最終話 8月32日

途中で圭介とは一度別れ、カルロと朝比奈は他の町民と共に公民館へ向かった。

部屋の中はクーラーで寒いくらいに冷えている。寒暖差で体調を崩してしまいそうだった。


「お、見ない顔やな。こっちおいで」


先に着いていた町民たちに案内され、畳の上に配置されたテーブルの前に座る。


「外暑かったやろ。ほら、麦茶。しっかり飲み」


おばあちゃんが麦茶を注いで出してくれた。


「ありがとうございます」


「今日は観光?」


「あーっと、えぇ。そんなところです」


カルロは言葉を選びながら回答する。


「こんな場所まで観光かい。知り合いでもおるん?どこから来たん?」


みやこから。気分転換に来ました。そしたらたまたまお祭りも開催されるそうで、来てみたんです」


「そうなんやね。今日のお祭りは弔事って言って芦戸居井戸子ちゃんっていう女の子を弔う意味もあるんよ。彼女はこの町の誇りでね……」

そんな話を聞きながら町の人たちとの時間を分かち合った。



- 午後7:15


窓の外が群青を帯びてきたころ、あたりはすっかり町民たちで溢れていた。そんな様子に気づいたころ、部屋のふすまが開く。


「到着したで」


車いすを押す圭介が部屋に入り、みんなの注目を集めた。

車いすの女性が口を開く。


「皆さん長い間ご無沙汰しております。芦戸居井戸子の母です。今宵は娘の60回目の誕生日。井戸子が亡くなってから早や40年が経ちました。娘のことを忘れたことは一刻たりともありません」


町民たちは先ほどまでの団らんが嘘であったかのように口を噤み、ただ真剣に芦戸居母の話を聞いていた。


「今日は娘が来年の仏滅に向けて俗世と繋がっている身体を手放す日、”涅槃”でございます。皆様、今日は娘が寂しがらないよう、存分に祭りを楽しみ、怪我や惨事無く終えられることを心より願っております。何卒宜しくお願い申し上げます」


「お母さまが言った通り、今日は井戸子ちゃんとの最後のお祭りや。みんな感謝を伝えたり弔いの念を持ったり色々あるじゃろうが、第一に祭りを楽しんでやってくれ」


圭介が締める。


「それじゃあお祭りはじめ!」


その掛け声とともに町民たちはぞろぞろと公民館を流れ出ていく。


「さ、あんたたちも社までおいでね」


おばあちゃんも出ていった。

その場に残った圭介がカルロと朝比奈に近づく。


「ワシは井戸子ちゃんのお母さん連れて行かんといけんさかい、ここでいったんお別れや。あとはあんたらに任せたで。もし何かあったら連絡してくれ」


「はい、ありがとうございました。必ずやり遂げます!」

カルロの意気に感心した様子で圭介と芦戸居母も公民館を出ていった。


「カルロ」


「あぁ。あと1時間と15分だ」


「私は井戸子ちゃんがいる麓で待機するわ。カルロは本堂で井戸子ちゃんが無事に遺体に辿り着くのを見守っていてほしい」


花火が上がるのは八時半から三十分間。その間に井戸子を移動させる時間が訪れる。花火の上がる時間についてはたまたまだったが、みんなが花火に注目している間に電線を使えるのは好都合だ。花火が見えやすい位置とは逆から電線を繋げたため、きっと近づく者もいない。仮に井戸子の運搬が失敗したとしても周りに感電する可能性は限りなく低い。山火事を防ぐためにやむを得ず電線は道のある場所を通して配置したため、誰も近づかないという条件は大きかった。


「俺はすぐに本堂へ向かうよ。井戸子は任せた」


カルロと朝比奈はすぐに公民館を出る。やがて公民館に控えていた警備員も電気を消し、現在港で明かりが集まる場所は社のみになった。



- 午後7:30


「井戸子ちゃん、容態は大丈夫?」


朝比奈は木箱を開け、デバイスに呼びかける。


『……あ……さ』


反応がない。


「これ……充電が切れかけてる!?」


朝比奈は急いでカルロに電話を繋げた。


「カルロ!井戸子ちゃんの携帯の充電が切れかけてるの!」


「何!?でもイアンの携帯新品だぞ!?公民館に帰る前に見た時も八十パーセントは残ってたはずだ」


「まさか。井戸子ちゃんが干渉した側だとすれば干渉された側の携帯の状況は井戸子ちゃんの容態によって変化してるのかもしれない。つまり井戸子ちゃんは完全に消える寸前で、デバイスの残量もそれを引き継いでる。これってもしかして井戸子ちゃんが完全に消えるまでは携帯の電源も完全には消えないってこと?」


