第37話 戦の鼓動

 陽が天頂を過ぎ、砦の中庭にもじわじわと熱が篭もっていた。

 外の投石音が遠くにくぐもって響き、分厚い石壁の内側には、静かな、だが張り詰めた空気が漂っている。


 マグ=ホルドの玄関前、かつては王の凱旋を迎える儀仗の場であったその石床の上に、いまや骸と鉄の軍勢が整列していた。

 戦馬に代わり用意されたスケルトン・ホースたちの骨脚が、石床をわずかに叩くたび、かすかな金属音がこだまする。どの馬も不気味なほどに静かで、生気の代わりに冷気を纏っている。


 その列の先頭。黒き冷気を揺らすデュラハン・ホースの背に跨る俺──バルドは、室内の薄明かりの中で、思案と警戒の間に身を沈めていた。


 石の天井からは鉄製の燭台が下がり、戦支度に追われる兵士たちの影を長く落としている。壁際では、最後の鎧の留め具を締める兵士、槍先を研ぐ音、乾いた火打ち石の音──その一つひとつが、迫る戦の息吹を告げていた。


 「ヒャハハハ……! 遅かったな、黒鬼!」


 戦場の気配を切り裂くような咆哮が、砦の壁を震わせた。振り返ると、炎のような髪を揺らす男が立つ。肩には巨大なハルバード、双眸には獣の色が宿っている。


 “血斧”アク―バ。


 戦場でその名を耳にすれば、味方すらも無意識に距離を取るという、ジャハン士族の狂気。血塗れの武勲と並外れた技量。その佇まいはまさに“蛮族の長”そのものだった。


「シャマルクの婆さんと何か企んでやがった様だが……準備はできたのかァ?」


「まあな」


 俺の声は静かに返る。その一言に、彼の視線が一瞬、俺の意図を探るような鋭さを帯びる。狂気と策略とが交錯する目だ。


「そちらの方はどうだ? 東城壁の指揮は誰が執っている?」


「心配すんな。俺様の副官がやってる。あいつなら、まずやらかさんさ」


 なるほど、あの男か。ジャハン士族の中でも珍しく理知的で冷徹な副官。粗暴なアク―バにして、その冷静さを手元に置いているあたり、やはりこの男は“ただの蛮将”ではない。


「それよりもだ! 黒鬼!」


 アク―バは巨大なハルバードの石突きを地面に叩きつけた。衝撃で砂埃が舞い、馬たちがざわめいた。


「こんなに早く、またお前と轡を並べられるとはなァ! この戦、血の匂いが濃すぎる……たまらねぇなァ!」


 言葉の端々に狂気が混ざる。一方でその視線は、扉の向こう──敵陣と、荷車を護衛する重装歩兵の布陣を夢想していた。


 自他ともに認める“戦闘狂”。だが、喰うべき相手とタイミングを見極める狩人でもある。だからこそ、彼に騎兵突撃を要請したともいえる。


 俺は短く息を吐く。


「第一騎士団が遂に動いた。重装歩兵を中心に、橋梁設営用の荷車を護送している。これを防がねば、マグ=ホルドの正門が落ちる」


「……なるほどなァ、ジジイの考えそうなこった。それで、鎧通しアーマーピアサーを投石器に集中させ、騎兵隊で荷車の部隊を強襲しようってワケだな?」


「ああ」


「だが、二度目の騎兵突撃。あの老兵が対策してないはずもねぇ。……お前、そこも読んでんだろ?」


 俺は頷く。


「……第一騎士団が護送のために三部隊に分散している。つまり──」


 その言葉に、アク―バの目が鋭く光った。場を見通す狼が、喉奥で笑ったように、アク―バの声が漏れる。


「ジジイの護衛は練度の劣る騎士団、もしくは徴募兵ってわけか!」


「そうだ。いかに“亜人殺し”と言えど、我々の騎兵突撃は恐れているはずだ。敵本陣に騎兵突撃を敢行する──と見せかけ、部隊を急速反転。護送中の第一騎士団の背を食い破る!」


 アク―バは鼻を鳴らし、巨大なハルバードを小枝の様に振り回した。戦場で何度も斬り伏せたその刃の風圧が、床板すら軋ませた。


「ヒャハハハ!流石は俺様の見込んだ男だ!だが、解せねぇな。第一騎士団を屠っても荷車を破壊しなければ、次の部隊が引き継ぐだけだ」


 その通りだ。

 重装歩兵がどれほど倒れても、橋を架ける資材が残れば、いずれ別の部隊が引き継ぎ、渡河は成される。つまり破壊すべきは“人”と“物”。それも、限られた時間内に。


「ああ。そのための兵器は既に存在する。」


 俺は無言でスケルトン兵に目配せした。

 ガチャリ、と骨が鉄を引きずる音を立てて動き、数十の列が木箱を持って現れた。薄暗がりの中でも、箱の中身ははっきりと見える。粘性の高い液体を詰めたガラス瓶――火炎瓶。


