手記

気配

そこそこ昔の話だ。


-1-

昔から身体の弱い子供だった。

当時はこういった子を虚弱児と呼んで、

「運が良ければ、20歳まで生きるでしょう」

そんな程度の扱いだった。

"運が良かった"のか、それとも悪かったのか。ずいぶん長生きしていしまったが。

親ですら、腹を立てると

「お前は20まで生きられない、医者もそう言っていた」

吐き捨てた。

私が、死後の世界に興味を持つのは意外なことではなかった。


-2-

高校生くらい時代は、オカルトに傾倒していたが、どうにも手掛かりがない。

"気"だの"霊"だの、ずいぶんと鈍感で、むしろそういうのは従姉が良く体験しているくらいだった。

従姉は、ときどき別の部屋で寝ている祖母について、

「今そこに居るね」

と言う話をする人だった。母も、そんなところがある。この二人はよく似ている。

今思うとよく分からない意地だったが、何か悔しい思いをして、そういうものに出会ってみたかった。


-3-

ときどきふと、かなりとは言えない高さの確率だが、その部屋に人がいるか居ないか、わかることがあった。

これを意識的にできないものかと、人がいる時に目をつぶって、どこにいるだとか、

近い遠いとか、そんなことを当てようとするようになった。

だが、相手は生きている人間だし、しゃべりもすれば動いて音も出す。

なかなか機会が無かったが、それでも皆無というわけではなかった。

時々、夏休みの夕方など、数人集まっているのに、風鈴の音しか聞こえなくなるような静けさのなか、そういった試みをすることがあった。

しかしうまくいかない。なぜだろう。

いつ頃だったか、そういう時は

「自分だけがいる」

と思い至った。

自分が邪魔なのだ。自分がいるから、他が視えない。

それからは、自分を消すことを試みるようになった。

しかし、そうそう上手くいくはずもない。が、まれに一種の

「『何もしない』をしていた」

事に気付いた。そういう瞬間なら、気配を読めるのではないか。

しかし、「何もしない」のに、「気配を探る」のは矛盾している。

そんなころ、やはり夏休みの夕方だったと思うが、

「何もしていなかった」

とき、ふっと

「あ、いる」

人の気配を感じた。

「起こしちゃった?」

相手はそういった。こちらが寝ているのだと思い、ずいぶんと気を使って動いたようだが、畳をする音も、声も、呼気すら聞こえなかったのに、居るのがわかった。

そうこうしているうち、昔話の達人のように、どこでどうしているとか、そんなことまではわからなかったが、居るか居ないか、遠いか近いかくらいならわかるようになっていった。(それでも、従姉の様にはいかなかったが。あれは天性か。)


