トイレットペーパーフライ

野々村鴉蚣

グルメ

 十月の風は気まぐれだ。秋特有の優しく涼し気な風が吹いたかと思えば、朝になるとぴたりと止む。窓際のカーテンが少し揺れたあと、すぐにその動きを止め、先ほど見せた優しさが嘘であったかのように沈黙する。

 昨晩はこれでもかと優しく吹いていたはずの風も、今やどこ吹く風だ。九月を終えてもなお続く残暑に、ほんの少しのオアシスを提供してくれた夜の風。それも朝になったら知らん顔ときた。

 開けっ放しの窓の向こうでは、朝を知らせる鳥たちが、こぞって歌の練習中。網戸に張り付く虫たちも、そろそろ冬眠の準備だろうか。温もりを求めて触角を動かしていた。


 私は起き上がると、一つ大きな伸びをする。

 今日は素敵な休日だ。誰にも邪魔されることなく、今日という一日をのんびり過ごすことが出来る。

 ベッドの皺を伸ばしてから、私は窓を閉めた。クーラーをつける必要は無い。程よい涼しさだ。昨晩忙しなく揺れ動いていたカーテンを、ひまわり模様のタッセルでまとめる。外から太陽の日差しが部屋へ忍び込み、ほんのりと辺りが明るくなった。


 さて、朝食はどうしようか。

 私はぐるりと部屋を見渡す。相変わらず汚い部屋だ。あまり丁寧な暮らしはできていない。途中まで読んでいた漫画本が床に転がっているし、飽きて断念した資格の教科書がジェンガのように積まれている。きっと埃も積もっていることだろう。

 後で掃除をするか。そう心に決め、私は寝室を後にした。

 キッチンにやって来た私は、一つ大きなあくびをした。まだ眠い。もうしばらく寝ていたい気持ちがある。しかし、生活バランスを崩してしまうと平日に支障をきたす。休日も規則正しい生活をするのが、一流への近道だ。そんなことが以前読んだ自己啓発本には書かれていた。

 さて、朝食は適当に済ませるとしよう。


 手を伸ばしてキッチンの片隅にある棚からロールを一つ選び取った。色は生成きなり。少し前までは、真っ白が好まれていたのに、今では自然に近い色の方が「芳醇でコクがある」と言われている。確かに、真っ白なやつは口の中で粉っぽくなりやすい。ドライマウスの私には、これくらいの繊維感がちょうどいい。


 まずは朝食をつくる。ちぎって、ちぎって、ちぎって。ほどよくちぎったトイレットペーパーを小鉢に盛り、軽く水を垂らす。ふやかすのではなく、馴染ませる。しゃもじ代わりの竹べらで押さえ、表面をなめらかに整えた。


 トイレットペーパーライスの完成である。


 湯気こそ立たないが、ふわりと紙の香りが立つ。ほんの少しだけ、ナツメグを振った。香りづけ程度でいい。食べるときには、少量の塩ペーパーをかけてもいいかもしれない。


 食卓に並べたあと、私は冷蔵庫の扉を開けた。中には先週買ったベビーリーフ用のトイレットペーパー。若い葉を模したその薄さは、サラダに最適だとラベルに書かれていた。ちぎるときの指先の感触が柔らかく、紙というより、半分ほど溶けかけた記憶に近い。


 そのまま皿に並べ、手作りのドレッシングをかける。オリーブオイルにリンゴ酢、それから少量のマスタード。紙が油を吸い過ぎるので、分量は慎重に。トイレットペーパーサラダは崩れやすく、何度か盛りつけに失敗してきたが、今日はうまくいった。

 そいつをライスの隣にそっと添える。うん、色合いのコントラストが美しい。


 気分がよくなってきた私は、テーブルに寝転がっていたリモコンを手に取りテレビをつける。適当な番組を選択すると、全国のトイレットペーパー農場の収穫状況が流れていた。


「今年のペーパーは、適度な乾燥と雨のおかげで、厚手ながら柔らかさを保っており、揚げ物に最適な仕上がりです」


 画面の奥では、ロールの花が揺れていた。陽光を浴びてふくらんだつぼみが、機械式のカッターで丁寧に摘まれていく。作業員が白い息を吐きながら、それを天日干しの棚に並べる。

 トイレットペーパー農場の名産、北海道の風景だ。やっぱり、北国は十月から極寒らしい。キャスターは首にマフラーを巻いているし、作業中の農家さんは吐く息が工場の煙突みたいだ。