「いや、そうじゃない。確かに井戸子は干渉した側で、デバイスは井戸子の容態を充電残量として反映している。しかし、今の井戸子にとってデバイスは重りだ」


「おもり……?」


「本来であれば干渉した側の井戸子は電気によって、干渉された側のデバイスを主従関係の従に置いて操作することができるが、今の井戸子は霊力が著しく低下している。だから井戸子は干渉した側であるとともに、デバイス側からも干渉される立場にあるのかもしれない」


「なるほど。じゃあ携帯の持つ情報量が井戸子ちゃんを攻撃して、井戸子ちゃんの体力が低下、その状況が携帯の充電残量に反映されている。これを続けるといつか井戸子ちゃんは消えてしまうってことなのね?」


「そういうことだ。充電器は持ってるか?携帯型のものがあればいいんだが」


「コンセントしかないの。カルロは?」


「ある。ほら!」


朝比奈と通話していたカルロが遠くの方から走ってくるのが見える。


「早!」


「まだ本堂までたどり着いてなかったからな、すぐ引き返してきた」


カルロが充電器を朝比奈に渡しながら答える。


「ありがとう。これで大丈夫ね」


『ヴンッ』


デバイスが充電され始め、二人は胸をなでおろした。山の上に見える社の光と、この距離まで聞こえてくるお囃子。 - 午後7:45





「井戸子!聞こえるか?」


遠くで声が聞こえる。


『ブツブツ……ブツッ』


頭に青いノイズが流れて、割れるように痛い。痛い……痛い……。


『ブォンッ』


その瞬間、頭からつま先まで身体全体が一気に揺れ、目の前にカルロと朝比奈の顔が映る。


「井戸子ちゃん!」


「うわっ、びっくりしたぁ」


「よかった。間に合ったみたい」


「私今何してたんだっけ……」


「携帯の充電が切れかけてたのよ。カルロが充電器を貸してくれたからもう大丈夫」


「そっか……ありがとう二人とも。はっ、時間は!?」


「午後八時前。あと45分もあるから慌てなくて大丈夫だよ」


「私ね、夢を見てたんだ。災害のあったあの日、私が亡くなった日、波に呑み込まれる瞬間、私は海で大きな鯨を見た。でもそれは鯨じゃなかったと思うの。だって鯨は猫と同じ、幻の生き物だから。私の記憶は間違ってた。あの日私は正義感を理由に死のうとしてた。分かり合えないこの町と、神様の居ないこの町とお別れしたくて。でも、それは全部自分に吐いてた嘘だったんだって」


「自分語りか?」


カルロが割って入る。


「ちょっとカルロ。いいじゃない、まだ時間あるんだから」


「悪いとは言ってない……」


「いじわるめ」


「ごめん自分語りだよ。でもね、私死のうとして死んじゃったのならカルロや朝比奈さんや町のみんながやってきたことって何だったんだろうって思ってたの。私なんかが生き返ってもそれは他の無念を抱えて死んでしまった人たちに失礼なんじゃないかって。でも、全部間違ってた。私はずっと生きたかった。自分の言葉で息をしたかった。最後まで自分を抑えて人の為に尽くしてきた自分が嫌で、自分で記憶を書き換えてたの。表向きは正義感を持って亡くなってしまった井戸子として、私の中では自分の死を肯定するために”この死は自分が望んだことである”という理由をつけて。これは結局私の心の中の話だからここで二人に話してもどうにもならないし、本当に自分語りでしかないんだけど。ただ、消えてしまうかもしれないって思うとどうしても話しておきたかったの。ごめん」


「何謝ってるのよ。それに井戸子ちゃんは消えない。私たちが生き返らせるんだから」


「ありがとう。あと一つ分かったことがある」


「ん?」


「幽霊になった私は記憶喪失だった。あの日、カルロと出会った都での私は別に騙そうと思って死因を偽ったんじゃない。自分の死因が分からなかったの。ただ、この携帯に入ってた情報を探ってたら自分の記憶を思い出す方法が記載されてるファイルがあって、それを元に復元したの。