「ん~!?なんだァ?こりゃア」


 アク―バが顔をしかめ、野獣のように鼻を鳴らす。


「お、おい!これ“火炎瓶”じゃねぇか!族長!一体いつ用意したんだ!?」


 ザルグの声が驚愕に揺れる。あの戦いを経験したオルク=ガルなら誰もがその威力を信頼している。


「スケルトンにムルガンの鍛冶を手伝わせる傍らで用意していたものだ。彼らは睡眠を必要としないからな」


 無言でスケルトン兵の一体が火炎瓶を一つ掲げる。瓶の中では、黒い油がどろりと揺れ、芯となる布が瓶首に巻かれていた。


「オイオイ!こんなもので本当に荷車を壊せるのかァ?」


 アク―バが目を細める。

 だが、その表情の中に含まれていたのは懐疑ではない。確認だ。火に対する、破壊の確信を求める声。


「それは俺が保障する。なにせレーウェンの砦での一戦でも俺達の命を救ったからな」


 あの夜、先鋭を一撃で焼き払ったあの炎の光が、今も記憶に焼き付いている。

 火は、人を焼く。馬を狂わせる。荷車の車輪を溶かし、油を伝って布地を黒焦げにする。


 これ以上に、戦場における破壊はない。


「お前がそれほどまでにいうなら信じてやるか」


 アク―バを皮切りにひとり、またひとりと無言で火炎瓶に手を伸ばす。


 誰もがこれから訪れる激突の時を、肌で感じていた。鼓膜の裏に心音が重なる。騎兵たちは整列したまま、口を閉じ、ただその時を待っていた。


「黒鬼、全軍の整列は終わった。ここは譲ってやる。戦士達に檄を入れろ」


 俺はアク―バを通り抜け、ゆっくりと歩み出る。軍列の先頭、跳ね橋へと続く大門の前に立ち、背後を振り返った。


 マグ=ホルドの主戦力。骸骨騎馬にまたがる不死の戦士たちと、筋骨隆々たるハルバード隊の戦士たち。その背後には、覚悟を決めた守備兵たちが続く。矢筒を背負う弓兵、治癒班、工兵……戦争という巨大な歯車のすべてが、いま動き出そうとしている。


「――オークの蛮勇達よ。何が為にこの場に立つ?」


 その一声に、沈黙が波のように広がる。戦士たちの目が、一斉にこちらへ向けられた。


「諸君は今、歴史が転換するその場に立っている。

 最強の第一騎士団──“亜人殺し”を戴く、敵の矛先を真正面から迎える立場だ。

 逃げることは恥ではない。

 後の歴史家は言うだろう。『勝てるはずがなかった』とな」


 黄金の双眸が、列の隅々までを射抜くように巡る。


「では、問おう。

 死ぬと分かっていて──

 お前たちに覚悟を決めさせたのは何だ?

 その手に、再び剣を握らせたものは?」


 誰も答えない。

 だが、それは怯えではない。

 焔のように、静かに燃える“誇り”がそこにあった。


「それは、魂だ。

 生き残る信念。

 仲間の隣に立つ誇り。

 子の未来に、道を遺す覚悟。

 屈せず、逃げず、逆境に立ち続ける心。

 戦士とは、そのすべてを内に抱き、剣を取る者のことだ」


 鉄鎖が軋む音が、砦の奥から響き始める。

 大門が、左右にゆっくりと開いていく。

 跳ね橋の鎖が下がり、外の陽光が差し込む。

 乾いた大地の匂いと、戦の鼓動が入り込んでくる。


「これより我々が挑むのは、常勝無敗の騎士団。

 だが──勝敗を決めるのは、数ではない。名声でもない。

 意志だ」


 手綱が締められ、骨馬の蹄が石を叩く音が広がっていく。


「退かぬ心は、最後の刃となる。

 その刃が、敵の魂を砕く。

 我らの意志は、何者にも奪えぬ!」


 黒刃を抜き、太陽の光にかざす。

 冷たい刃身が、誓いのように輝いた。


「――生きろ。戦え。そして刻め。

 お前たちが、この世界に“抗った”証を!」


 そして再び、ゆっくりと一言を重ねた。


「――オークのたちよ。何が為に、この場に立つ?」


 その一言が、戦場の扉を開いた。

 蹄の響き、武器を打つ音、怒声と呼吸。

 言葉はなかったが──その瞳が、既に答えていた。

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