靄視る従者、往々にして

みずがめ

序章

第1話 靄を視る従者 

 異国の調度品が並ぶ絢爛豪華な部屋に、絹の着物を纏った小太りの男と細見の男が向かい合う。

 細身の男は、木片を片手に耳障りのいい言葉を並べていた。


「買うべきではありません」


 小太りの男の後ろに控えた蒼は、振り返って主が寄越した視線に首を横に振った。


「おやおや、これは隣国──の国で取れた神木の一片でございます。この機会を逃せばきっと後悔なさるでしょう」


 そうの視線の先。細身の男は、身振り手振りで品物がいかにいいもので、どう利益になるのかと説いている。

 さすが商人、口も達者。蒼はその様をただじっと見つめていた。いや、男に纏わりつく、ゆらりと揺れる陽炎のような黒い靄を見ていた。


 この世界、と言っても自身が知る世間の範囲程度ではあるが、この国では人は大なり小なり力を持って生まれてくる。それは、天賦てんぞくと呼ばれた。

 雄弁であったり、夜目が利いたり、痛みに強かったりと人それぞれに違う。夜目の利く者や痛みに強い者は兵士に、雄弁な者は指導者や官吏になる者もいる。

 蒼もまた例外ではなく、"人の悪意を見る力″を持って生まれてしまった。

 目の前の細見の男が纏う靄のように、言葉の中にある悪意が、蒼本人の意思に関係なく見えてしまう。当然ながらあまり良いものではない。

 この力がなければ、目の前の小太りな主に買われることもなく、今こうしてこの男に利用されることもなかったのだ。


みずの一大商人の貴方様ならこの価値がお分かりになられましょう!乾燥させれば生薬としてだって」

「そうだな。確かに神木の一片なら高価な薬にするのもよいな」

「えぇ、えぇ!第一、瑞の国の大商人の貴方様が目利きをそのような従者の小娘に委ねるなど!」


(必死だなあ……)


「どうしても商談を誓約したい。頼むから買ってくれ」という声が聞こえてきそうだ。だが、どう転んでも、もうこの話はなかったことになる。そうしてしまったのは蒼なのだが、とうの本人に悪気の一切はない。


「いやいや、しかしどんなに一等物とて木は生き物だ。ましてや、乾燥もさせていない生木ときた。今の段階では加工してたとて、量産がきくものでもない」


 小太りの男――魯均ろきんは髭を撫でつけ、得意満面の笑みを湛えて続ける。


「乾燥や加工に金もかかる。すぐに潤沢な利を生み出せるものではないな。今回は、見送ろうかね」


 椅子の肘掛けに手をかけて立ち上がった魯均。

 十指すべてにある金の指輪が燭台の明かりで煌然と輝きを放っていた。


「それじゃ、またの機会に頼むよ」


 従者である蒼も退室する主に続き、細見の男に礼をとって部屋をでた。


「で?あれはやはり」

「はい。偽物です。祁の国原産の木でしょうが、神木は偽りだと思います」

「まったく何が神木だ!祁の国の小物がこの魯均を謀るとは」


 宿の廊下を我が物顔で歩きながら、先ほどの商人に悪態をつく主。蒼は、それに賛同も否定もすることなく、後ろに控えて主に続く。

 視線は、階下の宿の入り口を向いていた。


(早く部屋に戻りたい)


 瑞の国の南端、隣国、祁の国との国境に位置する町――豊稔ほうじん。ここは、祁の国との貿易の街でもある。

 商売人の街らしく都でも見かけない珍しい物が多いだけでなく、宿含め店でも通りでも、三歩も歩けば他所の商人に出くわす。

 すれ違う他の商人達の会話も情報交換や営業など商いに関することが主だ。まさに階下で話す泊り客達もほとんどがそうで、そこかしこに小さな悪意が蔓延っている。


(相手を蹴落とすための誘導、相手を乗せるためのおべっかばっかり)


 相手を立てるような綺麗な言葉ばかりが飛び交っている。

 ここにどれだけの本当があるのだろう。蒼はふと考えながら、それは入店してくる客と店主のやり取りだけ、なのかもしれないと思う。

 現実、蒼の目に靄なく澄んで見えるのは、宿の玄関口のやり取りだけだった。


(あれ?あの人……)


 ふと今しがた入店して、入り口で店主とやり取りをする商人に目が留まった。

 高価な絹の着物に身を包み、顎に控えめに髭を蓄えている。後ろの髪を布袋に包んだ、中肉中背の壮年の男性。人相からも無骨な雰囲気が滲んでいる。

 商人が無意識に出す気前のよさそうな雰囲気を、蒼は全く感じなかった。総評は、格好は商人だが商人らしくない。


(首から上はまるで町人だ。第一、上級の宿を使うはずなのに、上級商人が自分を誇示するために使う、指輪や耳飾りなんかの装飾品がない。……宿荒らし?)


