ラムネ水の中のビー玉(1話完結)

藍玉カトルセ

第1話

 「憧れも夢想も溶けて消えるものなのかな...」

 浜に打ち寄せては戻っていく白波を見つめながら、独り言つ。


 ラムネ水のビー玉が沈む音は、カモメの鳴き声とさざ波にかき消された。瓶から泡がシュワシュワと吹き出した。

 ほんの一口飲み下すと、顔をしかめたくなる位の強炭酸が喉を湿らせた。瓶を動かす度に鳴るビー玉のカラカラとした音は少しだけ心地良い。

 よく冷えた瓶を両手で祈るように握りしめたまま、藍に染まっていく宵空と大海をボケーッと眺めている。時間ばかり、刻一刻と過ぎていくことを嫌でも思い知らされる。


 ◆ ◆ ◆


 1週間前、秋の学園祭で披露するアカ・コンの選抜オーディションの結果が発表された。


 私の通う高校では、アカペラ合唱クラブが強豪部活として名実ともに知られている。アカ・コンは、アカペラ・コンサートの略で毎年学園祭で開催される伝統のイベント。今まで沢山の集客実績を残してきたし、何より地域住民にとって期待の的である演奏会だ。オープンキャンパスの部活見学で初めてアカ・コンのリハを見たとき、圧倒されたと同時に強い憧れを抱いた。


 「私もアカ・コンで歌声を響かせたい」


 その一心で、第一志望に決めたX高校に入学するため必死に机に向かった。受験勉強と並行で発声法や声楽についても色々調べたり実践したりもした。だけど、現実は思い描いていた景色とはだいぶかけ離れたものになってしまった。

 

 なんとか入学できたX校。アカペラ合唱クラブは初心者歓迎とは謡っていたものの、私以外の新入部員はほとんど全員歌唱や音楽の経験があるメンバーばかり。毎日の発声練習や基礎体力トレーニングだけでも、私には未知の領域だらけだった。 それでも、アカ・コンで多くの人を感動させるハーモニーを創りたかった。オープンキャンパスで感じたあのワクワクや憧れを、私の歌を通して他の誰かにも感じてもらいたかった。だから、オーディションでアカ・コン出演者を選抜する と聞いてから、懸命に自主練習を重ねた。動画でプロの声楽家の教える発声法を真似してみたり、放課後に仲の良いクラブメンバーの早希とハーモニー練習を繰り返し行ったりもした。


 だから、きっと上手くいくと思っていた。


 ◆ ◆ ◆

 

 潮風になびかれる長髪を鬱陶しいと思いながら、制服の胸ポケットに手を忍ばせる。中には、もう何十回と眺めた「不合格」通知のペラペラの紙切れ。端の方だけ、ちょっとだけ手触りが違う。溢れた涙の跡が残ってしまったから。


 オーディション当日は、散々だった。2番目の歌詞のフレーズが飛んでしまい、沈黙だけが残されて今までの努力が泡になった。もちろん、そんな醜態を晒したのは私だけ。他のメンバーは歌詞を間違えるどころか、高難度のアレンジも加えてコーチや指導教員たちを感嘆させていた。


 思考停止した脳と心を何とか奮い立たせて、能面みたいな顔して自席で俯くことしかできなかった。いや、「感情を出すのは許されない」と判っていた。誰に何を言われる訳でもなかったが、あの場の空気がそう主張しているように感じた。


 何のために頑張っていたのか、もう分からなくなってしまった。

 

 ◆ ◆ ◆

 

 ラムネ水のビー玉を虚ろな感覚で見つめながら、「まるで、私みたい」と呟いた。瓶の中で閉じ籠ったままどこにも行けないままでいる、哀れなビー玉。

 あの日から、私は人前で歌えなくなった。音楽の授業で歌唱テストがある度、動悸がして登校もままならない状態だった。アカペラ合唱クラブの『元』部員という称号をずっと背負って、今後の高校生活を生き抜いていかなきゃいけない現実がことごとく私を打ちのめした。


 それから、私は夜の海に足を運ぶようになった。この時間帯だったら、ほとんど人はいないし歌声は波音でかき消されるしで最高の環境だから。

 

