第4話 人は呪えど穴一つ



「好きなんよ私、カルロ君のことが」

「俺、自由で居たいんだ。ごめん。」


青いしじまの中、私の切り込んだ言葉は彼の長所である意志の強さを持った一言によって朽ち果てた。好きな人の、その人を好きになった理由のような芯のある言葉によって、私の好きという気持ちは成就しないまま終わる。


良い男の攻略難易度が高い理由が集約されているようなシチュエーションを経た今日この頃、暦八月。宇宙の膨張が進む現代では暑すぎて虫も出てこない。見つかりもしないカブトムシを夢中で探す少年たちの黄色い声の傍らで、私は男の、彼の性格を象徴するような黄色い声色の返答に打ちひしがれ、ベンチの上で湿ったシャツの先を引っ張りながら背中の汗ばみが身体全体に行き渡らないようにハタハタとはためかせていた。


私は浅い。こんなにも心は虚ろに悲鳴を噛み締めているというのに、”沙那”の身体には夏の暑さにうだり落ちないようにシャツと背中の間に風を通すだけの余裕がある。そんな私だったからだろう。


数年後、私は都内のアナウンサーとして凄惨な事件や学者の論文に関するニュースを取り扱うようになっていた。


アナウンサーは発信源である事件や論文に対する国民のヘイトに真っ向から立ち向かう職業である。


そう、この国では世間に届ける情報の責任はそれを報道したアナウンサーに求められるのである。


「浅井さん、次この台本お願い」


上司に渡される資料に早速目を通す。


『安楽死制度廃止について』


これまた荒れそうなラベルだ。

ラベルというのはすなわちニュースの見出しのことなのだが、仕事を続けていればこのラベルを見ただけで自ずと報道した後の国民の反応が想像できてくるようになる。だから既に読みたくないというのが私の心境なのだが、私のような下っ端でも上っ端でもない中途半端なキャリアのアナウンサーにはこういった批評覚悟のニュースが回ってくるのが暗黙の了解なのだ。


この通過儀礼みたいな期間を耐え抜き昇格されればいわゆる先輩方の仲間入りなわけだが、今の先輩方に比較的若い世代が見えないことを思うと私が昇格するのは4,50年後になるだろう。


その計算でいくと私がまともなニュースを国民に届けられるのは推定70歳ということになるのでもうこの仕事辞めたい。


「”あたま”は30秒後になるからよろしく」


“あたま”というのは業界でライブ配信がスタートする時間を意味する。

つまり30秒後にはニュースの報道が始まり、私の声が国民に届くのである。

『安楽死制度廃止について』という扱いづらいラベルを読み上げる私の声が。


正面よりやや左斜めに見えるミラー画面に映るのはカメラで捉えた私の姿。私というトルソーに貼られたレッテルのような浅井 沙那(あさい さな)のテロップは親の顔より見た私の名前である。


深く呼吸をして頭を冷やす。台本は捲れど捲れど内容を変えてくれない。何もかもが仕方なかった私の人生にとって、これから起こりうる全ての事象は仕方ないの一言で片づけていいものなのだろうか。


「15秒前」


考えても無駄である。それもこれも仕方ないことなのだから。私はただ自分の人生を諦観しながら渡された通りの台本を読み上げ、国民の声に耐えて得た収入でいつまでも止まったままの八月みたいな人生を歩いているだけでいいのである。


「3……」


誰にとって”いい”のか。それは大きな問題ではない。

世の中には知らなくてもいいことがあるのだと、かつて私を失恋させた男も言っていた。


「2……」


はずだ。覚えてないけど


「……開始」


すぅっ。

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