1話「家族との約束」(6)
俺は絶句した。廃屋のすぐ側にいた犯人のその姿に驚き、口を動かせなくなった。
そいつとの距離は僅か五メートル。
(なんだ、コイツは……)
そこいたのは、まさに怪物と呼ばれるに相応しい姿をした、おぞましい生き物だった。
全長は約十メートル。
あまりの巨大な姿に驚愕した俺は言葉を失う。
威圧を感じさせるほど、出っ張った丸い巨大な目が俺をじっくりと見つめている。
見た目はトカゲに似ていて、胴体はとても太く、まるで筋肉の塊。
その怪物は四足歩行で腰の低い体勢を取っている。
怪物の太く長い尻尾は、先が鋭く尖っている。
体は、ギザギザに尖った茶色の鱗で全身が隙間なく覆われている。
前足には鋭く大きな三本の白い爪がついていて、巨大な口には大きな白い牙が不揃いに生えている。
そして真っ赤に染まった牙と口周り。
そいつの口に付着している赤い液体は間違いなく人の血痕だ。
すぐにそう判断出来たのは、そいつの口から人間の下半身がはみ出ていたからだ。
悲鳴が聞こえた方向から察するに、この怪物の口からはみ出た両足はさっき悲鳴を上げた男のモノだろうとすぐに察した。
さっき聞こえた木の枝を折るような擬音の正体は、人間の骨を無惨に噛み砕く音だった。
俺の立ち位置から見て、その生物は俺の事を気にも留めず、横を向いたまま人間の身体をムシャムシャと鋭い牙で齧り、捕食していた。
「はあ、はあ……」
俺は呼吸を乱す。額から汗が溢れ出る。
俺は雰囲気と見た目だけでこの怪物の正体が一体なんなのか、瞬時に察することが出来た。
(まさか、コイツがドラゴンなのか?)
すると怪物は男の遺体をグチャグチャと噛み砕き、一片も残さずゴクリと丸飲みした後、すぐさまこちらにギロリと鋭い視線を向けてきた。
その恐ろしい怪物に横目で睨まれ、俺の身体は恐怖でまともに動かなくなる。
(怖い。怖すぎる。小便がちびりそうだ。眼から無意識に涙が溢れ出てくる。今すぐにでもこの場から逃げ出したい。この化け物の前から消えていなくなりたい。無我夢中に走って逃げてしまいたい。だがもう手遅れだ。コイツと目が合ってしまっているのだから……)
そいつを前に、俺はガタガタと唇を震わせながら剣先を前に構える。
呼吸が上手く出来ない。そのせいで全身に力が入らない。冷や汗も涙も止まらない。
圧倒的な体格差。絶対に勝てるはずない。
(こんな怪物と戦って勝つ事の出来る人間なんかいるわけがない)
俺は後悔して、再び涙を流す。
(何も考えずに、さっさとメイと母さんの千切れた腕だけを持って、村から出て行けば良かった。怒りに身を任せた自分を殴ってやりたい……)
今すぐにでも走ってこの場から逃げだしたいが、背中を向けた瞬間に殺されてしまうかもしれないという恐怖が脳裏に纏わりついて体がまったく思い通りに動かせない。
その時、何処からか声が聞こえて来た。
「人間は……」
(この声は?)
低い男性の声に聞こえた。
「人間は弱い。哀れで醜い生き物だ……」
まるで頭の中に直接語り掛けられているような感覚だった。
(もしかして、この怪物の声なのか?)
