タクトに近づくどころか、一切目を合わせようとしなかった。

先生は「まだ確定ではない」と言ったが、周囲はすでに“あや=犯人”と決めつけていた。


(どうして……あの子が……?)


悩んだ末、タクトは本人に直接聞きに行った。


「あや、正直に言って。……スケッチブック、破ったの、君?」


沈黙。


やがて、あやはポツリと呟いた。


「……ごめん、ちがうの。でも、言えなかった。

わたし、あのとき、ちがう場所にいたって言ったら……ウソついてたって思われるから……」


(アリバイがあるのに、怖くて言えなかったのか……)


タクトは静かに頷いた。


「信じるよ。たぶん、ぼくのことじゃなくて、世界が君を疑ってるんだ。

でも、ぼくは信じたい。あのとき、ぼくを励ましてくれた君の言葉、ウソじゃなかったから」


あやの目に、じわりと涙が浮かんだ。


その日、タクトはスケッチブックを自分で修理し、誰にも真相を追及させなかった。

あやが疑われたことも、もう誰も口にしなくなった。


【評価通知:徳ポイント上昇(信頼・赦し・自己犠牲)】


タクトは、まだ幼いながらも確かに「人を赦す」という強さを、ひとつ手に入れていた。



先生のひとこと


翌日、タクトは一人で園のベンチに座っていた。

修理したスケッチブックを開いて、破れたページをそっと撫でる。


そこに担任の先生――白石先生が近づいてきた。


「タクトくん、スケッチブック、見つかってよかったね」


「……うん。もう、気にしないことにした」


「えらいなあ。ふつうなら怒っちゃうのに」


先生はタクトの隣に座って、空を見上げた。


「でもね、タクトくん。えらい子がぜんぶ正しいとは限らないよ。

正しくなくても、優しい子が一番強いんだと先生は思うな」


「……やさしい子?」


「そう。だれかの気持ちを考えられるってこと。

自分を押しつけずに、でも自分を信じるってこと」


それはタクトにとって、まだよく分からない言葉だった。

けれど、その言葉が、彼の中にそっと灯をともした。


(やさしく、あろう)


それが“徳を積む”ということだと、まだ知らなかったけれど。



エピローグ:最初の評価メッセージ


その夜。


タクトが眠りについたその瞬間――

意識の奥底で、またあの空間がひらいた。


漆黒の闇。

そこに、白い文字だけが浮かぶ。


【徳ポイント:現在累計 0023pt】


評価メッセージ:


「君の行動には、確かな価値がある。

誰にも理解されないときでも、君が選んだことは、未来に繋がる」


“まだまだこれからだ。積み続けよ、魂の徳を。”


その声は優しく、どこか遠く懐かしかった。


タクトは無意識にうなずく。


(ぼくは、また誰かを助けたい。ちゃんと――喜ばれるように)


その決意とともに、深く眠りについた。



第1章「最初の死と、徳リプレイ開始」完



この章では「タクトの再スタート」「最初のつまずきと赦し」「“評価者”の存在の片鱗」を描きました。

次章ではいよいよ「幼稚園での徳積み生活」が本格化し、タクトが“世の中の理不尽”と戦いながら「善とはなにか?」を学び始めます。

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