最初に自分の死の真相を思い出したのはこの島に帰って来て圭介と話したとき。記憶にメスを入れられると、意外と容易に思い出せるみたい。ただ、その時の記憶は私が私自身に偽りの記憶として書き換えていたもの。

それに気づいたのはイアンの携帯でファイルを探ってた時。死の間際に自分を偽ったことだけじゃない、そこまでたどり着くまでのストーリーや自分の心境まで全てが流れ込んできたの。実はそれのせいで身体がダメージを受けちゃったみたいで」


「なるほど、そういうことだったのか。霊力の弱まりが理由ではなかったんだな」


「でもちょっと待ってよ。私今日携帯のアプリ消したわよね?何で井戸子ちゃんが携帯のデータを閲覧できるわけ?」


「それは、イアンが携帯の中に厳重に保管してたデータがあったの。端末のデータは朝比奈さんが消しちゃったけどイアンはいくつか他の場所に複製をとってたみたいでクラウドからも容易にアクセスできた」


「それは、イアンが俺たちの知らない情報を持っているということで間違いないか?」


「多分そういうことだと思う。理由は分からないけどこの島のことやこの島の文化、幽霊の実体化のマニュアルみたいなものがでてきたの」


「これは帰ったら問い詰めないとだな」


「そうだね。でも今は井戸子ちゃんのことだけを考えましょう。ほら、もう花火が上がる時間」



- 午後8:30


「井戸子ちゃん、準備は良い?」


「はい。大丈夫です!」


「到達先の棺の中にはカルロが別の予備端末を置いてくれてるから、運搬はもうそろそろ始めるわよ。少し早めに着くと思うから到達したら端末に入り込んで20:40まで待機。時間になったら自分の身体に入り込むの」


「わかりま……わかった!行ける」


「俺はまた本堂に戻っておく。井戸子、帰って来いよ」


「うん、もちろん」


「じゃあ二人とも、あとで会いましょう」


運搬に備え、構える。空を駆け上がる火の尾の鳴き声。


『ドンッ』


花火の弾ける音とともに、私の身体は電線の中に吸い込まれた。


電線の中は過去の記憶で溢れていた。圭介は確か本部の倉庫に放置されていた予備の電線だって言っていたはずだ。町に張っている電線の予備だからものすごく長いのは当たり前なのだが、しかし今私に見えている電線に刻まれた歴史は長いというものではない。それに、この町の記憶だけではない。むしろこの町の記憶なんて歴史のたった一片に過ぎない。時代は一つ二つと、それよりも前、戦時中までさかのぼる。文明をもまたがるこの電線は一体いつの時代からこの町に保管されていたのだろうか。あるいはリサイクルだろうか。この世界には大昔、鯨や猫といった生物が実際にいたらしい。国という概念が廃れる前、この世界は帝という存在が治めていて、私たちは……。


『じじじじっ』


頭に再びノイズが流れる。身体じゅうに先ほど携帯の中で感じたものとは違った振動が走り、無理やり曲げられる感覚を覚える。


(痛っ……)


そして……私の身体は電線の曲がり角から直線状に飛び出し、そのまま道のはずれの林の中に投げ出された。


「ぐぁっ!」


運よくそこに生えていた大木に背中を打ち付けられ、林の奥に転げ落ちることなく制止する。しかし打ち所が悪かったようで、身体を起こしてからもしばらく息がしづらかった。


私、また実体化してる。なんで?順調に行ってたはずなのに、みんなと約束したのに。目から涙が零れ落ちた。今まで我慢していたものがとめどなく溢れ出てくる。あと少しなのに……。


「行かんと……」


軋む足で地面を踏みしめ、重い身体を無理やり前へと進める。

もう少しや。走れ、井戸子!



