第21話 リベンジ
翌日には、シヴァはすっかりいつも通りになっていた。お父様とルネしか会っていなかったようで、私は見舞いにも行かせてもらえなかった。それでも、翌日にはいつもの執事服を着て部屋に来てくれた彼の姿を見て、私は胸を撫で下ろした。
「本当に、もういいの?」
「ああ。心配かけたな」
軽く返事をして頭を撫でてくれる。口角を上げて微笑んでいるシヴァの表情に、緊張が解けていく。
「良かった。……あのね、アレク様にもお世話になったし、何かお礼をしようと思っているの」
心配をかけてしまったし、レオナルドと会う手配もしてくれた。何もお礼をしないわけにはいかない。だが、物を用意しようと思っても、彼ならば欲しいものはなんだって持っているはずだ。
「だから今日、お礼を言いつつ本人に何か欲しいものはないか聞いてこようと思って」
「本人に、それを聞くのか?」
「うん! だって、変な物を渡したくないもの。本人に聞くのが一番よ」
呆れたようにシヴァはため息をつく。でも、他に何も思いつかないんだからしょうがないじゃないか。
「……まあ、ずっとあいつのこと考えてるよりはマシか」
「え? 何?」
小さく呟くシヴァの声はよく聞こえない。首を傾げている私には気にせず、準備があるからとシヴァは部屋を後にした。
メイド服に着替えたシヴァとは、馬車で合流した。彼のいない間にバルバラやルネに相談して、体調不良の時の薬草や連絡用のメモは鞄に入れてある。淑女の小さな鞄はお飾りのようなもので、ハンカチや扇くらいしか入れないが、今日ばかりはぎゅうぎゅうだ。
シヴァと向かい合って馬車に乗ると、すぐに出発する。アレクサンドには先触れを出してある。特に予定はないし、王城で時間が空くのをゆっくり待つことにしよう。
「シヴァ、体調は大丈夫?」
「だから、問題ないって。何度も聞くな」
道中、何度も確認する。その度にシヴァは呆れたように答える。実際、顔色は悪くない。このまま何事もなく一日が終われば良いと、そう私は願った。
思っていたよりも早く、アレクサンドとは面会できた。王城の庭先でゆっくりシヴァと花見をしていた私は、急な登場に驚いてしまう。
「お待たせしたね。リリアンナ嬢」
「あ、アレク様⁉ 急な申し出にもかかわらず、こんな早くお目通りできるとは」
「前口上は良いよ。それで、レオナルド達はどうなったの?」
慌ててお辞儀をしようとする私達を制して、アレクサンドは話を続ける。今はまだお昼前。朝に連絡してこんな時間に会えるほど、暇ではないはずなのに。そんなにも、レオナルドのことが気になるのだろうか。
あった出来事を説明すると、彼は嬉しそうに笑った。兄として、弟を心配していたらしい。
「そうか。本人からも言われたんだが、客観的に見ても上手くいったようで良かった」
「そこまで気にかけているとは思いませんでしたわ」
「レオナルドはマルグリータ嬢がいなければ廃人同然になるのは目に見えているからね。さすがにそんな姿は見たくないよ」
ゲーム内の遊び人でちゃらんぽらんだった姿を思い出す。私はゲームを始めた時に、難易度の低さから最初にレオナルドを選択したが、お世辞にも勉学に励んでいるようには見えなかった。遊び人が一人の女性に一途になる展開は良かったが、その程度の感想しか持ち合わせていない。
まあ、それくらいマルグリータに相手にされないレオナルドは落ちぶれてしまうわけだ。兄として心配だし、王族としてそんな人になって欲しくはないだろう。
「どうですか? これで1つ、私の有用さは証明されましたか?」
いずれ婚約を解消するための布石として、悪くはないんじゃないかと思い冗談めかして言ってみる。
「うーん……婚約解消してもモンリーズ家に不利益を与えないくらいにはなったかな」
つまり、婚約解消自体はできないわけだ。もっと色々考えて動かなくてはと心に決める。
「そういえば、今日はわざわざどうしたんだい?」
「そうでした。色々とお手伝い頂いたので、何かお礼をしたいと思っていて。何か欲しいものはありますか?」
「欲しい物か……」
アレクサンドは口元に手を当てて考える。さすがイケメン。絵になる光景だ。
しばらく考え、アレクサンドは口を開いた。
「行きたい所があるんだ。もし良かったら、一緒に行かないか? もちろんこちらで護衛は用意するよ」
どんな場所だろうか。最近は魅了も抑えられるようになってきたし、この間のレオナルドとマルグリータとの外出も問題はなかった。今ならば不都合はないかもしれない。
「分かりました。お供します!」
私の返事にアレクサンドはにっこりと微笑んだ。
その後すぐ、お城のメイドさん達に部屋に誘導され、準備された服に着替えさせられる。護衛のためとシヴァも付いてきたが、さすがに着替え中はずっと後ろを向いていた。同じ部屋にいるだけでも気まずい。ちらちらと彼を見ながら顔が赤くなる私に、メイドさん達は何度も「大丈夫ですか?」と質問していた。その度に必死に笑顔を取り繕う。
「……まあ、元々シヴァが女装してるのはこういう時のためだもの」
