見えないモノの家
寺崎 峻吾
第1章
あの家にいた何か
ねえ、見たことある?
誰もいないはずの部屋に、誰かが立っているのを。
目の端にちらっと映って、でも振り返ったら誰もいないやつ。
わたしはあれ、何回もあるよ。
最初は夢だって思ってた。でも、夢にしては匂いがあるし、肌寒いし、なにより――あの人の目が、本当に生きてるみたいに、私を見てたの。
……怖いって、思わなかった。むしろ、やっと会えたって。そんな気がした。
◯ ◯ ◯
成瀬晶がその日、目を覚ましたのは午後一時を過ぎていた。
夏休みの中盤、講義もバイトもない一日。
カーテン越しに差し込む光がまぶしくて、思わず顔をしかめた。
スマホの通知を見ると、グループLINEが未読50件近く溜まっている。
〈今日どこ集合だっけ?〉
〈カエデが遅刻確定ってさー〉
〈つーか、みんなマジで行くの?あそこ〉
〈バレンタイン山荘より怖い説あるからな〉
「……ああ、今日か。肝試し」
寝ぼけた頭を振って、晶はソファから体を起こした。
そのままLINEを確認し、未読をさかのぼる。
数日前、バイト先の仲間たちと「夏っぽいことやりたい」と盛り上がった末の“心霊スポット探訪”――それが、廃墟と化した家だった。
肝試しというにはあまりに重たい噂がついて回るあの家。
三十年前、一家四人が惨殺されたという未解決事件の現場。
“何か出る”という話とともに、地元の人間すら近づかない場所だった。
晶は、あまりこういうのに乗り気な方ではなかったが、乃々香の「行ってみたい」という一言で参加を決めた。
「つーか、乃々香……大丈夫かな」
最近、彼女の様子が少し変だった。
大学に入ってすぐ仲良くなった乃々香は、おっとりしていて控えめな性格だったが、最近はよく夢を見るとか、視線を感じるとか、妙なことを言うようになっていた。
──まさか、その「夢」にこの家が出てきたとか、そういう話じゃないよな。
嫌な予感が、胸をかすめた。
◯
その夜、5人は現地に集まった。
車2台に分乗して、人気のない山奥へ。
街灯もない道を抜け、獣道のような小径を歩いた先に、それはあった。
崩れかけた木造平屋。
玄関のガラスは割れており、庭には誰のものとも知れない靴が転がっている。
風が吹くたび、柱がきしむような音がして、背筋がぞわっとした。
「……やば、マジで不気味」
楓が半笑いでつぶやく。
「うわ……写真で見たより全然、雰囲気あるな」
みのりがスマホを構えてシャッターを切る。
隼人は「幽霊なんていねーって!」と強がっていたが、その声もどこか上ずっていた。
「乃々香、大丈夫?」
晶が隣に立つ彼女に声をかけると、乃々香は小さく頷いた。
だがその表情は固く、唇がかすかに震えている。
「ここ……やっぱり、夢で見たのと、同じ」
「えっ……」
「この角度、階段、玄関の鍵の位置まで、全部」
ゾクリとした。
晶は思わず彼女の腕を掴みそうになったが、そのとき背後から隼人が声を上げた。
「おい、行こうぜ! さっさと入って動画撮って帰ろう!」
その声に押されるように、5人は廃屋の中へと足を踏み入れた。
中に入った瞬間、むっとするような湿気と、古びた木材の匂いが鼻をついた。
床板はところどころ抜け落ち、カーペットは茶色に変色している。壁紙は剥がれ、廊下の奥まで見通すと、黒い影が沈んでいるようだった。
「……うわ、なにこれ」
楓が思わず声を上げた。
廊下の突き当たりには、散乱したアルバムが山のように積まれている。ページが開きっぱなしのものもあり、家族写真が覗いていた。
「ほんとに写真残ってんのかよ……」
隼人がしゃがみ込み、一枚を拾い上げる。
色あせたプリントの中には、若い夫婦と二人の娘らしき姿が写っていた。父親はスーツ姿で、母親は柔らかい笑顔を浮かべている。小学校低学年くらいの少女と、まだ幼稚園に通っていそうな少女。
四人は仲睦まじそうに肩を寄せ合っていた。
「この人たちが……」
みのりが小さくつぶやく。
「そう、殺されたってやつか」
隼人の言葉に、場の空気がぴりりと張り詰める。
楓が慌てて声を上げた。
「やめてよ、縁起でもない!」
「でも事実だろ。三十年前に一家四人惨殺、犯人不明──。ネットに記事まだ残ってるじゃん」
「そんなこと言って、幽霊出たらどうすんの?」
「出たら出たで動画バズるだろ」
強がる隼人に、楓が呆れた顔を向ける。
晶は二人のやり取りを横目に、乃々香を見た。
彼女は、壁に掛けられた止まった時計を見上げていた。
針は午後十一時三十七分を指したまま、ぴたりと動きを止めている。
「……この時間」
「え?」
「夢の中でも……止まってたの。十一時三十七分で」
晶は言葉を失った。
冗談を言っている様子ではない。
その表情には怯えと、どこか諦めのような陰が差していた。
◯
「ちょっと、奥まで行ってみようぜ」
隼人の声が再び響き、四人は廊下を進むことになった。
板はぎしぎしと軋み、埃が舞い上がる。
電気は当然通っていない。スマホのライトだけが頼りだった。
奥の部屋のひとつ、ドアが半開きになっている。
隼人が躊躇なく押し開けた。
「……うっわ」
そこは居間らしき部屋だった。
ちゃぶ台がひっくり返り、座布団が散乱している。壁には乾いて黒ずんだ跡が点々とついていた。
みのりが思わず顔を覆った。
「ねえ……これ、血じゃない?」
楓が青ざめた顔で頷く。
「……帰ろう。ねえ、ほんとにやばいって」
「せっかく来たのに、ここまでで帰るのは逆に失礼だろ」
隼人が笑い飛ばそうとするが、声がわずかに震えていた。
晶は乃々香を振り返った。
彼女は部屋の隅をじっと見つめていた。
そこには古びたタンスがあり、半開きになった引き出しの中から、ぬいぐるみの耳がのぞいていた。
「……あの子の、だ」
「え?」
「このぬいぐるみ……夢で見たの。あの子が抱いてたやつ」
その言葉に、晶の心臓が跳ねた。
偶然? いや、乃々香の言葉は、あまりに確信めいていた。
その時だった。
廊下の奥から、カタン、と音がした。
「……今、なんか聞こえたよね?」
楓が怯えた声を上げ、みのりがスマホを構える。
晶も振り返った。
闇の向こう、誰かが立っていたように見えた。
だがライトを当てると、そこには何もなかった。
静寂。
息を呑む音だけが響く。
「……帰ろう」
乃々香がぽつりと言った。
その声は震えていたが、どこか決意のようなものも感じられた。
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