境内の中は人でいっぱいだった。皆上を向いて花火を眺めている。


『ドォォォォン』


轟音が空を連ねて光を放つ。その光に照らされた私の身体は一瞬発光し、地面に落ちた。なに?今の……。身体が重たくなって。


「あっ……」


周りの人たちが私の方をじっと見つめていた。


「い……井戸子……?」


人混みの中により一層驚いた顔をしている小絵が居た。

花火が残した光がなびくカーテンのようにゆったりと暗転し、再び私の身体は歩けるようになった。


「今の、井戸子お姉ちゃん?」


『俺も見たぞ。俺も見た。ワシもや。ねぇねぇお母さん、今のが井戸子お姉ちゃん?』


ざわめく喧騒を潜り抜け本堂へと走る。ダメや、今見つかったら私にはどうにもできん。走れ井戸子。今はみんなと再会を果たす場合じゃない。


『ひゅううううううう』


次の花火が空へと昇る。間に合え。本堂は目の前。着いたら私の身体に触れたらいい。


『ドォォォォォン』


空を轟かせて花火が弾けた。





- 午後8:40


井戸子の運搬から予想以上に時間がかかってしまった。物理的に重たい足をそれでも前に進ませて、本堂を目指す。


『ドォォォォン』


背後では花火の音と光が弾け、その度に魅了される人々の表情を照らしていた。

本堂に着くと、何やら騒がしかった。花火が上がっているというのにもかかわらず何人もの人々が懐中電灯を持って本堂の周りを照らし歩いていた。


『こっちに行ったはずや。探し出すで』


そんなことを言っている。本来、この島の本堂は無くなった者の遺体を保管している場所である。今本堂に入るのはさすがにまずい。

時刻は8:41。一分前に井戸子が遺体にたどり着けていなかった場合、もう井戸子は助からない。花火の光に照らされる本堂の扉を見つめる。間に合っていてくれと願うことしかできなかった。



- 午後8:50


花火はクライマックス。町民たちは皆、夜空に釘付けになっている。本堂の周りにいた人々もしばらくしてちらちらと花火が見える場所に戻っていった。


「カルロ!井戸子ちゃんは?どうなったの?」


後から追ってきた朝比奈がカルロを背後から呼び止める。


「すまない。本堂の周りに人がうろついていて入れなかったんだ」


「辿り着けていればいいけれど」


「もう人はいなくなったし、入ってみよう」


「えぇ。そうしましょう」


本堂の中は準備で見た時よりも薄暗く、棺はシルエットとしてしか確認できないほどである。かび臭さは相変わらずだが、朝の空気とは打って変わって澄んだ感覚だった。棺の隣に人影が見える。


「……あなたは?」


カルロが人影に近づき、朝比奈も後に続く。


「……井戸子の親友です」


それだけ。返ってきたのはそれだけだった。


「おう、そこで何しとるんじゃ」


人影に近づいていたカルロたちのさらに背後から、懐中電灯の光と男の声が飛んでくる。夜に溶け込むような青い制服。警官だった。


「あ、えっと……」


朝比奈が言葉を詰まらせる中、次の花火が弾けた。


『ドォォォォォン』


その光に警官の背後が照らされる。大勢の人が、本堂の前に集まっていた。


「本堂に入っていく怪しい人影を見たいうから来てみたんや。お前ら、こんなところ入り込んでなんの用事じゃ。それに裏道からこんな線まで手繰りおって、何を考えとる!」


警官の手には電線が握られていた。本堂の裏から井戸子の棺に通していたもの。どうやら途中で野良犬にでもかみ切られていたのだろう。警官が手に持っている電線は井戸子の棺に入れていた電線とは繋がっていなかったのだ。


「消防の人間も今夜は怪しい動きが多い。まさか放火魔じゃなかろうな?」


「違うんです、僕らはただ。その……」


警官が本堂の中に踏み入れ、懐中電灯で井戸子の棺を照らす。


「なんでや……」


棺の隣にいた井戸子の親友(と名乗る女性)が呟く。


「なんで無いん……遺体」


警官が照らした棺には井戸子の遺体は入っていなかった。


「カルロ……これは成功したの……?」


「いや、わからない。だがもし生き返っていたとしてここに居ないというのは不自然じゃないか?」


「そこの二人、やっぱりなんか知っとるようじゃのう」


警官が振り返りざま、朝比奈とカルロを照らし、詰め寄った。



- 21:00前


「話は署で聞くけぇ。正体不明の二人と、それから小絵。ついてこい」


カルロ、朝比奈、人影の主である小絵はしぶしぶ警官の背中について行こうとしたその時だった。


「見て!あれ。クライマックスや」


近くにいた子どもが母親に話しかけ、その声を聴いた町民たちが一斉に空を見る。最後の花火が空をいっぱいに包む。


カルロは空を見上げることなく、ただ横目で町民たちの表情を見ていた。

井戸子……ごめん。


『ドンッ』


花火の光に照らされ、町民たちの表情が露になる。


「井戸子……?」


町民たちの中に、それはいた。


「朝比奈、井戸子がいるぞ、あそこ……」


「カルロ、これって」


「成功したんだ」





『ド-ン……』


扉の奥で花火が弾けるのが分かる。間に合った。本堂に入れた。あとは私の遺体……。暗闇の中、幽かに見える地面の電線を辿る。電線の端が入った棺にはカルロの言っていた通り、私の遺体が大切に収められていた。


