第2話

 放課後の屋上には、僕と、姫野凛だけがいた。

 校庭からは部活動の声がかすかに聞こえてきて、鉄柵をすり抜ける風がシャツの裾を揺らしている。


 ふたりとも、黙っていた。

 沈黙が続いているのに、不思議と気まずくはなかった。


 「……あの、さっきのって……」


 沈黙を破ったのは僕だった。


 「さっきの“付き合ってくれない?”って……本気なんですか?」


 彼女は視線を夕日に向けたまま、ふっと笑った。


 「そう思いたい?」


 「い、いえ、別に……」


 「ふふ、冗談だよ。……でも、気まぐれでもなんでもないよ。本気だよ」


 「……どうして、僕なんですか?」


 姫野凛──完璧な生徒会長で、誰からも好かれていて、学校の“顔”みたいな存在。


 そんな彼女が、なんで僕なんかに……。


 「それ、2回目」


 「え?」


 「“どうして僕なんですか”って。さっきも言ってたよね」


 確かに。僕は、まるで信じられないって態度を無意識に繰り返している。


 「ね、水島くん。君ってさ、“自分に興味持たれたら引いちゃうタイプ”でしょ?」


 「……なんで、そんなことまで……」


 「見てれば、わかるよ。君、誰かに話しかけられても深く踏み込まないし、すぐに“ああそうなんですね”って距離を取るじゃない」


 言われて、ドキッとした。

 誰にも気づかれないようにしてきたのに……この人、見てたのか。


 「誰かに踏み込まれるのが怖いでしょ?でも、君自身は、人のことをよく見てる。だから――きっと、君なら、私のこともちゃんと見てくれるって思った」


 「……そんなこと……」


 「あるよ。だって、君、逃げなかったもん。私が泣いてるところ見ても、引かなかった」


 確かに、あのとき逃げるタイミングはいくらでもあった。

 でも、僕は立ち尽くして、目の前で泣いている彼女を見ていた。


 「それに、君なら……きっと誰にも言わないって、思った」


 「……」


 それは、ある意味正しい。僕は、面倒なことに巻き込まれるのが苦手だ。

 余計な噂を立てられるのも、誰かの秘密を口にするのも嫌だった。


 「だから、お願い。あのことも、今のことも……ふたりだけの秘密にして?」


 「……はい。もちろんです」


 僕がそう答えると、凛先輩は微笑んだ。


 「ありがとう。……ちょっと、安心した」


 その笑顔は、どこか子どもみたいで、学校で見せる“完璧な生徒会長”のそれとは違っていた。


 「ね、水島くんってさ。……彼女、いたことある?」


 「ぶっ」


 僕は思わず咳き込んだ。


 「そ、そんなの、いませんけど……!」


 「ふふ、じゃあ、初彼女になるかもね、私」


 「か、からかわないでくださいよ……」


 「ううん、ほんとに。私ね、恋愛してる余裕なんてなかったの。ずっと、期待されてばかりで」


 凛先輩は、自分の手のひらを見つめながら言った。


 「成績も、生徒会の活動も、“姫野凛”って名前だけで評価される。いつしか“本当の自分”ってなんだろうって、わからなくなってた」


 それはきっと、僕が想像してた以上に重い言葉だ。


 「でも、君の前では……泣けたんだよ。素直になれたの。たぶん、それが答えなんだと思う」


 「……」


 なんて、答えればいいのかわからなかった。


 でも、何かを返さないと、この人の言葉がひとりごとで終わってしまう気がした。


 だから僕は、少しだけ勇気を出して言った。


 「……じゃあ、僕の前では、無理しないでください」


 凛先輩が目を見開いた。


 「僕は、ちゃんと見てますから。会長じゃない、凛先輩のこと」


 すると彼女は、ぽつりとつぶやいた。


 「……“凛”って、呼んでほしいな」


 「え?」


 「学校では“会長”でも、君といるときくらいは、自分の名前で呼ばれたいの。……ダメ?」


 「……いえ、ダメじゃないです」


 「……ふふ、よかった」


 ふたりの間に、あたたかい風が流れた気がした。


 それはきっと、誰にも邪魔されない、放課後だけの時間。

 誰にも言えない、秘密の“始まり”。


 夕陽が差し込む屋上で、僕は思った。


 ——この人をもっと知りたい。完璧じゃない“凛”を。

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