 歌は、どうしてもやめられなかった。

 自分の口から奏でられる音に耳を澄ませたところで、羞恥心が増して傷も深く抉られるような感覚に陥るだけ。そう思っていたけど、以前徐に歌を口ずさんでみたら、やっぱり心に栄養が行き渡る感覚がして、やめられなかった。私を縛り付けている金属の鎖が、ゴトリと音を立てて一つ一つ解体されていくような自由さと心地よさを味わえた。


 今日は何の曲を歌おうか。...今の気分をピッタリと言い当ててくれる『テル―の唄』にしようか。


 姿勢を整えて息を一つ吐いてお気に入りのフレーズを歌った。


 ー心を何にたとえよう 鷹のようなこの心

 ー心を何にたとえよう 空を舞うよな悲しさを


 ー心を何にたとえよう 花のようなこの心

 ー心を何にたとえよう 雨に打たれる切なさを


 最後の言葉と音が宙に溶けきって少ししてから、後ろで小さな拍手がした。振り返ると、小学校高学年くらいの女の子が目を輝かせて、あどけなさが残る手を割れんばかりに叩く姿が目に入った。


 「凄いっ!!お姉さん、物凄く歌が上手。なんだか、透き通ったラムネ水みたいな声だった」

 頬を赤くしながら褒めてくれた女の子のおさげ髪を見つめて、そっと言った。

 「私はラムネ水のようにはなれないよ。むしろ、この声は瓶の中で閉じ籠ってしまったビー玉同然なの」

 ずっと、そうなのだ。人に歌声を聞かせることを恐れている。不合格通知を貰った日から、どこにも行けないままでいる。

 女の子は首を傾げてこんなことを言った。

 「でもさ、ビー玉は外にいつでも出せるよ。手で摘まんで陽の光をあてるとキラキラ反射して綺麗だから、ラムネ水よりももっと素敵かもね!」

 女の子はニーッと笑い、持っていたミニバッグの中からビー玉を取り出して私の方へ一歩近づいてきた。

 「これね、駄菓子屋で買ったラムネのビー玉。お姉ちゃんにあげる。手、出して」

 両手でお椀のかたちを作って女の子がそっと落としたビー玉を受け止める。何とも言えない、丁度良い重みが手のひらに伝わってくる。

 「ずっと前に夕日の光に翳したら本当に眩しく輝いてたよ、ビー玉」

 今はすっかり暗闇が覆った海辺に、夕日がとっぷりと暮れる時間に訪れる自分の姿を想像してみる。指で摘まんだビー玉越しに夕焼けを見ると、どんな感じなのだろう。

 「お姉さんは、どうして歌っていたの?」

 どうして、と聞かれると困ってしまう。

 「...誰もいない所で一人で歌っていると、自由になれる気がするから」

 だって歌は当たり前のように私の側にいて、離れたことがなかったし。

 「そっか、じゃあいっぱい歌うと、どんどん心が軽くなるんだね」

 そうかもしれない。歌う理由なんてどうでもよくなる位、もっと歌声を響かせられる瞬間が訪れたなら、そのときが本当の自由を実感できる日なのかもしれない。

 「また、この浜辺に来る?」

 「どうだろう。野良猫になったつもりで、また日にちを決めずにふらっと来るかもしれない」

 「私、お姉さんの歌声、好き。また聴けたら良いな」

 女の子は、もう一度ニーッと太陽を思わせる満面の笑みを浮かべた後、家族が防波堤で待っているから、と振り返らずに走って行ってしまった。


 ◆ ◆ ◆


 握りしめた手のひらを開いてビー玉を空に翳す。黒光りした真珠みたいだった。すっかり空になったラムネ水の瓶には、もう一つのビー玉が眠っている。瓶を振ったとき、カラン、カランと音が明るく響いた。


 瓶の中、沈んでしまったビー玉と私の右手に収まっているビー玉。外に出た方と、籠っている方。私の心はどっちにも転がりやすい。

 けれど、閉じ籠ったビー玉も陽光に当ててみようかな。そのためには、よく晴れた清々しい日にも海に来ようかな。


 ラムネ水の中のビー玉も、案外悪くないかもしれない。

 憧れも夢想も溶けて消えてしまったとしても、今日のことはずっと記憶に残りますように。

 

 ー終ー



 

 

 

 

 

 


 


 

 


 

 


 

 


 


 


 

 

 

 

 

 

 

 


 

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ラムネ水の中のビー玉(1話完結) 藍玉カトルセ @chestnut-24-castana

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