-4-

地元には墓地公園と言うものがあって、春には満開の桜が吹雪のように花びらを撒く、そんな公園と、大きな墓地が隣接していた。

そこには、私の父方の代々の墓もあった。

桜の季節には多くの人がそこで花見をしていて、少しオカルト離れしたころだったか、私も誘われ、参加することになった。

いつもながら賑やかだ。

以前の私なら、この中に"気配"を探したろうか。

私は飲まない。そしてそれ以外の人はみんな飲む。父方も母方も、基本的にみんな飲む。例外的に、叔母が下戸で、私はよほどその気がない限り飲まない。

にぎやかな孤独。

そんな中、かつての感情が恋しくなり、

「トイレに行く」

「おう」

そんな話をして、墓地に向かった。

公園はあんなに明るくにぎやかなのに、墓地は真っ暗で、静寂だ。花見の灯りを少し遠くに見ながら、歩いていた。

月もない。夜は好きだった。心地よい緊張感。

せっかくなのでお参りでもしておくかと、ご先祖様の眠る場所へ向かおうとした、その時。

居る。

何か。

真後ろだ。

達人のようにいかなかろうと、真後ろに居ればわかろうというもの。

足を止めた。

気配も止まる。

さて困った。

何が困るって、気配があっても、後ろにいるのが人だか何だかわからない。

幽霊、なら、まだましだなと思った。

一人で墓地に向かった人間としては、後ろにいるのは人の方が厄介だ。

強盗かもしれない。変質者かもしれない。

かといって、相手が動く気配もない。

意を決して、後ろを振り向いた。

誰もいなかった。

ふ、と気配も消えてしまった。

私はオカルトに傾倒しながら、いや、オカルトに傾倒しがちな人間こそなのかもしれないが、怖がりだ。

なのに、その時は人間がいない、ということにほっとした。

何もいないなら、自分が何かされることもない。

予定通り、先祖の墓地へ向かい、たどり着いたが、別段することが無い。

「飲む人たちだったから、花弁と酒でも持ってくればよかったか」

と、心の中で詫びた。

先ほどまでの喧騒に、少し疲れていたのかもしれない。墓にもたれかかって目を閉じた。

居る。

気配がある。

眼を開ける。

何もいない。

オカルト離れしつつあったのもあってか、当時の私に夜の墓は怖い場所ではなかった。それでもどこかで怖いと感じていて、それが幻想を生んだのか。

眼を閉じる。

やはり居る。

さっきと同じ場所で、動いてはいない。

強くも、弱くもならない。ただ、居る。

赤の他人だろうし、何か恨めしいこともないんだろう。本当に、居る、あるいは在るだけだった。やはり、怖くはない。

時々、さあ、と吹く風が心地よかった。飲んではいなかったが、騒ぎには混ざってほてっていた身体を、洗い流すような。

私は墓地に身をゆだね、風を浴び、消えていく。

気配は、案の定よりはっきりと感じられた。

かすかに残っている自身は思う。

人だろうか?人だろうな。でなければ人であったものだろう。

微動だにしない。

目を開ける。誰もいない。居た場所はわかる。

覗いてみた。

丁寧に手が入っている墓、放置されて随分たったであろう墓、まちまちだった。

何で居るんだろう。誰かを、何かを待っているのか。

それとも、”居る"のではなく……ただ”在って”、消えるまで在り続けるのか。

少し悲しくなった。

なぜなら、自分もそうなるかもしれない。

消えるべき時には、消える。抱えた物事も。それは一つの解放だ。

でも、私が見たものは、

「何かを抱えたまま、消えることすらままならないかもしれない」

可能性を示していた。

少し大きな風が吹いた後、ふう、とため息をついて、立ち上がった。

戻ろう。あの喧騒で、忘れてしまえればよいが。


-5-

戻った先には喧騒があった。明日から日常に戻り、いずれ今日のことは忘れるだろう。そう思った。

「長いトイレだったな」

「ちょっと迷った」

「(笑)」

そんな雑な会話をしているとき、従姉だけが、私を厳しい、酔いの感じられない目で私を見ていた。そして、

「あんた……」

とだけ言って、はあ、とため息をついた。そして、また飲み始めた。

結局のところ、それが原因で何かにたたられたとか、憑りつかれてえらい目に遭ったような話はない。ひと騒ぎ負えて、私もいつもの日常に戻った。


-6-

数年前、愛猫-この子のことは別で書くと思うが-が死んでから、もう帰ることはないと思っていた実家に戻った。

母が骨折したため、さすがに知らんぷりは子のすることではなかろう、と。

その日の夕方、スーパーに寄った帰りに、ちょっと回り道をして、例の墓地に行った。

ああ、まだ居る。

少し減ってる気はしたが、やはりそれらはそこに在った。

少し悲しくなった。

あの日のこと。今日のこと。また真後ろに居る何か。

そして、その時になってもそれを忘れていなかった、自身のこと。

何もかもが、憂鬱な気分にさせた。

やけくそ、と言うのもおかしいが、墓参りを済ませ、実家に戻った。

母は大事には至らなかったようだったので、翌日にはアパートに戻った。


-7-

戻ってからの数年、仕事は異常に忙しく、少々自慢になるが一仕事こなした後、

ほぼ不眠不休の無理がたたって体と心が壊れ、養生することになった。


-8-

そして今これを書いている。

結局、”そこそこ昔”の、あの日のことを、忘れることなく。



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