 蒼には、その男の言葉の節々にも靄が見えていた。


「魯均様」

「どうした?」

「今宵はしっかりと、部屋の戸に鍵をかけてお休みください」

「?あぁ、わかっておるわ、そのくらい。宿荒らしや賊如きにわしの商売を邪魔されてはたまらんからな」


 いいか、と魯均は続ける。


「お前は休む前に荷の確認をしろ。明日はそれを卸して夕刻より商談だ」

「はい……」


 宿荒らし――商人の泊まる宿などに泊り客を装い宿泊し、夜の間に荷を盗む輩。簡単にいうと泥棒やならず者の類だ。荷どころか命すら持っていかれてしまう場合もある。

 高級な宿屋はたいてい身元の確認をして入店させるうえ、万が一に備えて警備も雇っているが、その万が一も結構起こっている。

 蒼は今晩、魯均と同じ部屋の荷台で休む予定だ。夜な夜な忍び込まれて命の危機を感じたくないため、忠告するが、当の魯均は「何を当たり前のことを」と鼻で笑った。用心深い主のことは全く心配しないでもいいようだ。


(荷の確認かあ。寝られるといいけど)


 その辺の商人では金額的に泊まることのできない高級宿屋の一等部屋。部屋の料金は、そこらの官吏のひと月の給与ほどの価格だ。

 宿屋自体の警備だけでなく、一等部屋は、廊下に続く扉と部屋に入る前にもう一つ扉ある。そして、この二重扉のどちらにも内側から鍵をかけることができるようになっている。

 このケチくさい男がそこまでの大枚をはたいて、一等の部屋をとったのは、人一倍強い用心深さからだろう。今回は、それに救われるかもしれないのだ。

 ある意味、必要経費でかけるところにかけるのは商売人としてできたものだな、と蒼は思う。


(ま、そもそも杞憂かもしれないし)


 主のこの用心深さだ。これなら朝までちゃんと胴と首は繋がったままいられそうだ、と蒼は内心安堵していた。


(?あの客も上階の客なんだ)


 部屋のある階への最後の階段を上がるとき、今いる階の階段で、先ほど宿荒らしを疑った客と鉢合わせる。

 従者である蒼は、商人より身分が低い存在になるため、目を合わせぬよう礼をとろうと軽く頭を下げた。


 取るに足らない従者。身分の最下層の者など、道端の小石と同じだと特に気に留める者はいない。無礼にはいちいちうるさく、下手をすると命すら取られかねないが。

 この男も同じで、お構いなしに階段を上がろうと足を前に踏み出した。足を出した際に、僅かに捲れた足元の着物の合わせ。そこにある小さな朱殷しゅあんの染みが蒼の目に飛び込んだ。


(――!商人らしい絹の服。けれど、装飾品をつけていない。町人のような風貌の男と服の裾の赤茶色の染み……)


 ダメだ。気づいたところで、きっとこれはろくなことじゃない。

 顔色を変えてはいけない、と蒼は自分に言い聞かせ、努めて冷静を装って主に続いた。


「明日の荷の運搬は引き取り手側から警護も来るが、その警護の貧乏人共が荷を掠め取らんとも限らん。お前がしっかり監視をしろ。出発前と到着後の数の確認と記帳を忘れるな」

「かしこまりました」

「特に今回の品の中でも、絹の靴は一から作らせた一点ものだ。万一盗まれでもしたらお前如きの命の価値じゃ支払えんくらいの損失になるからな」

「重々承知しております」


 蒼は、こぼれそうになるため息を奥歯で嚙み殺して返事をする。これでは自分たちの荷物の中に高い品物がありますよ、と自ら触れて回っているようなものだ。

 自分を大きく見せたいからの言動だということは、蒼にも容易に想像がついた。


「お前如きでは生涯泊まれぬ宿の一等部屋に泊まらせてやるのだ。しっかり役に立て」

「……はい、魯均様」


 上機嫌に笑う魯均に、薄く黒い靄が纏わりついている。

 支配する側とされる側。この世界広しとはいえ、身分の低い者や己より劣っている者への認識、扱いは大体こんなものだ。所詮、買われた蒼は物と変わらない。

 むしろ魯均は、言葉そのものが悪意そのままで清々しささえある。


「この狸親父……」


 聞こえないよう両の袖で口元を隠し、吐き出した言葉は、薄黒い靄と一緒に宙に消えた。



 夜も更け、泊り客達が寝静まった頃。各部屋の明かりはすっかり落ち、静寂が宿を包んでいた。

 そんな中、上階の一室にぼんやりと明かりの灯る部屋があった。

 薄暗い部屋に男が二人。生命力を感じる瑞々しい樹木の一片が、三つの漆塗りの箱にそれぞれ一つずつ収まっている。

 樹皮の色、艶、仄かに香る匂い。僅かな明かりでも、それらがすべて違う樹木の幹だとわかる。

 それらに目をやり、片や唇に薄い笑みを湛えて、厚い金の塊を差し出した。三種とはいえ、とても樹木の相場には合わない破格の取引。けれど、交渉は成立。

 ゆらゆらと揺れる蝋燭の炎が、樹木を受け取る男の小さな朱殷の染みを浮き上がらせた。


 まったく釣り合わないこの取引が、この後、瑞の国を揺るがす事件に繋がっていく。そして、蒼もまたそれに巻き込まれていくことになるのだった。

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