「やっぱり、国産は風味が違うねぇ」と、ニュースキャスターが笑う。


 私は録画ボタンを押し、再生リストに追加した。トイレットペーパーニュースは毎日チェックしておかないと、店頭の在庫と価格が一致しなくなる。


 さて、もう一品欲しいところだ。サラダとライス。メインはどうしよう。そうだ、ちょうど昨日、消費期限が切れて持ち帰ったトイレットペーパーがあったんだった。そいつを高温の油でじゅわっと揚げるのはいかがだろうか。

 揚げ物は素晴らしい。適度に油分を摂取できるだけでなく、風味が損なわれた食材に新たな息吹を与えてくれる。サクサクの食感は食事を楽しませてくれるし、程よく火の通った中の具材はジューシーだ。

 うん、フライにしよう。

 今日の私は朝食づくりに本気である。

 油鍋をコンロに乗せ、火にかけた。その間に、冷凍庫からトイレットペーパーを取り出す。適度な大きさに切り分けて、下味をつける。

 菜箸で油の温度を確認してみた。ぷつぷつと小さな泡が箸先から登る。ちょうどいい火加減だ。


 トイレットペーパーを油で揚げるのは、少しコツがいる。適度な湿度を持たせてから、高温の油にくぐらせる。すぐに泡立ち、ふわりと膨らむ。一瞬でも気を抜けば焦げるし、火を通しすぎれば繊維が切れて味が落ちる。


 カラリと揚がったそれを、キッチンペーパーに乗せて油を切る。キッチンペーパーは食用ではない。食用とそうでない紙の違いは、舌で覚えろと祖母が言っていた。


 皿に並べ、ソースをかける。


 黄金色のトイレットペーパーフライ。もし私がトレジャーハンターなら、きっとこれを金塊だと勘違いして持ち帰るだろう。


 食卓の窓から外を見た。少年たちが紙袋をぶら下げて走っていた。彼らの手にはオヒシバが握られている。きっとおやつに買ったのだろう。紙の味の違いが分かるようになるのは、中学生くらいからだ。かつてはグルメ番組でも「紙ソムリエ」がもてはやされた。今では、誰もが当たり前のように紙の食感を語る。

 あの子たちは、きっとまだ紙の良さが分からないはずだ。チガヤやジョンソングラス、ネピアグラスなんかを主食にしている頃だろうか。私も子供の頃はイネ科の植物が大好きだった。

 でも、いつからかトイレットペーパーの良さに気づく時が来るのだ。


「いただきます」


 私は一人暮らしにもかかわらず、そう口にすると手を合わせた。食材に感謝するためだ。トイレットペーパーを育ててくれた農家、発明してくれた人類、そして、それを調理した自分自身。この世のありとあらゆるものに感謝する。それが食育というものだ。

 さて、それでは朝食タイムと行こう。

 箸を器用に使って、私はサクサクのトイレットペーパーフライを摘まんだ。そしてゆっくり口元に運び、ひと口齧る。揚げたての紙は、口の中で繊維が踊るようにほぐれ、油と香辛料がそれをまとめる。初めて食べたときの記憶はない。だが、子供の頃はあまり好きじゃなかった気がする。しかし、いつの間にやらこの味の虜になっていた。

 口いっぱいに広がるジューシーなトイレットペーパーの香り。咀嚼するたびに鼓膜を揺するサクサクとした食感。飲み込んだ瞬間喉を通り抜ける快楽が、私を幸せにしてくれる。


 では、次はサラダと行こう。ドレッシングを吸ってふやけたトイレットペーパーは、箸で摘まむのが非常に難しい。私は器をそのまま手にもって、掻き込むようにして口に含んだ。

 柔らかい。それでいて、ほんのりと青臭さも感じる。これは絶妙だ。あえて植物の繊維を混ぜ込んで作られるサラダ専用トイレットペーパーは、絶妙な苦さと甘さを両立している。

 口いっぱいに広がる美味を、トイレットペーパーライスで流し込む。

 あぁ、幸せだ。

 さて、もう一口。

 私はトイレットペーパーライスに手を伸ばしながら微笑んだ。


「かつて繁栄していた人類は、環境破壊を繰り返していたけれど、こんな美味しいものを発明してくれたことだけは褒めても良いメェェ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

トイレットペーパーフライ 野々村鴉蚣 @akou_nonomura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説