灼光を射よ-いかに世界は滅びへ向かったか-
千崎 翔鶴
前段 輝く太陽の下
ルトロヴァイユ海峡撤退戦
女王の狂気に、誰も歯止めをかけられなかった。それこそが、この国が
何のことはない、実の兄である。
「
つい、うっかり。そう、ついうっかりだ。口から飛び出した悪態を聞きとがめたか、隣で息を潜めるようにしていた青銀色の髪が揺れる。それから、じとりと赤紫色の目に
銀灰色と青銀色と、それから薄紅色と。何とも目立つ髪色の三人が、岩陰で
オルキデ女王国軍は、横に広がる形で展開している。ただその隊列は整然と並んでいるというよりは、脱走しようとするものを恐怖で支配して何とか並んでいるようにしか見えない。
「睨まないでくださいよ、殿下。うっかり本心が出ただけじゃありませんか」
「お前の本心には完全に同意するが、ここで気を抜くな。どこだと思っている」
ここがどこかと言えば、地図上で言えばオルキデ女王国とバシレイア王国との国境付近。の、オルキデ女王国側の荒れ地だ。大きな岩がごろごろと転がっているおかげで身を隠す場所には困らない場所だが、かといって現状のんびりとお
少し向こうには、ルトロヴァイユ海峡が広がっている。オルキデ女王国で言えば南東、バシレイア王国から言えば南西に位置するこの海峡が、海という場所を見れば両国を隔てている場所だった。
「えーっと……戦地
もっと北に行けば、タンフィーズ荒原がある。そこはオルキデ女王国のシュリシハミン侯爵領とバシレイア王国のクレプト領とが接する地点であり、過去繰り返された両国の戦争の舞台は主にその荒原だったという。
だというのに、今回はどうしてルトロヴァイユ海峡になったのか。そもそも海戦を仕掛けるという時点で、誰か止めなかったのか。バシレイア王国には海上貿易を一手に引き受けるヒュドール領があり、その造船技術と操船技術は刻まれた歴史もあって相当のものだ。それに対してオルキデ女王国はといえば、そもそも船などほとんど扱ったことがないどころか、乗ったこともない国民が大半だ。
それもこれも、ラベトゥルの馬鹿息子のせいだろう。ちょっと群島諸島連合に遊びにいって船を触らせて貰ったからと気を大きくして、女王にバシレイア王国を海から攻めることを提案した。
「分かっているのならば口を慎め」
「いつもよりは慎んでますよ? 失敗しようものなら敵に殺されるか兄に殺されるか二択、どっちにしろ私は死ぬじゃありませんか。それはお断りなんで」
兄が口角を吊り上げた姿を思い浮かべる。同腹の
フェイルリート・イラ・ルフェソーク。王家の名前を冠しながらも、何にもなれない価値なき王子。
そもそもオルキデ女王国は【女王国】であり、男児に王位継承権はない。女王にならなかった女児であればその子にまで王位継承の順位がつくのに対して、王子の子には継承権はつかない。その身分は王族とは名ばかりの吹けば飛ぶような軽いものであり、結婚相手が貴族ならば貴族、平民ならば平民、そういう身分に変わっていくだけの存在だ。
だから、こんな場所にも派遣されてしまう。こんな敗北必至の、破滅の場所へ。
「レン、うるさい。フェイル殿下、敵が来ます」
今の今まで黙りこくっていた薄紅色の髪をした青年が、ようやく口を開いた。エレフセリア・べレグ、この場において唯一の平民である。
彼を青年というのが正しいのかどうか、レイエルには分からない。小柄で、少女と
「
「さあ……どうでしょう。あちらの総司令官が何を考えているのか、僕にはさっぱり」
ここで殲滅戦になるのならば、撤退は容易ではない。そもそも撤退戦というのは、どうしたって分が悪くなるものだ。背中を見せて逃げながら、追ってくる相手を切り伏せ、射抜き、少しでも数を減らす。無傷で撤退ができるなど、そんなおめでたいことを考えてはいない。
ただ、やはり兄に対してよりは恐怖心がないのも正直なところだ。何せ兄は、もっと怖い。
「今回は、ディアノイアだったな」
「そうですね。エクスロスであれば、面倒もなかったと思いますが」
エレフセリアがちらりとレイエルを見た。その視線を受けて、レイエルは最上級の笑みを浮かべてみせる。
「さあ、どうかなあ。確かにエクスロスなら
ヒュドールの船であれば、馬を乗せてくることなど造作もないことだろう。ルトロヴァイユ海峡は狭い場所があるわけでも岩礁があるわけでもない、相当に
「あ、でもでも。殿下がいたら止まりますかねえ?」
「
フェイルリートが「行くぞ」と口にした。
オルキデ女王国軍は既に、
「レン、鐘を鳴らせ。可能なら鳥もだ。エレフと先行して右翼も左翼も中央も撤退させろ。私がここに残って撤退の指揮を執る」
「はあ? ちょ、殿下! 御身を危険に
「今この状況で取れる選択肢が他にあると? 私は一人のうのうと逃げる卑怯者になった覚えはない」
「そういう
バシレイア王国軍がやってくる。王国とは名ばかりの、領地がより集まった国の軍がやってくる。
彼らが持つ軍事力は、ディアノイアとエクスロスの二つの領地のみ。だからこそ、その練度を低く見積もることはできない。
「レン」
空にはぎらつく太陽がある。いっそ早く
「太陽が輝いているのに、そう簡単に私が死ぬと思っているのか」
陽光に照らされて、青銀色が輝いていた。
オルキデ女王国の最高神である太陽と正義の神シャムスアダーラは、とかくこの青銀色に執着をするという。髪の色が青銀色でなければ、この国の玉座につくことを認めないくらいには。
もっとも今の女王であるアルシュワーヌ・ハウィラ・ルフェソークの髪の色は――とそこまで考えて、それが現実逃避であるということに気付いた。
「ぐっ……良いですか! 絶対、絶対、死なないでくださいよ! エレフ、行くぞ!」
「分かった」
エレフセリアは否を言わない。
「殿下、ご武運を」
「ああ……お前たちも、死ぬなよ」
岩陰からエレフセリアと共に飛び出して、駆けた。
こんな戦争を誰が望んだか。ラベトゥルの馬鹿息子が女王に進言し、女王は土地を奪えと言った。飲み水にも農業用水にもならぬ【
飢えることのない国にするというのは、悲願なのかもしれない。けれど誰も、そんな高尚な理由で戦争を始めたりしない。
「……すまない」
ぽつりと落ちたフェイルリートの声を耳が拾う。
「すまない」
その声が向かう先は、きっとここよりずっと北。オルキデ女王国とバシレイア王国とを隔てる、かつて流水の大蛇が尾を振り下ろしてできたとされる断崖絶壁の向こうだろう。
撤退して戦地がよりオルキデ女王国側へと移動して後。
フェイルリート・イラ・ルフェソークの生死も行方も分からない状況であることをレイエルが把握したのは、翌日の夜になってからのことだった。
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