第4話 異世界転移!でもすぐ即死の危機?

(ああ、僕はこれで死ぬ……)


 廃病院の屋上から突き落とされたシュン。

 すでに諦めの境地だった。

 目を閉じて、地面に叩きつけられる衝撃を待つ。

 しかし、いつまで経ってもその瞬間は訪れない。


(あれ、減速しているんじゃないか?)


 と思ったら、いきなり背中を激しく打ちつけた。

 だが、その衝撃を受け止めたのは、何かネバネバしたゲル状の物体だった。

 

 グニュ〜〜〜

 

 まるで低反発クッションのような不思議な感触。

 即死は免れたらしい。

 

「……っ、痛てて……」


 起き上がろうと手をつくと、ネバネバに触れた。

 そして、手が内部にまで入っていく。

 それは、ゼリーを握りしめたように冷たく、柔らかい。

 その瞬間、手のまわりのネバネバから大量の光の粒がキラキラと舞い上がり、パチパチと弾けて消える。

 すると、ネバネバが激しく小刻みに震えた。

 

(なんだ……? 助かったのか?)

 

 頭を押さえながら立ち上がろうとした。


「◎◆◇∇≒≠∬→⇔∞※♯▽⊕⊗∵∥∴Ψ」


 突然ネバネバが意味不明な鳴き声をあげた。

 

 腹にズドンという衝撃。

 そして、焼けた鉄を押し当てられたような熱さ、次いで激痛に襲われた。


「がはっ……!?」

 

 見れば、腹に矢尻のようなものが見えた。

 声にならない叫びとともに、口からゴボッ――と鮮血を噴き出す。

 シュンは意識を失い、その場に倒れ込んだ。


 


◆◇◆◇◆


 プリマゲールは、冒険者が弓を引き絞るのを、ただ見ているしかなかった。

 すぐに、最後の一矢が放たれるだろう。

 憤りと悔しさが、消えゆく意識の底に最後まで残った。

 

 体に送り込まれた魔力が、いよいよ全身を蝕む。

 痺れと痛みによって世界が暗転しかけた。


 ――ドサッ!


 何かが降ってきた。

 ゲル状の体がそれを受け止める。

 

(生き物? 人間? ――子供!?)


 呆気に取られて、一瞬痛みを忘れた。

 子供が何か声を発したが、その意味を理解できない。

 

(私の知らない言葉!?)


 数千年の時を生きてきた自分が理解できない言葉……

 

 そして少年の素手が体に触れた。

 その手は深く体内に侵入する。

 その瞬間――奇跡が起こった!

 

 侵入した腕を中心として光の粒が放出し、体を蝕んでいた魔力が消滅していく。

 悪い毒が浄化され、失われた細胞が再生し始めた。

 

(もしかして――助かるのか?)

 

 そのとき、少年が立ち上がろうとした。

 

「だめだ、立つんじゃない!」

 

 プリマゲールは叫ぶ。

 しかし、遅かった。

 冒険者の放った矢が、少年の腹部に突き刺さった。

 少年は血を吐き、崩れ落ちる。

 

(――ああ、なんということだ。私の身代わりに、私を助けた少年が死んでいく)

 

 暗い洞窟の中で、プリマゲールは選択に迫られた。

 この少年を見捨てて逃げるか。

 それとも……


 不意に、プリマゲールは笑いが込み上げてきた。


(何を迷うことなどあるものか!)

 

 どうせ逃げたところで、今回のように狩られて終わるだけなのだ。

 運命の声は言った。

 

『おまえを助けた者に、生涯をかけて尽くせ』

 

(そして、この少年は自分を助けてくれたのだ)


 もはや、ためらいはない。

 

(私は運命の声に従う。このお方をお救いする)

 

 しかし、たとえ声がなかったとしても、この少年が命の恩人であることに変わりはない。


(このお方に尽くすのが道理)

 

 決心すると行動は早かった。

 プリマゲールは矢が刺さった腹部の傷から、その柔らかい体を浸透させていく。

〝融合〟が成功するかどうかは、分の悪い賭けだ。

 しかし、これしか少年を救う手立てがないのも事実。

 

(絶対にこのお方を助けてみせる)


 プリマゲールは、嬉しくて、楽しくて仕方がなかった。

 

(やっと見つけた! この数千年の間、失っていた〝生きる希望〟を)