分かってはいたが、緊張してしょうがない。メイドさん達の言葉を受け流しつつ、なんとか着替えを終えた。
着替えた服は、麻で出来た簡素な衣服だ。一般庶民の新品の服、といった感じ。私の長い髪はゆるい三つ編みにされ、頭には三角巾が付いている。さすがに肌のきめ細やかさとか、手入れが行き届いた髪は庶民には見えないが、服装だけなら及第点だろう。遠目からなら貴族とは分からないかもしれない。
「シヴァ。どう?」
鏡の前でくるりと一周しながら声を掛けてみる。シヴァは頭からつま先までしげしげと眺めると静かにうなずいた。
「庶民に見えません」
「ですよねー」
そんな私達のやり取りを見ながら、メイドさんはもう一着の服を持ってきた。
「ドレスはお預かりしておきますね。お付きの方も、こちらにお着換えを」
「終わりましたら、先程の庭園へお戻り下さい」
そう言われてシヴァと二人、部屋に残される。このまま着替えるの⁉ シヴァが⁉ ここで⁉
「いや、男だし見られても別に……」
顔を赤くして顔を覆い、背を向けてしゃがみ込んだ私に呆れるようにシヴァは言う。そうはいっても、好きな人の着替えシーンとか恥ずかしすぎて直視できない。
「私にも心の準備というものが……」
「準備って?」
そうこうしている内に着替え終わったのか、声が耳元で聞こえる。驚いて私は飛び上がった。私の反応にシヴァは面白そうに笑う。その姿はいたって普通の町娘だった。いや、顔がこんなにいい上、黒髪にシルバーグレイの髪が混じっているなんてそういるはずがない。圧倒的な美貌とオーラは庶民の服では隠せなかった。
「……シヴァはなんでも似合うね」
「そりゃどうも」
庶民に見えない、とは私も思う。軽いやり取りをして、私達は元居た庭園へと戻った。
***
アレクサンドに連れられ、着いた先は裏路地だった。薄暗い中、所々人が座り込んでいるのが見える。見えない所に護衛が控えているのは分かっていても、少し怖い。
「あの……アレク様。ここへは何をしに来たんですか?」
「アレクで良いよ。君のこともアンナって呼ぶから」
彼の言葉に小さく頷く。背後に控えたシヴァが彼を睨んだ気がしたけど、シヴァに睨む理由なんてないし、気のせいかもしれない。
「視察がしたかったんだ。この辺りの治安が最近悪いと聞いてね。恐らくは近くの村からの流民だと思うんだけど……直接見てみないと、現状は分からないから」
なるほど。さすが責任感の強い王族だ。まだ幼いのに、目の前の光景を見つめる視線は鋭い。
「婚約者だし、こういう物を知った方が君の今後のためにもなるしね」
「婚約は解消してみせます!」
「どうかな?」
もう無理だと思っているのか、からかうようにアレクサンドは笑う。そんなことない。まだやれることはある。そう思っていたが、その言葉は今は呑み込んだ。ここで言い合いをしていてもしょうがないんだから。
ため息をついて、私は踵を返した。その後を何事もなくアレクサンドとシヴァが追ってくる。
「ごめんごめん。とりあえず、向こうに情報屋がいるそうなんだよ。周囲の状況を確認しつつ、そっちに……」
彼の言葉を聞き終える前に、目の前の脇道から男が一人躍り出てきた。何かを抱えているみたいだし、物取りで間違いない。少し離れた場所から罵声が聞こえるので、追われているようだ。
アレクサンドが私を庇うように慌てて前に出る。空気が変わり、護衛が向かってきているのも分かった。
しかし、それよりも前に男は私達を見て手を伸ばしてきた。アレクサンドの胸倉を掴むと、彼を自分が来た方向へぶん投げる。まだ子供であるアレクサンドは、体勢を崩して男を追ってきた人にぶつかった。
「アレク様!」
幸い怪我はないようだ。起き上がる彼の様子に安堵したのもつかの間、男は私にも手を伸ばしてきた。その手にはいつの間にかナイフが握られている。刃先がこちらに向いたのが分かり、恐怖で動けない。
「ひっ……」
「アンナ!」
アレクサンドが叫び、追って来るも間に合わない。後ろに退きながら逃げようとした瞬間、私の背に何かが当たった。温かいそれはしっかりと私を抱きしめてくれる。それと同時に、何かの呪文が聞こえた。
眩しさで目を開けると、私を守るように青い炎が壁を作っていた。男の腕は炎に焼け、悲鳴を上げながらナイフを取り落としている。青い炎は目の前にあるのに、不思議と熱さは感じない上に私の髪にも服にも炎が燃え移ることは無い。
「大丈夫か?」
後ろを見ると、すぐ傍にシヴァの顔があった。その目はどこまでも冷静で、鋭く男を射抜いている。追いついたアレクサンドと護衛達が男を捕縛しているのが炎越しに見えたのか、シヴァは魔法の発動時に上げていた手をゆっくり下ろす。
私の視線に気づき、シヴァが私を見る。体に回された腕が、より強く私を抱きしめた。
「今度は、守れたな」
青い炎に照らされたシヴァは、嬉しそうに微笑んだ。
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