仮面は、風と旅をする

揺らぎ

プロローグ ― 風が語る、ひとつの昔話 ―


 さあ、火を囲んでおいで。 

 夜が深くなるほどに、風はよく喋るものだよ。 


──風が語るのは、もう誰も覚えていないような、ひとつの昔話。



 むかしむかし、この世界には「魔導師」と呼ばれる者たちがいたという。


 彼らは王に仕えた騎士でもなければ、街を守る戦士でもなかった。剣も持たず、旗も掲げず。名乗ることさえしなかった。


 ただ静かに、風のように通り過ぎ、けれど確かに、人々の傍らにいた。



 病に伏す子どもの額に手を置き、


 行き先を見失った旅人に、ひとつの星を教え、


 怒りに心を曇らせた兵士には、焚き火のそばで一編の詩を奏でた。



 魔法とは、本来そういうものだった。


 声なき声に耳を澄まし、


 痛みに寄り添い、心を結ぶための術。



 大地に祈りを捧げ、風に道を問うて歩いた彼らの力は、決して華やかではなかった。


 だが──



 だからこそ、人々は彼らを“導き手”と呼び、

 ときに“風の語り部”とも、

 “仮面の魔導師”とも呼んだという。



 そう、仮面だよ。

 彼らはみな、自らの顔を仮面で隠していた。


 自分のためではない、誰かのために魔法を使うためには、己を消す覚悟が要るのだと。



 一人はヴェールで顔を覆い、

 一人は両目を隠す仮面を、

 一人は左半分だけを覆う、無表情の笑顔を、

 一人は片目に銀のモノクルをかけたという。



 それが彼らの証だった。


 力ではなく、意志で魔法を使う者たち──

 そうして、静かに世界を巡っていたのだ。




 だが、そんな時代は、長くは続かなかった。

 人々は、より強い力を求めるようになったのだ。


 剣は鋭くなり、城壁は高くなり、


 そして魔法もまた、目に見えて派手なものがもてはやされるようになった。



 空を裂く雷、山を吹き飛ばす炎、氷の刃。


 戦場を支配する力こそが、魔法だと信じられるようになった。魔導師たちの静かな術は、「地味」と嘲られ、仮面は「時代遅れ」と呼ばれた。



 やがて、王国は魔法使いを兵士として徴用し、仮面を拒んだ。顔を隠すことは「不信の証」とされた。



 そうして、魔導師たちはひとり、またひとりと姿を消していった。火のような時代の中に、風は吹き続けることができなかったのだ。



 ──それでも、風は止まなかった。



 焚き火の灰の匂いに、

 古びた唄の旋律に、

 旅人の足跡の奥に。


 魔導師の気配は、

 今もどこかに、かすかに残っている。



 聞いたことはないかい?


 名も告げずに人助けをした、仮面の旅人の噂を。


 怪我をした子の手を癒やした、銀の片眼鏡の行商人の話を。 


 泣いていた人の隣で、言葉もなく踊ってみせた、笑わない仮面の女の話を。




 かつての教えは、誰かに受け継がれている。


 たとえ世界が忘れても──


 風は、仮面をつけた者たちを、どこかへ運び続けているのだ。



これは、そんな風に導かれた、ひとつの旅の記録。



 誰にも知られず、名も残さず、

 ただ歩き続けた者たちの──


 仮面と、風と、魔法の物語だ。




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