◆◇◆◇◆


 アーサーは、ディアボリカから借りた弓で、矢を放った。


「とどめを刺したはずだ。確認して、さっさと先に行くぞ」


 アーサーは、仲間とともに瀕死のプリマゲールに近づいた。

 彼は魔術の石――魔鉱石を取り出す。

 そして何か呟くと、魔鉱石は輝き、洞窟の暗闇を明るく照らした。

 

「なんだこりゃ! 人間が倒れているぞ」

 

 盾役のコラプトが、大きな体を揺らしながら叫んだ。

 白い鎧と大きな盾が、ガチャガチャと音を立てる。

 

「そんなわけないだろ、スライムしかいなかったのは確かなんだから」

 

 矢筒を背負う弓士のディアボリカが、首を振った。

 長く緑の髪が特徴的なエルフの女性だ。

 

「どうだ、仕留めたか? ディアボリカ」


 アーサーは、少しイラつきながら、ディアボリカに確認した。

 金色の髪をかきあげると、整った顔が露わになる。

 しかし、その鋭い眼光は冷たく暗い。

 

「アーサー、あんたが射った矢で、人間が死んでるってよ」

 

 ディアボリカと呼ばれたエルフが、皮肉たっぷりに笑った。

 

「あんたが自分でやりたいって言うから弓を貸したのに、とんだしくじりだね」


 アーサーは無言で、うつ伏せに倒れている少年に近づいた。

 足蹴にして、仰向けにすると、顔を見る。

 黒い髪に、鼻が低く彫りの浅いのっぺりとした容姿。

 

「……東方の蛮族のようだな。密入国か」

 

 スライムはどこにもいなかった。

 

「ルータス、ヒールで治せるか?」

 

「どうだろう」

 

 アーサーの問いかけに、闇の中から背の高い男が現れた。

 長い黒髪にローブで身を包み、鉛のような重苦しい空気が漂う。


「ダメだな。まだ息はあるが、もう助からん。超高位魔術を使えばあるいは助かるかもしれんが……」

 

 ルータスは、少年に刺さった矢の近くに手を置き、そう判断を下す。

 

「こんなところにいる蛮族なんかに、もったいない。矢だけ回収して、先に進むぞ」

 

 アーサーは冷たく言い放った。

 

 四人は少年を取り囲むように立つ。

 

「そうだな。放っておいてもすぐにカラグールが食べるだろ」

 

 

 コラプトが少年を蹴飛ばした。

 カラグールとは、屍肉を食べるハイエナのような魔獣だ。


「いいのかい? 勇者アーサーともあろう者が、蛮族とはいえ、無害な人間を殺して。バレたら厄介じゃない?」

 

 ディアボリカがニヤニヤと薄笑いを浮かべている。

 

「構わん、どうせ見ている奴なんか誰もいない。それより、おまえのその言葉づかい。人前では絶対に出すなよ」

 

 アーサーは、まるで極寒の地獄をさまよう亡霊のような冷たい瞳でディアボリカを見据える。

 

「ああ、わかってるよ」

 

 ディアボリカは、かすかに怯えの混じった声で言った。


「念のため燃やしておくか。ルータス、頼む」

 

「あんたのミスだ。金はもらうぞ」

 

 舌打ちをするアーサー。

 

 ルータスが何か呪文のようなものを唱えると、少年の衣服に火がつき、燃え上がった。


「さあ、早く依頼を終わらせてしまおう。こんなジメジメした鬱陶しいところは俺には似合わん」

 

 アーサーの一言で、その火が少年を燃やし尽くす前に、冒険者たちは洞窟の奥へと消えていった。




◆◇◆◇◆

  

 誰もいなくなった洞窟の中で、少年を燃やす炎の弾ける音だけが響いていた。

 そのとき、炎の明かりに揺らめく人影が、ゆっくりと浮かび上がる。

 慎重に周囲をうかがいながら、そっと少年に近づく。

 

「案外、見ている奴はいるんだよね、これが」

 

 女の声は小さく、燃える火の音にかき消される。

 

 炎の光に照らされた、赤い髪。

 しかし、顔ははっきりとは見えない。

 

「まったく酷いことをするねぇ。勇者のパーティーが聞いて呆れる」

 

 燃えるものがなくなったのか、火は次第に消えていく。

 

 女はしゃがんで、燃えた少年を確認しようとして、驚いた。

 

「なんだよ! ――燃えてないじゃないか。しかも矢の傷まで消えてるよ。どうなってるんだ?」

 

 女はしばらく考え込み、やがて楽しそうな笑みを浮かべる。

 そして、少年を軽々と肩に担ぎ上げると、勇者パーティーとは反対の方向へと消えていった。

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