「これ……まるで生きとるみたいや」


棺に入っている自分の頬を撫でる。まだ遺体の中には入れなかった。予備携帯の時刻は39分。もうすぐだった。

もう少しというところで、本堂の扉の向こうから町民たちの声が近づいてくるのが聞こえた。


『こっちにいったはずや。探し出すで』


「これじゃあ私が悪い事してるみたいじゃん……。みんなごめん、もう私、自分に嘘つかない」


頬に触れていた指先から大量の光が漏れ出した。扉の向こう側で次の花火が鳴った頃、私の身体は芦戸居井戸子の中に入り込んだ。


暗闇の向こうで誰かが泣いている。他の誰でもない。私だった。戻ってきた魂の私に背を向け、身体を丸めて泣いている。


「私の記憶、ここにいたんだね」


身体に取り残された自分に歩み寄る。


「一人にしてごめん。帰ろう、波止場へ」


背中に触れ、実体を触れることに気づくと、そのまま自分の身体を腕に抱いた。私は私が嫌いだった。だから、いやな記憶は全部身体に置いてきてしまった。身体に残された私をずっと一人ぼっちにさせてしまった。

触れた途端視界いっぱいに光が溢れる。


「全てを愛することはできないけれど、来世は少しでも好きになりたい。」





私、何してたんだっけ。防波堤に座ったまま空を見上げていた。花火が夜空全体を包む。綺麗だな……。そういえば、小絵と圭介は!?今年は一緒に花火見ようって約束したのに。まさかすっぽかされた!?あ、いや、すっぽかしたのは私の方だっけ?振り返ると山の上の社には煌々と光が宿っていた。みんなあそこでみてるんか。私も行かんと。


重い腰を上げ、暗闇に光る海の水面を眺める。暗闇の中に見える砂浜には、大量のカメが卵の産卵のため蠢いていた。そっか、私鯨見に来たんやった。私は確かに見たっちゅうのにみんな信じてくれんくて、絶対に写真に収めてやる!って意気込んだんやったわ。なんかでも、空見とったらどうでもよくなったな。意地張るの悪い癖や、いい加減やめよう。持っていた携帯の画面を見る。時刻は20:40。


「やばい!もう花火クライマックスやん、急がんとみんなと一緒に見れんなってしまう!」


私は来た道を急いで戻り、社へと走った。


境内に入ると、そこは大勢の人で溢れていた。皆空を見上げて花火にくぎ付けになっている。カップルで身を寄せ合う人、親子で楽しく話している人、警官に連行されていく人。全ての人のかたちが、この社の中に集約されていた。


そんな人々に混ざり、空を見上げる。


『ドンッ。ドドンッ』


大量の火の花が空を包む。吸い込まれそうなほどきれいだった。目を奪われたまま立ち尽くす。ふと辺りを見回して、あることに気づく。


「あれ……ここは、どこ?」


私は社に来たはずだった。そしてここは境内、間違っていないはずだ。しかし、周りの人たちに見覚えがない。まさか、間違えて島の裏の方の社にでも迷い込んでしまったのだろうか。


「井戸子?あんたその見た目……」


警官に連行されていた人たちの中から、一人の女性が話しかけてきた。小絵……?


