ヨミビト知らず。

今宵 結雨

第1話


「ヨミビトというのはみんな知ってるな?」


そう言って黒板の左端に大きく「ヨミビト」という文字を大きく書いた。キュッキュッとチョークと黒板が擦れ合う特有の音が教室内に響き渡り、男の黒いスーツに白い粉が降りかかる。


俺はそんな授業もほとんど聞かず、「ヨミビト学」と書いてある教科書すら開きもせずに、今日提出の進路希望調査票に目をやる。

しかし、傾いてきた太陽がじわじわと左肩を暖め、眠気が俺を襲ってくる。


「生物には、保有量に差はあれど皆、霊力を持っている。霊力は生命維持には欠かせない。つまり『霊力を失う』というのは、つまり死を指す。」


そこで「はい!」と元気な声が、夢の世界に片足を突っ込んでいた俺を現実へと引き戻した。


「『霊力を失う』というのは具体的にどのようなことが原因で起きるものなんですか?普通に生活をしていれば失うことはないと思うのですが。」


一番前に座る彼は机に両手をつき、中腰のまま質問をする。


「いい質問だね。基本的に霊力を失うということはないよ。霊力は常に体内で生成し続けている。もちろん霊力を使い過ぎると霊力が足りずに気を失うこともある。だけどその間もずっと霊力は生成されているから、完全に霊力を失うということはないんだ。しかしそれは肉体があるときに限る。」


男は教卓によれよれになった教科書を置いて、黒板に人を模した図を描きはじめる。


「老衰、病、事故、自殺、他殺。人はいつか必ずなんらかの形で肉体的死が訪れる。肉体的死とは、心臓が止まり、血液も回らず、放置すれば肉体が腐っていく状態を言うよ。

しかし、肉体的死が訪れても、今まで生成し続けた霊力が一気に無くなることはない。10年掛けて霊力は完全に消滅するんだ。だから、正真正銘の『死』は肉体的死から10年後、霊力が消滅したときなんだよね。市役所に出す死亡届なんかも霊力が消滅した時に初めて出すだろう?」


質問をした彼は「ふむ」と納得した様子で椅子に腰掛け、クラス全体を見渡す。


人間は肉体的死が訪れると、およそ一週間掛けて霊力が肉体から抜け出し体を形成して「ヨミビト」になる。何千年も前は「ヨミビト」は限られた人にしか目に見えず、「幽霊」だとか「お化け」だとか、そんな呼ばれ方をして忌み嫌われていたみたいだが、いつからかほとんどの人間が彼らを目視できるようになり、彼らは「生きている者」として、人間と同じように扱われるようになった。


このクラスにも三人のヨミビトが在籍している。病気で先月亡くなった者もいれば、小学生の姿の者もいた。ヨミビトは肉体的死から一週間後の肉体の状態で現れる。そのため、同学年でも小学生の頃にヨミビトになってしまえば彼らは小学生のままだし、肉体が酷く損傷した状態で肉体的死を迎えれば、見るに耐えない姿で十年を過ごすことになる。


「まあ、僕たちもいずれヨミビトになるときが必ずくる。そのときに限られた十年という時間をどう過ごすのか、それは今から考え始めてもきっと遅くはない。ちなみに先生は常に考えているよ。どうすれば心残りを全てやり遂げられるか、人間のときに出来なかったことを成し遂げられるかってね。」


教壇に立つ男はそう言って窓に目をやる。オレンジ色に染まった窓は男のメガネまでも染め上げ、表情を読み取ることはできなかった。

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