久しぶりの故郷を路線バスで

綾瀬 りょう

路線バス

 それは、どの仕事をしていても同じだと思うが「長く勤めている」というだけで発見できることが出てくる。


 私は市営バスを運転していて、一日中、慣れ親しんだ街の中を決められた回数回り、利用者を希望の場所まで乗せていく。小学生にでも分かる仕事内容であるが、“命”という大切なものを預かる仕事でもあるので細心の注意が必要だ。


 市営バスにも様々あるが、私の運転しているものは普通の路線バスの半分くらいの小さなバス。人数としては二十名位しか乗車できず、他の利用者同士の会話が簡単に聞こえる程の距離しかない。主には地元の人の利用が多く、私に気さくに声をかけてきてくれる人も少なくない。


(今日はどんな方が利用されるのかなぁ)


 そう考えながら私のスタート地点である駅前のロータリーに到着した。


 朝六時の始発となると学生が利用するのも少し早い時間で、平日だと利用する人は稀で日によっては誰も乗車してこないこともある位だ。


 今日は二十代くらいの可愛らしい女性が一人ご乗車された。


(普段見かけない人だな)


 詮索することはできないが、何となくそんなことを考えてみたりする。


 最終目的地まで何度か停留所に止まりながら、確実に進んでいく。


 私は運転席側の三列目窓際に女性が座るのを確認してゆっくりとアクセルを踏み込む。


 女性はどこか寂しそうな表情をして窓の外を眺めているように思えた。


 二つほど停留所を過ぎたあたりで、女性の声がした。


「前と街の中変わっていますね」


 話しかけてくるように見えなかった女性が、懐かしさを愛しむような声で私に話しかけてきた。思わずバックミラー越しに女性に視線を向けると、一瞬だけ目が合い女性は優しく微笑んでいだ。


「誰もいないから、少しの間だけお話してもいい?」


「ええ、大丈夫ですよ」


 確認もせず、他人の目も気にしない人は時々色々な情報を話しかけてくるのだが、この女性は仕事の邪魔をしてはいけないと思ったのかそう聞いてきたのだ。


 その姿が何故かとても微笑ましく感じてしまう。


 私の返事を聞いた女性は少しの間、窓の外を眺め戸惑うように言葉を紡いだ。


「就職して少し遠くにいるんです、わたし」


 私は久々に利用者の方と会話をするなと思う。


 自分のことをどう伝えようか考えているようだ。


 私は女性が少しずつ紡ぐ言葉に耳を傾けて、せかすことはせず、ただ待っていた。


 命を預かる仕事であるので、油断禁物。


 話を聞きながらも安全確認を怠らず、ハンドルを握る。


「少しだけ来るのが怖い場所だったんです、地元のはずなのに」


 悲しげな雰囲気の声で女性は話していた。


 私は逆に明るい気分になれるように、笑いながら返事をする。


「私はここから離れたことがないので、よく分かりません」


 生まれてから今まで、学校も地元を選んでいたので、ずっと離れることがなかった。好きな場所だから離れなかったとかではなく、離れるタイミングを作らなかっただけなのかもしれない。本当はここが好きだからと言えればカッコいいのだが、私にはそれが自分にとっての本心なのか分からなかった。


 女性にとってどうして怖い場所なのか、本当は理由を聞きたいという衝動に駆られていた。でもそれはきっと、土足で家に上がるような行為なので無理に聞こうとはしなかった。


「来られない間に周囲が変わっていくのがまた寂しいな」


 女性はまた悲しげに窓の外を眺めていた。


「理由があって来られなかったなら、仕方ありませんよ」


 毎日ここにいると変化したことでさえ当たり前になっていき、指摘されて改めて思い出されることさえある。


「私はずっと地元にいるので分からないですけど、感情って簡単には整理できないものって言いません?」


 私はまだ認めたくない現実に遭遇した体験がないので、女性がどんな悩みを抱えているか想像することが出来なかった。


 それでも話を聞くことで少しでも気持ちが楽になるのだろうか。バスに乗車した時よりも女性の雰囲気が段々と暗くなっていくような気がした。


「わたし、変化がこんなに怖いものだなんて学生時代には思わなかった。変わってゆく、新しくなっていくことがいいことなんだってずっと思ってた」


「そりゃぁ、誰だって経験して初めて理解できることのほうが多いですよ」


「後悔って本当にその時が来ないと気が付けないものって身をもって実感した」


「後に悔やむって言葉通りですね」


「ええ」


 ちらりとバックミラー越しに女性に視線を向ける。


 窓に頭をつけぼぉっとしている横顔。


(何をそんなに思い詰めているのかな)


 話している限りでは女性は、『変わること』に対して何か戸惑いを感じているように感じ取れた。


「変わることがそんなに嫌なんですか」


 私は思ったことを素直に言葉にする。すると信号が赤になり私は静かにブレーキを踏んだ。


 横断歩道にはジョギングをしている男の子がいて、確か少し前までは中学校の制服を着て歩いていたのを見たことがある。


 人や社会が成長、衰退してゆく中で変わってゆくのは必然の結果なのだと思うようになったのは、色々な人と関わるようになってからだ。仕事を始め、学生の頃には感じなかった感情を多く感じられるようになれた。