「小絵、なんでそんなに……それじゃあまるでおばちゃんになったみたい」


光に照らされた小絵の顔には少ししわがある。私の知っている小絵ではない。


「井戸子、何であんたは年取ってないん?……というか、なんか久しぶりにあった気がする。お祭りに来る前会ったはずやのに」


「井戸子。成功したんだな?」


連行されていた人の中から、今度は男が近づいてくる。どこかで会ったはずなのに思い出せない。


「すみません、私たちどこかで会いました……?」


「え……」


「カルロ、井戸子ちゃん私たちのこと忘れてるみたい」


男性に女性が話しかけている様子が見て取れる。私はあなたたちとは初対面のはず。なのに会ったことがある気がする。困惑している間に、今年の花火は終わってしまった。


「どうしたんやお前ら、警官さんになんかお世話になって……井戸子……?」


今度は境内の階段を上るおじいさん。その声は圭介だった。驚いた様子で私の顔をまじまじと見る。


「お前、何でそんなに若返って……」


「いやいや、だから私からすればみんなが年を取ってるんだって!……というか圭介は歳取っても圭介やな」


「やかましいわ。誰がおっさんじゃ」


「おじいさんや言うてるんやよ!」


「ちょっといいか?」


私たちの会話を遮り、先ほどの男が割り込む。


「何も覚えていないのか?井戸子」


「若返った原因?」


「そうじゃなくて……ややこしいな。何から説明すればいいのか」


「井戸子お前、城を見たんか?」


口どもっていた男をさらに遮り、再び圭介が話し出す。


「城……城?」


必死に記憶をたどる。そして、城を見たことを思い出す。そこにはたくさんのオシャレな人が居て沢山の石が転がっている。サンゴ礁は石の行く先を示し、私はその石にはねられないよう城の端っこに座り込んでいた。

見知らぬ男たちに連れられ、生活するには困らない場所を提供してもらった。食事はなかった。というより、私はその場所で食事をしなくても生きていられた気がした。


「もしこの島にある伝承が本当なら、井戸子が見たんは竜宮城や。亀は万年。竜宮城に行ったものは帰ってくると元居た町の時間の経過に驚くらしい。井戸子の言う通り、歳を取ったのはワシらの方や。普段から神様やら鯨やら不思議なもん信じとったから誘われたんやろ」


「鯨も神様もいるもん!」


「分かったよ。ワシらが老けてお前が若いままなのがすべてを物語っとる。こういう不思議な話が実際にあるっちゅうことや」


「あんた、やけに冷静ね」


小絵が圭介に突っ込む。


「ワシもな、夢見とった気がするんや。井戸子が帰ってこんなる夢をな」


「やめてよ縁起でもない」


「本当や。さらに言えば不謹慎かもしれんが、ワシは今日井戸子を供養するためにこの場所におった気がする。ここにいる人たちも小絵もみんな。集められるべくして集まった気がするんや」


「やめてってば……ちょっと小絵!?なんで泣いてるん!?」


ふと小絵の方を見ると私が見ていないうちに泣いていた様子だった。


「なんか、あんたに会えてよかったっていうか……」


「だから私ら祭りの前に会ったやんか。圭介も小絵もそれにさっきの、さっきの……」


警官に連れられていた二人はもういなかった。二人を連れていた警官も、いつの間にかいなくなっていた。


「あんたが鯨探しに行くっていうて聞かんかったやろ?いつまで経っても海から帰って来うへんし、今年こそ一緒に見ようって言ったのにもう少しで今年も一緒に見れんなるところだったんやよ?」


それもそうか。


「ごめんね。今日は晩御飯みんなで一緒に食べよう、なんか久しくみんなで食べてなかった気ぃするわ」


「うん。ほら、圭介も行くよ」





記憶は馴染む。それがどんなに出鱈目なものでも、そこに存在させ続ければやがてそれは真実になるはずだ。


夏祭りから二日が経過した。地図に存在しない島の夏祭り。そこでの不思議な体験はカルロと沙那が同時に見たものであった。学者であるカルロと記者である沙那は幽霊の正体についての論文を書いている。その取材に迷い込んだ島が、例の潮津町。その島の名前は思い出せるのに、島へのアクセスや何故その島に取材に行こうと思ったのか、どうやって戻ってきたのかといった記憶は綺麗に抜け落ちてしまっていた。


カルロの同僚のイアンは我が子を無くした悲しみに暮れ、研究室には顔を出さない。災害によって亡くなったハリスを、我が子を無くしたイアンを気の毒に思う。その為、昔の友人である沙那にアポを取り、イアンの代わりに協力してもらうことにした。二人で完成させるのだ。『幽霊の正体について』の論文を。


