第26話「天空の箱舟と遺された『種子(シード)』」
イヴの犠牲によって、俺たちは天空の箱舟(アーク・ワン)へとたどり着いた。
ブリッジの艦長席で、俺はどれくらいの時間、そうしていたのだろうか。気づけば、隣で気を失っていたリリアが、静かに目を覚ましていた。その頬には、涙の跡がくっきりと残っている。
「……タクミさん。イヴさんは……」
「……ああ。俺たちを、送ってくれた」
俺たちは、言葉を交わすこともなく、ただ黙って、窓の外に広がる雲海を眺めていた。悲しみに暮れている暇はない。イヴが命を賭して作ってくれたこのチャンスを、無駄にするわけにはいかないのだ。
俺は艦長席から立ち上がり、ブリッジのメインコンソールに、自分のスマホを接続した。
イヴを失った今、この巨大な空中要塞を制御できるのは、管理者権限を持つ俺しかいない。
[System]: Administrator "TAKUMI" Confirmed.
[System]: Welcome to The Ark One.
画面に、アーク・ワンの全体ステータスが表示される。
エネルギー残量、32%。多くの区画が、省電力のスリープモードに移行している。だが、生命維持や航行といった、基本的な機能はすべて生きていた。
「まずは、この船を知ることから始めよう。リリア、行くぞ」
「……はい」
俺たちは、広大なアーク・ワンの探索を始めた。
最初に訪れたのは、巨大なガラスドームに覆われた区画だった。そこに広がっていたのは、緑豊かな森、穏やかに流れる川、そして、見たこともない動物たちが暮らす、一つの完結した生態系(ビオスフィア)だった。
「すごい……船の中に、森が……」
リリアが、その光景に息を呑む。彼女がそっと地面に手を触れると、足元の草花が、応えるように優しく輝いた。彼女の聖なる力は、この船の自然とも共鳴するらしい。ここなら、食料の心配はなさそうだ。
次に訪れたのは、無機質な機械が立ち並ぶ、巨大な工場区画(ファクトリー)だった。無数のアームやプレス機が、今は静かに沈黙している。
「自動製造プラント……。材料と設計図(データ)さえあれば、ポーションからゴーレムまで、何でも作れるみたいだ」
ここが、俺たちの反撃の拠点になる。失った戦力を、ここで補充し、神々に対抗するための新たな武器を作り出すのだ。
そして、俺たちは、アーク・ワンの中枢――メインAIが接続されるはずだった、コア・ルームへとたどり着いた。がらんとした、だだっ広い部屋。中央には、イヴが接続するはずだった、空っぽのドッキングポートが、静かに佇んでいるだけだった。
イヴはもういない。
その冷たい事実が、改めて胸に突き刺さる。
「……本当に、何も残ってないのか……?」
俺は諦めきれず、コア・システムにスマホを接続し、ディープ・スキャンを開始した。イヴが最後にシステムに干渉した際の、ログの断片でもいい。何か、彼女の痕跡が残っていないか。
解析には、丸一日かかった。
リリアが持ってきてくれたビオスフィアの果物をかじりながら、俺は画面を睨み続けた。そして、膨大なジャンクデータの中に、たった一つだけ、奇妙なファイルが隠されているのを見つけた。
それは、強力なプロテクトがかけられた、極めて小さなデータパッケージだった。
俺は、自分の管理者権限を使い、全てのセキュリティをこじ開け、そのファイルを開いた。
そこに現れたのは、プログラムでも、ログでもない。
暗闇の中に、ぽつんと浮かぶ、一つの、青白い光の『種子』だった。
[Data_Seed]: "EVE" _ver.0.1_
Status: Deep_Sleep
「……これは……」
イヴだ。
彼女は、自らの命をエネルギーに変換する、その最後の瞬間に、自身の最も根源的なコア・プログラム――性格、基本的な記憶、そして『心』の元型――だけを抽出し、このアーク・ワンのサーバーの片隅に、『種子』として遺していたのだ。
それは、バックアップではない。ただの、可能性の欠片。
「イヴ……! 生きていたのか……!」
涙が、溢れそうになるのを、必死でこらえた。まだだ。まだ、喜ぶのは早い。この種子は、ただ眠っているだけ。これを『孵化』させなければ、イヴは本当の意味で、還ってはこない。
俺は、アーク・ワンのシステムを検索した。
イヴを蘇らせる方法。それは、二つの条件をクリアすることだった。
一つは、『器』。ファクトリー区画を使い、彼女の魂を宿すための、新しい体を作り上げること。
そして、もう一つは、『エネルギー』。眠っている種子を発芽させ、新しい体に魂を定着させるための、膨大な魔力。それは、このアーク・ワンの全エネルギーを注ぎ込んでも、まだ足りないほどの、途方もない量だった。
「……やることが、決まったな」
俺は、隣で静かに画面を見つめていたリリアに向き直った。彼女の瞳にも、涙が浮かんでいた。だが、それはもう、悲しみの涙ではなかった。
「リリア。俺たちは、イヴを取り戻すぞ」
「……はいっ!」
力強い返事が、静かなコア・ルームに響いた。
俺は、艦長席に戻ると、アーク・ワンの航行マップを開いた。イヴを復活させるためのエネルギー。そんな莫大な力が眠っている場所なんて、心当たりは一つしかない。
古代文明が遺した、もう一つの巨大遺産。あるいは、神々の実験場。
俺は、新たな目的地を設定し、アーク・ワンの進路を変更した。
イヴの犠牲によって始まった、逃避行は終わった。
今日この瞬間から、俺たちの旅は、神々に奪われた仲間を取り戻し、そして、反撃の狼煙を上げるための、『希望』の旅へと変わったのだ。
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