先輩とデート② 不満、大爆発


 鼻をすすりながら夜道を歩く。

 大きな体に支えられて、大きな腕が背中を通って、大きな手が左肩を抱え込んでくる。


「だからぁ……ホント鈴木崎って猿でぇ……」

「うんうん。ところで飲んでたのジュースだよね? 酔っ払ってる? 泣き上戸?」


 足元がおぼつかない。とにかく愚痴を吐きまくる。

 レジの時は頑張って黙ってたけど、店を出たら口が止まらなくなった。


「すみません……こんな一気にドバーって話したら意味わかんないですよね……」

「まぁ……時系列は支離滅裂だし、とにかく嫌な思い出ランキング堂々の一位から順々に話してることは伝わったよ」


 それを分かってくれるだけでも感謝だよぉ……! でもこのままじゃいけない。面倒な女だと思われただろうけど、ここは名誉挽回、汚名返上。きちんと頭の中を整理して説明する!


 公園のベンチに座らされる。

 あ、先輩が自販機に向かった。追いかける。裾を引っ張る。お願い抱きしめて。


「……」


 先輩は無言で右肩を抱え込んでくれた。大きな体に頭をあずける。

 あったかいお茶を買うと、私のほっぺにぶつけてきた。なんだ急に。


「熱っ!」

「そんな熱くないでしょ」


 一緒にベンチに戻る。


「さて、それで?」

「……つまり、その……まとめます。順を追って話すと……」


 胸がざわざわする。

 深呼吸。大丈夫。なんてことはない。別に乱暴されたわけでもない。本当にとても小さなこと。

 でも当時の自分からしたら、割とショックで悲しかった。それだけの話。


「……鈴木崎って幼馴染がいたんです」

「うん」

「中学の頃、あいつから告白されて……スッゴく嬉しくて、受けたんです。両思いだったから……」

「うん」

「でも、その……あいつ馬鹿だから、たぶん恋人になって何すればいいか分かんなかったんでしょうね。それで恋人なら何をする? って形式ばかりに囚われてたと思うんですよ。あとたぶん欲望そのままぶつけてきた感じで……」

「具体的に何があったの?」


 ──キスとか、しねぇか? いやだって恋人ならするだろ。そういうこと。

 ──エッチとか、興味ある? や、だって……俺たち恋人だからさ。な?

 ──今日、俺んち家族いないんだけど……知ってるだろ? で、どう?

 ──あのさ、俺たち恋人だろ? なのにキスとか少なくねぇ? ほかのカップルはめちゃくちゃしてるって聞いたのに……。


「キスはしましたけど。そっからすぐエッチの話が出て、なんか怪しく思えてきたので……思いっきりビンタしました」

「ああ……」


 先輩は目を覆う。なんだろう。スゴく鈴木崎の馬鹿野郎に感情移入してる感じだ。

 まさかとは思うけど……。


「もしかして先輩にも、そういう頃が?」

「ない。けど心の中では強くあった。性欲は、常に支配してたと言ってもいい」


 ……そう、なんだ。


「ちなみに男子の性欲のピークは中学生ごろって言われてる。僕はその知識を持ってたから、性欲を自覚して抑えてきた」

「……だから? そもそも知らなくても表に出す時点で馬鹿でしょ」

「おっしゃる通りです」

「こっちの気持ちも考えず、臆面もなく要求する時点で馬鹿でしょ」

「はい」


 なぜか先輩が怒られてるみたいになってる。

 ちがうのに。愚痴を言いたいのであって、八つ当たりしたいわけではないのに……。


「……まぁそれなら、男って馬鹿だなーで終わるんですよ。この猿が! で、私は済ませられます」

「つまり、ほかにもあった?」


 ──週一でデートしようぜ。恋人なら普通だろ。

 ──水族館とか遊園地って金かかるなー。折半しない?

 ──ただ公園を歩くだけでいい? えー? もっと恋人らしいことしようぜ!

 ──いっしょにいるだけで楽しくないのかって? いやでも、どっか行ったほうが楽しいだろ!

 ──なぁ。最近デート少なくない? え、勉強デート? いやぁ~……それより遊びに行こうぜ!

 ──おうちデートしようぜ! 勉強デートも兼ねてさ!


