見守る空

西東キリム

第1話 背が伸びた日

 真新しい制服に身を包んだ息子は、どこか気恥ずかしそうにしながらも、凛とした表情で立っていた。


 中学の入学式。体育館のひんやりとした空気が、新しい生活の始まりを告げているようだった。


 息子は緊張しているのか、背筋をピンと伸ばしていた。その姿を、僕は妻と並んで、保護者用スペースから見守る。妻の肩越しに、体育館の入場口から歩いてくる息子の頭がちらりと見えた。


『あれ?』と思った。


 もう一度、目を凝らす。息子は、もう妻よりも背が高くなっている。


『いつの間に』、と驚きながらも、どこか誇らしい気持ちになった。そう遠くないうちに、僕の身長も越されてしまう日が来るのだろう。


 身長を抜かされるのは、いつだって突然だ。気がつけば、いつの間にか、追い越されている。


 思えば、僕が息子の成長を実感するたびに、いつも頭に浮かぶ顔があった。僕を育ててくれた祖父母の顔だ。



 僕は、物心ついた時から小学三年生まで、母方の祖父母の家で育った。両親は共働きで忙しく、僕の育児は祖父母に丸投げだった。両親に会えるのは土日だけ。


 幼稚園の時は、金曜日の夜になると、両親が迎えに来てくれるのを心待ちにしていた。土曜日は両親と過ごせる夢のような一日。でも、日曜日の夜になると、また祖父母の家に置いていかれるのが辛くて、置いていかないでと駄々をこねては、祖父母を困らせていた。


 祖父母は、僕に精一杯の愛情を注いでくれた。でも、幼い僕は、祖父母が僕を両親から引き離していると思い込んでいた。だから、祖父母のことが大嫌いだった。


「くそばばあ!」


 幼稚園の門で、祖母の手を振り払って走り出したことがあった。祖母が、寂しそうに僕の後ろ姿を見つめていたのを覚えている。それでも祖母は、時々幼稚園の園庭を囲うフェンスの向こうで、僕が元気にしているか覗きに来ていたことを、今でも僕は覚えている。


 祖父も、僕にとっては「嫌な人」だった。当時はまだ祖父は働いていて、朝早く家を出て、夜遅く帰ってくる。疲れ切った祖父に「遊んでくれ」と駄々をこねては、いつも困らせていた。


「しょうがない子やなぁ」


 祖父はそう言って、僕の頭を撫でてくれた。僕はそれが嫌で、祖父の手を振り払った。


 祖父母は、僕がどんな酷いことを言っても、注意をすることはあっても本気で怒ることはなかった。


 そんな風に甘やかされて育った僕だったから、近所では有名な悪ガキだった。周りからは「親がいないからこんな子に育つんだ」とよく言われたものだ。僕が何か仕出かす度に、祖父母は僕の代わりに近所の人に頭を下げて回っていた。


「うちの孫が、ご迷惑をおかけして……」


 そんな祖父母の姿を見て、僕はとてもイライラしたことを覚えている。「親がいないと言ってバカにしてくるあいつ等が悪いのに……」と、幼いながらも僕は自分を正当化していたのかもしれない。


 幼稚園の年長になった頃、祖父は仕事を定年退職し、家にいるようになった。これまでは「遊んでくれない」と駄々をこねてばかりだった僕のために、祖父は夏休みに関東の有名なテーマパークへ連れて行ってくれた。住んでいた地方から東京まで、生まれて初めて乗る新幹線に僕は興奮しっぱなしだった。夢のような一日だった。


 でも、楽しすぎたせいだろうか。その夜、僕は高熱を出してしまった。知らない土地で熱を出した僕は不安で泣きじゃくった。そんな僕を、祖父は心配そうに見つめ、一晩中、僕の背中をさすり続けてくれた。そして、翌朝には僕をおぶって病院に連れて行ってくれた。大きな背中が、僕をしっかりと支えてくれたことを今でも覚えている。


 小学校一年生になったばかりのある日、僕はふと、死について考えた。何がきっかけだったかは覚えていない。でも、祖父母は僕よりも先に死んでしまうということが、漠然と、しかしとても怖くなった。


 その夜、僕は隣で一緒に寝ていた祖母に「僕が死ぬまで死んだらあかんよ」と言って困らせた。

 祖母は優しく笑って、「なんにでも順番ってものがあるから、それはしょうがないんよ」と言った。

 納得がいかなかった僕は、変なことを口にした。


「じゃあ、僕に子どもができたら、僕みたいにおじいさんとおばあさんに預けるから、それまでは死んだらあかんよ! 約束やで!」


 祖母はそれを聞いて、僕を抱きしめて少し悲しそうな表情を浮かべて笑っていた。なぜ悲しそうな表情を浮かべたのか、当時の僕には分からなかった。


 今思えば、僕が親元を離れ、祖父母に預けられていたことが、不憫に思えていたのかもしれない。


 小学校二年生のときの授業参観、祖母がいつものように教室の後ろにやって来た。僕は、嬉しくて手を振っていたが、隣の席の女の子に「なんでおばあさんが来とるん? みんなお母さんが来とるのに。変やで」と言われた。僕はなぜか急に恥ずかしくなり、俯くことしかできなかった。


 ​その日の帰宅後、僕は祖母に「もう学校来やんでいい。おばあさんが来ると恥ずかしいんや」と言ってしまった。その時、祖母がどんな顔をしていたのか、僕は覚えてはいない。今思えば、なんて酷いことを言ってしまったんだろうと思えるが、あの時は自分のことを可哀想な子だと思っていたため、そのことに気がつけなかった。

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