ざる蕎麦ヒーロー・ザルソバン
冴月練
新橋に吠える
ある時から人間とは異なる知的生命体が社会の中に紛れるようになった。知能は人間と同程度だが、身体能力は桁違いだった。そのうえ人間に擬態する。人々はそれらを“怪人”と呼んだ。
各国の警察、そして軍隊が対応したが、敵わなかった。人々は絶望の淵に立たされた。
だが、怪人の出現からしばらくして、人間の中に超人的な力を持つものが現れだした。彼らは変身し、怪人たちと戦った。人々は彼らを“ヒーロー”と呼んだ。ヒーローは、食べ物の加護を受けていた。
ここは東京。日暮里駅から徒歩10分の1DKのワンルームマンション。
ヒーローの一人が暮らしている。見た目は体を鍛えているだけの普通の青年。だがひとたび変身すれば、ざる蕎麦の加護を受けたヒーロー“ザルソバン”へと変貌を遂げる。
ヒーローの強さとしては、5段階評価で3。中堅ヒーローだ。
ザルソバンはスマホでニュースを見ていた。各地の怪人による被害、そしてそれを退治するヒーローの活躍。
ザルソバンがニュースで扱われることはほぼ無い。活躍が地味だからだ。彼はうらやましかった。自分ももっと目立ちたかった。しかし自分の実力も自覚している。ザルソバンはため息をつくと、ジムに行く支度をした。
中堅ヒーローのザルソバンがヒーロー協会からもらう給料は、一般的な会社員と同程度だ。ヒーローは普通の人よりも多くのカロリーを必要とするので、これに“食費”が追加支給される。合わせると結構な金額だ。ジムで体を鍛えるくらいしか趣味の無いザルソバンには、十分な収入だと言える。
ジムで一通りのトレーニングを終え、シャワーで汗を流した後、ザルソバンは日暮里駅へと向かった。
今日は新橋に行くことにする。気になる店がオープンしていた。
ザルソバンは食べ歩きをする。趣味でもあるが、実益も兼ねている。カロリーも取れる。また、パトロールも兼ねている。
新橋に到着し、SL広場に出た。多くのサラリーマンが行きかっている。この中に怪人が紛れていたら大変だろうなとザルソバンが思った矢先、ザルソバンは怪人の気配を察知した。ヒーローの能力の一つだ。
ザルソバンは神経を研ぎ澄まし、怪人の居場所を探った。だが距離は何となくわかるが、方向はわからなかった。変身すればもっと鮮明に気配を探れるが、ヒーローが姿を現せば怪人は逃げる可能性がある。
ザルソバンは迷った。
次の瞬間、怪人の気配が突然色濃くなった。ザルソバンは身構え、周囲に目を配った。
直後、ザルソバンの右脇腹に強烈な衝撃が走った。30歳半ばのOLに擬態した怪人の蹴りの直撃を受けてしまった。
ザルソバンは理解した。怪人も自分、ヒーローの気配を感じ取っていた。だが、誰がヒーローかは特定できなかった。だから餌を巻いたのだ。そして間抜けなヒーローが釣れた。
吹っ飛ばされたザルソバンは、身を隠せるところに逃げ込むと、瞬間で変身した。
ヒーローの多くは正体を明かすことを嫌う。ザルソバンもその一人だ。一部のヒーローは自己顕示欲の強さや、人々に安心を与えるために正体を明かしていた。
変身したザルソバンが大きくジャンプし、怪人との間合いを一気に詰めた。
蕎麦色のスーツ。麺つゆ色のマント、ブーツ、手袋。そして顔を隠すマスクを身にまとっている。
ザルソバンは長ネギ型の薬味ブレードを抜いた。
怪人も擬態を解き、その姿はザルソバンに「赤いシャコ」を連想させた。
ザルソバンは焦っていた。脇腹への蹴り。変身後だったらたいしたダメージではなかったはずだ。だが、変身前に直撃を受けてしまった。痛みは我慢できるが、動きが落ちるのはマズい。
怪人もザルソバンのダメージをわかっているのか、一気に距離を詰めてラッシュをかけてきた。ザルソバンは必死に薬味ブレードで捌く。
一度後ろにジャンプし、間合いを取った。
SL広場にいる人々の悲鳴が聞こえる。自分が負ければここにいる人たちが殺される。ザルソバンは歯を食いしばる。
「蕎麦湯ミスト」
ザルソバンは蕎麦湯を霧状にして怪人を包んだ。ほんの一瞬の目くらましだ。だが、怪人は視界を奪われて隙ができた。ザルソバンは渾身の蹴りを怪人の腹に叩き込んだ。
ザルソバンはマスクの下で舌打ちした。万全の状態だったら有効打だったはずだ。だが先にダメージを受けていたことで、ザルソバンの蹴りは威力が落ちていた。
怪人はそのチャンスを見過ごさず、大きなはさみでザルソバンの側頭部を強打した。ザルソバンは一瞬意識が飛んだ。
怪人は両のはさみを乱打した。ザルソバンは必死に防御する。怪人はここで倒しきるつもりなのだろう。攻撃の合間に隙はできるが、ザルソバンは攻撃に回れず歯がみした。
ザルソバンは逃げることを考えていなかった。自分が攻撃に耐えている時間が長ければ、それだけ人々が逃げる時間を稼げる。
怪人がとどめをさすつもりなのか、はさみを大きく構えた。ザルソバンはこのチャンスを見逃さず、足払いを放つ。
怪人は大きく体勢を崩し、ザルソバンはバックステップで距離を取る。
ザルソバンは一息つけることを喜んだ。
ふと、周りの景色が目に入った。
人々が遠巻きにザルソバンを見守っている。ザルソバンとしては、逃げて欲しかった。
中年のサラリーマンが、ザルソバンに大声で声援を送る。それに呼応するように、遠巻きに見ていた人々が声を上げる。
SL広場はザルソバンへの応援の声に包まれた。
ザルソバンは人々の応援を背に怪人と向き合う。
負けられない。
そう思うとザルソバンのアイテムの一つ、天かすが輝き出した。
ザルソバンは天かすを右手にかざすと、天かすはわずかに浮き上がった。
サラリーマンの脂ギッシュな声援を受けて、天かすは輝きを増しながら巨大化する。
巨大化した輝く天かすを構えたザルソバンと怪人が向き合う。にらみ合ったのは一瞬だった。
渾身の一撃を食らわすためにはさみを大振りした怪人に対し、ザルソバンは最短距離で天かすを怪人にぶつけた。
怪人が油と炎に包まれ、のたうち回る。
ザルソバンは介錯のため、薬味ブレードを一薙ぎした。
人々の歓声が上がる。
ザルソバンはポーズを決め、雄叫びを上げる。
そして大きくジャンプし、人々の前から姿を消した。
ザルソバンは山手線に揺られて帰途についた。
ヒーローは回復力もすごいので、戦闘のダメージも明日には消える。
帰宅したザルソバンはシャワーを浴び、スーパーで買ってきた惣菜で夕食を済ませた。
ベッドに体を横たえると、あちこちが痛んだ。しばらく目を瞑り回復に集中する。
それからスマホを手に取り、エゴサに励んだ。たくさんの自分の写真と動画が見つかり、賞賛も多かった。ディスりは無視した。
ザルソバンは幸せを感じ、眠りに落ちた。
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