第3話 王女は、もふもふを愛でたい
もうずいぶん昔のことだけど、獣人は奴隷として扱われていた時代がある。良い印象を持たないひとがいるのは、その頃の名残なのかもしれない。
私は前世からの「生粋のもふもふ好き」なので、もちろん良い印象しかない。仕事に行き詰まると、よく動画サイトでもふもふ動画を見漁っていた。
もふもふは良い。とにかく癒される。ずんぐりむっくりだったり、スマートだったり、大きかったり小さかったりと、もふもふにも色々あるけれど、皆それぞれに良さがある。
見ているだけで気持ちが和むし、触ると落ち着く。実家で飼っていたトイ・プードルのもこもこなくせっ毛を思い出し、懐かしさで泣きそうになった。
ワガママな性格だったが、もふもふのためなら喜んで「言いなり」になる。ご機嫌うかがいをしてから、肉球に触れさせていただく。思いっきり撫でまわし、可愛がり、そして最後に思いっきりスーハ―するのだ。
なんともいえない匂いだったなぁ……。
スーハ―、スーハ―、スーハ―。
「リア様?」
メラニーの声が聞こえて、私は我に返った。
私の向かいには、艶やかな銀色の毛を靡かせている狼獣人がいる。ピンと立った両耳と、長くて立派なマズル。言葉を発する度に、真っ白な牙が見え隠れしている。
そうだ。今は、お見合いの真っ最中だった。しっかりしないと……。
相手の狼獣人がイケメンで好みのタイプすぎて、つい意識が飛んでいたようだ。
「……あんまり、きょろきょろするなよ」
イヴァノフ・モルガンが、隣の席の母親をたしなめるように低い声で言った。
(低く響く声が素敵……!)
私はカッと目を見開いて、イヴァノフを凝視する。
「だって、コスティールの王宮に招かれたのよ? もう二度とないかもしれないんだから、しっかりと目に焼き付けておかないと!」
ばっちりメイクのモルガン母が、興味深そうに周囲を見渡している。立派な額縁に入れられた絵画も、大小様々な調度品も、私にはすべて見慣れたものだ。
客人が王宮内のものに見惚れることは間々あるので、モルガン母に声をかける。
「お好きなだけご覧になってください。よろしければ、メラニーに王宮のなかを案内させましょうか」
「ぜひっ! よろこんで!!」
モルガン母が食い気味に反応する。
「リア様、うちの子と二人っきりになってもご心配には及びません! 見た目はこんなですけど突然襲い掛かったりしませんから。どうか、ご安心くださいませ!」
モルガン母が高らかに宣言する。彼女とメアリーが席を離れた場合、私とイヴァノフの二人が残されるかたちになる。
この場にいるのは、私とイヴァノフ、モルガン母とメアリーの四人。コスティールでは、お見合いの席は当事者二人と付き添いが各一名と定められているのだ。
イヴァノフが、ふんっと鼻を鳴らした。
自分の母親をうんざりした表情で眺めている。なんだか反抗期の少年みたいな顔だ。私はくすっと笑いながら、モルガン母に「大丈夫ですよ」と伝えた。
「そういった心配は、まったくしていませんから」
モルガン母とメラニーが席を立ったあと、私はイヴァノフに手を差し出した。
「ちゃんと挨拶ができなかった気がするので。改めまして、私はリア・シュヴァリエです」
「……俺は、イヴァノフ・モルガン。落ち着きのない母で申し訳ない」
広間に入ってきた瞬間から、モルガン母は大興奮していた。「広い! 豪華! 綺麗!」と目をキラキラさせながらハイテンションになり、おかげで挨拶も出来ないままだった。
おそるおそる、といった感じでイヴァノフが手を伸ばしてくる。
私はそっと爪に触れ、やさしく撫でる。それから銀色の毛と肉球にも触れ、爪の先端をきゅっと握った。
「……挨拶の仕方、よく知ってるな」
「教わったの」
嘘だ。獣人に関する文献を読みまくって知った。
「きみの毛、ふわふわしているのね。もっと硬いのかと思っていたけれど」
失礼かと思ったけれど、触り心地が良いのでさらさらと撫でてみる。
なめらかで、しっとりして、触り心地がいい。光沢があるせいか、撫でると銀色の体毛が輝いて見えた。
「あんまり触ると、抜けるぞ」
視線を逸らしながらぶっきらぼうに言う。その表情が、なぜか傷ついているように見えた。痛そうな、なにかを怖がっているような。
「ごめんなさい、もしかして痛かった?」
「そうじゃなくて。抜けたら嫌だろ」
「イヤじゃないけど?」
弾かれたように、イヴァノフが私を見る。彼の瞳がきれいな色をしていることに、ようやく気付いた。どこまでも透き通った海みたいな色。淡いブルーだった。
きれいな瞳に見られて、胸の奥がぎゅっと痛くなった。上手に息ができなくて、浅い呼吸を繰り返す。
「あ、私の名前、本当はすごく長くてね。リア・シュヴァリエの続きは……」
会話が途切れて、沈黙が流れていることに落ち着かなくなる。聞かれてもいない名前のことを言い出したのは、他に話すことが見つからなかったからだ。
「知っている」
イヴァノフが私の言葉を遮った。
「身上書に記してあった」
「あ、そういえば、そうだね」
「リア・シュヴァリエ・ファン・スチュワート・クリステル・トトゥ」
まさかフルネームで呼ばれるとは思わなかった。覚えてくれたんだ……。
「練習した」
「覚えるために? 長いものね」
「違う。発音が苦手だ」
発音……? 外国で暮らしていたのだろうか。意味がわからなくて首をかしげると、イヴァノフがぷいっと視線をそらした。
少し不貞腐れたような、またしても反抗期の子供みたいな顔。
「……鼻口部が人間と違うから、苦手な言葉がある」
なるほど。それは考えたことがなかった。どうやら、彼は「ティ」と「トゥ」が不得意らしい。真面目に「トゥ」の発音を練習する彼を想像したら、なんだかほっこりした。
「ふふっ」
思わず微笑むと、むすっとした顔のイヴァノフに睨まれた。
キリッとした目で凄まれても、少しも恐怖を感じない。牙があって、爪があって、自分よりずっと体が大きくて。でも、ぜんぜん怖くない。
「イヴァノフ・モルガンって、とても良い名前だね」
身上書を見たときから、ずっとそう思っていた。
「……そうか?」
「モルガンって、私も名乗っていい?」
握った彼の爪がわずかに震えた。驚いたように、淡いブルーの瞳が見開かれる。
「……だめ?」
泣きそうに震える声に、自分でも驚く。こんな風に誰かに言ったことは、今まで一度もない。前世でも、今世でも。
「名前、もっと長くなるぞ」
「ほんとだね。練習しないと」
「覚えられるだろ」
気づいたら握り返されていた。掴んでいた爪の硬い感触だけじゃなくて、少しだけザラついた肉球から体温を感じた。とても温かくて、やさしいぬくもりだった。
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