「私は動きがあるからこそ面白いものだと思うようにしています」


 毎日が同じ景色の繰り返しだったらきっと、私はこの仕事を続けていることが出来なかったと思う。どう楽しくその結果を受け取るかが、この世界に対する受け取り方と考えている。楽しいことばかりではない。辛いことも多い人生だからと思っている。


 明確な答えが用意されているものではないからこそ、自分自身の受け取り方によって様々に色を変えてゆくものなのかもしれない。


「久しぶりに戻ってきて、懐かしむものがなくなるのはとても悲しい。わたしは過去を大切にしてゆきたいのかもしれません」


 そう言う女性の雰囲気は先ほどの悲しさを含んでいるものから少しだけ意志の強さを感じ取ることが出来た。


 私は信号が青に変わり、左右確認をしてからゆっくりとアクセルを踏んだ。

徐々にスピードが上がっていく。


 意識して周囲を見回してみると先ほどよりも車の台数が増えてきていた。通勤の時間になりつつあるのだ。


 私は運転しながら風景を注意してみるようにしてきた。目印や利用者の目的地が変わっていくこともあるから。でもそれが、毎日続いていくと気が付くと当たり前になってしまう。


 変わることが当然で、変化のないものは有り得ないということが、自然と身についてしまった。


「わたしは離れても絶対にこの場所を悲しんだりしないって思い上がっていた」


 女性の声は先ほどの悲しさを含んでいたものから少し力強いものへと変わっている。


 私は女性が過去に囚われていた考えから、未来に視点を変えていってくれているように感じていた。


「深く考えすぎかもしれません。もっと楽しく生きても誰も咎めたりしませんよ」


 制限速度を守りながら確実に目的地に近づいて行く。


 それはバスが運行している理由で、目的地まで行くことがこのバスに与えられている仕事であった。


 その時の条件により道のりが変わっていく人生とはまた違い、これは決められた型どおりに動いていく。


 バックミラー越しにふと女性を見てみると、その瞳には迷いが感じられなかった。


「そういえばこのバス以前と路線変わりましたか?」


 まっすぐな瞳でこちらを見てくる女性は何か楽しそうなものを見つけていたようだ。


「駅の近くに道に駅出来ましたね。それに今までスーパーの前通っていたのになくなった」


「よく覚えていますね」


「だって学生時代、雨の日によく利用していましたから」


 その笑顔があまりにも曇りがなくなぜだか一瞬見とれてしまった。


 子供のようなキラキラとした笑顔。


「こうやって前に進んでいくんですか?」


 何がと女性はあえて言わなかったが、私はその指しているものが女性の伝えたいものと同じであると信じたくなって、笑顔で答えた。


「そうかもしれません」


 決めたその道を正しいものにしていくために、人は生きてゆくのかもしれない。明確な答えはどこも記していないから、不安になりながらも一歩ずつ確実に。


「まぁ、今までの路線で利用していた人にとっては不便になってしまうから良し悪しがハッキリしていますが」


 私の苦笑に女性が楽しそうに声に出して笑う。


「運転手さんが決めているわけじゃないから責められても困りますね」


「そうなんですけど。現場だから色々な声が直接感じ取れるから、辛いものもないわけじゃないです」


 それもまた、一つの変化であるから何とも言えないものがある。


 今までを好きだと言ってくれる人も居れば、変わった今のほうが利用しやすいと言ってくれる人も居る。


 全てに答えることはできないからこそ、一つ一つを大切にしてゆきたい。


 その為に私は自分に出来る最善の行動をするようにしている。


 女性からは見えないだろうが、私は笑顔で言った。


「また近くに来たら是非利用してください。このバスは皆さんから利用を希望されているのでこれからもあり続けます」


 先のことはまだ何もわからない。それでもこのバスは今、確かに街の人に愛されていると感じている。


「運転手さん」


「はい?」


「私は最初変化が怖いと言いました」


 強い、何かを決意したような声に、私は自然とハンドルを握る手に力が入った。


「認めなければ、受け入れなければ、それが現実にならないって思いたかっただけなんだって気づくことが出来た」


「私が勝手に言っていることなので参考までにしてください」


「いいえ」


 ミラー越しの女性は微笑んでいた。


「変化があるからこそ、生きるのは楽しいんだって考えられるようなりました」


“ピンポン”

 と女性が降りるボタンを押す。


 長いようで短いバスの旅の終着点。


「ありがとうございます」


 そう言い残して女性はバスを降りて行った。


 そこは何の変哲もない道路の真ん中でこの後どこに行くのか見当もつかない。


 それでもこのバスは女性が求める役割を終え、また次の利用者を乗せてその人を送り届けていくのだ。


 これからも、この先も。

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