第19話「極北の研究所と『偽装ログイン』」

 王都を出てから、一ヶ月。


 俺とリリアは、ひたすら北へ、世界の果てを目指していた。


 旅は過酷を極めた。魔物は凶暴化し、天候は荒れ狂う。だが、自作の魔導ヒートテックは完璧に機能し、ブリザードの中でも俺たちの体温を保ってくれた。【アンチ・ディヴィネーション・シールド】のおかげか、アルベドの追跡も、今のところはない。


 そして、ついに俺たちは、【マップ】が示す目的地――万年雪に覆われた、巨大な氷河地帯へとたどり着いた。


「すごい……雪と氷しか、ありませんね」


 リリアが、白い息を吐きながら呟く。


 見渡す限り、白、白、白。生命の気配が全くしない、絶対零度の世界。


 だが、俺のスマホの【AR】表示は、この何もないはずの氷原の下に、巨大な構造物が存在することを示していた。


「この下だ。古代文明が遺した、巨大な研究施設か何かだろう」


 俺はスマホの指示に従い、特定の地点の雪を掘り始めた。数メートルも掘ると、硬い金属の感触があった。雪を取り払うと、現れたのは、氷の下に埋もれた巨大な門だった。それは、俺たちが神々の墓場で見た扉よりもさらに旧式で、しかし、より強固な封印が施されているのが分かった。


「どうやって、これを……?」


 物理的に破壊するのは不可能だろう。俺は門の表面をくまなくスキャンし、隅に隠された小さなアクセスパネルを発見した。


 俺はスマホをパネルにかざし、システムの解析を試みる。だが、画面には、冷たいエラーメッセージが返ってくるだけだった。


[Error]: Authority Mismatch. この施設へのアクセスには、専用の『セキュリティキー』が必要です。


「管理者権限だけじゃダメか……」


 ここは、神々の墓場とは、また別のセキュリティ系統で管理されているらしい。


 万策尽きたか――そう思いかけた時、俺はアルベドからコピーした、あのキャッシュデータを思い出した。


 あのデータには、アルベド自身の『ユーザーID』が含まれていたはずだ。


「……そうだ。正規の鍵がないなら、正規のユーザーになりすませばいい」


 ハッキングの基本、ソーシャルエンジニアリングならぬ、システムエンジニアリングだ。


 俺は【プログラミング】アプリを起動し、アルベドのユーザーIDを使って、偽のログイン要求を生成するスクリプトを書き始めた。


 function spoof_Login() {

 const userID = 'Albedo_01';

 const accessLevel = 'Auditor';

 request_Access(userID, accessLevel);

 }

 execute(spoof_Login);


 これは、大きな賭けだった。もし偽装がバレれば、施設全体が永久にロックダウンしてしまうかもしれない。


「リリア、少し離れててくれ。何が起きるか分からない」

「……はい。タクミさんを、信じてます」


 リリアが少し離れた場所で見守る中、俺はスクリプトを実行した。


 アクセスパネルに、俺のスマホから偽のログイン情報が送信される。一瞬の沈黙。心臓の音が、やけに大きく聞こえた。


 ゴゴゴゴゴゴ…………。


 重い、重い音を立てて、目の前の巨大な門が、ゆっくりと内側に沈み込んでいく。


 偽装ログインは、成功した。


「やった……!」


 俺たちは、固く閉ざされていた古代の施設へと、ついに足を踏み入れた。


 内部は、低い非常灯だけが灯る、静まり返った空間だった。どうやら、施設全体が、長い間スリープモードにあったらしい。


 俺たちは、微弱なエネルギー反応を頼りに、施設の最深部へと進んでいく。そこは、巨大なドーム状の空間になっていた。


 そして、その中央に存在する「それ」を見て、俺たちは言葉を失った。


 そこに立っていたのは、巨大な樹木だった。


 だが、ただの木ではない。水晶のように透き通った素材でできた枝や幹には、青白い光の回路が走り、まるで生き物のように脈動している。そして、その根元は、複雑な生命維持装置らしき機械と融合していた。


 あれが『ユニット・イヴ』。


 しかし、俺たちが探していたのは、これじゃないはずだ。アルベドは、イヴを「確保」すると言っていた。こんな巨大な木を、どうやって?


 その時、俺は、大樹の根元にあるものに気づいた。


 ガラスのようなカプセル。その中で、一人の少女が、静かに眠っている。


 銀色の長い髪、安らかな寝顔。見た目は、リリアと同じくらいか、もう少し下だろうか。彼女の体には、大樹から伸びた無数の光のケーブルが接続されていた。


 間違いない。


 神々が『最優先保護対象』として確保しようとしているのは、この少女だ。


 俺たちが、そっとカプセルに近づいた、その瞬間だった。


 ピコン。


 カプセルのステータスライトが、これまで灯っていた青い『HIBERNATION(休眠)』から、黄色い『AWAKENING(覚醒)』へと切り替わった。


 シュー、という音と共に、カプセルから冷気が漏れ出す。


 ガラスの蓋が、ゆっくりと開いていく。


 そして、千年の眠りから覚めるかのように、カプセルの中の少女の瞼が、かすかに震え――そして、ゆっくりと、開かれた。


 その瞳は、生まれたての星のように澄んだ、蒼い色をしていた。

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