「おうちデートは拒否しました。その日、あいつの両親が居ない日だったんで」

「なるほど……」

「それからはもう……言い合いとかケンカばっかりで。幼馴染だからって理由で、今まで大目に見てたけど……なんかもう、ある時プッツンと切れちゃったんですよ……『あれ? もしやこいつ、かなりの馬鹿なのでは?』って……」

「百年の温情も冷めちゃったかぁ……」


 私が幼馴染として抱いていた、女の子として想っていた、この先百年は続くだろう思いの丈。

 その全てを、あいつは愚かにも……全部、台無しにしてきたんだ。


「そりゃあエッチ興味ありますよ!? でもさぁ! 順序がさぁ! 逆じゃない!? そりゃ幼馴染だから、いまさらデートで知ることなんて何もねぇよ! でもさぁ! なんだよ『恋人だから』って! なんだよ『恋人らしいこと』って!! なんだよ『周りはしてる』って! もっと自分を持てよ! アイデンティティ猿かよ!」

「うんうん」

「しかも『週一デート』って、あくまでそのくらいの頻度でやろうね? と思ったら『週末は必ずどこかに出かける』ってなんだよ! 義務かよ!! 私の心のペースも考えろよ! 疲れるわ! そりゃ遊園地も水族館も楽しかったよ!? スニーカー履いてったのに私の足はボロボロでしたけどネ! すぐ走り出して連れ回しやがってこっちの体力ペースも考えろよ! それについて指摘したら律儀に謝ってくるから許しちゃうんだよ!! まぁこいつバカだからなーって許しちゃうのぉー!」

「そっかぁ……」

「でも次のデートでは同じことの繰り返し! 何も学んでねぇ!? しまいにはどこで知恵をつけてきたのか、おうちデートに誘ってくる! バレバレなんだよテメェの下心はよぉ! 幼馴染なんだから隠せるわけねぇだろうがァッ! そんなにしたいならヤらせてくださいって土下座してこい! そしたらちょっとは考えてやったよ! 逆に言えば土下座してこなきゃ絶対ヤラセねぇって付き合って二日で判断したってことだけどなァアアアッ!!」

「なるほど……」


 ハァ、ハァ……こういうの、なんて言えばいいんだろ……幻滅? そうだ。幻滅したんだ。

 あいつのこと、好きだったのに……ずっとずっと、保育園の頃から、好きだったのにぃ……っ。


「……ありがとうございます……」


 ハンカチをもらった。嗚咽しながら目元を拭く。


 ああ。今ようやく分かった。

 私も馬鹿だ。まだまだ子供だなぁ……!


 なんで私が話し始めてから、先輩は店を出るのを急いだのか。疑問だったけど……今みたいに私が爆発して、衆目を集めないように誘導してくれてたんだ……やっべぇ。あのクソザルと比べて気遣いのレベルが段違いすぎる……これは惚れ直すわぁ……。

 なのに私は、もしかして私の話から逃げようとしてる? って、ちょっとだけ不安に思っちゃって、どんどん言葉が加速して……くそっ。自分のことしか考えてねぇのはどっちだよ……悔しい。もっと先輩の横にふさわしい人になりたい……並び立てるような女になりたいっ。


「精進します……」

「君は十分よくやってるよ」


 その優しい言葉のせいで。ギュウギュウに引き締まっていた胸の内が、はり治療でもされたみたいに少しずつ緩和していく。張り詰めていた心を守る筋肉が、穏やかにほどけていく。もうこの人になら身を任せてもいいとさえ思えてくる。


「ちなみに、その幼馴染は今?」

「疎遠。同じクラス。会話なし」

「そっか……成長のほどは?」

「反省はしてるみたい。でもヨリ戻したら同じことになる確信がある」

「だから完全に見切りをつけた」

「はい……」


 あいつは友達のままでいたほうがイイ奴だ。明るくて真っ直ぐで。人情に厚くて優しくて。ただし恋愛観は、私とは致命的に合わなかった。それだけ。まぁそんなこと言ったら趣味も合わない。でも一緒にいると楽しい。だから、その程度でいいんだ。友達程度の関係性が一番お互いに気楽なんだ。


「よし。じゃあもうちょっと落ち着くために、今度は僕の話でもしようかな?」

「……先輩にも、幼馴染がいたんですよね」

「うん。ただプライバシーも兼ねて少し話を作るけど……二人の幼馴染がいてね。どっちからも嫉妬を買って、どっちとも破局したよ。それだけ」

「……? もうちょっと詳しく」

「それは夜が更けちゃうなぁ」


 先輩は腕時計を確認する。

 覗き見ると、もう夜の八時になる。今から家に帰ると九時になる。


「え、やばっ。もうこんなに……!」

「送ってくよ」

「えぇ!? いえいえ、そんな……! 私のせいなのに……!」

「何が? 別に僕は帰りが遅くても問題ない。でも君は親御さんが心配する。車……じゃなくて、電車に乗って帰ろうか」


 あっ……別に車でもいいのに……たぶん私のことを考えてくれたんだ。

 先輩と私で、男と女が、ふたりっきりにならないように……。


「まって」


 ベンチから離れる裾を掴む。


「車で、帰りたいです……」


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