すると、ドラゴンは態勢を変えて、真っすぐとこちらに首を向けて来た。
「グガアァァァ!」
ドラゴンは怯えて固まっている俺に対して威嚇するように、大口を開いて猛獣のような声を上げた。
(なんて酷い匂いだ……)
今まで嗅いだことも無い腐った生肉のようなひどい異臭と共に、粘り気のある白い唾液が俺の右頬にペチャっと数滴、頬に飛んできた。
威勢のある獣声に圧倒され、俺はますます絶望感に陥って体が硬くなる。恐怖のあまりに、喉が萎み悲鳴すら上げられない。
そして怪物は遂に、俺の方に全身を向けてゆっくりと近づいて来た。
次は間違いなく俺が食い殺される番だと瞬時に察した。
(駄目だ、恐怖で体がまったく言う事を効かない)
するとドラゴンは俺に標的を絞ったのか、ある動作を始めた。
突然右側の前足だけを宙に浮かし、それを身体の横へと大きく振りかぶり始める。
(まさか!?)
そして前足に付いている三本の巨大な白い爪で引っ掻くように、グワッと素早く俺に殴りかかってきた。
「ぐっ!?」
ドラゴンの攻撃を予測した俺は、地面へと倒れるように即座に腰を落とし、なんとか爪の攻撃をギリギリで回避する。
僅かに俺の顔の横を巨大な爪が掠った。
そして俺の右頬に一本の掠り傷がつく。
猛威な攻撃を直接肌で感じて、背筋が一瞬で凍りついた。
(もう少し交わすのが遅れていたら、間違いなく首が飛ばされていた……)
ふと、ある事に気が付き、さらに冷や汗が大量に流れ出る。
(剣が折られた!?)
いつの間にか、持っていた剣先の上半分ほどが綺麗に折れて無くなっていた。
(まさか、今の攻撃がぶつかって折れたのか?)
腰を地面に付けていると怪物が再び大きな口を俺に向けて開けた。
また猛獣のような荒い声を上げるのかと思ったが、さっきとは何か違う。
(なんだ?)
突如、強い熱風が竜の大きく開いた口から、俺の身体へと吹き掛かる。
(凄く熱い...)
余りの高い温度に、俺は顔面を両腕で覆った。
するとドラゴンの口の中から微かに小さな火が噴き出し始めた。
目を凝らしてよく見ると巨大な炎の渦が口の中で暴れていた。
その様子を見た俺は、次の攻撃をすぐに察した。
(あの口の炎は……まさか!?)
そしてドラゴンは怯える俺に向かって、口から大量の火を吐き出してきた。
(まずい、早くこの場から逃げなければ……)
ゴオオ!という強烈な音と共に、大きな炎の渦が俺に向かって一直線に向かってくる。
「くっ!」
俺はなんとか、その炎を横の地面へと大胆に飛び込んで交わした。
(間違いない。村を燃やしたのはこのドラゴンだ。村の住人達や、メイと母さんを食い殺したのもコイツだ。そして次は俺がこの怪物の餌食に……)
息を切らし、自分がいた場所に目を向けると、ブレスに当たった地面の土が酷く焦げていた。
(無理だ。絶対に無理だ。俺一人でこんな怪物とまともに戦う事なんかできない。食い殺されるだけだ)
俺は死の恐怖に怯えて地面から一切立ち上がれなくなる。
周り一帯は全て火の海。
付近の道は全て、崩れた家などの瓦礫で散乱していて、とても人が通れる状況ではない。
(いやだ、死にたくない。死にたくない)
なんとか両腕の力を利用して腰を引きずったまま路上の端まで来るが、火の海に囲まれてしまった。
俺はドラゴンに追い込まれてしまい、逃げ場を完全に失う。
(もし仮にドラゴンの攻撃を上手く交わして逃げられたとしても、すぐに追いつかれてしまうかもしれない)
ドラゴンは少し離れた位置から動かずに、地面に蹲ったように座る俺をジッと威嚇するように、鋭い眼差しで睨み続けている。
まるで窮地に追い込まれた弱い獲物を見つめるかのように。
「貴様も弱い。哀れだ。さっさと食い殺してやる」
また頭の中にドラゴンの低い声が聞こえた。
ドラゴンは俺に対して殺意を完全に剥き出しにしている。
この怪物にとって今の俺は格好の餌に過ぎない。
(はあはあ……駄目だ、もう駄目だ)
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