「おつかれさま、沙那さんもカルロも」


研究室にイアンが顔を出し、デスクの資料の上に水滴を帯びた缶ジュースを3つ置いた。


「おい!資料がめちゃくちゃだ……イアン?お前もう大丈夫なのか?」


「え、何が?」


「だってハリスが」


「ハリス?あぁ子守りのことか。ハリスならリリが家で面倒見てくれてるよ。しかし申し訳なかった。家族旅行に行くからってしばらく顔も出せなくて」


「え?あ、あぁそうだったっけ?……まぁ、いいんだよ沙那も結構やる気になってくれてるしな」


「どうも初めまして、イアン・プラントン。記者の浅井沙那です」


「あぁどうも。この度は研究にお手伝いくださりありがとうございます。ちなみに研究に新しい人物が加わるというのは今初めて知ったんだが、こういうことはちゃんと報告してくれないかな!?」


イアンがカルロに問い詰める。


「まぁいいだろ?お前の家族旅行を許した代わりだと思えよ。そもそも二人体制で忙しかったんだから。人手は増えれば増えるだけありがたい」


「そうだけど……まぁいいよ。俺は報告してほしいだけだから。人手が増えることには歓迎だ。そういえば二人ともニュースは見たか?」


「ニュース?」


「数日前に避難指示予測が出てた豪雨だよ。過去類を見ない豪雨が予想されてて、もしかしたら大きな災害に発展するかもしれないって町中大騒ぎだったんだ。俺たちもそれが理由で家族旅行は近場で済ませてきたんだ」


「そんなニュースあったか?」


「あったよ。お前研究熱心だからってニュースくらい見ろよな」


「それで災害は起こるの?」


朝比奈がイアンに問う。


「いいや、雨雲は突如消滅。災害は免れた」


イアンが自身の携帯でネットニュースを見せてくる。


「それはいいんだが、その携帯充電無くないか?」


「え?本当だ。さっき充電したばかりなのに。最近充電の持ちが悪くなった気がするな」


「どんなものだっていずれは廃れていくんだ。そろそろ変え時なのかもな。今回の論文で入る金から修理費出していいぞ」


「本当か!?助かる。カルロお前良いやつだな」


「なんかかわいそうだなって思っただけだよ。ってか、何で三本?」


「三本?」


「ジュースだよ。お前今日沙那が来ること知らなかっただろ?なのになんで」


「あれ、なんでだろう。誰かに渡したかったんだが……」


「夏バテだな」


夏場のエアコンがガタガタと音を立てる。この研究室もそろそろリフォームを考えた方がいいなと思いつつ、カルロは沙那と整理していた資料に再び目を下ろした。





数日後

「皆さんおはようございます」

スクランブル交差点から見上げることのできるスクリーンにアナウンサーの顔が映し出される。


「緊急速報です。先ほど学会から『幽霊の正体について』の論文が発表されました」


「気になる幽霊の正体は~……CMのあとっ!」


スクランブル交差点を歩く人々がスクリーンに向かって一斉に罵声を上げる。信号が変わっても渡ろうとしない人々に対して、今度は車のクラクションが浴びせられる。これが都の日常。依然として、人々のアナウンサーに対する反応は変わらない。



「しかし『幽霊の正体が電気』なんて世間は納得すると思うか?」


A4用紙に書き出した幽霊の正体についての候補を眺めながら、議論する。


「”幽霊の正体は念だ”とか言うよりよっぽどいいだろう」


「誰だよ”念”って書いたやつ。バカだろ」


「お前じゃないのか?」


「違うよ」


「私でもないよ?」


「まぁいいや。電気で決まりな」


俺たちは学会の決まりにより、全ての情報を世の中に発信することは禁止されている。テクノロジーの進化を緩やかにし、人類が急激に進化を遂げてしまわないためである。だから我々はこうして、答えを導き出したうえで一番適当で当たり障りのない答えを世の中に発信しなければならない。とはいっても嘘をつけば未来で捲れてしまうため、将来の研究からつじつまの合う答えとして適当なものを発信しなければならないのである。


幽霊の正体は電子の、それより先は言えないが、いわば電気の派生である。その為、今回の論文では幽霊の正体は電気であるというところまでをここに記しておきたいと思う。この続きは明日の我々か、もしくは次の学者が辿り着くことだろう。


『幽霊の正体は電気である』


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幽霊の正体は電気です 鮠いずも @hayaizumo

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